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12.東北一周の旅<最終回:宮城県>  [日本一周(一周目)]


12日目:8月18日(木)続き

いよいよこの旅最後の県である宮城県です。宮城県は6年住んだ県で妻の実家もあるので、埼玉、東京、神奈川と並んで関東以外では唯一地元意識もある馴染み深い県です。今回の日本一周を始めてからも、ここ宮城には何度も立ち寄っています。
・昨年のGWに妻の帰省のドライバーを務め、白石と気仙沼や女川の震災地をめぐる(レポートはこちら
・昨年6~7月の北海道旅行の往復に。 往路は仙台から苫小牧行きのフェリーに乗り、復路は実家で北海道土産のカニを食べる
・昨年10月の南東北紅葉紀行の最後に立ち寄り、ここでニートをとりあえず卒業!

という感じです。”宮城県制覇”は既に達成といえば達成なのですが、今回は住んでいたくせに今までに行ったことがない場所や、懐かしい場所や人に会うことを中心にプランを組みました。

宮城県に入り、最初の目的地は唐桑半島。「宮城県に住んでいて、三陸には何度となく来た。」とあれほど言っていたくせに、実は唐桑半島は初めてです。本来であれば、風光明媚な海岸線のみどころである「巨釜・半造」に最初に行く予定にしていたのですが、朝から降り続く雨が更に激しさを増していたので、海岸線の観光は諦めて、半島突端の「津波体験館」に行くことにします。
津波体験館という名前なので、「東日本大震災を忘れない!」というために作られた施設かと思っていましたが、建物は存外古くどう見ても2011年以降の建築には見えません。
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受付で聞いたところ、「震災前から地元の教育用の施設として存在していた。」そうで、「とは言え、映像は2011年の津波で入れ替えた」とのことです。我々も、あの大震災がなければ決して訪ねることはなかったでしょう。
津波体験では画面から風が来たりちょっとだけ冷たい水が観客席に来たりするようですが、近年のテーマパークのアトラクションのような派手な演出がある筈はありません。USJのようなスリルを期待した私が愚かでした。でも何年後でも語り継ぎとこの津波体験館で、1人でも多くの方が津波の怖さを知って欲しいと切に願うばかりです。人間は、忘れてゆく生き物なので…

「唐桑半島の風光明媚な海岸線を楽しめないのであれば、せめて美味しい海の幸を満喫したい!」と思ったので、体験館の人に美味しいお店を聞きます。教えていただいたお寿司屋さんで、地物のネタの美味しい寿司を食べ、このお寿司と津波体験で唐桑半島に来た目的を達成したということにします。

気仙沼に入ります。気仙沼には昭和の時代には営業先もあり、昨年のGWにも来た馴染み深い場所です。雨のこの日の訪問先に選んだのは、「リアスアーク美術館」。美術品を見たい訳ではなく、この美術館に常設展示されている震災と津波の写真展を見るのが目的です。

圧倒的な津波の爪痕の写真に圧倒され、しばしば言葉を失い写真を前に立ちすくんでしまいます。何年後かに写真を見ているだけの我々ですら、しばしば何もできなくなるような茫然自失の状態にされるほどの凄い状態なのに、実際に現場にいてシャッターを押し続けた人の精神力には本当に感服してしまいます。ある意味、鹿児島で見た「知覧特攻平和会館」の衝撃と同じように、強烈なインパクトを受けました。

今日の宿泊地として選んだのは、気仙沼大島。車ごとフェリーで渡るとフェリー代が高くつくので、気仙沼港の無料駐車場に車を停めて、リュック一つで大島まで向かいます。フェリー出港まで時間があったので、港にある渡辺謙さんの喫茶店に立ち寄ってみます。入り口に謙さんの昨日付けの手書きのメッセージがあったので、「昨日、謙さん来たんだ!?」と聞くと、「これはFAX。ほぼ毎日送られてくる」のだとか。翌日、TVで見た謙さんはニューヨークにいました。
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気仙沼大島では特に観光する予定もなく、ただ「未訪の地なので、一度は行ってみたい。」ためだけに選んだ宿泊地です。フェリー乗船時間は僅か30分弱。ウミネコと遊ぶ間もなく、大島に着きます。
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大島港には、宿泊する国民宿舎の車が迎えに来てくれています。港付近にはかなりの数の自動車が雑然と停められています。運転手さんに聞くと、「毎朝、気仙沼まで通勤している人の車。大半の人は、気仙沼にもう一台車を持っていて、会社まで通っている。」のだそうです。
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気仙沼大島の宿泊も休暇村。乳頭温泉ですっかり休暇村ファンになった私でしたが、その熱も一晩で一気に冷めてしまいます。
その理由は夕食会場。最近流行りのメイン以外はビュッフェとなるハーフバイキングスタイルの夕食なのですが、ビュッフェなのに途中に高い段差があり、何も持たない時には私でも何とか昇降できるものの、料理を持つともう移動はできません。係員は見て見ぬふりというより完全に無視を決め込んでいて、団体客にのみ関心があるようで、結局ビュッフェを全く楽しめない苦痛の夕食でした。
公共宿泊施設と言えども、「バリアフリーなんて全く関心がない」という施設があるという、いい勉強になりました。

13日目:8月19日(金)

この日は、宮城県県北部を訪ねて日本三景の(この日本一周では)最後の一つになる松島に泊まります。

少しでも気仙沼大島の観光がしたい気持ちはあるのですが、車は対岸の気仙沼港に置いて来たので、意外に大きい気仙沼大島を回る足はありません。それを承知でただ「行くだけ」のためだけに来た大島だったので、後悔はありません。曇り空の中、再び気仙沼港に戻り久し振りに愛車を見たときには、少しだけホッとしました。

まずは45号線を走り昔県北地区の営業担当だった私の当時のセールステリトリーの中心地だった登米市を目指します。
気仙沼から仙台方面に向けて30分以上も走ったのに、奇妙なことにここでまた「岩手県」に入ります。この辺りは営業マン時代にも何度も通った懐かしの場所なのですが、こんなところに数十年も後に観光で来ることになるとは思いもしなかったのですが、今回の旅の岩手県最後の観光地が、ここにある「大籠キリシタン殉教公園」です。
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「こんなところ」と言っては大変失礼ですが、ここにも隠れキリシタンがいて、江戸幕府に弾圧された歴史が間違いなくあるのだそうです。今回はクリスチャンの妻もキリストの墓の時とは違って、神妙に展示に見入っていました。マスメディアや情報伝達手段がなかった安土桃山~江戸時代に、こんなところまでキリスト教が短期間で浸透したのですから、やっぱり宗教の力って本当に偉大だなぁ~! と改めて感心しました。

前にも書いた通りこの辺りは昔の馴染みの場所だったのですが、今回の旅では平成元年に私が横浜に転勤して以来ずっと会っていなかった「昭和の時代のお客様」の家に行ってみることを、一つの楽しみにしていました。27年間ずっと会ってはいなかったものの、この間年賀状だけはずっとやり取りさせていただいていました。その方は私より10歳以上は年上で、仕事でも大変お世話になったのですが、仕事以外でも大変に仲良くさせていただいた方です。
初めてその方たちとこの地でお酒を飲むことになった時、近所の旅館を予約して宴席に臨んだ私は、その方から大いに叱られたことが強烈な思い出です。駅から遠いその地で、その方ととことん飲みたいと思っていた私なので、当然の如くどこまでもお付き合いする覚悟で宿を取って宴会に臨んだのですが、「何て他人行儀な! 何故、我が家に泊まらない!?」と言われ、驚いたというか嬉しかったというか… その後の約2年の間には、当然のごとく何度となくその方の家に泊まらせていただき、遠慮なく深夜まで飲み、翌朝奥様の心のこもった朝御飯を毎回ご馳走になりました。
とは言え、27年も会っていないと行くのも何となく照れ臭いものです。アポイントを取って行こうにも、「何しに来るの?」と言われれば返事のしようもありませんし、「この日、都合悪いから別の日(時間)に来て。」と言われても、日程をやりくり出来るかは?です。という事で、「いなければいなくとも仕方がない。万一、不在ならばメッセージで来たという意志が伝えられるだけでも、それはそれでいいじゃない…」という気持ちで、ノーアポでお伺いすることにしていたのです。
さすがに27年振りなので、ナビがあっても多少道に迷い、その方のご自宅はリニューアルされていたのでちょっとだけ戸惑いましたが(考えてみれば、いつもご自宅にお邪魔していたのは深夜遅くだったので…)何とか家を探すことができ、幸運なことにその方は在宅されていました!
突然の27年振りの客にも関わらず歓迎していただき、1時間余り昔話と震災の話(この辺りは海からは大分遠いので、直接の被害はなかったようですが…)などですっかり盛り上がり、本当に「来て良かった」と思える訪問になりました。その方が私以上に当時のことを覚えていて下さったのが、何よりも嬉しいことでした。

積もる話はきりがないのですが、お昼時間を前にその方のご自宅を出ます。昔、お酒と朝御飯をたくさんご馳走になったので、「少しでも恩返しを」と思って東北各地でせっせと仕入れたお土産を渡しますが、昔受けた恩はまだまだ全然返しきれていません! もう一度大量に手土産を持って来たいと、改めて思いました。

本日のランチは南三陸町の志津川。ここで町おこしの「キラキラウニ丼」を食す予定でしたが、目指すお店に行きウニ丼を注文すると、「スミマセン。台風でウニは無いんです!」との残念な一言が… やむなくイクラ丼に切り替えましたが、イクラ丼も大満足の味でした。頑張れ、南三陸!
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「南三陸さんさん商店街」には、昨年のGWにも立ち寄っていて、売上に少しでも貢献すべくいくつかお土産を買って帰りましたが、「あの時の海苔が買いたい!」という妻のリクエストにより再訪して、海苔とそれ以外でささやかながら売上に貢献することにしました。
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南三陸にいくつかあるらしいモアイ像、でもゆっくりと探したわけではないので、今回もこれしか見つけられませんでした。
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去年のGWにはすぐそばまで行けた防災庁舎は、工事をしていて立ち入り禁止になっています。「まさか? 壊すの?」と気になりましたが、2年掛けて震災公園として残すための工事と聞いて、少し安心しました。

北上川の雄大な流れに沿って、次に向かったのは前回行けなかった震災遺構である「大川小学校」。ここでの悲劇は、子ども達がその悲劇の中心だったため、他の震災遺構と同等もしくはそれ以上に、心に訴えて来るものがあります。
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ここでもしばし立ちすくんでしまいました。
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石巻では震災ですっかり有名になった高台にある日和山公園にも立ち寄ります。ここからの津波の映像は本当に何度も何度も繰り返し見ていますので、改めてあの頃のことを思い出していました。
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本日の宿泊は松島。仙台で旅行会社の営業マンをしていた時代に、個人的にも好きで何度も使わせてもらったホテルが、今は経営も変わり「大江戸温泉物語」になっているものの、懐かしいし料金も安かったので28年振りに予約したのですが…
夕食のバイキングは予約も受け付けず、夕食会場に行くと30分以上の待ち時間が… 『大型旅館でオペレーションが×だと、悲惨な目に遭う…』ということを改めて痛感させられた松島の一夜でした。

14日目:8月20日(土)

長かったこの東北旅行最後の観光地は松島。まずは「松島と言えば…」という遊覧船を楽しむことにします。松島の遊覧船と言えば、松島で乗って隣町の塩釜で降りるコースが東北旅行では超定番なのですが、車を松島港近くに停めた我々は、泣く泣く妻の結婚前の勤務地だった懐かしの塩釜行きを諦め、松島周遊して戻る船に乗船します。朝イチの船なのでガラガラかと思いきや、出航前にはかなりの混み具合になりました。流石は、日本三景ですね!
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松島の遊覧船も約30年振りですが、その昔には10回以上は乗っている筈なので、何となくは覚えている自信はあったのですが… 30年振りに遊覧船に乗ってみて、「あれぇ~!? 何となく、島少なくなってない??」と感じてしまったのです。震災時にも松島の津波は他と比べるとそれほどでもなかった… と聞いていましたので、この「島が減った?」という感想は、どうやら私の錯覚のようです。念の為妻にも聞いてみましたが、「記憶にない…」とのこと。
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松島観光の定番と言えば、遊覧船+五大堂&瑞巌寺なので、30年振りにその定番コースを回ってみます。五大堂に渡る通路は足の悪い私には若干スリリングでしたが、ちょっとビクビクしながらの五大堂を楽しみます。
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伊達家の菩提寺である瑞巌寺。久し振りの瑞巌寺は入り口から改修工事をしています。昔、団体で来ると必ず瑞巌寺のガイドさんを頼み、そのガイドさんの説明が結構面白かった記憶がありますが、二人で来てガイドを頼むほどの大名旅行は出来ないので、昔の記憶を辿りながら巡ったのですが、記憶は殆ど忘却の彼方で、唯一覚えていたのは、入口すぐそばにあるお土産屋さん&昼食場所でした!
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松島でのお昼は、以前妻と結婚前のデートで来たレストランというか食事処を予約していました。30年振りに訪ねたお店「田里津庵」は松島の眺めも良く、食事も美味だったので値段は20代で貧乏だった私にはいささか贅沢でしたが、奮発して「いいところを見せたかった」のでしょうか?(実は、あんまり記憶にないのです。)
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( 「田里津庵」から松島の眺め。昔、ここで釣りをした記憶が…)
妻もここに来たことはよく覚えていて、「建物は、昔のままね。」などと私が覚えていなかったことまで思い出したようです。席にご案内いただいた20代の店員さんに、「30年以上前にも来たんですよ!」と自慢げに話しています。
この日頼んだ料理は、「あなごのひつまぶしとカキフライ」。松島の二大名物と言えばカキとアナゴなので、両方味わえる贅沢なメニューです。”あなごのひつまぶし”は美味しかったのですが、何となく鰻のひつまぶしを意識しすぎている気がして、何となく”鰻の代用品”という気がしないでもありません。個人的には鰻も穴子も大好物なのですが、やはりその二つは別物で、穴子は穴子として楽しみたいと思うのですが…
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カキは、美味は美味なのですが、小ぶりな松島のカキなので、たった3個では食べた気がしませんでした!

ここでこの旅のすべての観光を終え、午後は親戚のお見舞いを2箇所。うち一人は妻の叔母さんですが、何と100歳を超えられているのにまだ矍鑠としてとてもお元気です。このまま、世界最高齢を目指してほしいものだと思いました。

そのお見舞いの合間に、昭和の時代に一緒に働いた会社の先輩の家を、こっちもノーアポで訪ねました。幸いにも先輩も在宅されていて、こちらも10年振りぐらいに会った先輩と、久しぶりに昔話をさせていただきました。

このまま仙台に一泊して、翌日の日曜日は次の日からの2週間振りの会社に備えて、午前中のうちに埼玉の自宅に帰り着きました。


これで「47都道府県全周遊」も45都道県を制覇し、残すは大阪&京都の2府だけになりました。
予定通り、今年の秋には「日本一周目」を達成します!


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