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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<最終回> 中国地方山間部と”寅さん” [日本二周目]

 
13日目:8月16日(水)

昨晩の宿は七類港に一番近い鳥取県の境港。この旅の投稿の最初に”鳥取県には行かない。”と言っていたのは嘘というか文脈上の都合で、この日だけはちょっとだけ鳥取県を旅します。

今日はまず隠岐で溜まりに溜まった洗濯物を処理するため、事前にチェックしていた境港のコインランドリーへ。隠岐4日分の洗濯物を大きな機械に放り込んでから、境港唯一の楽しみである漁港近くの食堂に向かいます。
日本海側でも有数の漁港境港にある食堂”かいがん”は朝7時からオープン。”お盆休み”が気になっていましたが、隠岐に渡る前に電話で営業を確認していました。とにかく朝から新鮮な海産物のメニューが豊富という情報でしたが、メニューはその噂通り。妻はまだ寝起き顔の朝から”ウニ丼”をがっつり食べる気満々のようですが、私は何故か朝から単品のウニやカニには行く気にはなれず、定番というかありきたりの海鮮丼を注文。でも二人共大満足の朝ごはんでした。
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乾燥機が終わるまでにはまだ20分あるので、2年前に行って感動した”ベタ踏み坂”まで往復。2年振りでしたが、坂を登る高揚感は初めての時と同じくエキサイティング! 2年前に車を停めて写真を撮りに行った懐かしのファミマも健在でしたが、今回はそこで折り返すだけで写真は撮りませんでした。その他の境港のみどころである”水木しげるロード”等も2年前に訪ねているので、今回はスルーします。(2年前の記事はこちら

この日はこの旅唯一の予備日。隠岐で船が出ないリスク等を考えた時、その後の日程をギチギチに決めておくと、万一の際にリカバリーするのが大変になると考えたため、ここで1日だけ日程に余裕を持たせた日なのです。とは言え、半年余りに渡って綿密に計画を練る私のことですから、順調に旅が進んだ時の観光プランも勿論ちゃんと考えていました。今日のオプションは「晴天コース」と「曇天・雨天コース」の2つが用意されており、”鳥取県=晴れ”の天気予報と、ここ境港に広がる青い空を見れば迷うことはなく”晴れコース⇒鳥取県を代表する名峰大山”を目指します。

大山も2年前に訪ねていますが、勿論全てのみどころを制覇出来たわけではありません。今回は、まだ見ぬ観光スポットを制覇しつつ、素晴らしい眺めだった”伯耆富士”をもう一度満喫する目論見でした。でも、鳥取県は全域晴天予報なのに、近づくにつれ大山だけは何故か雲に覆われているのです!

2年前にも通った筈の道を上って行き、見覚えのある大山リゾートの中心となる見晴らしの良い場所へ。ここからは前回は聳える大山の勇姿が見えたのですが、今日は雲で全く見えません。
気を取り直して前回はスルーした大山寺を目指します。参道をえっちら登っていくと山門と私の苦手な階段があり、最初の階段には手すりはありません。先の急そうに見える階段には手すりがあるようですが、丁度降りて来た年配のご夫婦や、参道のお土産屋さんにこの先の状況を訊ねるとかなり厳しそう… ということで、軟弱な私は参拝を断念して、とりあえず山門だけを胸に刻むことにします。
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妻は前回訪ねた”大山まきばみるくの里”の美味しかったソフトだけは忘れずに覚えているようで、今回も食べたそう。私はソフトよりあの辺りからが”伯耆富士”が一番綺麗に見えた記憶が鮮明… というお互いに違う目的を持って訪ねますが、やはり雲は切れず全く山容は見えません。仕方なく大混雑の売店のソフトで2年前を懐かしみます。

前回はこの先のリフトに乗り、境港辺りまでが本当に地図の通り見えただけでなく、珍しく隠岐まで見えたくらいの絶好の天気でしたが、今日は全く無理そうなので、リフト乗場には見向きもせずに先に進みます。
前回はここで引き返した鍵掛峠からも眺望は全く期待出来ずに先に進み、鳥取県を抜けて約10日振りの岡山県に入り、岡山側の眺望スポット"鬼女台展望台で小休止。標高が少し低くなったからでしょうか、少しは眺望がきくように。
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岡山側の蒜山(ひるぜん)高原でのお昼といえば、有名なB級グルメの「ひるぜん焼きそば」。有名店なのかお店の選択肢が少ないからなのかは不詳ですが、開店前から少しだけ行列があるお店に開店と同時に入ることができ、2年前には断念した待望のひるぜん焼きそばを食します。
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とは言え、所詮「焼きそば」ですからびっくりする程に美味しい焼きそばではなく、まぁ” ちょっと美味しい”程度のごく普通の普通の焼きそばでした。

蒜山高原を代表する景観を見ようと、ファミリー向けの施設だとは分かっていながらも”ひるぜんジャージーランド”に立ち寄ってみます。隠岐では初日のフェリーを除いては満車や行列とは縁遠かったのですっかり忘れていましたが、 まだまだお盆休み期間中なので車を停めるのにも一苦労。ようやく車を降りてはみたものの、見たい景色はどうもここでは無さそうです。また車で景色の良い場所を探すのも面倒なので、結局ここでも有名なソフトクリームを食べるだけにします。
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(この先をずっと歩いていけば、目指す”いい景色”が見えそうなのですが…)

大山など山の観光は今日は楽しめそうにないので、予定を変えることにします。今回の岡山県山間部の旅のテーマの一つは、「寅さん最後の作品ゆかりの地を訪ねる」。寅さん第48作の前半の舞台は津山など岡山県の山間部で、このあたりの観光は明後日の予定でしたが、その日は結構ハードスケジュールになりそうな予感もしたので、その”寅さん観光”の一つ勝山の町並みだけを今日中に見てしまうことにします。
寅さん48作に出てくる勝山の町は、作品の主題歌が流れている時に、寅さんとポンシュウが造り酒屋から酔って出てくるシーンと、タイトルバックに出てくる川沿いのすごく良さそうな町の様子。たったこれだけ時間にすれば僅か十数秒で、(少なくとも)私の心を完全に鷲掴みにしてしまうのですから、やっぱり山田監督は凄いと思います。勝山の町並みも凄く良い感じでしたが、やっぱり寅さんのロケ地には感無量です。
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寅さんロケ地にはちゃんと記念碑も。
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川沿いの風景も26年前とおんなじでした。
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再び島根県に戻って、今回の旅の温泉部門(?)のハイライトである玉造温泉へ。
今日の宿”湯之助の宿 長楽園”は、日本最大級の露天風呂が自慢。このような宿には珍しく日帰り客を一切取らないので、巨大露天風呂は宿泊客だけですから、チェックイン直後に行けば”巨大露天風呂を独占出来るかも?”と考えたため、普段より早いチェックインです。

混浴の大露天風呂には女性には湯あみ着、男性には紙パンツの用意があるので、妻と露天風呂のど真ん中で待ち合わせ。貸切ではありませんでしたが、とにかく広いので全く他の人が気にならない本当に快適な露天風呂で、私の露天風呂体験でも間違いなくベスト3には入る”美人の湯”でした。
(写真がないのが本当に残念!)

夕食も超豪華。刺身は舟盛りで供されてウニやアワビなどが豪勢に。
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その後も、お品書き通りの料理が運ばれて来て、それでも十分に満足していたのですが、後半になってお品書きにないノドグロの塩焼きが運ばれて来ます。「お客様のコースのスペシャルメニューなので、お品書きには書いてないんですよ!」とのこと。ネット予約時にこの料理のことが書いてあった記憶はないのですが、とにかくこういったサプライズは本当に嬉しい!ましてやその特典が今回の旅では最後になるノドグロなのですから…
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間違いなく、今回の旅最高の宿でした。

14日目:8月17日(木)

最高の宿だった長楽園、良いのは混浴大露天風呂だけではなく、普通のお風呂も朝食もとってもGood! チェックアウトの時、妻は「必ず、また来ます!」と高らかに宣言しており、妻史上ではダントツのNO1だったのだそうです。

今日は島根県最後に山間部を観光してから、広島県山間部に行きます。最初に訪ねたのは島根県では有名な山である三瓶山。(さんべさん)
恥ずかしながら旅行業界に身を置いている時にはその存在すら全く知らずに、一昨年山陰の”るるぶ”を買って初めて知った山。大山のような標高が高い山ではなく、数百メートルの規模の山がいくつか連なっているようで、三瓶山といっても男三瓶山、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山などと家族のような名前がつけられています。

まずは出来るだけ上から眺めたいと思い、三瓶観光リフトで上を目指します。冬はスキー場になるらしいこのリフト、夏の観光にはあまり力を入れていないのでしょうか? 天気は悪くないものの夏休みにしてはお客さんの少なさがいささか気になります。
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リフトからは少し階段を上って展望台へ。女三瓶山や子三瓶山の頂上は案内があるのですが、最高峰(といっても1000メートル未満ですが)の男三瓶山の頂上は見えません。6日間に渡って楽しませてくれた島根県ともあと数時間でお別れなので、島根県代表として三瓶連山に謝意を表します。本当に素晴らしい今回の旅&島根県でした!
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とはいいながら島根県の旅はもう少し続きます。次は同じ三瓶山が池越しに見えるというビュースポット。ここまで来る観光客は他にはいないようで、ようやく見つけたビュースポットは我々の貸切状態。三瓶山の2つの峰と、池に映る2つの”逆さ三瓶山”が見えて、私的にはとっても気に入った眺めでした!
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島根県最後の観光は、来年4月に廃止が決まっているJR三江線。江の川の雄大な流れに沿って走るローカル線は、鉄ちゃんとしては昔からの憧れであったものの結局乗車する夢は叶わずに来年の廃止を迎えます。「せめて区間乗車だけでも実現できないか?」とプランニングの段階で再三検討してみたのですが、車(と妻)との関係で結局実現できませんでしたので、やむを得ず三江線に沿ってドライブするだけで我慢することにします。
とはいえ、全ての区間が素晴らしいといわれる三江線の全路線沿いをドライブするにはあまりにも長距離なので、三江線途中の主要駅「石見川本」から終点の広島県の三次付近までとドライブの日程を決め、まずは石見川本へ。石見川本駅では三江線の乗り換え時間が丁度昼を挟んで1時間半以上空くため、鉄ちゃん用に地元の商工会がランチマップを配布しているという情報を得て、マップで人気という”広島風お好み焼き”のお店に。結局、広島県内ではなく島根県内での”広島風お好み焼き”でしたが、こちらもさすがに本場に近いだけあってかなり美味でした。
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三江線が着いたと思われる時間には、あっという間にお好み焼き屋さんのカウンターは一人旅の鉄ちゃんで満席に。三江線の景色を満喫しているであろう彼らが、とても羨ましく見えてしまいます。

私のエセ三江線の旅のスタート地点は石見川本駅。この駅が、あと半年余りで無くなってしまうと考えると、無性にやりきれなくなります。
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入場券を買い、ホームに停車中の列車にご挨拶。硬券ではないので、やっぱり雰囲気は出ませんね…
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お好み焼き屋さんにも行かずに列車にずっと寄り添っている熱心な鉄道ファンもやっぱり多数。私の大好きな曲「ホームにて」を葬送曲として口ずさみながら、叶わなかった三江線の夢を見ることにします。
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三江線の醍醐味は常に江の川に沿って走ること。国道も江の川と三江線と並走して走るので、運転しながらですがすっかり列車に乗った気になっています。
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当分列車が来ないのは分かっていたのですが、それでも踏切を渡る時には警報器が鳴るのを密かに期待してしまいます。
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江の川の流れは雄大。この流れをずっと見ていたい気持ちが溢れます。
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この風景に列車が加われば最高なのですが…
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「天空の駅」と呼ばれ鉄道ファンの間では名高い宇都井駅にも立ち寄ってみます。知人の人気ブログでは、写真映りを狙って夜列車が来るまで辛抱強く待っていたとのことですが、私にはそんな根気はありません。
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私同様に根気のないエセ鉄ちゃんが二組、車で来て写真だけ撮って先を急いで行きました。

三江線の終点は広島県の三次。三次に来て何も見なかったら、”足跡を残した”とは言えないので、どこかには行っておきたいところ。三次の観光地としてはワイナリーが有名なようですが、試飲ができない運転手としてはワイナリーに興味はありません。その代わりという訳ではありませんが、三次の町並みを見下ろせる高谷山の展望台へ。”霧の海ができる展望台”と地元では盛んに喧伝しているようですが、もちろん霧の海なんぞには出会える筈はありません。
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でも、三次市にも足跡をしっかりと残しました。

今日最後の観光&宿泊地は帝釈峡。風光明媚な人工湖には遊覧船もあるのですが、もう5時近くなので船も終わってます。とはいえ湖の周辺を散策するような良い場所も見当たらずに、帝釈峡にもとりあえず足跡だけを残して近くの休暇村にチェックイン。
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休暇村の夕食はバイキングなのであまり期待していません。広島県山間部の名物料理と言えば、ワニ=鮫が有名なので、”ワニだけは食べよう!”と考えていましたが、バイキングに並んでいたワニは、本当に小さな唐揚げみたいな料理だけでした。

15日目:8月18日(金)

長かったこの旅も1日観光が出来るのはこの日が最後。今日は岡山県に戻って山間部の町の観光です。今日のテーマはズバリ”古い町並みと寅さん”。

広島県の宿を出て、最初に向かったのは岡山県の吹屋。ここは、ベンガラ色の町で有名です。駐車場に車を停めて、ベンガラ色の町をとぼとぼと散策。足の影響であまり歩きたくない妻には開き始めたお店でのショッピングを楽しんでもらい、私は通りの終点までをのんびりと散策。
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妻が親しく話させてもらった関東出身のお店の店主さんから、さまざま吹屋の情報を収集。何故か懐かしく感じる小学校などは改装中とのことで、メインである一本の通りを満喫したことで満足することにします。
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ベンガラのあの赤の秘密を探りに近くのベンガラ館を訪ねてみますが、純文科系で理科系に全く造詣のない私に、あの赤い色の秘密が理解できる筈はありません。
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次のみどころは今日のメインともいえる”備中高梁の町”。備中高梁では3つの観光プランを計画していました。

その①:石火矢町の武家屋敷

高梁に残る武家屋敷の町並みを散策。風情ある武家屋敷のある通りにはロマンを感じます。
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公開されている武家屋敷に入ってみますが、靴を脱いでの見学は面倒なので、庭からの見学にとどめます。
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でも、実はここの場所の個人的メイン目的は別にあります。ここなのです。
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この道の先の方で線路は近いこの場所( 因みに、今も一般宅らしいのですが…)は、寅さんに何回か登場した博(さくらの旦那)の実家として描かれた家(玄関)。 記憶にあるシーンでは、この門の前に出演者が佇み、丁度線路をSLが通るという鉄ちゃんにはとっても印象的なシーン。今では勿論SLが通ることはありませんが、偶然列車が通ることを期待したものの、そんな都合の良い偶然はありませんでした。

その②:美観地区と鮎

高梁中心部に美観地区と名付けられた川沿いの道があるので期待していました。美観地区と言えば同じ岡山県の倉敷のイメージが強いのですが、散策してみると残念ながら倉敷と比べるのは… です。
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みどころの一つには古い教会もあるのですが、プロテスタントの教会なのでカトリックの妻は全く関心を示しません。
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今日の昼食は高梁名物の鮎。天然鮎もあるようなのですが、天然鮎は”時価”で、ランチメニューには登場しません。2200円也の”鮎御膳”は天然鮎ではないようですが、これでも我々には十分贅沢なランチ。
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天然と養殖の違いがわかるかどうかも?? でしたが、鮎はやっぱり美味でした。

その③:天空の城 備中松山城

備中高梁と言えば、最近では何と言っても”天空の城”。但しその備中松山城は山城で、「天守閣に行くには階段がとてもきついので、私にはちょっと無理そう。」ということで、「気候条件によっては天空の城が見える展望台なら、何とかなるのでは?」という観光局のおすすめに従い、車とちょっとだけ階段を使えば行ける展望台を目指します。何とか展望台にはたどり着けましたが、正直な感想としては、「あれ? お城、どこ?」。よくよく目を凝らすとようやくお城らしきものが見えます。勝手な幻想を抱いていた我々が悪いのですが、正直ちょっとガッカリでした。

おまけに晴れなのに雨が降って来て、我々二人はいきなりびしょ濡れ。天空の城の写真ような雲海が見える筈もなく、散々な思いだけが残った備中松山城でした。
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(カメラの望遠機能のお陰の写真です)

津山に向かう前に行きたかった駅があります。美作滝尾という昔ながらの駅舎がちゃんと残るその駅こそが、寅さん最終作(第48作)のオープニングシーンのロケに使われた駅。忘れもしない尋ね人の新聞広告のシーンの時と同じ雰囲気の駅がしっかりそのまま残っていて、何とも嬉しい限りです。
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ここにも寅さんロケ地の碑が建っています。
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丁度良いタイミングで列車が来て、寅さんファンとおぼしき子連れ三人組が何もないこの駅に降り立ち、パチパチと写真を撮っています。20年以上経った今でもこれだけの人たちに愛されている寅さんはやっぱり偉大だ!と改めて思わせてくれました。
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津山の街中の観光はやはり寅さんメインなので、妻を寅さん48作のロケにも使われた津山国際ホテルに残して、徒歩で古い町並みの観光に出掛けます。
観光局で案内された場所に「寅さんロケ地」の碑を見つけましたが、正直このロケ地のシーンはあまり印象にありません。
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(寅さんが商売をしていたシーンのようですが…)
それよりも期待した昔の町並みが風情たっぷりで、結構感情移入しながら散策していました。
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津山市内での寅さん観光の個人的なメインは、観光客が多くいるこの通りの一本裏側。48作の前半のハイライトシーンである寅さんのおいの満男(吉岡秀隆)が、泉ちゃん(後藤久美子)の結婚式を妨害するために、花嫁が乗ったタクシーをレンタカーで押し、下がらせるシーンを撮影した狭い道がこのあたりの筈なのです。
観光局で教えてもらったのは間違いなくこのあたり。確かにこの家の階段と玄関には微かな記憶があります。
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ロケ地らしき場所も見られて、満足してホテルに戻りました。

夕食は津山にもあるB級グルメの”津山ホルモンうどん”。鉄板焼きもできる居酒屋風のお店で、中国地方最後の夜も暮れてゆきました。
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16日目:8月19日(土)

今日は悲しいことにもう中国地方に別れを告げる日です。初日は埼玉の自宅から1日で兵庫県赤穂までドライブしたのですが、ここ岡山県津山はいくら中国道沿いとはいえ、この日1日で自宅まで帰る気にはならないので、帰り道の真ん中あたりの温泉にでも泊ってゆっくり帰るプランです。

ということで、午前中にちょっとだけ津山を見ようと、まずは朝チェックアウト前にホテルのすぐ隣の津山城へ。ホテルの隣の階段下からは津山城の上の方だけが辛うじて見えています。
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ところが階段を登ってみると、その偉容は角度的に全く見えなくなってしまいます。どこかに見える場所はないか歩き回って探してみるのですが、どうやらこの中途半端な高さから津山城の観光は無理なようです。お城の入口がオープンするのはまだ1時間以上後なので、諦めてホテルに戻ります。

この旅最後の観光は、”津山まなびの鉄道館”。大きな転車台と機関車や列車が展示されている施設です。9時オープンに合わせて入場しますが、鉄ちゃんには垂涎ものの施設なのでしょうが、エセ鉄ちゃんにはちょっとだけ見られれば十分。
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鉄ちゃんに育って欲しい(?)1歳の孫への土産だけ仕入れて、帰ることにします。
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中国道、最初は順調でしたが大阪が近づくにつれて渋滞が激しくなります。もう先を急ぐ旅で もないので、渋滞に身を任せてのんびりと走ります。「この先も、この渋滞が続けば、太陽の塔の写真が撮れるかも?」なんてちょっと期待するとすぐに渋滞は動き始めて、結局太陽の塔の近くで車が止まることはありませんでした。

名神に入ってからも京都まではずっと渋滞。このあたりについてはドラプラの事前予想は完全に外れです。京都を過ぎるとようやく渋滞は収まり、大混雑の草津のフードコートでようやく遅いごく平凡なカツ丼のお昼にありつきます。

今日の宿は岐阜県の下呂温泉。日本有数の有名温泉なのに、私が行ったことがない温泉だったので、ちょっと帰り道からは逸れるのを承知で選んだ温泉。泊ったホテルは前職時代からさまざまな形でお世話になっていた超巨大ホテル。大浴場だけでも何と3つもあり、中国語らしき大きな声が四方八方からエコーして響いてきます。中国人は静かにお風呂には入れないのでしょうか? 「このあたりのマナー取得を、ビザ発給の条件には出来ないのだろうか?」などと、結構真剣に考えこんで長湯してしまいました。

夕食(と朝食)会場も驚く程に大きく、まるで巨大なビアホールのよう。お酒のおかわりを頼みたくても、係員は遠くにいて我々には全く気づいてはくれません。
部屋までも異常に遠いホテルで、妻からも「何でこんなホテルに?」と言われてしまいましたが、実は何度もお世話になった元業界人として、個人的に一度は泊まってみたかっただけなのです。
とりあえず泊まれたことで私だけは満足しました。

17日目:8月20日(日)

日曜日の夕方に埼玉県に帰ると、かなりの確率で高速道路の渋滞に巻き込まれます。ましてや今回の帰路は中央道。渋滞ポイントとして日本有数の小仏トンネルは午後から混み始めるのは確実と思ったので、下呂から中津川までは下道を走り休憩も取らずにひたすら関東を目指します。
唯一の休憩は観光も兼ねた諏訪湖SA。2年前の山陽・山陰の旅の往路で反対側に立ち寄って以来です。
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(諏訪湖の眺めは、やはりこちら 上りに軍配)

その後も渋滞にはまることもなく、1時過ぎには自宅近くまで到着。最後の昼食はいつもの”がってん寿司”でした。今回運転の総キロ数は3172.4キロ
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これで2017年夏の旅のレポートを終わることにします。
今回の旅の費用が予定通り過去最高まで嵩み、当分次の旅に出る余裕がないので、来年の春までしばらくは旅行自粛となりそうです。
心は早くも2018年のGWに跳んでいます!


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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その6> 隠岐(島前編) [日本二周目]


10日目:8月13日(日)

宿に無理を言って朝早く食事を食べさせていただき、再び西郷の港に向かいます。本来なら都万地区にもう一泊して、”都万の秋”(前投稿を参照)の曲の風景通りの都万の漁港の風景と”おかみさん”や”子供たち”にも会ってみたいのですが、ちょっと気取って曲の三番の私の一番大好きな歌詞通りの行動を取ります。
「明日の朝は去ってしまおう。だって僕は、怠け者の渡り鳥だから。」(by 岡本おさみ)

西郷港はさすがに昨日と違って全く混んではいません。今日乗る船は島前の3島に停まってから鳥取県の境港まで行くフェリー。境港行きらしく鬼太郎とキャラがペインティングがされています。
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今日の我々の目的地は隠岐島前でも最もマイナーな島である知夫里島。隠岐4島の中でも唯一の村(知夫村)で、フェリーの便数も極端に少なく、島内の宿も数えるほど(というよりちゃんとしたホテルはたった一軒だけ?)、レンタカーを予約するのすら結構大変という噂の、云わば”隠岐の中の秘境”のような場所です。隠岐4島制覇の最難関ポイントでしたが、予約アクションが早かったお陰で知夫里島に行けるのですから、その大いなる僥幸には感謝しなければなりません。
鬼太郎フェリーは島前の他の2島に停まってから知夫里島に向かう各駅停車なので、所要時間は昨日の本州~隠岐とほぼ同じ2時間半。でも今日は席にも余裕があるし、隠岐の島々をゆっくりと眺められるので退屈することはありません。
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無事に知夫里島の来居港に到着、島前の他の2港に比べて乗る人も降りる人もめっきり少ない田舎港です。これから、明日のほぼ同じ時間まで約24時間ここ知夫里島で過ごすので、まずは港の観光局にて情報収集。とは言え、丸1日も観光するスポットは事前の調査通り無さそうな感じです。でも、ここで観光局に立ち寄ったことで後々危機(?)から救われることになるのですから、何が幸いするかはわかりません。
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(来居港と建設中の新ターミナル)

まずは港が見下ろせる高台の風景を満喫。丁度松江(七類港)から来たフェリーが到着するのが見えて、絵になる風景でした。
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そろそろお昼になるので、我々が今晩泊まる島唯一のホテルに隣接した島で数少ない食堂を目指しますが、何と「お盆休み」。ガイドブック等にも代案はなく、このままでは昼食難民になる可能性もあるので、隣にある今晩の宿に行き、「他に昼ご飯を食べられるところはありませんか?」と訊ねると、「宿泊の方なら、簡単な食事を用意しましょう。」と、本当にシンプルな炊き込みご飯が普通の茶碗一膳と、具が殆どない味噌汁だけの本当に簡単なお昼が出てきました。昼食難民にならなかったことだけは幸運でしたが、貴重な隠岐の一回の食事が楽しめなかったことがとても残念だったのと、「今晩泊まるホテルの提供する昼食がこれ?」というのが我々の不安を大いに煽りました。
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(ちなみに、これで昼食代350円でした。)

気を取り直して知夫里島の観光を始めます。知夫里島の道はとても細く、対向車が来るとすれ違いに苦労する道が大半。レンタカーが少ないという島ですが、この道でレンタカーを増やすと事故が多発しそうで、マイカーで埼玉県から来ている我々としては、レンタカーが少ない(=対向車が少ない)ことに感謝しながらもビクビクのドライブです。
徐々に坂道を上っていくと、家畜等が敷地外に出ないように工夫された道路の溝が現れます。「これ、”テキサスゲート”って言うんだよ。」と、大昔にカナディアンロッキーの添乗員で得たウンチクを得意気に妻に披露。その時点では、今日の残り半日牛馬に苦労させられ続けることなどは、知る由もありません。

知夫里島の主なみどころは2つ。まず、赤ハゲ山展望台に向かいます。道が開けた瞬間、のどかに牛馬が草を食んでおり、海とのコントラストもすごくいい感じ。
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展望台の反対側の海の向こう側には、同じ島前の西ノ島と中ノ島が地図と同じ形で広がっていて、今まで人生で見た景色の中でも間違いなくベスト5には必ず入る最高の景色です。
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かなりの長い時間、展望台からの眺めに心奪われていましたが、”隠岐に来て、知夫里島に来て、本当に良かった!”と心から思える隠岐最高のひとときでした。
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でも実は、ここからが苦難の連続でした。赤ハゲ山展望台から次のみどころ知夫赤壁(セキヘキ)に向かったのですが、今まで”超狭い道”だと思っていた道はまだずっとましな方だということに気づいた赤ハゲ~赤壁への想像を越える狭い道。幸いにも対向車は殆ど来なかったのですが、その代わりに我々を大いに悩ませたのが”牛馬(特に牛)”。車一台通るのがやっとの道で、そのど真ん中に超スローモーな牛が佇んでいるのです。
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牛とのにらみ合いは、毎回数分間かそれ以上。アクセルをふかしてもクラクションを鳴らしても、牛は”どこ吹く風”とばかり全く動きません。戻ろうにもUターンできる場所もなく、狭い道をずっとバックするのも片側に崖があったりでとても恐怖です。
数分間のにらみ合いをしたことが4~5回、最後は牛も諦めてようやく立ち去ってくれ、この時点では、「いい経験だね!」くらいの笑い話。

最大の難関は、狭い道の真ん中で牛の親子が寝そべっていた時。今までの牛はいくらスローとはいえ立っていたのですが、今回は完全に寝そべっている上に、子連れなので、子を守る動物の本能は恐ろしいものがあると聞いています。今までのように数分以上待っても全く動く気配もないので、さすがに困り果てて島到着時に訪ねた観光局に電話してしまいました!
観光局に「牛、どうやって追い払うの?」と聞く人も珍しいと思いますが、他に島に知り合いもいない私としてもそれしか対策を思いつかなかったのです。でも、流石は地元民。「車をギリギリまで接近させて、人間はとにかくオーバーアクションを」という対処法は的確で、ようやく数分後に最難関を突破できたのです!
(写真を撮る余裕もなかった… というのが、正直なところです。トホホホ…)

赤壁付近は雨が降っています。海に向かって聳える赤壁は見事なものではありますが、晴れていればもっとよい写真が撮れるのでは?と考えて、向こう側の青空を見ながら雨が止むのを待ってみます。
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展望所付近には遊歩道もあるようですが、塗れていて滑りそうな道には手すりもないので先に行く気にはなれません。でも、残念ながら雨が止む気配はなく、後で聞いた「赤壁は雨の時の方がかえって赤が鮮やかでいいんですよ!」という慰めを信じることにしました。
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帰り道も”牛との遭遇”の恐怖は続きます。でも、観光局の方に教えていただいた追い払い方はやはり役に立ちました。再びテキサスゲートを越えた時には、心から安堵する気持ちになりました。

 知夫里島メインの2つの観光を終えると、もうあまり見るところはありません。観光局に紹介してもらった観光スポットも、まぁいいと言えばいい景色なのですが…
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観光を終えると、そろそろ明日のフェリーが気になりはじめ、港に下見に行くことに。という訳は、明日乗る予定の島前間のフェリーは、予約を受け付けない”フェリーどうぜん”という船に頼ることになるので、万一1日2便のフェリーに乗れなかったら、大変なことになるからです。
フェリー乗り場には看板しかなく、切符売場も販売機すらありません。
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その前に数台の自家用車がフェリーを待っていて、フェリーが来ると係員の手際よい誘導で小さなフェリーに収まって行きます。下見の私と係員との会話は以下の通り。
「乗らないの?」
「明日の朝乗ります。ところで、何台収用できるの?」
「10台くらいかな」
「満員で車乗れないこと、ないの?」
「無いとは言えないから、不安なら30分ぐらい前に来たら?」
これだけ話すと、親切な係員さんとフェリーは出航して行きました。
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昼ご飯が全然少なかったので、私の空腹はもう極限状態です。ところが島にはコンビニもなく、空腹を満たすお菓子すら売っているお店も見つかりません。今朝立ち寄り、さっき牛の退治法を尋ねた港の観光局に「何か、食べ物ないかな?」と寄ってみると、すぐにさっきの電話の主と分かったらしく、「さっきは、大丈夫でしたか?」と優しく迎えてくれました。とは言え、空腹を満たす食べ物はお土産ぐらいしかなく、知夫里島土産を、その場で食べることになりました。

今晩の宿への不安は的中。温泉ではないもののホテル自慢の露天風呂に早速入りに行った妻によると、「2ヶ月くらいお湯が張られていない感じ。」で利用できず、楽しみだった夕食は、隠岐名物は岩ガキのカキフライぐらいで旅館の食事というより定食屋さんの食事のようでした。

インフラは整っていない知夫里島ですが、それでもあの景色を見られたことに満足して床に着いた夜でした。

11日目:8月14日(月)

宿にずっといてもすることもないので、1時間前にはフェリー乗船場に到着。当然、一番乗りでしたが、結局この日は他の車は最後まで現れず、フェリーの車庫は貸切状態でした!

今日、まず向かったのは中ノ島。今回の旅では隠岐4島を3泊4日で巡る計画だったので、どこか一島だけには宿泊が出来ない日程だったのですが、その唯一泊まれない島に決めたのがこの中ノ島です。もちろん”魅力がない”という理由ではなく、日程上の都合で苦渋の決断だったのですが…
中ノ島の滞在時間は僅か4時間。4時間で出来ることは限られているので、今回は計画段階から中ノ島での目的を4つに絞っていたのです。
①隠岐神社
隠岐中ノ島と言えば、隠岐に流され失意のままに隠岐でその生涯を終えた優雅な文化人であったという後鳥羽上皇。その後鳥羽上皇ゆかりの地や、中ノ島を舞台にした内田康夫さんの「隠岐伝説殺人事件」に描かれた場所、隠岐の歴史を残す資料館のような”村上家”なども訪ねたいのですが、何せ4時間で巡るのはとても無理。隠岐神社に参拝して、後鳥羽上皇をしんみりと偲びました。
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お目当ての交通安全ステッカーはここでも手に入らず、結局隠岐に来た足跡が愛車に加わることはありませんでした。
ここにもですが、隠岐には至るところに土俵があり、相撲人気が伺えます。幕内力士隠岐の海は、こういうところで腕を磨いたのでしょうか?
(後で知ったのですが、隠岐の海は島後出身のようですが…)
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②ランチ
当初のプランでは、ここ中ノ島でのお昼は隠岐牛の予定でしたが、前半2回の昼食で思うように隠岐名物が食べられなかったため、予定を変更してフェリーターミナル内の隠岐名物がいろいろ食べられるレストランへ。私は(これだけはここのところほぼ毎日食べている)隠岐の代名詞白イカの刺身と念願の岩ガキのカキフライをたらふく食べ、妻はサザエカレーを。隠岐3日目にして初めて満足のランチでした。
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③遊覧船&海中展望船”あまんぼう”
中ノ島最大のウリであるこの船は、遊覧船&海中展望船。最初の30分は中ノ島周辺の景色を楽しむ遊覧船です。メインのみどころは3つの岩が連なる三郎岩。
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後半の20分は船の地下から海中を展望します。本当に美味しそうなお魚(!?)ばかりでした!
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でも、写真はやっぱりダメですね!

④隠岐でのショッピング
隠岐4島の中でも、最も町起こしに力を入れているのがここ中ノ島との噂。確かに、私の勤務先に近い神楽坂にある”離島キッチン”というアンテナ居酒屋(?)も、ここ中ノ島の経営だとか。そういう島なら海産物の土産も揃うに違いないと、知人への土産をここで送る予定にしていました。
確かにお目当ての新鮮なイカの土産はあったのですが、いつまで経っても「着いたよ!ありがとう。」という電話がないので不安になって確認したところ、店側のミスで送られていないことが発覚。すぐに送ってはくれましたが、確認しなかったら大変なことでした。

4つの目的を無事達成し、予定通り4時間後にはまた午前中に乗った”フェリーどうぜん”で隠岐最後の西ノ島へ。フェリーどうぜんは今度は結構な混雑で、短い滞在時間だった中ノ島の菱浦港ともお別れです。
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隠岐4島目の西ノ島到着は3時半。西ノ島の滞在時間もおおよそ24時間あるので、例によって観光局に出向いて明日の観光の情報収集のつもりでしたが、「明日は雨予報なので、西ノ島最大のみどころである国賀海岸の展望場所だけでも、今のうちに行っておいたら?」というアドバイスに素直に従い、展望スポットを目指します。
展望スポットに近づくと、にわかに道が狭くなり、テキサスゲートが現れます。「すわ、知夫里島の再現か?」とビビるものの道はそこまでは狭くならず、牛とのすれ違いも出来たので一安心。

最初のビュースポット通天橋では着物などを着飾った男女の団体がいます。観光に来るにはいささかおかしな格好ですが、ビュースポットで記念撮影をしています。仕切り役の人は、「男子ぃ~」とか「女子ぃ~」と叫んでいて、懐かしい修学旅行を彷彿とさせます。後で聞いた話では、この島の「夏の成人式」なのだとか。「1月には故郷に帰りづらいので、夏に成人式をやる自治体も多い。」という話は聞いたことがありましたが、実際に見るのは初めてでした。
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次の摩天崖では先のビュースポットまでハイキング。
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途中には牛が馬がたくさんいて、家族連れはギリギリまで接近して写真を撮っています。
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上から見る景色も壮大なスケールですが、船から見上げるのも楽しそう。明日の遊覧船がとても楽しみになりました。
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今晩の宿「みつけ島荘」は、隠岐最後の宿泊にしてようやく私の隠岐の夕食のイメージにぴったりマッチする宿でした。夕食は同じ時間に大広間でほぼ満室のお客さんが集められ、隠岐らしい海鮮づくしの夕食。高級旅館のような気取った料理はないけれど、隠岐名物の白イカやサザエ、名前も知らない貝類などが豪快に供され、その後も焼きたてのノドグロなどが次々と…
おかみさんは座敷を飛び回ってドリンクの注文を捌いており、どっかの高級旅館のような気取っただけでサービスが遅くイライラすることもありません。
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隠岐最後の晩にようやく出会えた最高の夕食でした!

12日目:8月15日(火)

この日の午前中のメインは、西ノ島最大のみどころ国賀海岸の遊覧船。遊覧船出航は10:30なのですが、今日は雨予報なのに今のところはまだ雨が降っていないので、遊覧船の前に少しでも観光しようと宿を9時前には出発します。
再び国賀海岸に向かう途中に、何やら気になる「イカ寄せの浜」という名所看板を見つけて、思わず車を停めてみます。そこにあった故事来歴の案内を見ると、この浜はどうやら昔から一定の時期にイカが手で取れる場所だったと書かれています。
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というと、思い出すのはあの”都万の秋”の歌詞。一番の最後の詞に、「向こうの浜じゃ、大きなイカが手で掬えるんだ。」という歌詞があるのですが、「ひょっとして、”向こうの浜”ってここのこと?」と考えると、猛烈な感動が襲って来ます。拓郎の曲と言えどもさほど有名な曲でもないので、”向こうの浜ってどこ?”なんて分析は誰もしていないだろうし、少なくとも島後にはイカが手で掬えるところは調べた限りはなかったし…  作者の岡本おさみさんはすでに天に召されていらっしゃるので真相は?ですが、ここがあの歌詞の舞台で、ここへは岡本おさみさんがあの世から私をエスコートしてくれたのだと信じることにしました。
勿論、今はその季節ではないので、イカが手で掬えるどころか見ることもできませんが…

我々が目指した場所は赤尾展望台。ここにもやっぱり牛がいますが、  知夫里島と違ってのどかな風景だと言えるのは知夫里島に比べて道路がやや広いことと、我々に少しは余裕が出来たから。
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今にも泣き出しそうな空模様ですが、「イカ寄せの浜」のお陰で朝から私の心はスッキリです。
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遊覧船に乗るのとほぼ同時に激しい雨が降り始めます。でも窓を閉めると水滴で写真が撮れないので、時々決死の覚悟で窓を開けてシャッターをパチパチ。
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昨日、上から見下ろした摩天崖。上からは遠くていい写真が撮れませんでしたが、船からはバッチリ!
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この船、波が穏やかな時には天然のトンネルを何ヵ所かくぐってくれるらしいのですが、残念ながら今日はダメなようです。
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でも、この国賀海岸は上からの景色も下(船)からの景色も本当に素敵。我々は両方見られたことに、本当に感謝です。
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本来なら国賀海岸をUターンして来た道を戻るのですが、何らかの理由で、「このまま、一周して戻ります。」とのこと。そのお陰で期せずして西ノ島の南端まで来ることが出来たのですが、南端のすぐ近くにはあの知夫里島があり、我々が最高に感動した赤ハゲ山展望台がこの先に見えたのです!
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本当に素晴らしい隠岐最終日になりました。

隠岐での最後の食事は、「隠岐にいればどこでも食べられる筈」なのに、今回食べる機会がなかった”サザエ丼”。昨日の宿”みつけ島荘”の食事が美味しかったので、旅館の経営するレストランでいただきます。昼もおかみさんは昨晩同様てきぱきとお店を運営していて、サザエ丼は想像以上に美味でした。

中ノ島に流された後鳥羽上皇は失意のままに隠岐でその生涯を閉じたのですが、そのおよそ100年後にここ西ノ島に流されたのは後醍醐天皇。でも後醍醐天皇は1年で隠岐を脱出して、その後鎌倉幕府を滅ぼして建武の中興を成し遂げたことはご存知の通り。
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その黒木御所跡と建武の中興発祥の碑があります。最後は南朝を作ったとはいえ吉野に追われた後醍醐天皇のその人生は、本当にまるでジェットコースターのよう。そんな後醍醐天皇の人生の中でも、隠岐に流されていた1年は、まさにどん底から再上昇する前の雌伏の時代だったのでしょう。
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個人的に何となく思い入れのある後醍醐天皇を偲ぶことができた時間でした。隠岐の中でも、”後醍醐天皇は島後にいた”という説もあるようですが、私的には西ノ島説を信じることにします。
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本当に満足した隠岐を予定通り出航し、七類港に戻るフェリーの乗客となります。
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帰り道には、「もうすぐ、この旅も終わっちゃうんだ…」 と、早くも憂鬱な気分が襲ってきて、海に向かって「まだ、帰りたくな~い!」と大声で叫びたくなってしまいました!

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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その5> 隠岐(島後編)”都万の夏” [日本二周目]


9日目:8月12日(土)

今日からいよいよこの旅のメインイベントである3泊4日で念願の隠岐に渡ります。

隠岐に仄かな憧れを抱き始めたのは中学生の頃。当時、フォークソングにハマり、吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫などを崇拝していた頃の話です。吉田拓郎に日本各地の旅情をあのダミ声で歌い上げる”旅情フォークソングシリーズ”とでも呼ぶべき曲たちがいくつかあります。旅好きの岡本おさみさんが日本各地を旅してリアリティたっぷりの詞を書き、滅多に旅行には行かない吉田拓郎が(想像で)曲をつけて唄うというパターン(という事実は、ずっと後に知りました。)のようで、その旅情フォークソングシリーズの代表格が”旅の宿”であり、あの”襟裳岬”なのです。
その何故か中学生心にも旅に出たくなる気にさせてくれる曲の中に”都万 (つま)の秋”という歌があり、比較的短い歌詞の曲なのに何故だかその歌詞が妙に気になり、猛烈にその場に立ってみたくなる曲がありました。”都万”がどこにあるのかは分からなかったのですが、2番の歌詞に”隠岐の島は、逃げるとこなし”という歌詞があったので、どうも都万は隠岐にあるらしいと思っていて、そのままその事は十年以上すっかり忘れていました。

成人したずっと後のある時、隠岐の地図に”都万”の文字を発見した時には、中学生時代のあの記憶がまざまざと甦り、そのあまりの懐かしさと嬉しさに、思わずホロリと来てしまいました。その時には歌詞もすっかり忘れていたのですが、15歳当時の青春が突然甦った感じです。すぐにCDを借り数十年振りに”都万の秋”を聞き、改めて猛烈に都万というか隠岐に行きたくなったのです。
それ以来十年以上、隠岐へ行くことは私の”絶対に叶えたい夢”として自身の中に確固たる地位を築き、時折”都万の秋”を聞いては、その憧れを忘れないようにリコンファームしていました。
また、削除されるかもしれませんが、とりあえず「都万の秋」のYou Tubeを貼り付けてみることにします。宜しければ、一度お聴きください。


今回、ようやくその隠岐旅行実現のメドが立ったので、改めて隠岐について詳細に渡って調べてみました。隠岐には4つの有人島があり、島後(どうご)と呼ばれる地区には隠岐で一番丸くて大きい島である”隠岐の島”があります。島前(どうぜん)地区には3つのやや小さい島があり、観光的にはどの島も魅力がありそうです。私の隠岐旅行最大のモチベーションである都万は島後(隠岐の島)にあるのですが、ここはやはり次またいつ来られるかもわかりませんので、4島全てに足跡を残して、塗りつぶしておくべきと考えました。

当初、隠岐だけは地元の旅行会社にアレンジをお願いするつもりでいました。理由は船の欠航リスク。地図で隠岐を見る限り、どうしても荒天で船が欠航するというリスクは一定程度あると思われ、その場合土地勘がない私が代案を探すよりも、その土地のプロに頼んだ方がいいという理由からです。”どうせ頼むのならプラン作りからお願いしたい。”と、イメージしていた日程を言わずに、要望だけ言ってプラン作りを依頼したところ、私の腹案と寸分違わない日程表が送られてきて、期待した”地元のプロならではの地元情報たっぷりなアドバイス”は一つもありません。おまけにまだ数ヶ月前なのに、”申し込み後、取扱料金の1万円強は返金不可。”とのこと。確かに旅行業法上違法ではありませんが、今後何が起こるか判らない半年前からそのリスクを背負う気にはなれず、結局他と同じくネットでの予約としたのです。
結果、欠航などの事態にはならなかったので、結果オーライでしたね!?

島後行きフェリーの松江郊外七類港出港は9時。フェリーは勿論予約してあるので、8時までに港に着けばよいのですが、「隠岐行きのフェリーはとにかく大混雑するよ!」という情報と慣れない島根の道に万全を期すため、東横インの無料朝食を放棄して6時半にはホテルを出発。読み通り7時過ぎには港に着いたのですが、既に予想を遥かに越えた船待ちの大行列が出来ています。
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(朝7時からこの状態なのです!)
無事チェックインは終わりましたが、ここ七類港では絶対に同乗者が車で船に乗ることは絶対にNGということで妻とは別々の乗船。
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(因みに、ここ七類港以外では障害者ということで全て同乗を許可していただきました。)

人も車も8時頃に順次乗船になりましたが、船上はまるで巨大な椅子取りゲーム状態。慣れない我々夫婦がお互いを探す間に、二人で座る場所は完全に無くなりました。仕方ないのでバラバラでもとにかく座る場所を確保しないと約3時間立ちっぱなしはさすがに辛いものがあるので、妻はべったり座る広間の片隅にようやく一人分のスペースを、私はデッキの椅子(=喫煙場所)にようやく場所を確保して、一人旅の気分を味わいます。
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(客室は出航前からこんな様子)

それにしても隠岐行きのフェリーの混雑は聞きしに勝る凄さ。慣れた家族連れなどは通路やエレベーター前にゴザをひき、ところ構わず寝そべっていますので、妻がいる場所まで歩くだけでも一苦労。
私の確保した場所はスモーキングゾーンなのですが、二人用の長椅子には小学生(一人旅?)と私が座っているにも関わらず、ひっきりなしにヘビースモーカーがやって来て、落ち着く暇はありません。
仕方なく、最後部で徐々に離れゆく本州を眺めていました。
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それにしても駐車場の車の数は凄い数ですね!? みんなここに車を置いて、隠岐に渡っているようです。

乗船時には同乗者の車での乗船はあれだけ”危ないから絶対にダメ!”だったのに、下船時は全員乗車OKなのですから隠岐汽船は不思議な会社。(島後の)”隠岐の島”の西郷港に着いたら、とりあえず車を停めて観光局にて島後の情報収集をしてから、お目当てのお店でまずランチを食べようという予定だったのですが、西郷港も七類港同様に激混みで、駐車場は全て満車状態。それでもスペースを探してうろうろしていると、後からフェリーを降りた車に”邪魔!”とばかりにクラクションを鳴らされ、仕方なく港を出ることに。愛車のナビはフェリー下船後すぐには正しい位置を示さないのは毎度のことなので、とりあえず西郷の町を走り始め、見覚えのある店名のレストランの駐車場が空いていたので、とりあえずそこでお昼にすることにします。確かに昼食候補としてチェックしたことがあるお店でしたが、隠岐色というか名物がなさそうな普通のやや高級な食堂だったので候補から外したお店でした。刺身と天ぷらの定食は美味でしたが… (隠岐じゃなくても食べられる??)
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もう港までは戻る気にもなれず、このまま丸~い隠岐の島を一周する観光を始めます。まずはすぐ近くの玉若酢神社で隠岐旅の安全を祈願。
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ここには隠岐の島三大巨大杉の一つ八百杉があります。
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次は島のちょうど真ん中ぐらいにある隠岐三大巨大杉のもう一つのかぶら杉。この辺りまで来ると、フェリーのあの混雑が嘘のように回りには誰もいません。
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丸い隠岐の島を時計の針に例えると、1時の辺りで再び海と出会い、2時のあたりにある浄土が浦海岸へ。”浄土”という言葉のイメージは日本全国でも共通しているのでしょうか? 何となく陸中海岸宮古の”浄土が浜”を思い出す風景でした。
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最北端12時のあたりにある展望台は白島展望台。今日はずっと曇り空でしたが、この展望台に向かう間のドライブはずっと雨。でも、展望台に向かって歩く時には雨はあがってくれていてラッキーです。
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隠岐の海岸線をゆっくりと眺望することもできました。
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竹島を指す看板を発見。確か竹島の住所は”隠岐”だった記憶がありますが、それにしても肉眼では見える筈のない距離ですね!?
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日本はまだまだ広い。塗り潰さなければいけない場所を、もう一つ心に刻みました。

次は隠岐の島観光のハイライトと言われているローソク岩の観光。隠岐を代表する風景としてよく写真が使われているローソク岩の芯のところに丁度ローソクが燃えているかの如く夕日があたる構図は、船からでしか見えないことは事前の調査で知ってはいたのですが、その遊覧船に乗ると帰り道が真っ暗になりかなり危険な感じがしたのと、私的な隠岐のメインイベントである都万の観光の時間が無くなるという判断で、早々に遊覧船での観光は諦めて、崖の上から見下ろす観光です。
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ここから、階段を降りればもっと近くまで行けるようなのですが、私にも妻にも”階段を降りる”という選択肢はありません。
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ローソク岩と言って思い出すのは、積丹半島にあった見事なローソク岩。高2の時の北海道旅行でそのローソク岩を遠望し、「次回は、もう少し近くまで!」と決意していたのですが、再訪を果たす前にポッキリと折れてしまったのです。(今でも、ローソク岩として存在していますが、昔ほどの迫力は無いとのこと。)
願わくは隠岐のローソク岩は未来永劫このまま隠岐のシンボルとして存在し続けて欲しいものです。

8時の方向にある那久岬。灯台の先に見える島は、明後日行く予定の西ノ島(島前)のようです。灯台が下に見える風景も何かいいものです。
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滝好きの私が是非行きたかったのは壇鏡神社の先にある”壇鏡の滝”。
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駐車場から歩いて数分で滝が見えますが、”驚くほど水量が少ない滝”という前評判に反して普通に滝が流れ落ちています。後ろから来た人が、「今日は水多いなぁ~!」とびっくりしていましたので、普段はやっぱりもっと水は全然少ないのでしょう。
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本当は、もっと滝に近いところまで行けるようなのですが、この先は手すりのない階段で、私には危険そうです。妻に上の写真を頼みたいところでしたが、妻にもその気はないようなので、とりあえず滝が見えたことに満足することにします。

いよいよ都万。都万地区唯一の宿に入り、妻を宿に残して岡本おさみさんの世界に会いに海岸を散策。都万の海岸と言えば、観光名所にもなっている舟屋群ですが、その舟屋群こそがあの曲の”現場”であると以前から推測していたので、迷わず現場と思しき場所に立ちます。
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夕方なので舟屋には漁師さんも曲の主人公である”おかみさん”たちもいなかったのですが、正にこの場が40年憧れ続けてきた都万であることを確信します。
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スマホで「都万の秋」を流し、1時間以上はその場で40年の時代を想像していました。
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私があまりに長時間舟屋のそばで佇んでいるので、宿の人が訝しがって様子を見に来てくれます。私は吉田拓郎の「都万の秋」と「都万の漁港に40年間憧れ続けた!」という話を自慢気にしたのですが、地元民とは言え若い人なので拓郎の曲を知るはずもなく、ちょっと不思議そうな顔をされてしまいました。
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都万地区唯一の宿”羽衣荘”は、将棋の名人戦も行われたらしいクオリティの高い旅館。岡本おさみさんが都万を訪ねた時の宿だったかどうかは不詳ですが、”隠岐と言えば”の新鮮な白イカやサザエも食べられて満足の一夜でした。
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でも私の勝手なイメージでは、隠岐の料理はもうちょっと豪快なイメージでしたが、正直ちょっとお上品すぎ。名物白イカの刺身は美味ではありましたが…

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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その4> 広島~島根 [日本二周目]


6日目:8月9日(水)つづき

北木島から笠岡港まで戻った我々は、岡山県に別れを告げて広島県に入ります。とは言え、岡山県は今回の旅のメインと言うだけあって、これで終わりという訳ではなく、1週間以上後にあと2回訪ねる予定があるのですが、この時点ではまだまだずっと先のことのように感じていました。

一昨日、台風の中で来た広島県も2年振り。2年前には宮島、広島市内、呉、とびしま海道、尾道と訪ねているので、そことは重複しないように訪問のプランを立てたのですが、一昨日の福山&鞆の浦では台風で早くも出鼻を挫かれています。

まず向かったのは竹原。前回は、とびしま海道からしまなみ海道に島同士を連絡船で移動したため、とびしま海道の一方のゲートである竹原は素通りしたので、あの時の忘れ物を取りに来た気分です。
竹原に着いたのはお昼の時間。今回の旅、意外に広島県内で”広島風お好み焼き”を食べるチャンスが少なかったため、元々のプランではここ竹原でお好み焼きを食べる予定にしていましたが、いまだに二人共に昨昼の食べ過ぎがガッツリと影響しており、妻も「今日、お好み焼きは勘弁!」と言っており私も同意見です。昼を過ぎたのに全然空腹を覚えないため、とりあえず道の駅に車を停めて古い街並みの見学を始めます。
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”マッサン”の舞台にもなった古い竹原の街並みは、 マッサン人気のお陰で思ったよりは整備も進んで観光化されています。観光客も平日にしては多く、街並みをぶらりと歩くと魅力的なお店も並んでいます。
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”竹原の街並みのみどころは高い所から全景を見ること。”とガイドブックに書かれていたので、何とか階段を登りお寺の境内からの景色も堪能しました。
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1時半過ぎにようやく小腹が空いた我々の昼食は、結局並のざる蕎麦が精一杯でした。

次の目的地&本日の宿泊地は東広島市の西条。西条と言えば広島の酒蔵として日本酒通の間では有名で、個人的な思い入れもありゆっくりと酒蔵めぐりをしたかったので、試飲をするためにはここ西条に宿を取らなくてはなりません。3時になってすぐにいつもの東横インに車を預けて、早速近くの酒蔵通りに繰り出します。
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広島のお酒と言って個人的に思い出すのは、平成初期に横浜の同じ部署で働いていた広島県出身のK先輩。実はそれほど仲が良かった訳ではないのですが、家が同じ横浜市の三ツ境という駅にあったので、結構頻繁に二人で三ツ境のローカル居酒屋に飲みに行っていたのです。広島出身、カープ大好きなK先輩は日本酒も大好きで、三ツ境の居酒屋ではいつも広島の銘酒賀茂鶴を目指して、ある時は”北から”またある時は”南から’などその日のルールを決めてお店の日本酒コレクションを飲み始めるのですが、毎回賀茂鶴までたどり着く前に二人共に酩酊してしまい、結局一度も賀茂鶴には到着できなかった記憶があります。
その後はオフィスも別れ、いつしか故郷広島に帰ったらしいK先輩、連絡先すらわからずにいたのですが、風の噂で今では故郷広島で眠っているらしいと聞き、「いつかは個人的に鎮魂したい!」という想いを抱き、西条訪問はその絶好のチャンスとして計画したのです!
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まずはその賀茂鶴酒造。
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賀茂鶴と言えば安倍首相が銀座の寿司屋のカウンターでオバマさんにお酌した日本酒として一躍有名になり、酒蔵でもその時の大きな写真が飾られています。「K先輩、あの賀茂鶴がこんなにメジャーになりましたよ! 我々って先見の明があったんですかね!?」なんて会話をしながらオバマさんも飲んだ最高級酒も試飲させてもらいます。
思い出の賀茂鶴に敬意を表してというより最高級品まで遠慮なくグイグイとたっぷりと試飲したこともあり、結局友人への土産と我が家用の土産はすべてここで仕入ることにしました。勿論、我が家用にはオバマさんも飲んだ最高級品です。
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その他の酒蔵もちょっとだけ覗いてみます。
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すでに結構試飲もしているし、それ以外の酒蔵には賀茂鶴ほどのモチベーションもないのと、今晩飲む予定の旧友から「早く飲もうよ!」とのお誘いもあったので、2軒の見学を軽めに切り上げて、5時には約束の居酒屋に向かいます。

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この日の夜は広島在住の旧友と一献。我々がJRで約40分の広島まで出る積もりでしたが、何と旧友がわざわざ休みを取ってくれて西条まで来てくれたので、居酒屋開店を待って5時からの飲み会です。酒都西条の居酒屋にふさわしく、日本酒飲み比べセットの種類がとにかく豊富なのです。
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西条7酒蔵の飲み比べセットから始まり、次には酒蔵毎の飲み比べセットが次々と登場します。
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西条の名物料理は”美酒鍋”。正しくは”びしょなべ”と読むのはネットで見ていて、この酷暑の日に鍋はどうかとも思ったのですが、旧友は迷わずオーダー。出汁もなくお猪口の日本酒だけをただドボドボと注ぎ、その上に大量の白菜を煮込みます。
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何の味付けもなく頂く鍋が、これが意外と旨いのです!
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当然のことながら日本酒にもよく合い、7酒造全部の利き酒セットを飲み尽くす勢い。ケンミンショーでまだ取り上げられていないのが不思議なくらいの旨さの鍋でした!
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妻を先にホテルに帰し、旧友とは西条でもう一杯。病気以来7年以上振りに、〆のラーメンまで食べて、10時過ぎまで盛り上がってしまいました。

7日目:8月10日(木)

病気前、二日酔いの私の定番は駅のキオスクで飲む”ソルマック”。病気以来、ソルマックを飲むほどの二日酔いは経験がなかったのですが、この日はホテル前のコンビニで、7年振りにソルマックのお世話になってしまいました。
うぅ~ん、とっても懐かしい味!?
いくら鎮魂(?)とは言え、あれだけ日本酒を飲めば当然ですね!
今日は中国地方を縦断して、いよいよ島根県の浜田に向かいます。これより西には行かないので、広島以南は次回以降の旅になります。
まず最初に向かったのは世羅高原。ちょうどひまわり畑が満開の時期なので楽しみにしていました。中国地方の沿岸部には、仕事も含めて何度も来たことがある反面、その内陸部は、今までは空港ぐらいしか行った経験がない未訪の地なのです。地図でしか見たことがない地名が標識に現れるたびに何となくゾクゾクするのは、ずっと”地図トラベラー”だったからでしょうか?

世羅高原のひまわり畑は、流石にスケールが大きく、見ごたえがあります。
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ひまわりって、その種類はたくさんあるけれど本当に(まるで軍隊のように)全部おんなじ方向を向いているという至極当たり前の事を、今更ながらに再確認できました。
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TVの撮影か何かはわかりませんが、ゆるキャラとアナウンサーらしき人が指示通りにジャンプしたりしています。楽しそうに振る舞っていますが、とても大変そうです。
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ひまわりほどは多くありませんが、ラベンダーもちょうど満開でした。
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この頃、最近の我々夫婦の旅としてはいつものことになってしまいましたが、またまた妻が足の不調を訴え始めます。埼玉の自宅にいる時には、ちゃんとリハビリに通っているのですが、それでも中々良くなってはくれないのです。これからは、またいつものように足が悪い私をダシに使って、妻は「随行者だから仕方ないでしょ?」的なポーズを取りつつ、痛みがある足に無理をさせないようにします。(私も、介助してもらう役割を粛々と演じるのです。)
広いひまわり畑の散策は私一人で歩き、妻はソフトを食べながら待っていてくれます。ただ、どこまで行ってもひまわりなので、一人で歩くとすぐに飽きてしまいましたが…
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再び車を走らせ、初日以来の中国自動車道に入ります。山陽と山陰どちらからでもアクセスしやすいようにと中国地方中央部に作られた中国道は、大阪付近と山口県のスタート&ゴール地点しか走った経験がないので、ここでも地図トラベラーはワクワク。車が少なくぶっ飛ばしている車が多かったのも噂通りでした。
当時、マスコミを騒がせていたのと同じ名前の「加計」スマートICを降りて向かったのは「井仁の棚田」。棚田を少し歩こうかとも思ったのですが、妻が車を降りる気がないようなので、写真だけをパチパチと撮り、満足することにします。
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棚田や鉄道関係の施設には、妻は毎回殆ど興味を示しません。そんなものに大いに興味を持つ私は、結婚32年目にして相変わらず”変わり者”と思われているのでしょうか?

広島県の山間部最大のみどころは三段峡。三段峡の観光は歩くことが中心らしく私に歩けるかどうかかなり?だったので、事前に地元の観光協会等に問い合わせたところ、三段峡のシンボルである滝まではとても行けそうにないものの、片道1時間歩けば絶景の渡し船に乗るところまでは行けそうという情報を得ていたのですが、妻のこの足の状態では往復2時間の歩きは絶対に無理。おまけに、三段峡に着いたら雨が降っており、傘をさしての散策はかなり危険なので大いに躊躇します。
思い返せば、この瞬間以降のこの旅はこの後はずっと天気にはあまり恵まれなかった感じがします。丁度この辺りが”山陽と山陰の分水嶺”なのでしょうか?
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とりあえずお昼を食べて雨が止むのを待ちますが、有名観光地三段峡にしては入口にレストランや土産屋が驚くほど少なく、しかもどのお店もガラガラなのです!
「あのミシュランガイドで三ッ星」の効果らしく、確かに外国人は多いようですが、逆に日本人はいくら平日で天気はあまり良くないとはいえ、それにしてもこの人の少なさは何なのでしょう?
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レストランのお客さんの少なさで川魚を揚げた名物料理への期待度も沈みがちでしたが、食事とお客さんの数はやっぱり正比例することを改めて再認識。
昼食を食べ終えると、ありがたいことに雨はあがってくれています。「とりあえず行けるところまで行ってみよう!」とゆっくりと歩き出します。
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傾斜のある土の道は雨でぬかるんでおり、すぐ横が崖になっている道なのに滑りそうでとても恐怖です。おまけに手すりや掴まるところも少ないので、”坂で転んで崖から転落”にも現実性が無いとは言えません。妻が”もう、足が限界”というよりも早く、私がビビりまくって早々に引き返す決断をします。
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従って、三段峡のいい景色は見られず写真もこれぐらいしかありません。

この日は後は島根県海沿いの街浜田に行くだけの予定なのですが、ここのところ温泉に入っていないので島根県山間部”美都温泉’の日帰り温泉を楽しむことにします。山間部にある健康ランド的な温泉で、しっかり温泉大浴場と露天風呂まであり、これで420円ですから付近の方たちをとても羨ましく感じましたが、この人の少なさ… ちょっと経営が心配です。

日本海沿いの浜田は夕日でも有名。近くに”ゆうひパーク”と称する道の駅があるくらいですが、今日の曇天では夕日は無理そうです。駅近くのビジネスホテルに入り、近くのコインランドリーで洗濯。

浜田に泊まる目的は”のどぐろ”を食べること。のどぐろは日本海側では金沢などさまざまな地で獲れるようですが、のどぐろの街としてPRをしている浜田に敬意を表しての宿泊です。のどぐろが食べられる居酒屋をネットで探したところ、チムニー系のチェーン居酒屋なのにのどぐろがウリのお店を発見、三連休の前日なので迷わず1ヶ月以上前にネット予約したところ、翌日「お席、何とか取れました。」という電話があり、”ずいぶん大げさ(丁寧)だなぁ…”と思っていましたが、6時にお店に行くとお店は既に満席の大盛況です。
折よく、お店では「のどぐろフェア」をやっており、我々も刺身と煮付けを注文。
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のどぐろ以外の海産物も新鮮でとても美味でした。
のどぐろは例の錦織クンの発言以降すっかりメジャーになり値段も随分と高騰したように感じますが、相変わらず本当に旨い魚で、これから日本海近くで過ごす数日間でのどぐろがどれだけ食べられるかとても楽しみになりました。

8日目:8月11日(金)

漁港の町浜田での朝ごはんは港の食堂ででも食べようと、ホテルの朝食は頼まなかったのですが、調べると漁港の有名店はあろうことか”金曜定休’。結局旅行費用を節約する必要があったニート時代のように、部屋で淋しくパンを噛ります。出発まで時間があるので、妻をホテルに残して散歩に。近くにJRの駅がある場合、私の散歩は常にエセ鉄ちゃんの気分で駅に行くことにしています。
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入場券を買いほんの僅かだけJRの売り上げに貢献して、ホームに入ると間もなく特急列車到着のアナウンスが。ダイヤを調べて駅に行っている訳ではないのですが、鉄神さまは元鉄ちゃんにも寛容なようです。
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列車を見送ると、激しく雨が降り始めます。ホテルを出る時には全然降りそうになかったのに… やっぱり、日本海の気候ってすぐ雨が降るこんな気候なのでしょうか? 金沢の天気でよく言われる格言、「弁当忘れても傘忘れるな。」というフレーズを思いだしました。
でも、10分も経つと雨はすっかり止んでくれました!
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ところで、情けないことにここ浜田のホテルの部屋にシェーバーを忘れるという失態をやらかします。翌朝、松江のホテルで気付いて浜田のホテルに問い合わせると、ホテルがちゃんと預かってくれていたので、流石に浜田まで取りには戻れないので、自宅に送ってもらい事なきを得ましたが、朝がゆっくりな時ほど注意が必要であることを改めて痛感しました。

今日からは三連休→お盆に突入するので、いくら島根の片田舎(失礼!)とは言え相応の混雑は覚悟しなければなりません。TVでは、朝から首都圏高速の”数十キロの渋滞”を盛んに報道しています。ここ浜田駅前は同じ日本の同じ時間とはとても思えない静かな朝なのですが…
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今日最初の観光は、島根水族館アクオス。開館と同時に入場を試みますが、車も子連れもとにかくたくさん。流石は三連休です!
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最近の水族館は、沖縄の美ら海と山形の加茂水族館と旭山動物園の影響を受けているのか大水槽と色とりどりのクラゲ&泳ぐペンギンを下から見る」が多いように感じます 。
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でも、この水族館の主役はソフトバンクのCMで一躍有名になった”幸せのリング”を作る白イルカ。”リングタイム”には何度も鮮やかなリングを見せてくれたのですが、悲しいかな写真の技術が乏しいためにCMのような絵は撮れませんでした。
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(左後方にリングが見えるのですが…)

その後は、海沿いの国道9号線を北上して一路松江を目指します。途中には世界遺産の石見銀山などもあるのですが、一周目で行ったので気持ちは動かされますが素通りです。9号線で渋滞が出現するたびに”ひょっとしたら三連休の影響?’とちょっとヒヤヒヤしながらのドライブです。

この日のお昼は2年前から念願だった島根名物の”鯛めし”。松江郊外の有名店の駐車場は大混雑だったものの何とか席を確保できて、当然の如く鯛めしを注文。写真によく登場するようにお茶をかける前のきれいに盛り付けられた形て出てくると思ってカメラを構えていましたが、期待を裏切り具とご飯は別々に出てきます。
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片手の私は、被写体になるように奇麗には盛り付けられる筈もありません。

午後は松江市内観光。松江城近くの有料駐車場は大混雑でかなりの順番待ちのようですが、私は島根県庁の職員駐車場へ。そう、県庁が休みの日は、観光客に無料解放している情報を事前に得ていた故です。県庁の一等地で知事の車が停まっていそうな場所に車を置き、 松江観光のスタート。
今回の松江観光のメインイベントに考えていたのは、”堀川めぐり遊覧船”。足が痛む妻にとっても、歩かずに出来る観光は願ったり叶ったりです。
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遊覧船発着場所には観光客がたくさん順番待ちをしています。私でも何とか乗れそうなことを確認して、順番待ちの最後尾に加わります。意外と早く、30分程度で名前を呼ばれて、20名は乗れそうにない小さな船がスタートします。
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堀川めぐり遊覧船は、GWに乗った柳川の遊覧船とも共通点があります。低い橋では乗客がしゃがむことも同じなのですが、その高さは圧倒的に松江の方が低く、しゃがみ方も半端ありません。
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お堀から見える景色も多彩ですが、やはり松江城の天守閣は船から見る景色が一番いいのだとか。
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満足の約1時間でした。

遊覧船の後はお堀の横を散歩して武家屋敷のある塩見縄手まで行くつもりでしたが、妻の足を気遣いほんの少しの距離でも車を使います。塩見縄手付近では駐車場が見つけられませんでしたが、松江出身の数人の知人全員の母校と聞いている県立松江北高校の先にようやく駐車場を発見。それにしても、お城や武家屋敷に近くこんないいところにある高校がとても羨ましく感じました。

塩見縄手まで歩き、小泉八雲記念館を見学。私の認識では”小泉八雲=松江の人”で、人生の大半を松江で過ごしたようなイメージでしたが、実際にはたった数年間しか松江にはいなかったようなのです。
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塩見縄手の武家屋敷も散歩したかったので、妻を記念館に残して歩き始めますが、ここでまたもや雨が降り始め散歩を邪魔します。この辺りもまたいつか来る必要がありそうです。
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松江と言えば宍道湖に沈む夕日。この日、天気が良ければ宍道湖の夕日スポットに陣取る段取りでしたが、この天気では2年前に続いて夕日は拝めそうにありません。諦めて松江駅前の東横インにチェックインします。

夕日を見に行く気満々だったので、三連休なのに夕食は予約していません。”早めに行けば何とかなるかも?”と思ったので、近くの5月にオープンしたばかりの新しい海鮮居酒屋へ。予想通り予約でカウンターも含めて店は完全満席でしたが、予約時間までまだ1時間半あるお客さんの席を使わせてもらい、1時間ちょっとでのどぐろや島根の旨いもんを堪能しました。
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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その3> 笠岡諸島・真鍋島 [日本二周目]


5日目:8月8日(火)

鞆の浦鴎風亭のオーシャンビューの部屋からは見事な朝日が登っています。どうやら台風は無事に通過してくれたようです。
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今日はこの旅前半のハイライトである笠岡諸島の離島めぐり、念願の漁火(りょうか)での食事です。再び岡山県に戻り笠岡港から出港する行ったり来たりの変則日程ですが、昔のようにこの台風の”風待ち”だったと思えば、自分の旅行史上最高のアレンジなのかもしれません。

真鍋島に渡るその前に、昨日会えなかった社長が笠岡で待っていてくれるとのことなので、鞆の浦の観光ができなかった未練はあるものの、久々の再会に嬉々として早めに笠岡に戻ります。2年半振りに会った社長とよもやま話。会社を辞めてからは、全く思い出すこともなかったシステムや人の名前一つ一つがとても懐かしく、気持ちだけは2015年以前に戻った気分になり、1時間があっという間でした。

さあ、いよいよ待望の笠岡諸島行きです。笠岡諸島には車を持っていかないので、船着き場のすぐ近くの駐車場に明日まで愛車を預け、船に乗り込みます。
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笠岡諸島への船は各駅停車。10分おきに港に着いては、ほぼ満員だった乗客が少しずつ降りてゆきます。
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乗客もさまざま。島の人らしきお年寄りから、海水浴に行くらしい家族連れ、島に住んでいる外国人(?)まで。でもリュックを担いだ観光客は、どうも我々だけみたいでした。
各駅停車の連絡船の終点が真鍋島。大学生時代、”なんにもない島とユースホステル”が一部の旅人にうけて、旅仲間から「真鍋島、いいよぉ~!」と薦められて35年、ようやく宿願の真鍋島初上陸です。昔野田YHのペアレントNさんがよく口ずさんでいたのが真鍋島の歌。調べても誰の曲だかさっぱり判らなかったそのメロディーが、私の心の中だけで歓迎のメロディーとして鳴り響いています。
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漁師料理食堂の”漁火”は港の目の前。
「さぁ~、食うぞぉ~!」と気合いを入れ直して店に入ります。
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予想よりやや狭い店内でしたが、予約席に案内され今日はもう運転もしないので、予定通り昼からビールをガンガンいただきます。
コース料理のスタートは情報通りの生きているエビ。桶に手を入れてエビを捕まえて殻を剥いて頬張るのですが、元気のいい活きたエビは食われまいと桶から飛び出し、エビとの格闘状態がしばし続きます。残念ながら片手の私はエビとの格闘を制することができず、大半妻に捕まえて&剥いてもらったのですが…
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次も噂通りタコの刺身。足だけになってもまだ活きているタコは、「食われまい!」として吸盤で箸やら口の中やらあらゆる場所に吸い付きます。これも正にエビ同様「食事というより格闘」であると感じました。
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その後もどんどん新鮮でとにかく美味しい海のものがいくつも&大量に出てきます。例えば、こんな新鮮で美味しい刺身は食ったことがないと思えるほどのお刺身。
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ソフトシェルクラブのように殻ごと揚げられたカニ。バリっと噛むとこれも今までに経験がないほどの旨さ。
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塩焼きはタイの尾頭付きが一人1尾。正月にはちょっとだけしか食べられないけれど、鯛ってやっぱりこんなに旨かったんだぁ~! と改めて感じました。
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全ての海産物がすべて新鮮だからとにかく旨い。おまけに食べ終わったタイミングを見計らってで次の料理が運ばれてくるので、湯気でわかる通りの調理したての熱々の食材はとにかく最高!
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「もう、そろそろ終わりかな?」なんて思っていると、まだまだたっぷりと次の料理が出てきます。
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「えぇ~! まだ出てくるの? まるで拷問だぁ~!!」と悲鳴を上げながらも口をつけると、またまた新しい味のあまりの旨さに圧倒されてしまい、結局どれも完食してしまうのです。
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結局、最後の”あら汁”が出てきたのは3時頃、食事開始からは2時間以上が経過し、ビール以外にも日本酒もたらふくいただきました!
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とにかくこんなに旨いものは私の人生でも味わったことはないくらいの最高の贅沢、これで1人5,000円はどうにも信じられない安さです。ネットに書かれている「都会では絶対に1万円以上はする食事」などではなく、「離島でしか絶対に食べられない、最高の時間」でした。本当にこれだけ苦労しても十分に価値があった真鍋島訪問、満腹でありながら「必ず、また来るぞぉ~!」と早くも再訪を誓ったのでした!

とにかく満腹状態のお腹。船の時間まではまだまだ時間があるので、観光客としての本能というよりも少しでもお腹を減らすために、真鍋島を散策します。温度計を見てはいませんでしたが、この日の気温は恐らく35℃を超えていると思われます。真鍋島は”猫の島”と言われ、とにかく野良猫がたくさんいるのでとても有名な島なのですが、この日のあまりの暑さには猫もすっかり参っていると思われ、見かけた猫はたった数匹のみ… 見かけた猫も、とにかく暑そうでした。
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船着き場のすぐ後ろはすぐに高台になっており、その高台を超えた島の反対側には昔憧れたユースホステルがあり、いまも宿としては営業しているようですが、この島の高台を超える階段の道が私には無理そうだったので、元ユースホステルの宿泊を断念しています。(元、学校というYHらしいので、階段などの設備も大いに不安だったので…)でも、散策するこのあたりは離島の風情たっぷりです。
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狭い道の上にはお寺があり、離島らしい旅情を感じます。
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「瀬戸内少年野球団」等の映画のロケ地になった現役の中学校。確かに、離島の学校として見覚えがある気がします!
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今日の宿は隣島北木島。北木島は、お笑い芸人千鳥の大悟の出身地として近年多少名が知られるようになった島だそうです。行きと同じ各駅船で北木島に渡りながら、遠く離れていく真鍋島に「また、食べに来ます!」と再訪を誓います。
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本日の宿は、「食事が美味しそう」という理由で選んだ宿「グルメ北木島」。確かに、新鮮な海産物をさまざまな調理方法で出してくれたのですが… 残念ながら、私も妻も昼の漁火の食事の満腹状態から抜けられず、結局美味しそうな夕食には殆ど手をつけられず、「一生懸命料理を作ってくれた宿の方にひたすら謝る。」という申し訳ない結果に終わってしまいました。
この2つの組み合わせは厳禁ですね!

6日目:8月9日(水)

前日の満腹状態はある程度想定していたので、この日のために胃腸薬も準備して予定通り飲んだものの、前日昼の漁火が予想をはるかに超える爆食だったためか、朝になってもまだ全くお腹は空きません。とりあえずお腹を空かして朝食だけでもいただくために、朝早く北木島の散策に出かけます。
笠岡諸島は隣島とはすぐ近く。隣の白石島までは連絡船で僅か10分です。
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北木島の主要産業は石。「石材の島」と呼ばれているようで石の会社(作業所)はたくさんありました。
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何と、「売地」の看板まで墓石のような立派な石でした!
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北木島のシンボルとしてパンフレット等に載っているモニュメントです。
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名も知らぬ神社。朝から参拝して引き続き安全祈願をします。
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観光局資料にも載っている笠岡ラーメンのお店。ここでの昼食も検討したことがありました。
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朝食後、宿の車で送ってもらい船着き場まで。船の待合室はこれだけですが、これだけだと「風情がある」とか「寅さんがいそう」と思うより、「ここに、本当に連絡船来るの_?」とちょっとだけ不安になります。
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でもちゃんと船は来てくれて、我々は無事に笠岡まで帰り着くことができました。

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【2017年夏の旅 山陽・山陰PARTⅡ】<その2> 岡山&台風 [日本二周目]

3日目:8月6日(日)

泊まった牛窓のペンションは個人的にはイマイチ。食事も特に印象に残るものはなく、単に「夏休みの週末に泊まれたのだから、文句はないでしょ?」的な宿泊でした。確かに、ペンションなのに部屋にバストイレが付いているのですから、文句をつけたらバチがあたりますかね!?
でも、この旅の最初の2泊の宿泊が結果的に共に期待外れだったので、この段階では今回の旅のホテルチョイスについて少々自信喪失に陥りましたが、でも結果的に今回選んだ宿については「だんだん良くなる法華の太鼓」のようでした。

確度が増した天気予報によると、どうやら明日1日は台風5号の付近通過(最悪の場合直撃)らしいので、恐らく明日は1日観光にはならないであろうと考え、とりあえず明日の昼までを想定していた岡山市周辺の観光を、今日中にひととおり済ませてしまおうと考えて早めに宿を出ます。本来なら”日本のエーゲ海”牛窓と周辺を半日かけてゆっくりと見て回る予定でしたが、エーゲ海はその”さわり”だけで満足することにします。

最初に向かったのは”牛窓オリーブ園”。オリーブ園と言えば2年前に訪ねた小豆島のイメージが強いのですが、海を隔てた本州側にも同じようなオリーブ園があるようです。駐車場の端に身障者用Pの案内版があり、朝早いこともあり案内通り狭い坂道を登り、本来なら徒歩で登るべき道を車で登って楽をさせていただきます。上の駐車場からちょっとだけ歩くと雄大な瀬戸内海の絶景が見え、遥か先にはその小豆島が…
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「でも、小豆島のオリーブ園はこっち側ではなくて確か島の反対側だったなぁ…」なんて考えながらその景色を堪能しました。本来ならオリーブ園のあちこちを散策するのでしょうが、園の上の方に車を停めてしまったばかりに、どうにも歩いて下に降りる気にはなりません。上の方にある幸せの鐘を鳴らしてお土産屋さんを覗く程度で、オリーブ園の見学を終わることにします。
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”日本のエーゲ海”と呼ばれる所以の高級リゾートホテルや小豆島のように潮の干満で道が出来る観光地などは次回に回すことにして、牛窓ではもう一つ古い街並みを観光。海沿いに車を停め、一つ裏通りになる”しおまち唐琴通り”をぶらりと散策します。古くから”潮待ち、風待ち”の港として牛窓が栄えた面影がある通りとのことですが、大半のお店がまだ営業していないといういつものパターンで、結局この観光も中途半端。個人的には塔の見える風景にはちょっとグッと来たのですが、写真にすると電線が邪魔でそのいい雰囲気はほとんど伝わりませんね。
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妻は予告しておいた昼食”牛窓名物のアナゴ”が食べられずにちょっぴり不満顔、ここ牛窓には何周目かの旅でもう一度来る必要がありそうです。

とは言え今日は”一周目で未残した岡山市近辺”を明日の分も貪欲に回らなくてはなりません。”一周目の未残し”の最たるものとしては、恥ずかしくも駐車場がわからずに目の前まで来ながらも断念した備中国分寺の五重塔。(その時の投稿はこちら
一周目の旅行後に地図を確認したら、私は県道の五重塔側の細い道に迷い込み、「駐車場、どこ?」と必死に探していたようなのですが、何の事はない道路の反対側に大きな駐車場があったのです!
ということで、ここだけは絶対にリベンジしなければなりません。今回は下調べはバッチリだったので、全く迷わずに車を停めて、五重塔まで歩きます。
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(この道に車を乗り入れて、駐車場を探していた記憶が鮮明な道です!)

五重塔は羽黒山などでいくつも見てはいますが、やはり五重塔を間近にすると、改めて身が引き締まる思いがします。後で日本全国の五重塔と私が訪ねた五重塔とをリストアップしようと思いました。
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続いても五重塔周辺の吉備路のみどころを訪ねてみます。すぐ近くには日本有数の規模を持つ前方高円墳である「造山古墳」があります。
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駐車場から古墳付近を歩いてみますが、巨大な古墳の全景を見渡せる場所があるわけでもなく、古墳の上を歩こうとしても手すりなどもなく不安な私的には結局この古墳を楽しむ術はありません。誰だか判らないこの古墳のご主人に挨拶だけして立ち去ることにします。

そろそろ昼食の時間ですが、このあたりでの昼食は全く想定していなかったので、近くのファミレスにでも入ろうとお店を探すうちに、次のみどころである桃太郎のルーツとも言われる吉備津神社に着いてしまったので、仕方なく神社参道にあるお土産屋さん兼食堂へ。  やはり下調べの大切さを痛感しました。
吉備津神社はさまざまな建物のみどころがあるので楽しみにしていて、いきなり急な登り階段があるのでちょっとびっくりしましたが、手すりはちゃんとあるので何とか登ることができました。
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有名な回廊を周囲の建物の数々を眺めながらゆっくりと散歩します。
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ちょっとだけ、桃太郎の気分になった数十分でした!

次の見学地も似たような名前の吉備津彦神社。こんなすぐ近くに”彦”の有無だけの類似神社があるので、どうしても混同してしまいますよね!?
そういえばさっき行った造山古墳のすぐ近くには、同じような名前の作山古墳(共に読み方は”ツクリヤマコフン”?)があり、岡山の事情に明るくない私は、計画段階でパニックになってしまったこともありました。

吉備津神社と吉備津彦神社は名前こそそっくりですがその内容はすっかり違っています。吉備津神社はかなり広くて参拝後にもみどころがたくさんあったのですが、吉備津彦神社は参拝がメインイベントの神社でした。
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両神社では共に明日の台風が無事に通り過ぎるよう祈願し、結果的にはご利益があったようなので両神社には感謝しなければなりません。個人的には、今やすっかりマイコレクションとなった車に貼る交通安全のステッカーが両神社共に無かったのが、期待していただけにちょっとガッカリでした。結局、この旅で増えた交通安全のステッカーは、最初の赤穂大石神社のものだけでした。

これで明日行く予定の吉備路観光の主要観光地の見学を終え、本日午後の予定通り岡山市内のハイライトである後楽園と岡山城に向かいます。
「日本一周を達成した」と自慢げに言いながら、日本三名園すら全部見ていないのですから日本一周なんて全く怪しいものです。後楽園も兼六園や偕楽園に負けず劣らずみどころがたくさんあるようで、やはり庭園の向こうに岡山城が聳える風景は素敵です。
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でも、子供時代を昭和の東京で過ごした私的には、やっぱり後楽園と言えばONが躍動したV9巨人のホームグラウンドと、高校時代に熱中したボクシングの聖地である後楽園ホールのイメージが拭い去れずに、なんとなく変な気持ちでした。後楽園そのものは本当に素晴らしい庭園でしたが…
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後楽園からはそのままお堀を渡って岡山城へ。岡山城の私の先入観(予備知識)は、「大阪城、名古屋城と共に、天守閣にエレベーターがあるお城」。これで日本全国のエレベーター付きの名城を、三名園に続いて制覇したことになります!?
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エレベーターで最上階までは行けずに最後は階段があるのですが、何とか最上階から岡山の中心部と後楽園を見下ろします。
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この日の宿は岡山市内のビジネスホテル。ホテル内に駐車場がなく提携駐車場を利用するホテルですが、明日の大雨を予想し出来るだけ近くの駐車場を目指しましたが、皆考えることは同じのようで、結局徒歩5分のパーキングしかなく、明日に向けてやや不安が広がります。

明日には台風が通過とのことですが、雨は今夜半かららしいので、夕食は市電を使って岡山駅前の繁華街まで。100円で楽しめる市電をたった2駅だけでも楽しむところは、57歳にして昔の鉄道少年そのままです。
”日曜日夜に開いている居酒屋は少ない。”という情報を信じてごく普通の居酒屋っぽかったのですが念のため事前にホットペッパーで予約をしていたのですが、「平平平平」(ひらだいらへっぺい)というその店名のユニークさに魅せられた故の予約です。事前予約にお店では座敷を用意してくれていたのですが、足の悪い私が座敷は苦手なためカウンターに陣取り、さわらやママカリなど岡山の旨いものを次々と堪能し、満足の一夜でした。

4日目:8月7日(月)

この日は台風通過で1日台風を無事にやり過ごすことだけが主目的の1日になってしまいました。家にいればただ1日中ダラダラしていればいいのですが、旅先では10時になればホテルはチェックアウトしなければなりませんし、次の宿に入れるのは早くて15時です。
過去の旅でも、何回か台風にぶち当たっています。2年前の山陰の旅では朝のうちはまだ雨もなく天橋立と伊根の観光は何とか出来たものの、午後は危険な暴風雨の中を城崎温泉まで何とかたどり着く結構危険なドライブでした。去年の三陸の台風直撃の日には朝から予定通りの観光(記事はこちら)を試みますが、当然のことながら海岸風景が見える筈もなく、風雨が激しさを増した昼間には宮古の道の駅だかに数時間逃げ込むなど、我々も自然の脅威への接し方については、少しずつは学習しているつもりです。

10時のホテルチェックアウトまで部屋でおとなしくしていようかとも思ったのですが、朝のうちの方が雨も小降りという予報なので、意を決して早めにホテルを出ます。遠い駐車場まではやっぱり辛い歩きでしたが、車をホテル前に回せたお陰で妻と荷物は被害僅少で済みました。
本日の宿泊地は広島県に入ってすぐの鞆の浦。とりあえず目的地近くの都会福山に出ようと、豪雨の高速はやっぱり危険だし慣れない高速には恐怖心もあるので、国道2号線をワイパーの速度をMAXにしてひたすら安全運転第一で走ります。

岡山県の最南端で、広島と県境を接する街が笠岡市。ここには前職時代に本当にお世話になったビジネスパートナーの会社がありますので、ノーアポではありましたが埼玉からの土産を持って訪ねてみます。こんな天気なのでお目当ての社長がいればゆっくりと話が出来るかとも都合のいい想像をしていたのですが、そうはうまく行く筈もなく社長は不在。でもすぐに連絡が取れて明日会えることになりました。

この旅の前半のハイライトである真鍋島には、ここ笠岡の港から船で行きます。お目当ての食堂漁火の第一希望が今日8/7。もし、第一希望通り予約が取れていて、今日と明日の宿泊地をひっくり返していなかったら、いったいどうなっていたのでしょう? 念のため船着き場に行って状況を聞いてみますが、当然のことながら本日の船は全便欠航です。明日のことは誰にも判らないのですが窓口の親切なおじさん曰く、「予報通り台風が今日中に抜ければ、明日は運航の可能性が強い。」との嬉しい読み… 明日の回復をただただ祈るばかりです。

ところで、2009年に仕事で笠岡に来た時にも、空き時間を使ってこの港に散歩に来たことがあります。当時の港は本当にひなびていたというか旅情たっぷりで、訪ねた瞬間、「あ、この待合室。寅さんが昼寝していそう!?」と思わせるのに十分なノスタルジックな雰囲気で、この船着き場から小さな船で笠岡諸島に行くことが私の目標になったのですが、残念ながら船着き場は昔の場所からは移転していて、すっかりきれいになっていました。
「もう、いくら待っても寅さんは来ないから。」なのでしょうか?

とりあえず広島県の福山に入り、ネットで探したコインランドリーで洗濯しながらこれから行く場所をスマホで検索。福山でもちょっとは観光するつもりはあったのですが、この豪雨の中で福山城を見る気にはなりません。「こんな雨の日の観光は美術館か博物館に限る!」と、ふくやま美術館に狙いを定めますが、”月曜休館”とどうにもうまく行きません。

「じゃあ、仕方がないのでシネコンで映画でも見ようか…」と福山唯一らしいシネコンを目指し、途中”尾道ラーメン”という看板につられて昼食。チェーン店らしき店内で注文を終えた後に、「そういえば計画段階で試行錯誤したプランの中に、福山で尾道ラーメンを食べる」というプランを考え、美味しいと噂のお店を調べていたことを思い出しましたが、今ではそのお店の名前すら思い出せません。
でも、このチェーン店らしき尾道ラーメン、結構レベルが高く大満足でした。流石は本家のすぐ近く!?

シネコンに入ったものの、映画通ではないのでお目当ての映画があるわけではありません。「どの映画を見ようか?」と妻と迷いましたが、すぐ次に始まる映画が、”君の膵臓をたべたい”。タイトルはホラー映画みたいですが、出演者に北川景子さんの名前を見つけて、それだけでチケットを買ってしまいました。
「どうせ、いつもの私のパターンで、映画館の椅子は寝心地がいいのですぐに爆睡かな?」なんて考えながら映画を見始めましたが、何とこの私が一睡もせず映画の世界にグイグイと引き込まれて、最後にはいい年のおっさんとしては何とも恥ずかしながら、うっすらと涙ぐんでしまったほど素晴らしい映画でした。台風のお陰でこの映画に出会えて本当に神様に感謝したい気持ちになりました。
台風のやり過ごし方としては、過去最高の過ごし方です!

映画を見終えて車に戻ると、雨は幾分か小降りになっていますので、この映画に出会えた感動冷めやらぬうちに本日の宿鞆の浦の高級旅館に向かいます。
鞆の浦に着いても、雨は止んでくれる気配はありません。坂本龍馬にもゆかりがたっぷりある鞆の浦の観光も楽しみだったのですが、この雨ではやっぱり観光は厳しそうで、ここも次回の宿題になり、このままホテルに入ります。

本日の宿は、我々夫婦にはちょっとだけ分不相応な高級旅館”鴎風亭”。実はこの宿の跡取りが約10年前私の前職の旅行会社に入り、それから数年間大宮にあるオフィスで共に働いていたという縁がありました。今は彼も旅行会社を辞め故郷に戻って家業を継いでいるとの噂を聞いていたので、ノーアポですが訪ねてみようと思ったのです。
新入社員だったM君は今や”常務”として活躍していて、10年間という時の流れを感じました。それに比べて自分は… とちょっとだけ落ち込んでしまいますが、すぐに気を取り直します。
モットーは、”前向きに!”、’前向きに!”  です。

今回の旅では最高額である二人で約5万円の宿泊料金ですから、待遇や食事はそれなりで満足の宿泊です。でも、楽しみにしていたこのホテル自慢の”展望露天風呂”が、台風の影響でクローズだったことが何とも残念でした。

この日撮った写真はゼロ枚。やはり台風に備えて精神的にも余裕がなかったのですね!?


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