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2015年に感謝! [雑感]


今日は大晦日。2015年最後の投稿になります。

最近このブログは、日本一周の旅行記ばかりになっていますね。2015年の全投稿は前回までで62投稿ですが、うち旅行記は59回ということですから殆どが旅行記で、旅行記以外の投稿はたった3回だけで、退職することの報告、3月の最終出勤日、そして11月の再就職報告の3回だけですから、ここ当面は完全な旅行記のブログになっています。

このブログ、始めたのは2010年の12月22日ですから、満5周年を過ぎて6年目に突入しました。当初の投稿の目的は、左手一本でパソコンを打つことと、ぐちゃぐちゃになっていた頭の中を整理するというリハビリが主目的でした。記事は主に自分の闘病記録と日常に起きたトピックス、雑感が中心でした。左手一本のパソコン文字入力ですから、ブラインドタッチレベルのスピードに戻るのはとっても無理ですが、普通の人よりちょっと遅いスピードぐらいまでには何とか戻りたいと思い、毎日のように必死に投稿していました。
記事の傾向としては、同じパターンでずっと書き続けられるほど話題がないし、各分野の蘊蓄や造詣もそんなには深くないので、ある分野でネタ切れになると次の傾向に進むのはプロでもない素人なのでやむを得ないことだと思っています。でも、この柔軟な(軟弱な)姿勢のお陰で、542回も記事投稿ができたのですから、この回数だけは自分で自分を褒めたいと思います。昔、日記をつけ始めても全て三日坊主で終わってしまった飽きっぽい自分の性格を考えると、病気のお陰とは言え自分でも本当によく書いたなぁ~と思うのです!
そもそも、ブログ開設の目的は人に読んでもらうことよりも、自分のリハビリが目的ではあったのですが、最近はそれに加えて自分の日記のように自分で読み返すことも多くなっています。自分の投稿なのに、改めて久し振りに読むととても懐かしかったりするので、10年後・20年後の老後の楽しみにしようと思い、それを励みにもしているのです。

病状については、発症半年を過ぎる(つまりはブログ開設以来)と大きく変化することもなく、悪い方向になることもない代わりに、”良くなった”といういい報告も殆ど出来てはいません。開設時には、「このブログに、少しずつでも回復具合を綴っていこう!」という強い決意で臨んだのですが、残念ながらその少しずつでも右手と右足の状況は改善することはなく、悲しいかな記事にはできないのです。

でも症状は一向に改善しないとは言え、自分の生活は脳卒中発症以来のこの5年半で、徐々にというか着実に前進していると信じています。このブログにも毎年のように書いてはいますが、この5年半の”自分史”を年表風に簡潔に書かせていただくと

2010年6月 茨城県のゴルフ場で脳卒中発症。人生初の救急車で救急搬送される
  7月 入院3箇所目のリハビリセンターにて、歩行や会話のリハビリを開始
 10月 リハビリセンター退院 4ヵ月ぶりに自宅に戻る 通院リハビリ開始
 11月 週2日、時短勤務(11時~16時)から会社に復帰
 12月 ブログを始める・通院リハビリ終了(発症後半年のルール)
2011年4月 慶応病院にBMI治療のため2週間入院 (私にはあまり効果なしでした)
  5月 池袋の会社の目の前に部屋を借り、週4日勤務に復帰
      訪問リハビリ開始 (週2回 金曜日・土曜日)
  9月 病気後初の旅行 東北3泊4日の旅へ(JR利用)
2012年4月 週5日(フル勤務)に復帰 (訪問リハビリは土曜日のみ)
     1年間借りた池袋の部屋を引き払う
  9月 九州旅行4泊5日 大浴場での入浴に復帰
2013年4月 免許再取得し、教習所で運転特訓
  6月 マイカー購入(左アクセル等の改造車) 
     以降近隣ドライブから少しずつ運転に復帰
  9月 仙台へ 復帰後初の遠距離ドライブ
2014年7月 北海道ドライブ旅行へ
  9月以降 退職を決意 徐々に退職準備を始める
2015年3月 (前職)退職
  4月 本格的な日本一周開始
  6月 娘の結婚式 親の役割が1つ終了
  7月頃~ 細々と再就職活動も開始
 11月 新しい職場(学校法人)に再就職

と、これがこの5年半のプチ・ヒストリーです。5年半前の発症直後には、言葉もろくに喋れず(ろれつが回らず)、歩くことはおろか立つことすら出来なかったことを考えると、日本全国をドライブして遊びまわりながら、就職活動までできたなんて夢のようなことなのかもしれません。少なくとも5年前にこのブログを書き始めた頃には、今の生活はイメージできませんでした。

ところで、2015年は本当に良い年でした。
32年間勤めた前のグループ会社は、本当にお世話になった大好きなグループでしたが、病気のこともあり最後の数年間は本当に鬱屈してストレスが溜まっていました。でも、”別の部署で働きたい”などとこの病身で社内の知人を頼ると、”病人の甘え”と見られてしまうような気がして、それが嫌だったこともあり、完全退職を選択したのです。
その後の楽しい楽しい日本一周の旅については、ダラダラとこのブログに書き続けている通りですが、大学時代の4年間と並んで、人生で最も楽しい瞬間だったのだろうと思っています。
そして、あまり苦労することなく再就職が決まり、11月より再び働き始めたのですが、こちらも新しい刺激がありとても勉強になる職場です。55歳の今になって”勉強になる”なんて言ってはいけないのかも知れませんが、人事・総務系が未経験のこの私にとって、55歳で初めて接する人事という仕事がとびっきり新鮮なんです!

さて、2016年の目標についてですが、当面は今の職場で戦力になり、”自分がいて良かった”と周囲に認めてもらえるようになることが目標です。この年齢での再就職ですから、出世や昇給などが望めるわけではないので、自分の働くモチベーションは、”人の役に立つこと”なのです。今のところ、私の知識や経験が今の職場で役に立つことはないのですが、もう少し慣れて、自分の経験などが何かの・誰かの役に立てば、これほどに嬉しいことはありません。

そして、達成間近の日本一周の1周目については、何とか2016年中に達成したいと考えています。勿論、新入社員ですから業務優先で休暇は二の次ではあるものの、今の職場はありがたいことにまとまった休みが取りやすいので、2016年中の達成は十分可能と考えています。
日本一周の未訪問地区は大きく分けてあと3エリア。あと3~4回の旅行で達成は十分に可能だと考えています。とりあえず、年明けには近隣の未訪問エリアである千葉と神奈川に行く予定にしています。

1日フライングですが、2016年の年賀状をご紹介します。
「全国各地を回った次の年の年賀状は、自分で行った全国各地の写真をたくさん入れた年賀状にしたい!」という私の長年の夢を形にできた、自分的には過去最高傑作の年賀状だと思っているのです!!
年賀状.JPG
右の列の2点以外は、全て旅行記にも掲載した写真です。
(2点も、年明けの旅行記の続きに掲載する予定です。)

本年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。
よいお年をお迎えください。


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新たなるチャレンジ! [雑感]


今年に入って初めての&一か月ぶりの投稿になります。
今回は、ここしばらく書けなかったことを、(まだちょっと早い気もしますが)思い切ってカミングアウトしたいと思います。

書けなかったこととは、「今年3月末で、32年間勤めた会社を退職することにしました。」という、どこにでもあるけれど、自分にとっては清水の舞台より高い場所から思い切って飛び降りるような、人生最大の決断をしたことなのです。

理由はさまざまあるのですが、本当に一言で理由を申し上げれば、「たった一回限りの人生なのだから、今の環境に甘えることなく、新たな環境でいろんなことにチャレンジしてみたい。」
というと、何だか格好つけたような面はゆい心境ですが、複雑な自分の気持ちに一番近い気持ちなのかもしれません。(勿論、そんなカッコいいことばかりではなく、ドロドロした嫌な気持ちなども言えばたくさんあるのですが…)
「このまま定年まで会社勤めていれば、生活は安定しているのだから… このままあと数年会社にしがみついていればいいんじゃない!?」
普通に考えれば誰しもがそう思うでしょうし、そのようなことは以前から何人かの方からも言われた経験もあります。 私の中でも、何度も何度もこのフレーズが頭の中をグルグルと渦のように繰り返されましたが、「今の生活のままで人生を終えることを、良しとしない。」という自分のチャレンジ精神というか強い意志が、その何度となく聞こえた悪魔の囁きを打ち消してくれました。

また、私はこの6月で55歳になります。私が会社に入った頃のわが社の定年は55歳で、当時には55歳で定年になる多くの先輩を見送った経験があります。
「間もなく私も、”あの”55歳になる。」という事実も、「32年務めた会社を退くには、いいタイミングだ」と思わせてくれたことも事実です。

退職については、昨年春ぐらいから真剣に考え始めました。百回以上も、何度も自分に自問自答して自分なりに「会社を辞めよう」と決心し、まずは当然のことながら妻と子供に話しました。家族には大きくは反対されなかったことで、決意を少しだけ深めました。(我儘な私の事だから、反対しても無駄だと思ったのでしょうか?)
次に夏頃には、何人かの人生の師匠というか尊敬する先輩に逢いに行き、「会社を辞めようと思っています。」という心境を正直に打ち明けました。少しでも「背中を押してもらいたい」という気持ちがなかったかといえば嘘になりますが、自分では32年間で一回も会社を辞めたことはありませんし、そこまでの気持ちになったこともありません。
さまざまな方からさまざまなアドバイスをいただきましたが、一番心に残ったひとことは、サラリーマンを辞めて紆余曲折の末新しいビジネスモデルを作って成功者になった先輩から言われた一言
「会社を辞めたほうがいいかどうかは、実際に会社を辞めてみなければわからない。」
当たり前といえば極めて当然の一言なのですが、実際にさまざまなご経験をされた先達の口から出たひとことなので、こうやって紙に書いた以上に「言葉の重み」がありました。
口に出したご本人がどういうニュアンスでこの発言をされたかはともかく、結果としては私の背中を押してくれたひとことになりました。

同じ頃には、「実際に私のような身障者が辞めても、次の仕事なんて探せるんだろうか?」と疑問に思ったので、慎重を期すためにも障がい者の就職を専門にしている会社に登録をしてみました。
その会社に登録のための面談に行った際にも、「実際に就職が決まってから、2か月で今の会社を辞められますか?」と聞かれましたが、実際には2か月で辞めるなんて無理な話ですから、実際に面接を受けてみて万一「採用」なんてことになったら両方の会社に大変迷惑をかけることになるので、「会社を辞めてから、改めて来ます。」と登録した会社にご迷惑を掛ける前に撤退しましたので、「実際に就職できるのか?」については結局判らないままでした。

同級生などと会った際にもこの話をしてみましたが、大手企業で人事・総務の要職にある同級生からは、「障がい者雇用(の法律)が、2%に変わってからの障がい者の採用には本当に苦労している話」を聞いて、「じゃぁ、自分もいけるんじゃない?」と思うこともありました。
同級生からはお世辞で、「お前が市場に出たら、ウチが採用したいぐらいだよ…」という言葉もいただき、少しは自信になりました。

会社に退職の意思を伝えたのは9月です。「遅くとも3月末には退職したいけれど、もっと早く辞められるのであれば、それでも構わない。」と意思を伝え、検討の結果3月末の退職となった次第です。

その頃から、水面下ではさまざまな退職の準備に取り掛かります。
まずは退職していきなり生活苦にならないように、毎月の家のローンを見直します。全額返済できれば一番良いのですが、残念ながらそんな余裕はないのですが、いくつかあったローンを整理し、金利の安いローンに借り換えを行いました。今まではボーナス月にかなりの額を払っていたのですが、4月以降は「ボーナス」というものに縁が無くなるため、支払額も均等払いに変更しました。
その他、無職になるとクレジットカードなども加入できなくなるので、クレジットカードのような審査があるサービスにも「今のうちに」と思い加入しておきました。
その他4月からは出来るだけお金の出費を抑えなければなりませんので… 以前に書き込みした「ノートパソコンの購入」も実は退職に向けての準備の一つだったのです!!

4月からはとりあえず無職になります。とは言え、再就職しないで遊んでいる訳にはいかないので、失業したらすぐに就職活動を始めます。
そして、就職活動はするものの退職で時間が出来ますので、その時間で念願の「日本一周<一周目>」を加速したいと思います。
「日本一周をする」とは言え、再就職活動をしながらですし、病院にも行かなければなりませんので、ずっと旅行しっ放しという訳には残念ながらいきません。
恐らく月の半分以上は埼玉の自宅で過ごし、時間がある時に「日本一周」に出かける。という生活になるだろうと思います。このペースを1年以上も続ければ日本一周<一周目>は出来てしまうのかもしれませんが、「1年以上も再就職が決まらない。」というのは我が家的には危機的な状況なので、どっちが良いのかは何とも言えない状況です。

勿論、会社を辞めて別の会社を探す以上、「就職できれば、どこでも良い」という気持ちは(今のところは)ありません。身体上のハンデはありますが、自分の中では「やりたい仕事」はしっかりと持っているつもりです。そんな仕事(会社)に巡り合えれば4月にでも就職を決めてしまうかもしれません。そうなると「日本一周<一周目>」はまた先のことになってしまうかもしれませんが、それも仕方のないことなのでしょう。
またはやりたい仕事(会社)に巡り合えず、徐々に選択(妥協)の幅を広げてゆき、結局は全く希望と違った仕事しかなくって、「何で会社辞めたんだろう…」と後悔している自分がいるかもしれません。
どちらになるかは判りませんが、どちらも自分で決めた自分の「人生」なので、「後悔はしない」と今は固く心に誓っています。
でも、本音を言うと、夏ぐらいまではのんびりして、せめて47都道府県の半分ぐらいは制覇しておきたいと思っています。

因みに、次の会社に多くの給料を期待する気持はありません。55歳になる自分ですので、今更「正社員で!」などと言う気もありません。待遇だけを考えるのなら、今の会社を辞める選択肢は全くない訳ですから…

少しだけ残っている有休を3月までに消化してしまわないといけないので、今月から徐々に日本一周<一周目>を始めます。
今回の日本一周では、特に近場(関東近辺)では「季節感」を大切にして、その地域の「旬」を訪ねたいと思っています。
今月の日本一周<一周目>では「春を先取り」した旅に出ようと思っています。


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(2010年~)2014年を振り返って [雑感]

 
2014年もあと一日で終わりになります。
このブログを始めてから、早いもので5年目突入しました。毎年大晦日には、1年間を振り返る意味でブログを更新していました。このブログを読むと、病気になって以来4年半の「マイヒストリー」を鮮明に思い出しますので、極めて自己中ではありますが、記事を読み返しながら4年間の振り返りをしてみたいと思います。

 この年の6月に脳卒中で入院、10月中旬に退院し11月に週2日から短時間勤務をはじめ、12月22日に記念すべきこのブログの第1回目の投稿をしています。この時期はとにかくリハビリ目的(まだ言語障害も激しく残っていましたので…)で毎日の投稿がマイノルマで、ブログの初期はとにかく闘病記を書いてしまいたい… と必死に慣れない片手でのタイピングで闘病記を綴っていたことを懐かしく思い出します。。
5年前のこの日の話題ははじめての闘病記以外の話題で、「母校(都立駒場高校)の高校サッカー選手権出場」でした。

 この年は4月に慶應病院にBMI治療のために2週間入院し、その後池袋の会社近くにワンルームの部屋を借りて、「徒歩5分での通勤」の環境を整え、週4日の勤務をしました。月曜日の朝ちょっと重役出勤で会社に行き、月~木曜日の朝まで池袋の家から通勤し、木曜日の夕方自宅に帰って金曜日は自宅で過ごす生活です。
池袋の家賃が丸々持ち出しになり、家計としては特に苦しい1年間でしたが、何とか「人並みの日常生活」に戻る準備が出来たという意味では有意義な1年でした。
2011年と言えば忘れられないのはやはり東日本大震災。小学生の時の避難訓練の時以来初めて(会社の)デスクの下に隠れ、まだ家にいた娘に会社に迎えに来てもらって埼玉~池袋に往復12時間かかったことを思い出します。その後交通機関が復旧していなかったため、1週間以上「在宅勤務」を認めていただきました。入社以来32年間で唯一の「在宅勤務」経験です。

 池袋のワンルームを引き払い、ようやく約2年振りに自宅からのフル出勤に戻れたのがこの2012年。九州旅行に行って温泉に復帰出来たのが自分なりにはとてもうれしい1年でした。昨年同様(麻痺の)右手足の年当初の目標に対して「できなかった…」と書いていますが、これについては悲しいかな今もできてはいません。
でもあの頃は、本当に「こわごわと」温泉に「やっとの思いで」入っていたのですが、今は手すりさえあれば何とか怖がることなく温泉に入れるようになりました。(勿論、慎重に&十分注意して… ではありますが)
あの頃は、「清水の舞台から飛び降りる」ぐらいの覚悟で温泉に入っていたのですが、最近は気軽に温泉に行けるようになったことは、自分的には「新たに何かが出来るようになった」訳ではないものの「大きな進歩」だと思っています。
(実は、昨日も近所の日帰り温泉に行ってきたばかりです!!)

・2013年12月31日
 昨年の大晦日には2回も投稿しています。一つ目は前日に行った埼玉県きっての観光地川越への旅行記です。この旅行記に代表される通り、自動車運転に復帰してマイカーを買ったことがこの年2013年の最大のトピックスでした。
それらの自分的マイニュースを書いたのが2つ目の投稿です。何と言っても嬉しかった自動車運転復帰と足の痛みが自分なりの2013年と言って真っ先に思い出す2大トピックスでした。


そして今年2014年ですが、今年の年頭のブログには「2014年を感謝の年にする。」と書いていました。「今年1年、感謝できたのか?」と自分に問いかけてみますが、残念ながら答えは「NO」で、未熟者の私は、残念ながらそこまで達観することは全くできませんでした。
「じゃぁ、お前にとって2014年はどういう年だったの?」と改めて考えると「決心と準備の1年」だったと考えています。

「病気になって来年で5年になるから」という訳ではありませんが、以前に「もはや病後ではない」と書いていながら、何となく自分で病気をして後遺症があることに甘えていて、ただ漫然と毎日を送っていたような気がしていて、「お前の、たった一度の人生、このままでいいのか??」と考えた時に、「このままじゃぁ、いかん!」と次を決意した年なのです。
とは言え、勿論すぐに行動に移せる訳ではないので、来たるべき変化の時に備えて、今からいろいろな準備を始めた1年でしたので、決して「つまらない」とか「面倒くさい」だけの年ではなく「夏前に決断してから、来たるべき時に対してウキウキしながら準備した年。」でした。
詳細については、2015年の2月以降にはこのブログでも書けると思います。まだ書けないことが多いので、2015年の年頭の決意等は書きませんのでご理解ください。

それ以外の2014年も… それなりに充実した楽しい1年でした。
最大のトピックスは6月の北海道旅行。北海道の大地をマイカーで走れる楽しみを本当に満喫しました。病気になった頃には、ここまで回復できるとは想像出来なかった苦しい時期もありましたが、無事に北の大地に再び立てた幸せを噛みしめることが出来ました。10月に訪れた沖縄も満喫し、「1年間で北海道と沖縄の両方に行けるなんて何て恵まれてるんだ!!」と我が身の幸福度に改めて感謝した年でもありました。(そういう意味では「感謝」しています。)

昨年苦しめられた足の痛みも、原因は全然関係のない場所からきていることがほぼ特定でき、そこの原因を除去した後は嘘のように痛みが無くなったことも2014年の嬉しかったことトップ5の一つです。思い返せば2013年の3月、娘に会いに神戸に向かう新幹線の中で初めて感じた痛みですが、1年以上苦しめられることになろうとはその時点では想像もしていませんでした。

この1年で家族にも動きがありました。中華料理のお店に勤めていた息子は会社を辞めて家に帰って来て、何年か後に自分で店を持つ夢に向かって現在は必死に修行&開業資金貯金に精を出しています。同じ家に暮らしていても、子供の頃とは違って数日間全く顔を見ないこともあります。独立出来るのはまだまだずっと先のことなのでしょうが、その時を夢見る息子の存在は、「俺も、負けないように頑張んなきゃ!」と励みになります。
7月にはじめて「親父の一番長い日」を経験させてくれた娘は、その後も順調(?)のようで、来年の「昼間が一番長い日」に結婚式を挙げることが決まりました。来年の私は、「花嫁の父」という嬉しくて悲しいであろう役回りも経験させてもらえることになりそうです。
このまま順調に行けば再来年ぐらいには待望の孫に会うことが出来るのでしょうか…??

今年もいろいろとありがとうございました。
2015年が皆様にとって素晴らしい年になりますように!!
勿論、私にとっても! いい年にします!!

良いお年をお迎えください。


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海外旅行復活と憧れのハワイ [雑感]


6月に北海道に行って、7月にはその旅行記の執筆(そんなに格好良いものではないけど…)で普段の生活には張りがあったのですが、8月に入ってからは本当に直近の「目標」が無くなり、何となく茫然とした毎日を送っています。
「じゃぁ、次の目標を早く決めればいいじゃん!!」と思うのは誰しも同じ気持ちなのですが、今回の「次の旅行先」は決まっているものの、正直計画に没頭する気には全くなれません。

「次の旅行先」と決めているのは、「ハワイ」です。
旅行会社の社員だった私と結婚して、「これからは、たくさん海外旅行に行ける♪」と楽しみにしていたはずの妻に対して、結婚してから連れて行った海外旅行は、28年間でたったの2回だけなのです。

1回目は勿論新婚旅行。当時から人気のハワイにはあえて行かずに、「貧乏人だけど、たった一回だけ(の予定の)新婚旅行なので、ちょっとは贅沢がしたい。」という私のたっての希望を叶える旅で香港へ。当時は、今以上に高嶺の花だった「ビジネスクラス」に乗り、当時から香港を代表する「ペニンシュラホテル」に泊まる贅沢な個人旅行を楽しみました。

空港~ホテルの往復には、ペニンシュラホテルのロールスロイスのリムジンを利用したのですが、帰路空港に向かう際に運転手さんに航空会社だけを聞かれて空港に着いたら、ごく当たり前のようにファーストクラスのチェックインカウンターに荷物を運ばれ、チェックインされます。 慌てて訂正してビジネスクラスのカウンターに荷物を運んでもらうのですが、プライドのムチャクチャ高そうな運転手は、「うちのホテルに泊まって&ロールスロイスで空港行って、ビジネスクラス??」と怪訝そうなというより明らかに不快感を表されて、ちょっとびっくりします。「いつも通りエコノミークラスだったら…」と考えたら、ちょっとヒヤっとしてしまったことを覚えています。

香港の市内を2階建路線バスなどで観光したのですが、28年前には香港の繁華街には日本人観光客の姿は全く見つかりません。「ここが、あの人気旅行先の香港??」と妻が訝しがるので、「じゃぁ、証拠見せてあげる!」と九龍地区繁華街の一角にある免税店(DFS)へ。予想通り日本人しかいない巨大な免税店に、妻が納得したことも懐かしい想い出です。

2回目の海外旅行は結婚10年目。当時タイミング良く(悪く)「結婚10周年には、ダイアモンドを贈ろう!」という"Sweet 10 Diamond"というCMがバンバン流れていて、そのCMが流れるたびに妻の視線が気になります。
勇気を出して、「ダイアモンドが欲しいの?」と聞いてみると、「ダイアモンドより、海外旅行に行きたい!」というので、当時はまだ小学校低学年だった2人の子供の面倒を、まだ元気で一人暮らしをしていた私の母にお願いして、二人で妻憧れのアメリカ西海岸に出かけます。
ロスでは、当時まだ日本には上陸していない「ユニバーサルスタジオ」を満喫します。当時は当然”ハリーポッター”なんてなく、人気のアトラクションは全く違っていました。「バックドラフト」のテーマソングを聞いて、洋画に疎い妻が、「何で、料理の鉄人??」と驚いたことを思い出します。バックドラフトのテーマソングを”パクった”「料理の鉄人」が大人気だった頃です。勿論十数年後に、”中華の鉄人”陳健一さんの店に、当時小学校1年生だった息子が奉職するなんて、夢にも思っていませんでした。

その後、フェニックスでレンタカーを借りて、グランドキャニオンやモニュメントバレーなどの大自然「グランドサークル」のドライブを楽しみます。当時、アメリカフリークの私でも名前だけしか知らなかった「セドナ」は時間の関係で素通り。今考えても、本当に勿体ない瞬間でした。

その後、ラスベガスでは前年に行った「VIP招待旅行」でVIPの皆様から大評判だったイタリアンレストランに意気揚々と妻を連れて行ったのですが、そのお店で食べた「Fresh Seafood(恐らくムール貝)」にあたり、最終都市で私が一番好きで何度も行っているサンフランシスコでは、満喫プランを山ほど用意していたのに、結局2日間何もできずに高級ホテルの部屋でひたすら寝ていました。

3回目となるべく、25年目の銀婚式の年にはカナディアンロッキーの大自然をレンタカーで満喫する予定にしていたのですが、計画を立てる前年に病気で倒れてからは、海外旅行どころではありませんでした。

そんなわけで、カナディアンロッキーはもう少し後に回すものの、妻としては「ハワイに行ったことがない」というのは、周囲の知人と比べても(旅行会社社員の妻としては)少々恥ずかしいことのようで、「来年こそは、(病気5年目の私の)海外旅行復活の年として、ハワイに連れてけ!!」と言っています。妻には迷惑をかけっぱなしの私にも、勿論異存があろう筈はありません。

日本の海外旅行を代表する「ハワイ」。私も若年社員の頃、つまり昭和の時代にはしょっちゅう添乗員として行っていました。でもベテラン社員になると同時にハワイに行く機会も減ってゆき、最後に行ったのは20年以上前の平成2年です。
でも、ダイアモンドヘッドやワイキキの繁華街は20年前とはあまり変わっていないようで、「つい最近行ってきたかのように」語るのは、昔から得意なのです。
(詐欺商法ではありません… 念のため)

実は5年前の2009年には、20年振りに行くハワイに行くチャンスがありました。当時出向していた会社で「職場旅行幹事長」に任命され、選んだ旅行先がハワイ。昔からのノウハウを駆使して社員のみんなに楽しんでいただけるプランを企画したのですが…
ある意味、「20年振り」の自分が一番楽しみにしていたのですが、当時入院中の母親の病状が悪化したので、1週間前にキャンセル料を支払って断腸の思いでキャンセルし、団長⇒見送り組 への華麗ではない変身です。
(母は、その1週間後に旅立ちました。)


ということで、2015年の旅行はハワイに決めているのですが、北海道などと違ってプラン作りにあれこれと悩む(=楽しいプラン作りの時間!!)ことは、そんなにはありません。
「どこに行こうか」については、ハワイではせいぜい「何島に行く?」ことぐらいが選択肢なのですが、ハワイ島やマウイ島に滞在する場合はレンタカーがないと満喫できないのですが、片手&片足運転でレンタカーが運転出来ない私は、この選択肢をチョイスすることは出来なさそうです。
おまけに、隣島(オアフ島以外)の高級リゾートホテル=「憧れの高級ゴルフリゾート」なのですが、ゴルフにはまだ復活できない私にとっては、精神衛生上極めて悪い滞在になるので、今の状態では高いお金を払って、絶対に泊まりたくはありません。勿論、昔からゴルフに興味がない妻にも興味はないでしょう。

そうなるとオアフ島のワイキキ滞在のごく普通の4泊6日のツアーを選ぶしか選択肢はありません。肝心なホテルですが、数年前から「次にハワイに行く時のホテルは、モアナサーフライダー。」と個人的には決めていますし、航空会社は「陸マイラー」の私は当然JALに乗ってマイルを貯めようと思いますし、旅行会社は自社以外を選ぶほどの度胸もありません。

従って、ハワイに行くのは1年後なのですが、すでに大半のプラン内容が決まっています。
これは、「旅行プランをあれこれ考えるのが、旅行そのものと同じくらい(それ以上!?)好き。」という私にとって、いじめ以外のなにものでもありません。

別の楽しみを早急に見つけなければなりません!!


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6月8日 [雑感]


本日6月8日で54歳になりました。
もう、誕生日が嬉しい年齢でもない筈ではあるのですが、年を取るのは確かに嬉しくはない反面、「誕生日」つまり私にとって「6月8日」というのは何とも言えない独特の感慨がある日であるのも事実なのです。
なので、今日は「6月8日」という日について考えてみることにします。

私の誕生日である6月8日は、一言でいえば1年のうちのきわめて平凡な一日で、特に”これ”と言った特徴もない、”地味ぃ~”な一日のような気がします。
子供の頃、「何の日だろう?」と必死に何かイベントを探し図書館に通った記憶があるのですが、子供の頃に読んだ本で強く記憶に残っているのは、「645年の6月8日には、大化の改新の始まりの日で、蘇我入鹿が殺された日!」というのが6月8日の最初の印象です。
当時、ある日に生まれた人は”その日に死んだ人の生まれ変わり!?”という説がありましたので、子供心に「自分は、ひょっとしたら蘇我入鹿の生まれ変わりか??」と、真剣に考えたこともありました。でも蘇我入鹿といえば、最近でこそ「悲劇の天才」などの再評価の声もでてきたものの、その当時の蘇我入鹿のイメージと言えば、「権力を振りかざした悪代官」的なイメージが強くありましたので、「歴史的人物の生まれ変わり」という言葉でも、嬉しいイメージはあまりありませんでした。
興味を持って調べてみても、自分には「蘇我入鹿だったデジャヴ」のようなものが全く見えないのが不思議だったことを覚えています。「デジャヴが見えない」なんて、今考えると当然と言えば当然なのですが…
でも、最近改めて資料を見るとどうも肝心な蘇我入鹿が殺されたのも6月8日ではなく12日だという説もあるようで、ひょっとしたら四十数年前に読んだ本の単なる間違だったのかも知れません。
でもこの「大化の改新が6月8日に始まった!」という(当時は事実と思っていた)ことは、子供心に日本史に興味を持つきっかけになったことも事実です。
なので間違いではあってもその時の子供向けの本には感謝しなければいけません。(勿論、本の名前は覚えてはいませんが…)

それ以外の6月8日の歴史的な出来事を改めてウィキペディアで調べてみても、これと言った「へぇ~!!」的な出来事も本当に少なく、何となく「365分の1よりも出来事は少ないのではないか!?」と思ってしまうような、超地味ぃ~な印象の出来事ばかりです。
フン族の王アッティラのイタリア侵入や織田信長の長島一向一揆の敗退など、歴史の教科書の重箱をつつかないとでてこない出来事が行われたのが6月8日、これを見る限り「織田信長も6月8日を生きていたんだ!」という当たり前のことに改めて気づく程度です。

ちょっと話は脱線しますが、よく話題になるドラマの「織田信長のイメージに近い俳優は誰か?」ですが、今の大河で信長を演じている江口洋介は個人的には結構いい線っているような気がします。暴君で我儘であった信長の性格をうまく演じられているような気がします。この前に観た「トヨエツの信長」は優しすぎるような気がするし…(というストーリー設定をトヨエツが上手に演じていたのでしょうが…)
尤も、子孫の織田信成さんを見ていると、信長のイメージ、結構崩れますよね!?


話を6月8日に戻します。「6月8日生まれの有名人は誰かいるのかしら??」 と、改めてウィキペディアを見てみますが、ここでもやっぱり「超、地味ぃ~な日」であることを改めて痛感してしまうのです。
1900年ぐらいまでの6月8日生まれの人には、恥ずかしながら「この人、知ってる!」という人が誰もいないのです。初めて知った名前に出会うのは1901年生まれの画家の岩田専太郎さん、1920年生まれの写真家の秋山庄太郎さんぐらいですが、いずれも、「有名人」と呼ぶにはいささか地味すぎる人ですよね!?
流石に現代のタレントでは知っている人が多くなりますが、ここでも6月8日が地味な日である印象は変えようがありません。
お笑いタレントで言えば「アントキの猪木」、「ダイノジの大谷」、「レーザーラモンRG」etc… 
まさに、「超マイナー、あるある」ですよね!?

無理矢理「へぇ~!」を探して唯一見つかったのは、「さまぁ~ず」の三村さんが6月8日で、相方大竹さんの夫人であるフジテレビの中村アナも6月8日が誕生日であることぐらいが、超地味なへぇ~ですね。

野球選手には誰かいると思っていたのですが、有名どころではダイエー、メジャー、阪神で活躍した城島選手ぐらい… それ以外では、巨人で活躍した條辺選手ぐらい。條辺さんは今はうどん屋さんをやっているのだそうです。

因みに、私と全く同じ1960年6月8日生まれは誰かいるのかしら?? と思って改めてウィキペディアを見てみると、この年だけ見事に空欄になっています。前後の年には最低1~2名以上の著名人がいるのに!?
1960年の皆様、頑張って誰か有名人になってこの空欄を埋めてくれませんかねぇ~!?

さて、最近の「6月8日」というと、悲しい話題が2つあります。今日も、「あれから○×年」と言ってこの2つの話題が取り上げられるのかと思うと、「6月8日」を心から愛する私としては、本当にやり切れなくなるのです。
1つの事件は2001年、あの大阪付属池田小で起きた無差別殺人事件です。「許せない」と言えば個人的には犯罪の中でも最大級に絶対許せない「無差別」の「子供を狙った」殺人で、今でも思い出すたびにはらわたが煮えくり返ります。
この「絶対に許せない」「非道な」犯行を犯した奴の(当時名乗っていた)旧姓が、我が息子の(苗字ではなく)名前と同じだったことも、当時本当に私を悲しくさせた原因の一つでした。当時の私は、ドラクエなどのRPGの主人公の名前を殆どが息子の名前でプレイしていましたが、この事件の怒りで折角進めていた冒険のいくつかをリセットしてしまったことを思い出します。
昔の「文通」ではありませんが、別の地域に住むネットで知り合った女性とも2年くらいメル友をしていて、ハンドルネームと断って息子の名前を略称に使っていましたが、この時もこのメールを変えて「さて、なんて名乗ろうか?」と悩んだことも記憶に残っています。

もう一つの事件はまだ記憶が生々しい「秋葉原通り魔事件」。6年前のこの6月8日も日曜日で、秋葉原の繁華街で白昼堂々の犯行が行われています。秋葉原のあの通りを通るたびに、いまだにあの時のことを思い出すのは私だけではない筈です…


こんな6月8日ですが、これからは悪いことが起きずにずっと素晴らしい6月8日になることを祈っています。個人的にはあと何回誕生日を迎えられるかはわかりませんが、できる限り誕生日は「めでたいこと」として祝うことにします。
とりあえず今日は、お気に入りのレストランで妻とランチを楽しむことには決めていて、今晩飲むワインは普段よりちょびっとだけ贅沢なワインを買いました。

「青い空 今日は私の誕生日」
子供時代、「何か俳句を作れ」と言われた授業がたまたま6月8日だったので、この句(?)を提出し、思いがけず先生から褒められてたのでいまだに覚えているこの句を思い出しました。(今考えれば季語も何も滅茶苦茶ですが…)

残念ながら、今日は青い空ではありませんが今日も前向きです!!



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2014年 北海道旅行計画<その④> [雑感]


おはようございます。

7月に行く予定だった北海道旅行についてですが、「余程のことがない限り7月に決行する」と書いていましたが、仕事を取り巻く関係で、「余程のこと」が起こってしまい、7月の実施は断念せざるを得なくなりました。
「余程のこと」については他への影響もありまだちょっと書けないのですが、その影響が8月以降にも及ぶのが必至の状況のため、8月に延期をするわけにもいきません。
でも、現在の私の唯一・最大のモチベーションであるこの旅行をもし断念すれば、人生そのものに「目標・張り」を失ってしまい、自分でもどうなってしまうのかちょっとわからない状態になります。
ついては熟考の結果、会社にも了承を得て7月の実施⇒6月の実施に変更することにしました。「夏休み」を6月に取るなんて自分史上初めてですし、旅行の目的の一つである「富良野のラベンダー」については、旅行実施をを半月ずらしただけでも完全に見ごろではなくなってしまうようですが、サラリーマンである以上仕方がないことですので我慢することにします。
とは言え、梅雨のない6月も北海道はベストシーズンであることには変わりはありませんので、6月というベストシーズンに行けるという幸運に感謝しながら予約の取直し作業に専念し、7月よりも若干安く全ての予約を無事に完了することが出来ました。
今日はもろもろの準備について書こうと思います。

1、フェリー予約
 2か月前の発売日の朝9時に満を持して予約するつもりだったフェリーですが、日程を早めたため発売日が過ぎています。フェリーのHPを見ると、ベストシーズンの北海道なので、予想以上に混んでいます!
往路は仙台で入院中の母を見舞ってから行くか近くの大洗から行くか悩むところでしたが、大洗からのフェリーを見ると既に希望する船室のクラスが満室だったこともあり、仙台でお見舞いをしてから行くことにして残りたった1室の船室の予約を何とか取ることが出来ました。「やっぱりベストシーズンの北海道恐るべし!」です。
仙台からのフェリーには価格の安い「早割」もあり選択可能だったのですが、取消料の厳しい「早割」は(また何か緊急事態が起きる可能性もあり?)ちょっとだけ不安だったので、「早割」よりも数千円高いだけの「身障者割引」で予約を済ませました。
利用日の船は太平洋フェリー就航3船の中では一番古い「きたかみ」のようで、最新の「いしかり」ではないのでちょっと残念でしたが、10年振りの船旅を満喫しようと今から楽しみです。(妻は初めてのはずです。)
復路は直接自宅に近い茨城の大洗港に帰る船を予約したのですが、こちらも第一希望の洋室は満室で、仕方なく和室で予約しました。船酔いの心配もあるので和室の畳で寝るのはどうかなぁ~と思っていましたが仕方ないですね…
復路の予約は、予約直後なのに早くもカードで請求が来ます。旅行の一番最後に利用するフェリーの請求が一番早いなんて、何となくちょっと皮肉です。

2、ホテル予約
 6月も北海道のベストシーズンとは言え、7月ほど混み合うシーズンでもないようなのでホテル予約は順調に完了しました。特に富良野や旭川は、やっぱりラベンダーシーズンではないので7月の時は予算面で諦めていた2つのホテルが何とか手の届く金額になったため予約しました!
2つのホテルとは富良野の「新富良野プリンスホテル」と旭川で私がNO1と勝手に思っている「旭川グランドホテル」です!
それ以外のホテルは、7月のホテル選定時に料金と設備・ロケーション等を十分考慮して選んだので、前回の予約ホテルを改めて再予約しました。
ただ、やっぱり土曜には旅行を終えて日曜日を一日休養日に充てたかったこともあり、最終日の札幌宿泊については(訪問予定だった)妻の親戚の予定も悪いようなので断念しました。
札幌には、改めて飛行機で行こうと思います。

3、車の中で聴く音楽
 前回(5年前)の北海道ドライブはレンタカーだったので、基本運転中はどちらかというとラジオ派の私としては、ずっと聞きなれない北海道の地元のラジオを聞いていました。5年前の旅行は10月だったので「冬支度」の話題が多く、「やっぱり、北海道の冬支度は大変なんだ…」と思いながらラジオを聴いていたことを思い出します。
でも今回はマイカーなので、半分は地元のラジオを聴くにしても残り半分は「懐かしい北海道を彷彿とさせる曲を聴きたい!」と思い、「30~40年前の懐かしの曲」コレクションを始めました。
CMで流れていた曲を(美瑛の)その風景の中で聴きたい「ケンとメリー~愛と風のように」などの曲や、35年前大学時代に行った北海道のユースホステルでみんなで歌った「旅の終わり」や地元の曲(今回の訪問地ではありませんが)「ねむるオンネトー」など…
5年前には、レンタカーの中で私がダミ声を張り上げて唄っていたのですが、やっぱり(特にこの年になると)うまい人の歌で聴いて往時を偲びたいと思っています。
CDで聴ける曲は、TSUTAYAでオムニバスのCDを1曲だけのために借りて取り込んでおり、ITUNESストアにある曲も来たるべきその瞬間のために150円で買っているのですが、特に「誰が歌ったかわからない曲」はYOU TUBEでは見つかるのですがなかなか取り込むのは難しいのです…

また、35年前に北海道のあちらこちらで旅人がギター抱えて唄っていた曲で、その日にはみんなで覚えてみんなで唄った曲なのに、タイトルが思い出せない曲がいくつかあります。
私の中で、いまだに北海道に行くたびに頭の中を必ず流れる曲があるのですが、歌詞などでネットでいくら検索しても全くヒットしない曲があります。
唄い出しが「二度目の津軽海峡は…」から始まる曲なのですが、誰か覚えていませんかねぇ~??

4、(旅行中)車のキーを持ち歩く方法
 車のキーを持ち歩く方法にも悩んでいます。私の愛車は今流行のキーレスエントリーでキーを差し込まずにエンジンをスタートでき、ドアをロックする時だけ閉じるボタンを押す必要があるのですが、片手の私はズボンのポケットも基本片方しか使えないので、ポケットに入れるものはあまり多くしたくはないのです。
(右のポケットからは出すのに時間がかかるので、滅多に出さない免許などを入れています。)
普段の運転時には、肩から下げる小さいバッグを愛用しており、この中にキーを入れて後部座席にいつも置いているのですが、(運転時以外の)旅行時の持ち物はリュックにしようと考えており、いちいちキーをリュックから出し入れするのは面倒だと思うからです。
ポケットにキーホルダーでは落とすのが心配だし、スラックスのベルトに付けておくとどれも短いのでポケットの上部にブラブラとむき出しになってしまっていてあまりにも無防備のような気もするし…
最近、暇があるとお店を回って「いいのはないかなぁ?」と探したりAMAZONを徹底的に見ているのですが…

5、100円貯金
 「旅行中のちょっとした駐車場代を準備しておこう!」とダイソーで100円貯金用のコインケースのようなものを買って、帰宅時に100円玉があるとこのケースに入れる100円貯金を始めました。ダイソーなので50枚入るケースが3つで100円だったのですが、まだ7月の旅行に決めていた3月からはじめて、間もなく2つ目のケースが一杯になります。(つまり1万円!)
あと1か月なので目標は3ケース、つまりあと5千円! 駐車場に1万5千円もかかるとは思いませんが、満杯で出かけてソフトクリームなどを遠慮なく食べる原資にしたいとい思っています!!

この「準備」に悩むのも、今の最大のモチベーションでもあります。
旅行から帰ってきて「抜け殻」になることが(真面目な)心配です!!


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IM氏の想い出 [雑感]


昨日の土曜日、久し振りに横浜に行きました。
横浜は、平成元年~6年間勤務していて9年間住んでいた懐かしの地です。今回横浜へ行った目的は、懐かしい方と数年振りにお目にかかって、4年前に突然亡くなられた方のお墓参りをするためです。

4年前に亡くなられた方を今回は「IM氏」という名前で書かせていただきますが、IM氏と私との関係は、最初は「ツアーの参加者と営業担当者&添乗員」という関係でした。最初は平成2年の某視察団で北欧に15日間ご一緒したのがスタートで、当時私はまだ入社8年目ぐらいで、一応係長クラスの営業担当者だったのですが、私より確か約10年年長のIM氏は、40歳前であるにもかかわらず当時横浜の財界では有名な地場企業の常務で、バリバリ活躍していたいわゆる「やり手」が第一印象でした。でも勿論「怖い」とか「厳しい」とかのイメージではなく、”ちょびひげ”がトレードマークの気さくですぐに仲良くなれるタイプの方でした。ちょっと難しい構成のその北欧での視察団では、「大会社の常務」風を吹かせることはなく、みんなの盛り上げ役として常に場を和ませてくれる存在でした。

フィヨルドで有名なベルゲンで夜景を見に行った夜、関係が必ずしも良くなかった(参加者のうちの)二人が、お酒の勢いもありやや親しげに話をしているのを見たIM氏が、すかさず皆を和ませるために大きな声で「ベルリンの壁がたった今崩壊しました!」という当時では非常にタイムリーなギャグを飛ばして皆を和ませて大爆笑を誘ったのが強く印象に残っています。帰国後の写真交換会でもこの時のことが皆の話題にのぼるくらい強烈なインパクトがあったので、参加者の皆さんにしてみれば北欧のフィヨルドよりIM氏のギャグの方がノルウェー最大の想い出だったのかもしれません。
勿論、横浜に帰った後は「大手企業の常務様」と「一介の旅行会社の営業担当者」の関係に戻ります。簡単に遊びに行けるような関係にはならずそのまま1年が過ぎました。

次の出会いは翌平成3年の同じ視察団、今度はカナダ・アメリカに行く視察団にまたIM氏にご参加いただき、私は前年同様営業担当者&添乗員としてご一緒することになります。つまりIM氏と私は合計で30日も一緒に過ごしたことになるのです!
この平成3年の視察団は、私にとってもいろいろな意味で忘れられない・楽しかったツアーとなり、私の添乗員生活の中でも最も想い出深く・楽しかったツアーのベスト2には間違いなく入る15日間でした。通常参加団員は常に15~20名程度なので当然添乗員はツアー担当者の私一人で随行するのが当たり前だったのですが、何故か平成3年(まだバブルの名残があった頃です!!)の時は30名近く参加者が集まってくれたお陰で、「30人も参加者がいるのだから、もう一人添乗員をつけろ!」と主催者から要求され、いつもは男だけのむさくるしい視察団(海外でもスーツを着て行動する外国人から見たら異様な軍団)に初めて紅一点の女性添乗員が加わったこともこの視察団が和んだ原因の一つだったのかもしれません。

今回もIM氏は全員を和ませてくれて、みんなが早く本領発揮できるようにそのキャラを存分に活かしてくれて30人にもなる団員が仲良くなるために大活躍してくれました。昼間の視察時の真面目な側面はともかく、最大の活躍はやっぱり夜… 「夜の視察団」では「夜の団長」と「夜の添乗員」をつとめていただく大活躍で、夜はIM氏のサポートに回った私も、皆さん以上に楽しませていただいたのを覚えています。

この視察団を「楽しかった」と思ってくれたのは少なくとも私だけではなかったようで、「もう1回、このメンバーで旅行に行きたい!」という皆さんの強い想いが最初は夢物語から始まりましたが、多くの方の強い気持ちが夢を現実のものに導く大きなパワーとなり、その結果この時のメンバーで(海外旅行はさすがに無理だったものの)仙台に1泊2日の(国内)視察団を実現させて、あの時のメンバーで秋保温泉の夜を満喫したことも忘れられない思い出です。
勿論、「楽しかった」だけではなく「有意義だった」ことも事実だと私は確信しています。その証拠は、今の「みなとみらい地区」を見ていただければ… と思います。あの時のみんなの勉強が20年後にちゃんと形になっているのです!!

今回の帰国後、IM氏とは30日間(IM氏の人生の0.1%)も「同じ釜のメシを食った」こともあり、「お客様と添乗員」という枠を超えてお付き合いをさせていただく関係にさせていただきました。10歳も年が上ですから、「友人」と呼ぶには失礼ですので「先輩」として良い関係を続けさせていただきました。
会って飲みながら話す内容は種々雑多ですが、色々なところに問題意識が高かったIM氏が、例えば「横浜の夜景をニューヨーク並にするには、どうすればいいだろう!?」などの問題提起を受けて、その件について侃侃諤諤の議論をする… などこうなるともう旅行会社の社員とお客さんの会話ではなくなっていたようです。
たまに「飲みに来ない!?」という電話が待ち遠しくなったものです。(待ちきれずに、こっちから電話をしたのも1度や2度ではありませんでした。)

その後IM氏は、会社の枠には収まり切れなかったのか、若くして常務になった会社を飛び出し、当時落選中の某国会議員の選挙参謀となり、その後の某氏の国政復帰にそのIM氏の実力を存分に発揮します。
その議員は、IM氏がその参謀を離れた後に、不祥事もあってその後落選の憂き目に逢いますが、IM氏が引き続きその参謀として仕切っていたならば、某議員の人生ももうちょっと違ったものになっていたのかも…?
と思うのは私だけでしょうか?

某氏の国政復帰を見事に果たしたIM氏は、その後大好きだった横浜の魅力を十分に伝えるために、屋形船の会社を興します。
その頃の私は東京勤務になり、家も(横浜より安い)埼玉に転居していましたので以前のようにIM先輩と侃侃諤諤の議論をしながらお酒をご一緒する機会はめっきり減ってしまいましたが、それでも時折「屋形船に乗りにおいでよ!」とのお誘いを受け、年に1回ぐらいは横浜の夜景を楽しませていただきました。
さすがに船の上では以前のような議論は出来なくなっていたのが、私的にはちょっと不満でしたが… 毎回、楽しいひと時でした。

IM氏の突然の訃報に接したのは2009年の10月。まだ元気だった私はその日札幌に出張していて、札幌在住の友人とススキノの夜を満喫していた時に突然の訃報を受けて愕然としたのを思い出します。
楽しい筈のススキノの一夜を早めに切り上げ、ホテルに戻って一人になった私は風呂場で文字通り泣き崩れたことを思い出します。まだ60歳ぐらい… 本当に早すぎますよね!? 本当に神様を恨んだものです。

札幌出張中だったのでお通夜やお葬式にも参加できず、その直後に自分の母の臨終もありそれどころではありませんでしたが、心の中でずっと「IMさんのところへいかなきゃ!」と思っていたのですが、その後は自分が病気になってしまい、ずっとIM氏には会いに行けずじまいでした。

今回IM氏の墓前にご案内いただいた方は、やはり平成3年のカナダ・アメリカの視察団にご参加いただいた方です。その方とIM氏とはあの時の旅行が初対面だったとのことですが、その後は本当に深くお付き合いされていたらしく、そのお付き合いの度合いは私から見ても羨ましいぐらい(今でも)強い絆で結ばれているようです。

横浜の青い空が似合うIM氏のお墓に参拝し、空の上のIM氏と久しぶりに会話することが出来ました。
いろんな話をしましたが、根っから明るくポジティブシンキングのIM氏から
「諦めずに頑張れよ!」
と励ましていただいたような気がしました。

「今までに出会ってきたたくさんの方々に感謝し、引き続き前を向いていこう」
と、私もIM先輩に誓いました!



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2014年夏 北海道旅行計画<その③> [雑感]


先週、今年の夏目指している北海道旅行で行きたい場所のことを途中まで書きましたので、何となく続きを書いてしまわないと落ち着かないので、今日は続きを書きたいと思います。

・道南で行こうと思っている場所
先週の旭川周辺編に続いて、今回は道南で行こうと思っている場所をご紹介します。
道南は仕事でつまり25年前までに添乗員として行ったことがある場所が大半なのですが、道南の各地は「私が行きたい」というよりは「妻に見せてあげたい」という場所が大半のような気がします。
でも私としても25年以上振りの土地が殆どなので、勿論「妻を理由に自分が楽しみたい!!」ことも事実です。

・小樽
小樽は添乗員時代には何度となく訪れていますが、実はプライベートで行った記憶がありません。一番最初の高2の時の北海道旅行の時にも、積丹には行った記憶が痛烈なのに小樽に行った記憶がないので、ひょっとしたら単に乗り換えで通過だけしたのかもしれません。
昔の小樽は、そのイメージの割に運河などに良いイメージはあまりなかったのですが、当時から徐々に整備が始まっていて、「いずれは綺麗になる」と期待されていたのですが、その後整備されて旅情溢れる街になって(戻って)からは行く機会がありませんでした。
小樽で行きたい場所と言えば勿論まずは運河。25年振りに綺麗になった運河をのんびりと散歩してみたいと思っています。そして添乗員時代に仕事で行ったものの、その綺麗な作品群を見るのが大好きだったのが「北一硝子」のお店。当時は(添乗員なので)ゆっくり買い物を楽しみ&かさばる荷物を持って帰ることも許されなかったので、当時は本当に「見るだけ」でした。でも今回は愛車で行く予定なので、「思う存分ゆっくりと見られて、気に入ったものは買って車で自宅まで持ち帰れる!」のです。
大好きなイタリアのベネチアングラスは車では買いには行けないし、たくさん買い込むには高すぎるのですが、北一硝子のガラス製品は今回の買い物のメインにする予定です。

そして小樽といえば「寿司」。寿司屋通りなどもあるので小樽での夕食は寿司に決めてはいるのですが、何店舗も食べ歩きをできるわけではないので、どこかのお店で自慢の寿司を味わうことに決めてはいるのですが、まだ「どこで味わうか」は決まっていません。美味しいお店をさまざまな情報を集めて分析することも、旅の事前準備の楽しみでもあります。もうちょっと楽しみながら迷いたいと思っています。

・積丹
上述の通り初めて北海道に行った高2の1977年にも訪問した思い出の場所です。個人的には海の青さが強烈に印象に残っていて、「日本で一番海が青い海岸線なのではないか…?」と勝手にイメージを持っていて、今回その海の青さを確かめに行きたいと思っています。
でも、今回の積丹行きの目的はズバリ「ウニ」。ウニ大好きな私は、夏が旬のウニ丼を思いっきり食べるのを今回の北海道旅行の「食のハイライト」の一つに決めているのですが、「どうせなら日本で一番ウニが旨い場所で食べたい。ウニが旨い場所=積丹らしいので、ならば積丹に行って景色もともかくウニを味わおう!!」と決めているのです。
積丹は神威岬まで半周しかしていないので、今回は1周してみたいとも思っています。

・洞爺湖
個人旅行では1回も行ったことはありませんが、添乗員としては何度となく来ている道南を代表する観光地です。何度も書いている1977年の高2の時の初めての北海道旅行では、函館から札幌まで夜行列車で移動した翌日(Wikipediaにも載ったほどの)有珠山の大噴火があり、道南地域の国鉄(懐かしい!)が全面運休するなどインフラがズタズタになったようなのですが、たった半日の違いで難を逃れた私は、「有珠山が大爆発して、洞爺湖の方は大変なことになっているらしい。」という風の噂に自分の幸運さに感謝をしながら旅行を続けたことが思い出です。

ここ洞爺湖では、「ちょっと贅沢ステイをしよう」と考えています。洞爺湖と言えばサミットが開催されたホテルが超有名ですが、それ以外にも泊まりたい高級なホテルがあるのであれこれ考えながらいまだに楽しく悩み続けています。夏の洞爺湖の名物と言えばずっと毎日やっている花火大会。部屋から見る花火大会も楽しみです。

以上、ここまで旅行を楽しんで、翌日のフェリーで帰途に就く予定だったのですが、妻からのリクエストで1泊(もう1都市)プラスすることにしました。それは

・札幌
妻の希望は、「札幌在住で、もう40年以上も逢っていない従兄に一度会っておきたい。」のだそうです。年賀状のやり取りだけはずっと続いている従兄なので、私も「そんな人が札幌にいる。」ことは知っていても、勿論逢ったことはありません。なので「旅の最終日は札幌で」過ごし、従兄の家にお伺いすることになるだろうと思います。当然ですが、泊めていただいたり夕食をご馳走になるわけではありません。あくまでも1時間程度の表敬訪問のつもりです。

個人的には病気になる3か月前に仕事で札幌には行っているので、そんなに「久しぶり感」はないのですが、病気の前なのでもう4年も前のことになります。
その時の思い出と言えば、ススキノの夜を満喫している最中に携帯が鳴り、2回も長期の旅行にご一緒(ヨーロッパとアメリカ)した後には、個人的にも年に数回は逢ってお酒を酌み交わすようになっていたお客様で先輩で友人だった方の訃報が飛び込んできて、楽しいススキノの夜が一変し、ススキノで泣きながら一人でグラスを傾けたという、強烈な記憶の夜だったことを思い出します。

以上が間もなく3か月後になる7月に目指す北海道旅行で行きたい場所の概要です。

話は変わりますが、免許を取り直したのが昨年の3月後半のことで、2年間も免許が失効していたので「初心者マークを付けるように」と免許センターから言われていたことを(片手・片足運転の不安もあり)遵守していたのですが、免許取得から1年を無事に経過したため、今週ようやく初心者マークを外すことにしました。
思えば本当の初心者だった30年前には、1回も初心者マークを付けて運転したことがなく(つまり、ずっと違反状態!)30年経っての初心者状態でしたが、今後も油断せずに安全運転をしていかなくてはいけないと固く心に誓いました。

もう、急いでドライブする必要がない私なのですから…!!


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2014年夏 北海道旅行計画<その②> [雑感]


先日、今年の夏北海道旅行に行く決意を固め、計画づくりを始めたことを書きましたが、その後も「行くぞぉ~!」という決意が変わることはなく、揺るぎない信念にまでなっています。
まだ休みは正式には決まっていませんが、自分の中では休み&出発日を決めて、会社の同僚には「この週、夏休みでいない予定なのでヨロシク!」と勝手に宣言しておりますので、今後余程のことがなければ夏休みが始まる前の7月の第3週に出発できると思います。
出発予定日を決め、とりあえずホテルの予約もすべて完了しました。
本日は、旅行準備第2弾として、旅行の概略をご紹介しようと思います。

・フェリーについて
 フェリーについては、予約が出発の2か月前(つまり5月)なのでまだ迷っています。
寄り道をせずにまっすぐに北海道に行くことは決めており、往復とも大洗または仙台から苫小牧へ行くフェリーを利用することは決めているのですが、「どっちのフェリーを使うか?」については、まだ悩んでいます。
家から近く短い運転で済むのは大洗発なのですが、仙台発のフェリーの「特割」という運賃を使えば、仙台までのガソリン代&高速代を考慮しても、仙台経由で行く方が大洗発より1万円近く安く行けるからです。(最安値の2人部屋利用。大洗発は身障者割引を利用)翌日の苫小牧着も11:00と仙台経由の方が2時間以上も早く、早速最初の日からの観光も仙台経由の方が便利ですし…
でも、我が家から仙台までは東北道で5時間のドライブ。前回の仙台ドライブの経験からすると、昔はこの仙台までのドライブは全く苦にはならなかったものの、病気になった現在ではこの5時間の運転で結構疲れ果てたことを思い出しますので、翌日からの観光を考えると、やっぱり2時間のドライブで港まで行ける大洗発の方がいいかなぁ~!? とも考え、結論が出ません。
なので5月の発売開始までもう少し悩むことにしています。それまでの貯金が予定通り順調に進めばちょっと高くても大洗にするし、資金が思うように貯まらない場合などはちょっと疲れても仙台経由で行こうと思います。
「ちゃんとフェリーが取れるかどうか」もまだわからないので、これ以上悩んでも仕方がないので…

・行こうと思っている街・観光地
病気になる前、5年前の北海道ドライブは釧路空港IN/OUTで道東を満喫したのですが、今回は苫小牧がIN/OUTになるので、道央と道南を回ろうと計画を立てました。現在、行こうと思っている街・観光地とその思い入れをご紹介しようと思います。
1回ですべてをご紹介できないので、取りあえず今回は前篇「旭川周辺編」です。

・富良野
前にも書きましたが、今回のハイライトは「富良野にラベンダーを見に行く」です。7月はホテルも満員になり、道路も「ラベンダー渋滞」を引き起こすほどのようですが、混むのは仕方がないので覚悟を決めて富良野のホテルを予約しました。
富良野に泊まっていれば、「朝、朝食前に混まないラベンダー畑を見に行けばいい」というアドバイスに素直に従い、半年も先の話ですがこの日だけは早起きする決意を固めました。
でも、ラベンダー以外の富良野の観光地には、あまり食指が動きません。ガイドブックにはさまざまな見どころが紹介されているものの、殆どが”北の国からゆかりの地”。この大人気TVを全く見ていなかった私には、行く気が殆ど起こらないのです。
なので、富良野には1泊はするものの、思ったより早くこの地を離れることになるかも知れません。

・美瑛
「北海道フリーク」を自称している私には、意外にも未訪の地です。
理由は、以下の3つだと思っています。
初めて北海道に行った頃には、まだ観光地としてマイナーだった。
一番行っていた大学生時代はいつも冬で、「冬の美瑛」には何となく行きそびれた。
しょっちゅう北海道に行っていた添乗員時代にも、まだメジャーな観光コースには組み込まれていなかった。などの理由からです。
でも、物心ついた頃に初めて車(ドライブ)に憧れたのは、同世代の方にはわかっていただけると思いますが、あの「ケンとメリー」のCMですので、ケンメリのCMで見たあの美瑛の風景は強烈です。
今年、美瑛への想いを強くするためにも、我が家の寝室のカレンダーは写真家の撮った「美瑛の四季」を使っています。
毎朝美瑛の美しい風景を見て、自分で自分を「マインドコントロール」しています。

・旭岳温泉
ここも「未訪の地」の一つです。「大雪山の風景を満喫したい」となるとここがベターと考えたからです。旭岳温泉には先日ソチ五輪で銀メダルを取ったスノボ選手の実家のホテルがあるようで先日マスコミを騒がせましたが、私が予約した旅館は残念ながら別の旅館でした。選んだ理由はいつも通り「大浴場の手すり」ですので、話題になった旅館の手すり状況は判らないものの、よく調べて予約したのですから、変更するつもりはありません。
肝心な旭岳ですが、2900円も払って乗るロープウエイにはそれなりに期待しています。ロープウエイ終点の周囲には所要約1時間のハイキングコースがあるようですのですが、私の足でハイキングできるかどうか不明だったため、地元の東川町の観光協会にメールで問い合わせしてみました。丁寧な返事をいただきましたが、結論というかアドバイスは、「一周は辛いかも。行けるところまで行って引き返せ」とのアドバイスでした。
でもカナダ・アラスカ以来久し振りに見られる「森林限界線」に大自然のドラマを感じてしまう私。いまからこのロープウエイから見る雄大な大自然のロマンに思いを馳せています。

・旭川
昔の旭川駅と言えば、24時間開いている駅の待合室があり、夜行急行全盛の北海道旅行では、(夏も冬も)必ず3回以上はこの広い待合室で仮眠を取らせてもらことが我々貧乏旅行者の定番でした。
この旭川駅。初めての北海道旅行をした1977年には、初めてスリにあったりぼったくりに逢ったり(とても書けないことも)いくつか経験し、初めての北海道旅行の一番忘れられない場所になったのですが、でも悪いイメージではなく「青春の甘酸っぱい想い出」がたくさんたくさん残っています。
最後に旭川に行ったのは2007年だったかな? 仕事で旭川にセミナーに行き、数十年振りにあの懐かしい旭川駅に降りましたが、あの決して忘れることはない待合室の面影はなく、「時代は変わったなぁ~」と感慨に浸ったことが思い出です。
当時、旭川にいた会社の同期と旭川の繁華街で痛飲したことを思い出します。最後に食べた〆の旭川ラーメンも旨かったなぁ~!
時間があれば、初めてのチーフ添乗員として1泊した最初の地「層雲峡」にも行ってみたいと思っています。これは自分で見たいというより妻に見せてあげたいためです。
でも、今回旭川のメインはありきたりですが「旭山動物園」です。2007年に行った時は4月で動物園が冬⇒夏の衣替え中の長期休業中だったため、折角行ったのに見られませんでしたので…(勿論、仕事で行っているので文句は言えません。)

以上、続きの「道南編」は後日掲載いたします。


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4台目のスマホ活用中! [雑感]


おはようございます。
今日は機種変をしてからそろそろ1か月になる新しいスマホの感想とその活用具合について報告をしたいと思います。

病気になる前、iphone発売で日本中が大騒ぎしていた(確か)2008年iphone発売日数日後に、何となくフラっと入ったソフトバンクショップに「在庫僅か(あり)」という言葉に釣られて「2台目の携帯」として契約したiphoneから数えて、昨年暮れ電池持ちの悪さに遂に我慢の限界を超えてdocomoショップに開店と同時に飛び込んで機種変をしたのがもう4台目のスマホになりますので、スマホにも何とか慣れてすっかり使いこなせて&活用できています。(本当かなぁ?)
今回のスマホ、シャープAQUOSフォンの感想を一言でいえば、「変えて大正解! やっぱり日本製はいいなぁ~! 日本に生まれてよかった!」と個人的には大絶賛です。(あくまで個人の感想です。決して外国を批判するつもりはありません…)

勿論、前の機種との単純な比較だけではなく、この機種変を機会に新しく機能を使い始めて「これはいい!」と感動した機能もありますので、全てが機種のせいだけとは申し上げませんが、それにしてもこの満足度はかなり高いレベルです
非常に個人的なことだらけではありますが、満足していることなどをご紹介します。

◇良かったこと
1、電池持ちがいい
 12月まで持っていたスマホでは、朝満タンにしてから出勤し、夕方会社でまた充電しないと(特に飲み会などで夜遅くなるときなどは)帰宅前に充電がゼロになってしまうというちょっと考えられないような惨状でした。片手しか使えない私は通勤定期も携帯のモバイルsuicaに入れて持っていますので、電池が切れたら定期で電車にも乗れないという悲劇が待っていますので、常に充電器を持ち歩いて電池が切れそうになると人目もはばからず満員電車でも充電をするという、人から見ると「超みっともない」姿でした。おまけに、前のスマホ充電口の接触が悪く、油断していると全然充電されていないこともあったので、大慌てしたことは2度や3度ではありませんでした。
なので今度の携帯を選ぶ最大のポイントは「電池持ち」でした。「電池持ち3日間」という言葉に釣られて契約したこのAQUOSフォンですが、私の使い方では3日は兎も角丸二日は十分に持ちますので、あれだけお世話になった充電器を毎日持ち運びする必要は無くなりました。
満タンにして自宅を出ると、少なくとも翌日の夕方までに充電が必要になることはほぼありません。恐らく自宅に帰るまでも十分に電池は持つのですが、残りが20%ぐらいになると万一を考えて念のため充電をしておく… という感じでしょうか。
ただ、唯一の不満を言うと充電が遅いことでしょうか… 電池が減るのも遅いのですが、満タンになるまでの時間も、また遅いのです。それだけ、「電池が大容量」なので仕方がないのでしょう…
本当にこれだけでも、機種変をした価値は十二分にありました。

2、カメラがいい
 前のスマホもカメラは高性能だったのですが、今回のカメラの性能は1年半の時代の進歩かもしれませんが、全てにおいて上を行きます。画面が今までの中で一番綺麗でピントが高性能なことと、個人的に何より嬉しかったのは、画面をタッチするとシャッターが切れるタッチシャッターが付いていることです。(前々スマホのxperiaにもついていましたが)これでスマホでも片手の撮影が十分にできます。
「半年前にこのスマホを持っていたら、デジカメ買わなかったなぁ~!」とさえ真剣に思っています。

なお、この機会にスマホ⇒PCのデータ受け渡しをスムーズにしたいと、各社提供のクラウドサービスを勉強しました。
今では、以下のクラウドを経由して写真をやり取りできるようになっており、スマホ(&デジカメ)とPCを有線のコードで接続せずに写真の受け渡しが出来るようになっています。
そのサービスを提供してくれている会社は、CANON、DOCOMO、MICROSOFT、GOOGLE、SONY の各社。それぞれの会社でクラウド保管容量が「数GB単位で無料」と昔では考えられないサービスです。どの会社のサービスを使い続けようかまだ決めてはいませんが、現状私的に高評価なのは
・フォトコレクション=DOCOMOのソフト と
・GOOGLE+ を自分の写真のやり取りだけに利用
あたりが一番使いやすそうです。

3、画面がきれい
 AQUOSフォンと名付けられるぐらいですから、画面もきれいです。電池持ちを更によくするために、「エコ技」と呼ばれる画面を少し抑える機能を愛用していますが、それでも見やすい画面は今までの中で一番きれいに感じます。

その他、docomoのwi-fiの進化で駅やコンビニなどに入ると自動的にwi-fiモードになり通信が早くなるなどの進歩は本当に感動的です。

でも、不満もないわけでもありません。不満というかちょっと残念なことは

・Bluetoothでの音楽との接続
 こればかりは、前機種の韓国製に軍配が上がります。どういうことかと言うと、今のスマホでBluetoothで音楽を聴いている(車のオーディオに接続)と本当に時折、プツっと音楽が途切れる瞬間があるのです。今までは全く気にならなかったのですが、「あぁ、やっぱり無線接続だからなぁ」と無線接続であることが急に感じられてしまうからなのです。こればかりは以前のスマホでは全く感じられない欠点でした。
仕方がないので、スマホの全音楽をメモリーカードにダビングして、車に入れることにしました。

・カーナビとの接続
 前機種でも「適合せず」で諦めていたカーナビとの連携(地図の自動更新など)ですが、「機種変をしたら出来るようになるのでは?」と淡い期待を持っていました。機種変後に早速色々とトライしてみましたが、Bluetoothなどで運転中の電話などは問題なくできるものの、肝心な地図の自動更新はやはりこちらも「適用外」で使えませんでした。これだけは本当に残念です!

ところで、最近ハマっているスマホのアプリを2つご紹介します。

・Navicon(スマホとカーナビをつなぐアプリ)
「スマホの情報をカーナビにつなぐ」用途では最も便利なアプリです。高速な地図ソフトで全国を素早く「検索」できて、「ナビに送る」をクリックすると、Bluetoothでつながるナビなら即座に目的地を車のナビが表示してくれます。
この手のアプリ、いくつか試しましたがダントツで優秀です。
また、連携アプリが続々と増えているのも凄い! 例えば(連携サイトの)グルメサイトやガソリン(給油)サイトで行先の店を探し、「NAVICONに送信」をクリックするとnaviconを経由した情報があっという間に車のカーナビに送られます。
接続できるカーナビは限られているのでしょうが、持っている方なら絶対にイチオシです!!

・SmartNews(本当にニュースがすぐ読める)
通勤中に愛用しているニュースアプリです。今までのアプリはクリックしてから記事が表示されるまで(特に電車の中だと)数十秒以上かかることがあったのですが、このアプリだけは「すぐ読む」をクリックするとウソみたいに瞬時に記事が表示されます。
このアプリのお陰で、本当に通勤時間が短く感じられるようになりました。

その他には、大変遅ればせながら昨日初めてLINEをインストールしてみました。まだ使い方はあまりよく分かっていないのですが、早速複数の知人からメールが届きました。
時代に取り残されないように、少しづつ勉強して追いつこうと思います!


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