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4年振りに靴屋さんへ [闘病関連トピックス]


先週、ノルマにしている日曜日の投稿をサボってしまいました…
理由は弁解しようと思えばいくつかはあるのですが、結局自分が悪いことには変わりはありません。大いに反省して、少なくとも今週からは定期的にブログを更新しなければいけませんね。何せ目的は「趣味」ではなく「リハビリ」なのですから…
リハビリは続けなければ意味がありませんので…

ところで、麻痺側の右足が痛いのはもう何度も書いている通りです。相変わらずの足の痛みは一進一退を繰り返しています。先週も徐々に痛くなって、木曜日は遂に会社からの帰宅途中にあまりの痛さに歩けなくなてしまい、遂には諦めてタクシーで帰宅するという、みっともないというか勿体ない状況になってしまいましたが、翌日には何とか復活して少しづつならば歩けるようにはなりました。
痛さの原因は(何度も書いていますが)「よくわからない」というのが現状です。麻痺により右足の神経が恥ずかしながら超鈍感になってしまっているため、「どこがどう痛いの?」という医者の質問に正確に答えられず、「とにかく右足が痛いんです!」 これではお医者さんも直しようがないですよね…
全く恥ずかしいというかもどかしく悔しい限りです。

そんな惨状ですが、「自分でどこが痛いのかは、お医者さんに捜してもらうのではなく、自分で特定しなければ!」という気持ちが強くなり、毎日暇があれば「痛そうなところ」を探す日々を送っています。痛いことは痛いのですが、「装具を履いて&靴を履いている」時にのみに痛さを感じるのです。つまり靴を履いていない自宅で過ごしているときは痛さを感じないのに、外出しようとして靴を履いて一歩踏み出すと、いつものように右足に痛みを感じるのです。
「じゃぁ、靴なんか履かなければいいじゃん…!?」とは私も思うのですが、ここはアフリカではありませんので靴を履かないで通勤することはさすがにできません。勿論、私の場合はアフリカとは違って裸足ではなく右足には装具を付けているので… 装具で靴を履かないという状態で電車に乗ったりすれば、周囲の方から好奇の目で見られることは間違いありません。
ということでいくら痛いからとは言っても、靴なしで生活することは出来なそうです。「だったら外に出なけれりゃいいじゃん」ですが、会社に行けないと貧乏な我が家はたちまち破産状態に陥ってしまうでしょうし、自動車での通勤は会社では認められていない上に、朝晩は通勤ラッシュで片道2時間以上はかかるでしょうし、会社近くはサンシャイン60近くの繁華街ですので、駐車場は1日数千円かかるでしょうから車での通勤には現実味がありません。
「靴が合わないから痛い」というのも現実的な解決法だと思い、オーダー靴も真剣に検討はしてみましたが、どうもオーダー靴は8万円程度はかかるらしく、たとえ8万円でも「これにすれば絶対に痛くなくなる」という確証があれば投資することは全くやぶさかではありませんが、今の私の現状では「絶対治る」と断言できない以上、ギャンブルになる8万円投資にはなかなか踏み出せないのが現状です。
(ご紹介いただいた方。申し訳ございません。)

そうなると次の選択肢は、「装具を外す」ことしかありません。でも、脳卒中で右半身麻痺になって以来、立ち上がるのも歩くのもすべて「装具付」が大前提だった私なので、装具なしで歩く練習をするのはかなりの困難を伴いそうな気がしますが、現実的に「装具を履いて靴を履くと」足が痛いので、靴なしで生活ができない以上、装具を外す方向を模索するしかないのかもしれません。

装具については、実は退院半年後にも装具なしで過ごす練習を始めたことがあったのですが、元々私は麻痺足の拘縮(というか緊張)の度合いが他の患者の皆様よりもかなり強いらしく、「装具を外して歩く練習を始めた。」と言うと当時の主治医もリハビリを見てくれていた理学療法士も、「止めた方がいい。 危ない。」の連呼でした。
医者からは「装具を付けて過ごすデメリットはそんなに多くなくメリットの方が大きいのだから、(一生)ずっと装具を付けて過ごすことでもいいのでは?」という提案を受け、確かに「普通の生活に戻る」ことが当時の最大のテーマであったため、とりあえず「装具を付けていても普通の生活はできる」訳ですから、装具を外すことは後回しにして、それ以外の回復を優先することにしたのです。
ですから、今までは「装具を外す。」ことは回復の大きなステップには据えていなかったのですが、今回の「足が痛い状況を脱出する。」ためには、真剣に「装具を外す」ことにチャレンジする必要がありそうです。

ということで、実は先週から「家の中では一切装具を付けない。」練習を始めてみました。今までは装具を外すのは、ソファーで寛いでTVを見る時と風呂に入る時&夜寝る時だけでした。夜中に目が覚めてトイレに行くときも装具を付けてからトイレに行ったものですが、先週からは家に帰ると服を着換える時に同時に装具を外して、翌日会社に出かける直前に装具を付ける生活に切り替えてみました。
勿論、いきなり装具を外してたとえ家の中の短い距離を歩くのも決して簡単ではありません。最初は恐る恐るゆっくりと周囲につかまりながらの歩行です。勿論たったこれだけの距離(狭い我が家です)とは言え、装具なしで歩いていると時には転倒しそうになったりしますが、「練習、練習」と心に言い聞かせて鍛錬に励みます。
状況は4年前の入院当時ようやく杖で一歩一歩歩けるようになった時と同じ状況なのかもしれません。間もなく4年での装具なし歩行練習は、ちょっと遅かったけれど、ようやく(足の痛さのお陰で)次のステップに立てたのかもしれませんね!?

私が立てた目標は
1、まず、家の中では装具を卒業する生活を送る
2、次には、外の短い距離から歩行練習
3、会社では装具を外し、靴を履き替えて過ごす

取りあえず、第3ステップまではこのように決めました。本当は次に4で「装具から卒業!」と宣言したいところなのですが、「やっぱり長時間の歩行で装具なしは辛い」と言われていますので、とりあえずステップ3までを1年間程度かけて目指すことにしたのです

とりあえず1の生活をまだ1週間ですが続けることが出来ました。でも無理は禁物、1の訓練をとりあえず3か月は続けるつもりではいるのですが、常に気が早いというかモノを揃えて準備をすることでモチベーションを上げる私は、2の準備で靴を買うことにして、昨日4年振りに自分の靴を買いに靴屋さんに行きました!!

装具を付けていると、普通の靴屋さんで売っている普通の靴を履くことは出来ません。なのでショッピングセンターに行っても唯一靴屋さんだけは「私には縁のないお店」ということで敬遠して入れないお店でした。
というわけで4年振りに「ABCマート」に入ることが出来ました。これも1つの「復活」ですね。

とりあえず2の外の訓練用の靴を見定めます。装具を付けなければ私の足は27センチなので、何とか既製品があるギリギリのサイズです。訓練用の靴なので、スニーカーが欲しい気持ちもあるのですが、片手の私は靴ひもが結べないため、簡単に履けるズック型の靴かマジックテープ型の靴でないとダメなのです。
散々悩み、実際に(右足の)装具を外して試着してみました。ずっと忘れていた靴屋さんでの楽しい瞬間です!!

30分ぐらい悩んだ結果、ズック型の会社でも履けそうな靴を選び4年振りに靴屋さんで靴を買うことが出来ました。
レジで支払いの時、「ポイントカードありますか?」と聞かれ、「そういえば、4年前、靴と一緒に泣く泣くポイントカードも捨てたっけ!?」と走馬灯のような記憶が蘇りましたが、「ありません」と答える前に妻がすかさず自分のポイントカードを差し出していました。
次の復活は自分のポイントカードを再び作る時なのかもしれませんね!?

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足の痛み&介護用の靴について [闘病関連トピックス]


昨年2月末に行った神戸・淡路島の旅行の時にはじめて麻痺の右足の痛みを感じ始めてから、遂に1年が経過してしまいました。
1年の間、何度もいろいろな病院に行き、さまざまな方に助力をお願いしましたが、「ちょっとよくなった」と思ってぬか喜びしても、しばらく(長い時でも10日間ぐらい)すると「また再発に悩まされる…」という一進一退の状況を続けています。

症状は殆ど変わらず、特に痛いのが「歩き始め」で、靴を履いて歩きだした最初の数分間で痛みがいきなりピークに達します。朝、通勤の時は家を出てエレベーターを降りてマンションの出口を出た直後に痛みはMAXとなり、痛すぎていきなり立ち止まってしまいます。「今日はついに会社に行けないかも…」と思って立ち止まりますが、数十秒立ち止まると痛みは少しづつ引き、何とか歩き出せます。
2分程度歩くと痛みはかなり引いてきて、そのまま調子良く駅まで行けるのですが、列車に乗ってまたずっと立っている⇒歩き出しが痛い⇒少し歩くと痛みが引く… これの繰り返しで何とか会社までたどり着いています。
(みっともないのですが)デスクワークでの仕事中は常時靴を脱ぎ、装具も外しています。時折お客様が来たりする時は突然立てないので醜態を晒してしまいますが、もうそんな醜態にもすっかり慣れてしまいました。(自分だけ??)
周囲のみんなは軽蔑の眼で見ているのでしょうが、普段の生活でメンツを気にすることは、残念ながらできません。

昼飯に行くときは、歩き出してみてその時々の調子により行き先を判断します。
「うん。今日は調子いいぞぉ!」というときは散歩&リハビリを兼ねて片道15分強の散歩で大塚駅まで行きます。大塚までは往路は下り坂なので楽なのですが、復路は上り坂になり、昼食後の良い腹ごなしの運動になります。
特に調子が良くも悪くもなく、いわゆる「普通」の時は会社から徒歩5分強の高層ビル「サンシャイン60」のレストラン街へ。と言っても高層階のレストランに行けるはずはなく、行くのは地下の格安チェーン店で、丸亀製麺やてんや、リンガーハットなどです。
そして、「あれ!? 今日はいつもより足が痛い…」という時には、歩くことを最小限に抑えるために、会社のあるビルの横と裏にある3軒のコンビニのどれかに行き、菓子パンかおにぎりを買って会社の休憩室で食べることにしています。去年の夏ごろには足が痛いのがほぼ毎日続き、毎日会社に最も近いセブンイレブンのパンの昼食がほぼ2か月ずっと続いたため、セブンのパンにもすっかり飽きてしまいました。

諦めずに原因追及は続けています。相談している何人かのドクターからはほぼ「ギブアップ」的なことを言われているのですが、諦めずにいろいろな方に相談&良いと考えられることを何でも試しています。
元はと言えば、痛いのが麻痺の右足であるため、「足が何となく痛い」感覚はあっても、正確に「足のこのあたりがこのように痛い」と自分で明快に言い当てられないことに最大の原因があることは間違いない=自分が悪い のですから、人を恨むことができるはずもありません。なので、「痛い」という病状に少しでも関係ありそうな対策は何でも取るようにしています。

今までもいろいろと対策を講じていて、効果の出ているものも確かにあるのです。
例えば装具の足の面にテープを貼ってほんの少し当たる角度を変えたら、一時的には良くなったこともありました。
別の時には同じ装具士さんから「足の裏にタコがあるね!? もしかしたら痛いのはこのせいじゃない!?」と言われたので、そのタコを取るために皮膚科に行き、やはり一時は痛みが少し引いた… ということもありました。
どうも私の足の痛さは単一の要因が原因なのではなく、複数の要因が複雑に絡み合っていて痛いのではないか?? と思わざるを得ないのです。
であれば、その原因を一つ一つ潰していく以外には方法はないので、めげずに自分の足と向き合っていく決意を固めています。
「足にいいこと」と思えれば何でも試してみたいと思っています。

対策の一環として、現在「靴」に興味を持っています。理由は(靴を履いていない)家の中では足があまり痛くないのに、靴を履いて家を出ると途端に「足に痛みを感じる」からです。つまり、「家で痛くない足が急に痛くなるのは、靴の影響もあるに違いない!!」 という素人考えからです。でも、少なくとも足を見る限り特に悪く当たっている痛そうなところもなさそうですが、ちょっと工夫をするだけで痛さから解放されるという経験は、先日の装具などでも経験済です。
でも、具体的にはどうしたらいいのかわからないので、「靴、変えてみようか?」と思うようになりました。

右足に装具を付けている私は、右足と左足が同じサイズの靴を履くことができません。入院中、装具用の靴を紹介されたのでその靴を病院に出入りの業者さんから購入、仕事に復帰するにあたっては、スーツやジャケットの下にスニーカーや布製の靴を履くわけにはいきませんので、右足と左足のサイズ違いで購入できるビジネス用に何とか見られる靴をずっと履いていました。

当時~今に至るまでまでずっと履いているのは、ムーンスター社の「Vステップ」という靴で、退院以来3年間すべての靴はこの製品で、もう何足目かになります。
幸いなことに介護靴専門店以外でも楽天あたりでも売っていて、片足ずつでも買えますので、都度安いお店を探したり楽天のポイントで買ったりしていました。
私の左足のサイズ(つまり通常の靴のサイズ)は27センチですが、右側は装具をつけているので1センチ大きい28センチのものを買っています。もともと足のスタイルも決して良いとは言えない私の右足は、装具を付けるとさらに幅広になるのですが、このVステップは足を止める部分を伸ばすことができるので、履くことが出来ています。
なので、このVステップには感謝こそしており悪く言うつもりは全くないのですが、「藁をもすがりたい」気持ちの私は、別の靴にちょっと「浮気したい」気になったのです。

ネットで「介護靴」で検索するとたくさんのお店と製品は出てくるのですが、やっぱり実際に履いてみて「これは履きやすい!」と思える靴でなければ、わざわざ浮気する意味がありません。なので「どっかに試せるお店はないかしら?」とあれこれ探してみて、ようやく五反田に一件「すべてのサイズの介護靴が試せる」という会社を発見しましたが、平日日中のみの「完全予約制」のお店なので、会社が終わってから&週末に行くことは出来ないようです。

でも「新しい靴にしたら、足の痛みが劇的に良くなる」ことの憧れから意を決して予約し、先週の金曜日に会社を休んで午前中に五反田のお店に行きました。
以前隣駅の大崎に勤務していた私にとって、徒歩圏内の五反田は懐かしい街の一つです。ビル&チェーン店しかない大崎に比べると、駅前にいろんなお店のある五反田には魅力的なお店も多く、昼食にも夜の宴席にも頻繁に出没させてもらっていました。
「完全予約」のショールームは普通のオフィスビルの4階にあり、看板も出ていません。このお店を調べる時、「そういえば以前五反田のネットショップに杖の専門店があり、杖を買ったなぁ~」ということを思い出したので、調べてみたら同じ会社でした。つまり複数のネット「専門店」を運営している会社のようです。

普通のオフィスのような受付でチャイムを鳴らし、普通のオフィスのような待合室で待たされ、普通にオフィスで仕事している人の横を通って会議室のような部屋に案内されます。
「あれ? 靴、思ったより少ないぞぉ…」とは思いましたが、担当してくれた方のおススメによりいくつかの靴を履いてみますが…
でも、残念ながら28センチはあっても(装具のせいで)幅が広い私が履けるサイズの靴は一足もなく、たった30分でお店を出るしかありませんでした!

ショックでした。折角休みを取って半日かけてきたのに… 合う靴がないなんて…

やっぱり今まで履き続けているVステップは偉大なのですね!!

でも、靴についてはもう少し研究したいと思います。


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足の痛みについて(360円の奇跡) [闘病関連トピックス]


おはようございます。
さて、今年春から苦しめられていた謎の足の痛みについて、ようやく少しずつ解決に向かってきているような気がしますので、今日はそのリポートを投稿します。
残念ながらまだ「すっきりと解決しました!」とは言い切れないし、再発の恐怖は常に襲ってきてはいるのですが、快方に向かってからそろそろ3週間経つので、再発の可能性はもう極めて少ないと信じたいためです。
この話題での記事は、願わくば最後にしたいものです。

最初に足の痛みに気付いたのは、忘れもしない2月28日。会社を休んで神戸に住んでいる娘のアパートを訪ねる旅行に行った日のことです。往路の東京⇒新神戸の新幹線のぞみのN700系に乗っていて、初めて何故か装具を付けている右の麻痺足が感じたことのない痛みを感じて、新幹線の中でみっともなくも装具を外した瞬間が、この半年にわたる痛みとの戦いの第一ラウンドでした。
まだそのころは「すごく痛い」という感じではなく、旅行の行動に差し障るほどの状況ではなかったのですが、3日間の楽しい旅行を終えて帰りの新幹線に乗ったころは、感じたことがない痛みを麻痺足に感じていました。その時は「旅行疲れだろう」と思っていましたが、帰りの新幹線でも装具を外し、満席の車内でそれなりに格好悪かったことを覚えています。

その後症状は徐々に悪化を始めます。朝は何でもない状態なのに、夕方一日の仕事を終えて夜自宅に戻るときに足が痛くなるのですが、風呂に入って夜寝るとまた翌日の朝には調子が元に戻る… そんな毎日の繰り返しです。
1日の中でも徐々に悪くなる流れでしたが、この状況は1週間スパンでみても同じような状況でした。
土日はゆっくり休んで休養十分の月曜日には「もう治ったかも?」と思えるくらい調子が良いのですが、帰り道から徐々に足の痛みを感じて、火曜~金曜と徐々にその痛みは増し続け、金曜日の帰り道では家に帰る途中にあまりの痛さに歩けなくなって立ち止まってしまう瞬間もあったくらいです。
でも、週末ゆっくり休むと月曜の朝にはまた元気になるのです。

勿論、症状が出てすぐに主治医にも相談をしました。リハビリセンターの主治医は痛む足を仔細に見るけど「うぅ~ん。」と首を傾けるばかりです。
装具が足に当たっている状況をチェックして、「足には当たってないし… とりあえずおとなしく休養するのが一番!」という診断です。
脳卒中の専門家と思って私は全面的に信頼はしているものの、リハビリセンターで掛かっている主治医の専門は「神経内科」。足の痛みについては正直あまり詳しくはないのかもしれません。
(毎週、リハビリに来てくれている理学療法士さんにも装具はチェックいただいており、装具による痛みでないことは早々に確認済みです。)

「どこがどう痛いの?」とよく聞かれるのですが、恥ずかしながら自分でもちゃんと説明ができないところがきわめてもどかしいところなのです。この感じは元気な頃には絶対にわからなかった感覚なのですが… 痛むのが麻痺側の右足なので、神経が麻痺していて「痛い」という感覚はあっても、「この場所がこういう風に痛い」と言えるような繊細な神経がズタズタになっていて、言えないところが本当に我乍ら極めて情けないところなのです。
でも非常に鈍感な私の右足でも「足の先の外側が痛い。」ということは何となく判っていて、足のこの部分にはウオノメというかかなり固くなっていて、周囲の方も「ここが元凶」という状況は何となく判るようです。

でも症状は徐々に悪化し、痛みも徐々にですが悪化の一途をたどってゆきます。リハビリセンターでも有効な治療法は提案されないし、リハビリの理学療法士さんに所属の整形外科にかかることも打診してみますが、色よい返事はいただけません。

それでも結構痛くなり、仕事中トイレに行くのも辛い時があるくらいの状況になったので、藁をもすがる気持ちで「カイロプラクティック」(以下カイロと略)に通ったこともありました。
ある日あまりに痛いのでネットで「足の裏 痛み」で検索してみました。当然さまざまなサイトがあるので、しばし仕事をさぼって各種サイトを眺めていたのですが、その中に「カイロで良くなった」というサイトがあり、興味を引いたためです。
おぼろげな知識はあったのですが、この機会にカイロについて少々勉強してみました。カイロは日本では医療行為として認められてはいない(=健康保険の対象外)ようなのですが、外国では医療保険の対象になっている国も多いのだそうです。
通常の治療のように痛むところを治療する「直接療法」ではなく体幹(首・背骨など)のズレなどを補正する「間接療法」なので、即効性はないようですが徐々に体の根本を解決する治療法で、ファンも多いのだそうです。調べたら、カイロの専門院は意外に多く、会社近くにもあったので「藁をもすがる」気持ちで門を叩いてみました。

訪ねたのは大塚駅近くのマンションの1室でたった一人で開業しているカイロ専門院です。まだ若い院長は詳しい状況をヒアリングし、行った治療は毎回「ほんの一瞬の治療」で、腰骨のずれを矯正するだけです。でも治療はすぐに終わりというわけではなく、効果を体にちゃんと効かせるために治療後は20分以上ベッドで寝ていることを要求されて、しばしまどろんだ後に終了となります。。
この治療、結局4回通いました。でも残念ながら好転せず後述の慶応病院で原因を指摘していただいたので通うのを止めてしまいましたが、正直そこまでの悪印象はありません。私には効きませんでしたが、「これで治る人もいるんだろうなぁ…」と何となく思わせてくれる信憑性がある(ような気がする)治療でした。院長も真面目で信頼できそうな人でしたし… 
「おすすめ」できる状況では全くありませんが、全く別な症状が出た時には、「もう1回掛かってみてもいいかな…」とは何となく思っています。
治療費は1回6000円で、勿論保険は効かず全額自腹です。確かに治療費を考えると簡単には手を出せない治療ではありますが…

GW中にも休養を十分に取ったにもかかわらず、結局働き始めるとまた元通りになってしまいます。5月にようやく数か月振りに慶応病院のリハビリ科にかかり、名医F先生に窮状を訴えます。さすがリハビリの専門家の先生は見てすぐに「右足の緊張が強いね。緊張を落としてあげると良くなるよ。ブロック注射かボトックス注射をしましょう。」ズバリ言い当てていただき各々のメリットデメリットの説明を丁寧にしていただき、ブロック注射を選択します。

ブロック注射、最初は効きました! 注射後1時間で足は軽くなり、自宅に帰る頃には「もう治った!」と信じて疑いませんでしたので…
でも、2週間後には痛みが再燃します。。ある日の飲み会からの帰り、以前にも増して痛みが襲い、翌日からはもう2週間前と同じ状況です。
1か月後に改めて慶応病院に行き再発を訴え、今度はボトックス注射を打っていただくようお願いします。
「ボトックスには即効性はないので、2週間後ぐらいで徐々に効いてきますよ。」と注射後に言われたものの、今度は2週間たっても良くなりません。
結局手と違って、足のボトックスは効きませんでした。保険適用でも5万円も払った超高額注射ですが、効果はゼロだったようです。
その後「一度は(2週間)効いたので、もう1回ブロック注射をやってみましょう」と、もう1回ブロック注射を選択したものの、今度の効果は2週間どころか2時間… 家に着くころには、痛みがすっかり再発していました。

この頃になると痛みは結構大きくなりました。痛みは朝から始まり、会社を出るころには一歩も歩けなくなるような激痛に襲われ、家に帰る時間も普段の倍はかかる時もありました。
毎週のリハビリの最後に必ず家の周囲の同じ道を歩いて、時間(と歩数)を計っているのですが、その時間の推移を報告すると

2011年4月(リハビリ開始当時) 17分
2012年4月頃  15分
2013年2月(痛くなる前) 最速12分台
2013年8月 18分以上

と、完全に逆戻りです。これでもリハビリはいつも朝なのでまだ状況の良い時の数値なのですが、もし夜(会社帰り)に計ったら間違いなく20分は超えているでしょう。
「このままでは本当にいつかは歩けなくなってしまうかも…」と真剣に危惧するぐらいの状況が続きました。

「こうなったら、可能性のある治療なら何でもやってみよう!」と決意を固め、最初に「関係ないとは思うけれど、装具を見てもらおう…」と決めて、9月の金曜日に会社を休んでリハビリセンターの「補装具外来」を受診してみます。この外来は金曜の午後しかないので、半休ではかかることができず1日休みを取らないと受診できないので、「何でもやってみよう」と思ってもすぐには思いきれなかったのです。
でも結果的にこの「補装具外来」受診が救いの神になりました!!

しかも当日、指摘してくれて効果的な補修をしてくれたのは、医者ではなくリハビリセンターに常駐している「装具の補修担当者」なのですから、世の中は判らないものです!!

当日、医者が「うぅ~ん。」と首をかしげる中、その装具担当者が「ちょっと貸してください」と装具の土踏まずの部分に少しシールを張り、あまり関係なさそうな足のかかとの外側にも1枚シールを貼っただけで、見違えるように痛みが消えたのです。
担当の医師は、「こんなのでいいの?」とばかりに目を白黒させていますが、言われたとおりに歩いてみると確かに痛みは消えています。(その日は金曜日なので、特に痛い日だったのですが…)
結局これ以上何の治療もせず、「とりあえずこれで様子を見ましょう。調子が悪かったら私(装具担当者)はセンターに常駐しているので、今度の診察の時にでも声をかけてください。」と、「これで治ったら今までの苦労は何だったんだ!?」的な呆気ないほどのハッピーエンドです。
それ以降、痛みは徐々に引いてゆき、翌日からの仙台行で半分は諦めていた温泉への入浴も果たすことができたのです!!

それから3週間。慶応病院のブロック注射の「2週間の壁」は無事に突破して、昨日のリハビリでは久し振りに15分台にまで戻すことができました。

医者以外の方にこんなに効果的な修正をしていただいて、感謝感激です!
足裏部分にたった3枚のシートを貼っただけなのに…
(白いシート2つと白いシートの上に貼った丸いシートの計3枚)
20130929_064312.jpg 
たったこれだけで数人の医者が解決できなかった私の半年間の悩みが解決できるなんて…
様々な治療に8万円以上投資しましたが、たった360円で解決してしまうなんて…

人間の体って本当に不思議なものですね!?


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不可解な介護保険等級判定 [闘病関連トピックス]



おはようございます。
今日も報告することがいくつかあるので、順番に報告させていただきます。

1、パソコンが売れました!

 先週、前の「Windows7のパソコンを売りたい」という記事を書きましたが、先週末にいろいろと努力した結果、予想よりも高く売れましたのでご報告します。

 先週土曜日、パソコンを売ろうと決心し、土曜日の午後は終日データの消去とパソコンの初期化に奮闘していました。ネットバンキングのデータなど、万一データが漏えいした場合は本当ににシャレにならないとは考えていたのですが、最近のパソコンには「データ完全消去プログラム」がついているので、まずは手動にてデータを消去後、その「完全消去プログラム」でハードディスク情報を完全に初期化し、その上で今度はデータを初期化して、私だけでも3重の消去をした訳です。この上売ったお店で完全クリーンアップすることを考えれば、「4重の消去」なのでこれならばほぼ安全だと考えました。
もし、「4重の壁」を破られたとしても、データはちょっと見ただけではわからないようになっており、もしそれを見破られたとしてもそこまでの努力をした泥棒さんが手にできる報酬は「たったこれだけ??」という額です。
データ消去が終わった後、妻にも協力してもらって本体・ディスプレイ・キーボード・マウスなどを丁寧に掃除し、少しでも見栄えが良くなり減額が減るように努力します。ネットによると、このような努力は意外と有効らしく、「必ずやった方が良い」というアドバイスでしたが、結果はまさにその通りになりました。

ここまで準備をした上で、ネット上での買取サイト上で「買取査定」にアクセスして「上限価格」をチェックします。引っ越しや自動車保険と同じように「一括査定見積もりサイト」などもあり、早速10社近くから「上限価格」の査定が届きました。査定金額は最高額が62000円で最低額が38000円。どの会社も「宅急便で本体を送付後、正式に査定をします。その後キズなどの状況で「査定上限額」から減額をします。」という案内です。
送ってしまうと、たとえ大幅なマイナスになったとしても「査定内容に不満。送り返してくれ!」というのは手間も時間もかかりかなり面倒です。
でもネット上で一番「減額が少なくって良心的」と評判の高い会社の査定額が最低額の38000円だったので、いくら良心的でもここに頼む気にはなれません。

昔私が唯一パソコンを売ったことがあるのは、中古パソコン業界の最大手(?)のソフマップです。病気になった母親を我が家に引き取る際、母親が使っていたパソコンを置くスペースがないのでゴミに出そうと思っていたのですが、「万一値段がつけばラッキー!」と思い、自宅近くの大宮駅前のソフマップに持ち込んだところ、思いがけず6000円という値段が付き、即決して即売した記憶があったので、今回も査定額によってはソフマップに持ち込んでもいいとは思っていました。
そのソフマップから査定のメールが来たのは日曜の昼。妻と週1回のささやかな贅沢で、ファミレスでの外食を楽しんでいる最中(とはいえ1000円以内のランチですが…)でした。査定額はMAX57000円。最高値ではありませんが、まぁ良い額というイメージです。

休日ですが、仕事の関係で緊急出勤している同僚がいて、面白くない報告も来るので、正直自宅で報告を聞いているのも全く面白くありません。なので頑張ってくれている同僚には大変申し訳ないとは思ったのですが、少しは気晴らしができるかなぁ? と考えて、パソコンを大宮のソフマップに持ち込んでみようと思い、昼食後自宅に戻って大きなデスクトップパソコンの梱包を開始します
大きなディスプレイと本体は、1つのスーツケースには入らず、スーツケース2つにすべての部品を梱包し、自動車で大宮を目指します。
大宮駅近くのコインパーキングに車を停め、妻と2人でスーツケースをガラガラと引っ張って駅前のソフマップを目指します。まるで15年以上ぶりに二人で海外旅行に行くときのような感じではありました。

ソフマップでの査定所要時間は1時間。スタバでコーヒーを飲みながら時間をつぶし、妻とは「5万円以上だったら即決しよう!」と話し合っていましたが、正直ここまで持ってくるのも結構重くて大変だったので、「4万円台でもOKしないと、持ち帰るの重いなぁ~。」とちょっと悩んでいました。

1時間後、ソフマップで言われた査定額は「56000円」。昨晩、きれいに掃除したお陰か、減額はわずか1000円だけとのことで、当然のごとく即決です。
おまけにこの日は「中古の日」とのことで買い取り額が一律3%UPらしく、受け取った現金は¥57680-と、MAX査定額を上回る現金で、大満足のソフマップ行きでした。
因みに、ソフマップポイントで受け取ると5%UP、さらに駐車場の駐車券を見せると500円の補助が出るそうなのですが、コインパーキングには駐車券はなく、この500円の補助金は受け取ることができませんでした。
でも破たん寸前の家計に、この57000円は大きな臨時収入です。帰りに調子に乗って前にも行った「角上魚類」に行って、普段は買えない高級な刺身を買って今晩の晩御飯にしました。
昨日からいろいろと手伝ってもらった妻への感謝のつもりです。

2、不可思議な介護保険の判定

 病気以降、40歳以上の方はみんな保険料を払い続けている「介護保険」で認定を受け、訪問リハビリのサービスを受けています。
介護保険の等級ですが、3年前病気になった当初に認定された等級は「要介護1」。
等級は軽いほうから要支援1・2その上が要介護になり要介護も1~5まで5段階あります。なので最初の認定は軽いほうから3番目のランクになります。

ランクはその後半年~1年で定期的に見直しがありますが、退院後に仕事に完全復帰する前に要介護1⇒要支援2にランクダウンし、その後仕事に完全復帰したころに、何故かまた要介護1に戻りました。
今回、更新の時期を迎えたので、自分の予想では、「要介護1のままということはなさそうなので、要支援2に落ちるかな?」でした。関係者(ケアマネージャーやリハビリの理学療法士)には「要支援1にまで落ちると、今やっている土曜日のリハビリが同じ条件でできなくなります。」と言われていたので、何とか「要支援2でとどまって欲しい」と考えていました。
勿論聞き取り調査(面接)などで嘘を言った覚えはありません。本人も現在受けているサービスが土曜日の訪問リハビリだけで、これを増やすことも減らすことも希望していないので、「現在要介護1だけど、何とか要支援2までの間で留まって欲しい。」と希望をしていました。

今週末、ようやく認定が届き、認定は「要介護2」。何故か病気直後の入院時の認定より上がっています。妻からの第一報を聞き、「間違いだろ? 要支援2だよね?」と思っていましたが、書面を確認すると間違いなく本当に「要介護2」です。

要介護2をネットで見ると、こう書かれています。
「自力では立ち上がりや歩行などが困難であり、食事や排泄、入浴、清潔を保つ、
衣服の着脱など、金銭管理などでも介助か必要になるため、1日に1回は何らかの介護サービスが必要となる人です。」
私は、毎朝満員列車にも乗って会社に行っており、9時から18時まで週5日働いています。週末はリハビリ後は車を運転してドライブを楽しんでいます。
こんな私でも、「要介護2」なのでしょうか??

正直、ショックでした。普通異議申し立ては「介護度が低すぎる。」という異議ですが、私の場合逆の異議申し立てがしたいぐらいです。

ショックではありますが、逆にメリットを受けられることも何にもないようです。リハビリは継続できますが、補助金も受けられることもないし、何も変わらないのだそうです。

今、いろいろと騒がれている介護保険。「要支援の人の自己負担額を2割にする」とか国会で議論されているようですが、「私のような人が要介護2に認定されている。」ことのほうが問題ではないかと思います。

今回の認定は2年間なので、とりあえず2年間は「要介護2」の人になります。2年後の更新の面接で、「こんなバカな判定をされた!」と大笑いすることを次の目標にしたいと思います。


来週は車で妻の実家の仙台へ行き、帰りに仙台の奥座敷「秋保温泉」を満喫し、ささやかな夏休みを楽しむ予定です。
なので来週のブログは休ませていただきます。


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悲願の自動車運転復帰! [闘病関連トピックス]


おはようございます。まだ日曜日の朝5時です。
興奮しているせいか、生活のリズムが狂ってしまっていて、寝ていられません。
もうすぐ53歳になるというのに、いつまでも子供じみていて困ったことです…

興奮している理由と言うのは、昨日予定より早く車が納車されたためです。早速昨日からドライブを楽しみ運転生活に復帰し、今日もドライブを楽しむ予定にしているからです。
3年振りに「運転に復帰」の念願が叶って、充足感と満足感で本当に感動しています。

「予定より早く納車できるかもしれません。」とディーラーの若くて真面目な担当者から連絡が来たのは先週の土日でした。当初53歳のバースデーとなる6月8日か、倒れて3周年(正確には1日前ですが)の15日納車予定と言われていましたが、その段階で勝手に「6月1日納車」を確信した私は、先週のうちに駐車場の正式契約を済ませ、結局予定通り選んだ「おとなの自動車保険」の契約も済ませてしまいました。
まぁ、1週間納車が遅れて予定通りのバースデー納車になっても1週間の損で済むので、納車が正式に決まってからバタバタと動き出すのは面倒だと考えたからです。
結局、「1日に納車できます。」と言われたのは2日前の30日でした。セールスマンからは「保険などの準備、大丈夫ですか?」と恐る恐る聞かれましたが、極めて予定通りなので、「準備は万端!」とお答え出来る状態でした。

そして、昨日は午前中いつも通りリハビリをこなし、昼食後にディーラーに向かいます。1000円程度なのでタクシー代を奮発する予定でしたが、真面目なセールスマンは「迎えに来てくれる」とのことで別の車で迎えに来ていただき、僅か10分のプチドライブです。

ディーラーに行くのは、先日この車の契約を決めた日に約3時間滞在してコーヒーを2回おかわりして以来2回目です。今度は各種書類の説明を受けるだけなのでそれほど時間はかからず、30分ほどの説明を聞いただけで、いよいよ待望の新しい愛車とのご対面です。

レンタカーを借りる時のように、まずは全体をぐるっと一周して傷がないかどうかのチェックをしながら、新しい相棒の顔をじっくりと眺めてみます。
その後運転席に座ってシートの位置などを調整した後は、セールスマン氏より各種の簡単な説明を受けます。
一番心配していた(カタログだけでは良く分からなかった)ナビとスマホが無線のBluetoothであっという間に無事につながり、ナビから電話をかけることができたり(何も入っていない筈の)車のオーディオから聴きなれたスマホの音楽が流れてきたときには、正しく感動ものでした! 本当に、便利な世の中になったものですね…
この時点で本来なら写真をたくさん撮ろうと思っていたのですが、興奮状態で見事に写真撮るのを忘れてしまいました!

説明を受け、「いざドライブへ」と行きたいところですが、実は駐車場と言うか車庫入れが大いに不安でした。特に左側からのバックが心配で、普通、左からの駐車は左側に体をひねってバックする時ハンドルを右手で操作しなければ運転できないので、右手でハンドル操作ができない私は、左側に体をひねらずにミラーだけで後ろを見ながら車庫入れするのが、実はかなりのプレッシャーだったのです!
そのため、バックモニターを付けたことは勿論、数万円の追加料金を払って、「バックガイドモニター」という「このままハンドルを切れば、車がどこに駐車されるか」を表示する機能までも付けていたし、自動車教習所でも何度か車庫入れの練習はしていたのですが、やっぱりまず愛車を駐車場にキチンと入れられなければ、ドライブを満喫することはできません。
おまけに、契約した愛車の駐車場はちょっと狭いタワー式のパーキングで、左側から車庫入れする(つまり私の苦手なタイプの)駐車場なのです。

なので、ディーラーを出る前にディーラーの駐車場を借りてバックの練習です。大枚を払って取り付けたバックガイドモニターは非常に見やすく、慣れたらスイスイと車庫入れができそうな感じで非常に気分が良いのですが、左側をモニターとミラーだけで見ることには、やっぱりどうも慣れず、ちゃんと入れられずに何回かやり直しをします。
どうも車の長さ感覚が前の車のそれが染みついているので、今度のvitzは以前の車よりだいぶ短いので、どうも昔の感覚でバックすると早くハンドルが切れすぎてしまい、駐車場の真ん中には入らないようなのです。
(教習所車の方が前の車に近かったので、違和感がなかったのかも知れません。)

15分以上、ディーラーの駐車場と格闘しました。その間、何度かはちゃんと駐車場の中央に停められたのですが、まだまだ修行が必要のようですが、セールスマン氏は真面目にずっと駐車場の端で見ていてくれていましたので、これ以上迷惑を掛けるわけにはいきません。
ということでセールスマン氏にお礼を告げ、最初のナビの目的地を登録したばっかりの自宅に設定して、ディーラーを後にします。
車庫入れに比べると教習所で6時間も乗ったお陰で、普通の運転は極めてスムーズでした。

自宅に戻り、まずは駐車場の空いている近所の大型店でもう一回駐車の練習を再開します。
ようやく少しずつスムーズになってきたので、意を決して契約した立体式の駐車場にトライしてみます。初めてでぶつけてもシャレにならないので、後ろから万が一の時には大声を出してもらうよう妻にお願いしたのですが…
やっぱり、初めてのプレッシャーなのでしょうか、バックを始める場所の場所の感覚がなかなか掴めず、3度目のトライにしてようやく何とか駐車場に入れることができました。
そして、ここで初めて写真を撮る心の余裕ができました。
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何とか駐車場にも入れられたので、このまま自宅に帰るという選択肢はなく、いざドライブのスタートです。自宅近くの道、昔は毎週のように通っていた道を3年振りにドライブします。3年振りに見る風景は、昔通りとは言えそれでも時折見慣れない建物やなくなってしまったお店などもあり、新鮮なドライブでした。
「ケンミンショー」でも取り上げられた埼玉のロードサイドにたくさんある「山田うどん」(通称だうどん)。3年振りに「だうどん」の看板を見た時には、何故かほろっとくるものがありました。(そんなによく行った店でもないのに…)

国道16号線に出て渋滞の16号をドライブ。その後我が家へのアクセスのキー道路である県道の大宮栗橋線も楽しみ、車がなくて来れなかった近所で好きだったスーパー「マルエツ」の駐車場に車を停め、2年以上ぶりの買い物を楽しみます。
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マルエツ… Tポイントと提携したのですね!? このスーパー用に持っていたOMCカードは病気になって早々に解約してしまいましたので、今後はTポイントを貯めようと思います!

2度目の自宅の駐車場は、何とか1回で入れられました。
でもこのバックガイドモニター、やっぱりスグレモノです。
慣れたら昔より車庫入れが楽になるかもしれません。

最後に愛車の右麻痺用の改造機能をご紹介します。
まずアクセル。右足で踏む部分を固定し、左足側にアクセルを取りつけています。(クラッチではありません!) この右側の固定部分は簡単に外せ、健常者が普通に右足でアクセルを踏むこともできるのだそうです。
(今度娘にやってみてもらおうと思っています。)
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そして左手一本で操作するための旋回ノブとウインカーです。
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今日は大宮と郊外ショッピングセンターに行ってみようと思っています!


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祝! 投稿400回&自動車学校卒業 [闘病関連トピックス]


相変わらず足の痛みは引かず、というより悪化する一方です。
先週、友人のお通夜に参列した日などは、13,000歩以上歩いたこともあり、自宅の最寄り駅に着いた時には痛みでもう一歩も歩けない感じで、タクシー乗り場に辿り着くのが本当にやっとでした。

今日も、朝からずっと足に痛みがあり、休養に充てる日でありながら不安いっぱいの一日です。なので本日は一日徹底的に休養したいと思いますので、このブログも自分に課したノルマは一旦お休みとして、短めの投稿にさせていただきます。
この足の痛み… 勿論5日前にリハビリセンターに行った日には主治医に相談したのですが、主治医も打つ手なしという感じで、「慶應病院にはいつ行くの? 来週、じゃぁ慶應病院に相談してみたら?」という対応です。
(無責任というわけではないのでしょうが、本当に打つ手がないようです…)
頼みの綱の慶應病院の予約は明後日なので、有名なリハビリのF先生に相談して見ようとは思います。でも、主治医曰く「麻痺足だからねぇ~ いくら慶應のF先生でも有効な策があるとは思えないけど… あるんなら私も知りたいよ!」と言う状況ですので、有効な打開策があるともあまり思えず、とりあえず大人しくして痛みが収まるのを待つしかないのでしょうか??


ところで昨日、無事に自動車学校を「卒業」することができました。勿論、今回の教習は既に免許を持っている私が、片手・片足の運転に慣れるための自動車学校への練習入学でしたので、卒業試験や卒業検定がある訳ではなく、何回でも好きなだけ乗って、自分で満足すればもう来なくて良いわけなので、「卒業」という言い方が正しい言い方ではないのかもしれません。
でも、入校前の何となく自分のイメージとしては、「目標は左足・左手だけで安定して運転できること。乗るのは教習所内・路上合わせて6時間ぐらい目標かなぁ?」と思っていました。そして結果も所内2時間・路上4時間の合計6時間でした。

先週の土曜日にある程度問題なく運転できていることから、「今度の土曜日の路上の時間を(自分の)卒検としよう!」と自分なりに決めて昨日(土曜日)教習所に向かいました。
昨日の担当教官は4月の初めての路上の時に3年振りに外を走り、いろいろと厳しくご指導いただいた方でしたが、少し走り出すと「大分慣れたね!? もうブレーキが急ブレーキじゃなくなって、右で踏んでいる時と違和感がないよ!」と、いきなりお褒めの言葉をいただき、「まだ、(この教習所で)乗るの?それとも、今日で終わり?」と核心をついた質問があり、本当は黙っていようと思っていたのですが、この質問に「実は今日の路上が自分なりの卒検のイメージです!」とつい言ってしまいました。
「卒検ということになったら、ちょっとは厳しくなるのかなぁ?」とは思って見たものの、その後も他愛のない雑談をしながら、3年以上前には通い慣れた久喜の街中を快適にドライブしてゆき、50分後には無事に教習所に帰りつきました。教官からは「お疲れ様でした。自分の車に乗っても無理せず安全運転に努めて下さい!」と「卒業OK」のお墨付きのような言葉をいただきましたので、「納車までまだ2週間あるし、来週も乗ろうかしら?」とは思っていたのですが、意を決して「卒業する」ことに決めました。
3月末に申し込んだ人生二度目の教習所生活は約2か月。乗った時間は6時間、掛かった費用は4万円強(風邪で当日キャンセルした時のキャンセル料1000円を含む。)でした。

これで運転に復帰するすべてのステップを無事に完了し、あとは納車を待つだけです。納車予定は再来週の土曜日=私の53回目の誕生日! もし納車が1週間遅れると、今度は(日曜日ですが)脳卒中で倒れた3年目の記念日になり、どちらにしても記念すべき(再出発の)日になります。
少し気が早いとは思ったのですが、amazonにて身障者ステッカーと初心者マーク(失効が1年以上あったので、これをつけないと罰金対象だそうです。運転が下手になったのは間違いないので、恥ずかしがらずに付けようと思います。)とワイドミラーを買ってしまい、既に準備完了です!
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ところで、今日の投稿ですが、何と400回目の記念すべき投稿です。

このブログを始めたのが、倒れた2010年の12月22日。週2回の勤務から復活を目指していたためまだ時間もたっぷりあった当時は、「毎日投稿」をノルマにブログをはじめました。
「祝!100回!!」というタイトルの投稿は2011年の3月6日です。この頃は、まだ週3日の時短勤務(10時~17時)だったこともあり、開始から3か月「毎日投稿」を達成できていました。

200回目は(タイトルでは)明確に投稿されていないのですが、2011年の9月前半あたり。池袋に部屋を借りて週4日会社の目の前の部屋から通勤していた頃ですので、毎日投稿から週3回程度投稿とペースは落ちたものの、今と比べると通勤中にも投稿してまだまだ書くネタはあったようです。

「祝、300回!」のブログは昨年4月1日。昨年の4月と言えば月~金 09:15~18:00のフル勤務に復帰した頃で、月末には1年間住んだ池袋の部屋を出ることを決めていたタイミングです。この頃は最後の池袋ライフを満喫しようと、妻と毎週のように外食を満喫していました。

そして今回400回目が1年とちょっと後。昨年4月からは本当に仕事中心の生活になったため、投稿は毎週1回の日曜日だけになってしまいましたので、そのペースだと100回の投稿には2年かかる計算になりますが、少し早い達成は6月の東北・9月の九州と3月の淡路島と3回の旅行記の掲載が功を奏しているお陰だと思います。
でも今年の夏休みは、自動車・運転が休暇の中心になると思われるので、長い旅行に行く計画は今のところありません。(この足の痛さでは温泉も無理ですし…)

とにかくこれからも継続することを最低限のノルマとして、2015年に500回を目指すことにしようと思います!



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自動車運転復帰への道<その④:苦しかった新車の購入> [闘病関連トピックス]


今週もひたすら休憩して、風邪の完治と足の治療に向けてひたすらのんびりと過ごしています。
世間はGW後半の4連休なのですが、私は風邪が全く直らなかったこともあり、5月2日も熱がイマイチ引かなかったので強引に休みを貰い、5連休にしました。
昨日まで3日間は本当に何にもせずに完全休養に充てたので、お陰様で今のところ足の痛みはなくなりました。でも、明後日からは会社に行かなければいけませんので、5日間全く足を動かさずに、明後日からまた急に歩き出すとまた足が痛くなるという恐怖感はあります。
なので今日から少しずつ散歩からはじめなければいけない…と考えたからではないのですが、今日は昼に妻と外食をする積りです。いくら私の調子が悪いとは言え、GW中妻には何の楽しみも無く、ただひたすらビデオの映画ばっかり見ている毎日では、流石に妻も滅入ってしまうのではないかと考えたわけです。
また散歩に行って足が痛くなるリスクはありますが、とりあえずささやかな2013年のGWを妻に楽しんでもらうつもりです。
でも「どこに行って何を食べようか」などまだ決まっておらず、ブログを投稿後にネットで必死に調べたいと思っています。

さて今週は、先週書くつもりだった「自動車運転復帰への道」の続きである「自動車購入決定」のくだりを投稿することにします。
あまり気持ちの良い決定ではなく、皆様の参考になるとは思えないのですが…、

前回車を買ったのは12年ぐらい前。その時はたくさんのディーラーを巡り、値切りに値切ってそれなりに値切りの駆け引きを味わって購入した記憶があります。ディーラーをたくさん廻ったといっても前回は早くから買う車を決めていたので、ネットの「車を安く買う指南」を参考にして同じトヨタの系列店とネットで調べた都内の自動車販売業者を何軒か巡り、最後に本命である地元のトヨペット店に行き、数社の見積と条件を小出しにしながらタフネゴシエーションを行い、それなりに満足して契約のハンコをしたことを覚えています。
買った車はトヨタのプレミオ。会社の営業車「コロナ」で運転を覚えた私はトヨタ車のセダンが一番運転しやすく、そのコロナの流れをくむプレミオは十数年前(当時)に毎日乗っていたコロナそっくりでしたので、試乗しても一番運転しやすい車だったことを覚えています。

「次の車は3ナンバーのセダン。できれば昔の憧れ通り、『いつかは、クラウン』でクラウンに乗りたい!」と考えていたのは倒れる前。ゴルフ場に行くのにももう少し大きいセダンが欲しいので、「来年11年目のプレミオを手放し、ちょっと無理してもクラウンを買おう! でも、家の近所狭い道が多いしなぁ~ ちょっと迷うなぁ~」と思っていましたが、「兎も角クラウンの頭金貯めなきゃ!」と思っていた時にこの病気になってしまった訳です。

今は2人の子供も既に私の手を離れてしまっているので、もう大きい車は必要ありません。クラウンクラスに乗りたいと言っていたのは50歳なりの見栄でもあり、ゴルフ場に行くにも大勢で楽に乗れるという点から無理をしようと思っていた訳ですから、病気をしてゴルフも出来なくなった(まだ諦めたわけではありませんが…)私にはもうクラウンクラスに無理をして手を伸ばす必要はないわけです。
むしろ、片手片足の運転になれば運転にはリスクが高くなるわけですから、大きな車に乗るのは単にリスクが増えるだけであり当然値段も高くなるわけですから、いいことはないと思い、「小さな車にしよう!」と考えるのは当然の帰結だったのです。

周囲のみんなは「軽にしたら!?」と軽自動車を勧めてくれます。個人的にも「身障者には軽がお似合い?」と考え真剣に検討した時期もあったのですが、やっぱり軽にする気は起きませんでした。
理由は、やっぱり運転に復帰し、当面は買い物中心に近所乗りを中心にするものの、やっぱり来年にはロングドライブに復帰したいという目標があります。来年の夏休みは、何が何でも「三陸の被災地に行く!」ことが目標なのです。そうなるとやっぱり軽では… と思ってしまいます。
また、会社のビルの1階が軽専門のダイハツの販売店なので、毎朝軽の値段を見ながら通勤しているのですが、「軽って意外と安くない!」というのがショールームを見ての正直な感想です。似たような値段ならば軽にする理由はないことになります。

なので1300ccクラスのコンパクトカーに狙いを絞りました。本当ならディーラーをまわって試乗を繰り返して候補車を絞るのが筋なのでしょうが、車の改造が必要な私は、気軽に試乗ができる立場ではありません。従って、カタログと口コミなどで選ぶしかないのです。

結局カタログとネットを駆使して絞った車種は、トヨタのvitzとマツダのデミオのどっちか。他の車を選ばなかった理由は、本当に些細でつまらない理由です。たとえばこのクラス最大の売れ筋であるホンダのFITは娘が乗っている車であり、FITにすると父娘で同じ車になってしまう… というたったそれだけの理由です。(娘からも「やめてくれ!」と言われましたので… 実はそれ以外にもFITはあまり好きになれない理由が2つだけあります。ハンドルの遊びが少し大きいことと坂道ではアクセルを踏まないと下がってしまうことです。) それ以外のメーカーの車(特にN社の車)にも本当に恥ずかしくて書けないようなつまらない理由があるのですが、あまりにもみっともないので割愛させていただきます。

結局2車種に絞りましたが、直接ディーラー訪問をすることをせず、HPから資料請求/アポイントに進む方法を選択しました。12年前はディーラーを回れるだけ回り、値切ることを楽しんでいましたが、その時の正直な気分は12年前とは大きく違っていて「1社に決めなければいけない。ということは2社に行けば1社は断らなくてはいけない。気軽に断れるような人ならいいけど、いい人だったら嫌だなぁ~」
つまり営業の悲哀を充分にわかる年齢になってしまったので、断られた営業マンの気持ちが判るだけに「一生懸命にやってくれる営業マンを断りたくない。」というのが正直な気持ちになってしまったのです。

昔から自社の営業マンを指導・教育する時に、私が必ず引き合いに出すのが自動車のセールスマンでした。私のセリフはいつもだいたい同じで、「自動車のセールスマンなんて、いくら他社の車の方がいいと思っていても、N社のディーラーの営業マンは絶対にT社やH社の車は売れないんだ! それに比べて我々(旅行の営業マン)はいくら他社の企画が良い企画でも、少し頭をひねれば必ず他社を上回ることができるんだ! だから競合に負けそうになるのを自分以外の責任にするな!」と、自分以外の責任に出来る典型を自動車ディーラーの営業マンになぞらえていたのです。(本当かどうかは定かではありませんが、それなりに納得性のある話だったと思っていました。)
今回、営業マンに会う前にそんな言葉を若い営業マンによく言っていたことを鮮明に思い出していたのです。

でも結果は私なりには最悪でした。最初にアポイントを取ったのはマツダでしたが、資料請求から商談に進むまでのプロセスはほぼ完ぺき。勿論初めて会った営業マンの評価は◎で、本当にトヨタに行く前に即決したくなるような素晴らしい対応でした。
(わが社の営業マンにも、「見習え!」と言いたくなるくらい。)
でも肝心な購入しようとしている車の装備の中でどうしても納得できないことが一つ。それはキーレスエントリーを選択したとしてもエンジンスタートはボタンではなくスイッチを回さなくてはいけないという点。皆さんにとっては些細なことだと思いますが、右手が不自由な私にとっては結構拘っていたポイントなのです。
それ以外に拘っていた細かい内容は、このマツダ車でもほぼクリアできるので、スタートボタンだけが唯一の懸念材料です。価格も十分に考慮いただき、低めに予算を告げていたので、「予算オーバーですが…」と何度も謝られましたが、実は十分に予算の範囲内だったので、店を出る時には「80%はここで決めよう!」と思っていました。

翌週、トヨタのディーラーにアポイントを取って訪問します。HPでの資料請求からのすべての流れはマツダが◎に対してトヨタが「普通」(可もなく不可もない)で、これだけで決めるのであれば間違いなくマツダに軍配が上がります。会ってみた営業マンもマツダの人が◎だったとするとトヨタの人は真面目そうで誠実そうな人ですが、まだ若いかなぁ… という感じです。(勿論、悪い人ではなさそうです。)

でも、さすがトヨタ。車的には私が拘っている内容はすべてクリアになり、装備的には文句のつけようがありません。私がマツダで一番引っかかったスタートキーも私の右手でも何とか押せそうな大きなボタンです。
その他にも純正のナビのスマホ連携など、トヨタ車の方がやっぱり私の好みに合う装備を持っているようです。

価格的には頑張ってくれたマツダよりも少々高いのですが、まだ予算内です。
なのでマツダのKさんの顔が浮かんで、「断るの、申し訳ないなぁ~」と思いながらも、気持ちよく即決するためにも「もう一声」の値切りに応じていただければ即決することにして、結果はあっさりと契約してしまいました。

でも、「マツダのKさんに申し訳ないなぁ~」 とずっと思っていました。断りのメールを打つの、本当に心苦しかったです。

「マツダでトヨタの車を買えればいいなぁ!」 と本当に思ったものです。
私がずっと使わせていただいていた「自動車営業マンの悲哀」をこんな機会に実感するとは思ってもみませんでした……

なお、右麻痺の3つの改造についてはトヨタでもマツダでも予想通り10万程度でした。なので右麻痺でも車を運転するのは、そんなにハードルが高いものではないようです。

車の納車はまだ先のようですので、もう少し教習所での訓練を続けようと思っています!


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自動車運転復帰への道<その③:自動車学校での運転練習> [闘病関連トピックス]


先週はブログの更新をサボってしまいました。
自動車学校に通ったことと自動車のディーラーめぐりを始めたことがブログを更新できなかった理由です。その二つについては今週末も同じように予定が入っていて、このままでは今週もまたブログの更新が滞ってしまう… と考えたからではないのですが、今は日曜日の朝の4時過ぎです。珍しく早く寝たこともあり珍しく3時前には目が覚めてしまい、その後眠れなくなったため、「じゃぁ、この時間を利用してやろう!」と早朝からPCに向かっています。

先々週ちょっと報告した「足の痛み」については良くなるどころか悪化の一歩を辿っています。朝はまだ何とか歩けるものの、帰りは本当に会社から自宅に辿り着くのが精一杯です。先週は2回も駅から自宅まで歩けずにタクシーのお世話になってしまいました!
リハビリセンターの主治医に相談しても「特に治療法はないので、大人しくしてあまり動かさないことが一番」と言われ、炎症を抑える塗り薬(1年半前の足の付け根痛の時にはそれなりに効果があったもの)をとりあえず大量に処方してくれましたが、それ以上の特効薬はないようです。
水曜日には痛みにどうにも我慢が出来なくなって、藁をもすがる気持ちで「カイロプラクティック」にも行ってみましたが、元々痛いところを直接治療する治療法ではないので、即効性はありません。(この、カイロプラクティックの件は、もう少し通って見て効果のほどをレポートしようと思っています。)

足の痛みはともかく、先週から30年振りに通い始めた自動車学校の教習の様子をレポートしたいと思います。

前回報告した通り、自動車学校に入学手続きに行ってから実際に乗るまでに2週間のインターバルがありました。これは予約が取れなかったわけでは決してなく、3年振りに自動車運転にチャレンジする心の準備が欲しかったためです。
最初の予約は先週の土曜日の午後1時から。午前中にいつもの通りのリハビリを終え、ちょっと早めのお昼をいただいた後、宇都宮線で久喜駅に向かいます。
教習の30分前には久喜駅の交番前にスクールバスが来るということで、久しぶりの運転への緊張感を全身に味わいながらスクールバスを待ちます。バスは予定の時間に正確に到着し、数名の生徒を乗せてあっという間に自動車学校に到着します。
バスを降りて受付を済ませた後に、教習までまだ時間があるため改めて30年振りに母校になる教習所のコースを見てみます。自動車学校の教習コースの作りなんてどこも同じようなもので、外周のコースがあり中には信号や踏切などもあり、S字のカーブやクランクなどもあります。見ているうちにますます3年振りの運転にプレッシャーが増してきました!
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教習入口を見ると何やら車に装置を装着しているところで、「もしかしたら…」と思って見に行くと、まさに私用に「左アクセル」などを装着していただいているところでした。
じっくりと私用(右麻痺用)の運転装置を見学すると、取り付けている装置は僅か3種類です。これはこの後、ディーラーを見に行っても「これと同じ対応で大丈夫。」と言われて見積を貰っているので、この「3種の神器」が我々右麻痺の人にとっての強~い見方になってくれるのです!

この3つの装置とディーラーによるおおよその値段をご紹介します。
1、左アクセル 7万円程度
 (右のアクセルを固定し、左足でアクセルを操作できるようにする)
2、左ウインカー 2万円程度
 (左手でウインカーを操作できるように)
3、旋回グリップ 1万円程度
 (片手でハンドルを回せるグリップ 韓国などでは普通の車にもついているらしい)

この3つは着脱可能なので、私が車を買っても家族が運転する時はこの1だけを外せばいいようです。(2と3は少し邪魔になるかもしれませんが、付いていても普通に運転するのに支障はないようです。)いずれにしても普通の人と比べてたった10万円の追加料金で済むことがわかって、少々安心した次第です。

いよいよ教習開始の時間になり、緊張する教官とのミートの瞬間です。30年前、自動車学校の教官と言えば「怖いおじさん」というイメージが強かったのですが、30年もたつとオジサンが多いとはいえ大半が年下です。でも初日の教官は何となく同世代っぽい人でした。
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初日は勿論、いきなり路上に出ることはせずにまずは教習所内のコースをゆっくりと練習します。右麻痺の私にとって一番難しかったのは、クラッチを踏まなくなって20年以上運転時には何もさせていなかった左足でアクセルを踏みブレーキも操作しなくてはいけないこと。
教官からは、「最初に左足で運転する時は、アクセルとブレーキの踏み具合が難しい。特にブレーキは全て急ブレーキになるので十分注意してください。」だとか「何年振りだとかは思わずに、初めて運転すると思ってください!」などの貴重なアドバイスをいただきます。
教官の言うとおり以前ならスムーズに徐々にかけられたブレーキの加減が判らずに、減速のつもりが急ブレーキになってしまったりして、「先は長いぞぉ~!」と思わせるスタートです。

でも何週かするうちに、ほんの少しですが加減が判り始めてきます。カーブのハンドルさばき等はブレーキに比べてまだ昔の感覚で操作できるような気もしています。でも左手一本でウインカーを操作しハンドルも回さなくてはいけないので、ウインカーを出す操作とハンドルを回したりする操作を同時にやらなければいけない時には、軽くパニックになってみたりします。1時間の教習で徐々に慣れてきた部分はありましたが、交差点の停止線の1m以上手前に停まってみたりするのは相変わらずです。

教習所のルールでは、1時間所内のコースで練習すれば(免許書を持っている我々は)2時間目からは路上に出ても良いというルールのようですが、まだまだ特にブレーキ操作に自信のない私は翌日曜日に予約していた2時間目の教習ももう一回「所内」を希望します。
2時間目の教官はもう少し若くて優しそうな人です。「今は自動車学校も学校と同じで、厳しくすると問題になることがある。だから昔みたいに厳しい鬼教官はいない!」といった話を聞いたことがありましたが、何となくわかるような気がする方でした。さすがに2時間目になるとブレーキも少しずつスムーズになってきますし、手の操作が重なってもパニックになることは少しずつ減ってきました。2時間目なのでS字やクランクにも挑戦し、問題なくクリアできることも確認できました。
感覚を忘れてちょっと戸惑ったのが「車庫入れ」。昔なら左右に体をひねって上手く見ながらバックできたのですが、左手一本で運転する今は特に左側に体をひねるとハンドル操作ができなくなるので、バックはミラーを見ながらしかできないことになりますので、昔とは勝手が違います。「バックモニターを絶対につけなくては…」と決意を固めた瞬間でした。

そして昨日は3時間目の教習でいよいよ3年振りに一般道路を走行しました。昔この久喜のあたりには買い物等によく来た「勝手知ったる地」ではありましたが、久しぶりの運転はとっても新鮮というかまだまだ怖さもあり、緊張の1時間でした。
当たり前ですが運転手が障害者の私であることを知らない特に子供や若者の自転車通行に少々”危ない!”と思う場面もありましたが、特に問題は無く最初に苦しんだブレーキが急ブレーキになることも徐々にですが克服でき始めています。多少調子に乗ってスピードを出しすぎて、教官から「看板付けて走ってるんだから控えて!」と注意される場面もありました。

今回の教習は試験がある訳でもなく、免許を再交付されるときの条件でも義務でもないので、いつでも自分が納得すれば止めてもいいのですが、とりあえずあと1回分は料金も支払ってあるので来週もう1回はドライブをしてみようと思います。
それ以降は… 車を買うまで全く乗れないのも辛いので、来週以降もう一回考えようと思います。

兎も角、運転に復帰する条件は徐々に整いつつあります。後は車を買うだけ?
なので今日も雨の中痛む足を引きずりながらディーラー回りをします。

今日あたり、そろそろ決める予感がしています!?


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自動車運転復帰への道<その②:30年振りの自動車学校選び> [闘病関連トピックス]


おはようございます。
今日はいつもより短めのリハビリを終えてPCに向かっています。
理由はあとで恐らく書くと思いますが、原因不明の足裏痛が原因です。なので下半身のリハビリを全て完全休養日にして、今日は手のリハビリだけをしたからいつもの半分なのです。

今日から始まった日曜日の新番組では、神田駅周辺のB級(?)グルメの特集をしているようです。神田駅… 1997年~2001年まで4年間勤務した懐かしの街です。飲みに行くには学生もいなくって昔からの下町情緒あふれる店&名店も多く、最高の街だった記憶があります。当時はまだ、チェーン系の居酒屋が今ほど幅を利かせていなかったので…
神田と聞いて「食べたいなぁ~!」と思う店は今もたくさん思い出します。先日、火事に遭って久しぶりにTVにたくさん登場した「神田やぶそば」をはじめとしたいくつかのお蕎麦屋さん、天ぷら屋さんやとんかつ屋さんも名店がたくさんあります。
もっと庶民的な店で言えばタラの煮込み定食を出す居酒屋のランチが猛烈に懐かしくなります。
もっと復活して久しぶりに神田のグルメを満喫したいと思います。

ところで今日は、前回の続きになりますが自動車学校を決めて入学の手続きをしたことをレポートしたいと思います。

3月の平日に会社を一日だけ休んで鴻巣の免許センターに免許を取りに行って、無事に2年振りに免許が交付されたのは前回のレポートに書いた通りです。本来はもう少し早い時間に免許が貰えてその後次のステップに行く時間があるかなぁ… と思っていたのですが、2時間の講習終了後に写真を撮って免許を貰ったのでその時点で時間はもう5時近くになっています。少々疲れたというのも正直な気持ちだったので、そのまま自宅に帰ることも考えたのですが、平日に動ける時間も本当に少ないので、意を決してアクティブに行動することにしました。

意を決してこの日の夕方に向かった先は、自動車学校の候補先の一つです。私は右麻痺なので左手足の一本ずつで運転をしなければならない訳ですから、当然左側にアクセルがある車があることが自動車学校を選ぶ最低条件になる訳です。左アクセルの車がある埼玉県内の教習所のリストは、2年前にリハビリセンターの医師に運転を相談した時に医師がどこからかリストを準備してくれて、「さすが県のリハビリセンター。こんなリストまであるんだ…!」と感動してその後のバイブルになっていたのですが、この日の免許交付前に相談した部屋で、「でも実際に運転する前には自動車学校に行きます!」と言ったら即座にあの見慣れた(しかも最新の!)リストを出して、説明してくれるではありませんか…!?
そうです、あの見慣れたバイブルのようなリストはここ埼玉県の運転免許センターが管理しているリストのようです。
役所、意外とやるじゃん!と、ちょっと嬉しくなりました。
このリスト、貼り付けようと思いましたが、PDFはダメみたいです。すみません。
(欲しい人がいれば連絡下さい。)

20校近くのこのリストを見て、左ハンドルの教習車が意外と多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだとは思いますが、私は正直「意外と多いんだなぁ~!」という印象を持ちました。子供二人が卒業した家に近い自動車学校こそこのリストに含まれてはいませんでしたが、家から割と近い2つの自動車学校がリストアップされています。
中でもHPを見る限り、障害者の免許取得にも力を入れているというページがあるのを見て、「まずここに行って話を聞いてみよう!」と思い、この日の夕方に向かった訳です。
勿論、「何カ所も行って比較して、納得してから申し込む」ほどの熟考をするほどの必要性も感じておらず、話を聞いてよいと思えばその場で申し込みをして入学金を払って予約を取ろう!と思っていたのです。
最初の学校は、あのリストでも一番上にあるし名前も「埼玉県」をつけているのですから、恐らくここへ行くのが一番良いかなぁ?と考えてた学校に行ってみることにしました。

この学校、宇都宮線の土呂駅から歩いて行けるようですが、この日は時間も遅かったので大宮で乗り換えて行くには時間がかかりそうなので、高崎線の宮原で降りてタクシーを奮発することにしました。宮原からは予想通り千円ぐらいで到着した自動車学校は、丁度春休み期間中の休み時間だったこともあり、学生を中心に凄い熱気&人ごみです。

自動車学校に来るのなんて何十年振りでしょうか?
私が自動車学校に通ったのは30年前の大学4年の春休み。旅行三昧の大学生生活を送った私は、「卒業までには何とか免許を取らなければ!」と思い、最後の春休みに合宿免許に申し込み、さくらんぼで有名な山形県の村山市の「村山自動車学校」に通ったのです。でも最後の卒検でミスをして、大学の卒業式までに卒検を通ることができずに、東京に戻って大学の卒業式に出席してから、卒業祝い飲み会で泥酔して山形行きの夜行急行の人となり再び村山に戻ったことを懐かしく思い出します。
その後妻の自動車学校にも何度か付き合い、二人の子供も無事に自動車学校を卒業させましたので、よもや自分がもう一度自動車学校に来ることになるなんて思いもしませんでした。

混み合うカウンターで入学希望である旨を告げ、親切そうな係の方にお話を伺います。左アクセルの車に関しては免許センターの情報通り完備されており、一応免許を持っている私の教習は「ペーパードライバー教習」というメニューで可能とのこと。料金も入学金+教習2時間(追加可能)で約14,910円と想像以上にリーズナブルです。
「よし、ここに申し込もう。」とほぼ意志を固めながらもう少し話を聞いてみると、「でも、ペーパードライバー教習は平日のみです。」とのことで、私の場合、会社を休まないことには講習を受けられないことが判明しました。
なので説明に謝意を表し、とりあえず申し込みをせずにパンフレットを貰うだけで帰ってくることにしました。

帰宅後、もう一つの家から近い自動車学校のHPに再度アクセスをしてみます。でもこっちの学校は免許センターの「左アクセルあり」の情報はあるものの、身障者の教習やペーパードライバーの教習などのことにはHPでは一切触れられていません。
なので、問い合わせ欄からメールにて自分の状況を説明し「土日も教習は可能か?」の質問もしっかり入れて、メールを送信してみました。
2日後に帰ってきた返事によると、この学校でも勿論教習は可能で、料金は入学金+2時間教習で21,420円と最初に行った学校よりは高いようですが、土日も予約さえ取れればこの料金内で教習が可能とのことです。であれば多少高くっても平日限定よりは土日に運転できるのが絶対にベターです。

ということで、先週土曜日に妻に付き合ってもらい、その久喜自動車学校に行ってみることにしました。
駅から自動車学校からはスクールバスには乗らず、歩いてどのくらいかかるか試してみることにしました。この自動車学校は我が家から隣町久喜に行く時に通るルート上に面しており、この学校の玄関前は何度となく通っていましたので懐かしい風景です。
30分近く歩いてようやくついた学校でメールでのやり取りの内容を改めて確認して、眼の検査をされた後に入学手続きに入ります。予約ですが翌週(つまり今週)にはまだまだ心の準備ができていないような何となく嫌な予感もしたので、2週間後(つまり来週)の土曜日と日曜日にとりあえず1時間ずつ予約しました。

自動車学校での練習については来週以降報告しますが、来週日曜日の予約時間は正にリハビリ&ブログを更新する午前中の予約… どう報告できるかはちょっと不明です。

でも今週教習の予約をしなかったのは本当に大正解でした。実は今週中ごろから原因不明の右足痛に悩まされて、歩くのがやっとという悲惨な状態になっているのです!
昨日土曜日には、たまたま先方の都合で訪問リハビリが休みだったため、すごく久しぶりにイオンレイクタウンに行き、トヨタの車を見に行って買う候補の車を品定めする予定だったのですが、足痛で断念してこの2日間は完全休養日に充てたのです。

明日、リハビリセンターの定期検診日なので窮状を相談してみようと思っています。



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自動車運転復帰への道<その①:免許再取得> [闘病関連トピックス]


今年2013年最大の目的は、知人友人への年賀状にも、元旦のこのブログにも決意のほどを書きましたが、「車の運転に復帰する」ということです。

私が脳卒中で倒れた2010年6月16日には、朝から車で高速道路を飛ばし、6時半には茨城のゴルフ場に着いていました。その日のゴルフ休憩の昼食中に発症して救急車で病院に運ばれ、以降車は運転していない訳ですから、ほぼ2年と10カ月、車の運転からは離れていることになります。
脳卒中で右半身が麻痺となり(右手・右足が動かなくなり)、必死にリハビリは続けているもののやはり健常者と同じような生活をするのは非常に大変です。この2年と10カ月で何とか仕事には復帰できて、この1年間必死で頑張ったお陰で1年間有給休暇以内の休暇取得で、いわゆる普通の会社員生活を何とか送ることはできた訳ですが、だからと言って普通の人と同じように普通に働いて普通に遊んで… という生活にはまだまだ壁があります。
でも永遠のテーマである「絶対に諦めない」を胸に秘めて、何とか頑張ろうと常に前向きに考えております。
正直、今でも時々気持ちが折れそうになることもあります。今日も色々ありそんなブルーな気持ちでいるのですが、ここでメゲるわけにはいきません。今日も気持ちを入れ替えて綴りたいと思います。

右手右足が不自由な私にとっては、運転への復帰は決して簡単なことではないと思っています。利き手ではない左手だけでハンドルを扱い、左足でアクセルとブレーキを操作しなくてはいけないので、約28年間無事故(多違反)で安全運転を実践していた私にとっては、全く初めて運転をするようなものではないかと思っています。同じ脳卒中でも復帰してすぐに運転に復帰した方の話を聞くと、本当に羨ましくはなりますが、一人として同じ症状のないこの病気ですから「人と自分を比べて羨ましがる」ことだけはしないようにしようと、自分を律してはいるのですが…

でも倒れる前の自分の最大の趣味は「ドライブ&車での旅行」でしたし、車でしか行けない郊外店が多いこの家に住んだのも車での生活が基本だと考えていたためです。なので闘病3年目になる今年運転に復帰することは、自分的には絶対に必要なことだと考えていました。
(最初は昨年中に復帰したいと目論んだこともあったのですが、やはりハードルが高いため昨年早々に目標を1年先延ばしにしていました。)
今年こそは、もう先延ばしにするわけにはいきません。

私的には自動車運転の復帰には、3つのステップが必要だと考えています。
1、(期限が切れて)失効している運転免許を取り直す
2、自動車学校に行き、左片手・片足運転に慣れる
3、(レンタカーには乗れないので)自分用の車を購入する
まず、先週免許センターに行き何とか免許を取得、第一段階は何とかクリアすることができました。

本来、運転免許の更新は倒れて1年後でした。その頃はまだ会社近くに借りた池袋の家からの週4日勤務で、とても「車を運転する」気分でも状況でもなかったと記憶しています。「いつかは運転に復帰しよう!」という目標は持っていたものの、具体的なプランなどは描けていなかったのです。でも「免許を失効させるのはまずいのでは?」という気持ちも持っていたので、更新ハガキを見て埼玉県の免許センターに電話して相談してみました。
「脳卒中で現在まだリハビリ中である」ことなどを正直に話したところ、「入院などの理由があれば、失効3年後までは医師の診断書があれば免許が再交付できる。」という情報を得ることができ、親切そうな係の方は「無理していま来なくても、治ってから診断書持ってくれば大丈夫ですよ。」と言っていただいたので、安心してそのまま失効させてしまいました。

今年になって、いよいよ本格的に免許の再取得をしようとHPなどでいろいろと調べ始めたのですが、HPをよくよく読むと1年半前に電話で聞いたように簡単に診断書1通で済む話ではどうもないようです。簡単に言えば、たとえば最近までずっと入院していたのであれば確かに診断書に入院期日を書いてもらえば済む話ですが、私の場合は入院も退院も2010年なので、この入院の記録だけでは免許失効の「やむを得ない理由」にはならないのでは?という疑念がふつふつと湧いてきます。

なので今年最初のリハビリセンター主治医との面談の際、今年の目標としての免許の取得について相談してみました。車の運転については、前の主治医とも相談したこともあり、今の主治医とも雑談程度では話したことがあったのですが、失効に至る状況とその時免許センターに相談したことも正直に話したのです。
親切な今の主治医も親身に応じてくれ、翌3月に受け取った診断書には、「てんかん発作の可能性があるので今まで運転を禁じていたが、2年半発作は起きていない。」と非常にありがたい記載があり、この診断書なら今まで更新に来なかったことの正当性も問題なさそうです。
(勿論、作り話だけではありません。発症当初は「(てんかんの可能性があるので)運転はしないほうが良い。」と言われていたのは本当の話ですし、それに従っていたのも事実です。)

HPを見ると、「やむを得ない理由が終了してから1か月以内に手続きすること。」との記載があります。ということは私の場合診断書を貰ったのが3月初めなので、3月中には免許の更新に行く必要があります。なので3月の後半の平日に人形の街”鴻巣”にある埼玉県の免許センターに出かけました。
この免許センターに来るも久しぶりです。最後に来たのは2回続けて違反で捕まって、ゴールド免許を取り上げられてブルーの免許になった6年ぐらい前、また娘と息子が免許受験の時には、各々試験場まで送ってきたこともありました。勿論当時は全て車で来ており、電車とバスで来たのは初めての経験です。

失効者の申請は1時からと聞いていたのですが、ちょっと早めに12時過ぎには食事を済ませ、免許センターに到着します。でも私の場合単なる失効者ではなく運転に制限がつけられるのは間違いないので、同時に「適性検査」を受ける必要があります。
この適性検査、2年前に電話で聞いた時は「予約はいりませんので、とにかく1時までに来てください。」と言われたので事前に連絡せず、受付というか相談コーナーで内容を告げると、すぐに該当箇所に連絡してくれて適性検査に案内されます。

まず簡単なヒアリングがあり、正直に今の状況を説明します。診断書等の書類もチェックされましたが、お陰様で診断書はあっさり問題なくクリアされました。
その後、運転のテレビゲームのようなドライブシミュレーターを使ったテストが3種類ありました。
まずは左足でちゃんとアクセルが一定の強さで押せて、強さをキープできるかのテストがあり、次にアクセルとブレーキの切り替えがスムーズに出来るかどうかを調べられます。
次は左手でハンドルをちゃんと回せるかどうかのテストがありました。
最後のテストは記号が出たらボタンを押す眼のテストで、これが最長時間のテストでした。
テストの結果は… 以前に眼科でも言われていたので少々心配していたのですが、同じように「一番右下にちょっと見落としがありますね…」との結果。「認識していますか?」と訊かれたので、「実は眼科で言われたことがあります。」と正直に話しました。
「これは、免許ダメかなぁ~?」と心配したのですが、「この程度なら大丈夫です。寧ろ本人が見えないことを認識していることが大切です!」と言われて、とにかく何とか「適性OK」のハンコをいただき、ようやく普通の人と同じ列に並んで失効⇒再交付手続きをすることができました。

普通に手続きをして、視力検査(さすがに視力ですから簡単にクリアできます)をしてから2時間のとっても長~い講習を受けます。今回は形の上では「路上試験と学科試験免除の免許再取得」に該当するので、学科を2時間受けないと免許の更新資格は得られないのだそうです。そのせいか2時間の講習を受けた後に写真撮影があり、その後5時近くなってようやく免許を手にすることができたのです。

ちょっとヒヤっとしましたが、とりあえず第一段階は何とかクリアできました。
でも、油断禁物。ハードルはまだまだ高そうです。



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