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フレディもしくは三教街 [好きな曲]


いい加減娘の転勤ショックから立ち直らなければなりません。今日は妻は妹が来ているので、一緒に気晴らしに大宮まで出かけました。私はいつも通り朝のリハビリをこなした後、一人でのんびりしています。

昨日妻の妹が泊りに来ましたが、上京の目的は「さだまさしのコンサート」です。年に何回かさだまさしのコンサートを聴きに仙台から上京し、我が家に泊まります。震災後も昨日が二回目、前回はまだ新幹線が全通する前に列車を乗り継いでコンサートに駆けつけています。
さださん本人も、あんな大震災の直後に「わざわざ被災地から列車を乗り継いで今日のコンサートを聴きに来た」人がいるとは思わなかったのでしょう。知っていたらコンサートで是非紹介してほしかったと思いますが… 妹はそれぐらいさだまさしのファンです。
(ただ仙台でも被害がほとんどない駅周辺に住んでいますので、『家は被災地ではない!』と言っていますが…)

実は私もさだまさしが好きです。最近こそずっと聞いている訳ではありませんが、昔のさださんの大ファンなのです。今日は中でも一番好きな曲について書きたいと思います。

私がさださんの一番好きな曲と確信しているのは… 否、もしかしたら生まれてから聴いている恐らく何万曲(何千万曲?ではないですよね?)の中でもしかしたら一番好きな曲かもしれません。
例えば今、「間もなく耳が聞こえなくなるので、人生最後の一曲を聞くとしたら??」と聞かれたら、今は迷わずこの曲を選ぶような気がしています。
曲の名前は「フレディもしくは三教街」という曲です。この曲はさだまさしが最初に組んでいたユニット「グレープ」時代の曲です。1975年に発売されたグレープ3枚目のアルバム「コミュニケーション」に収納されている曲ですので、誕生してから37年目の曲になるようです。

グレープは74年に「精霊流し」がヒットし世に知られるようになりました。私もこの曲の美しいメロディーラインと抒情的な歌詞ですぐにファンになりました。その後、あまり売れなかったけど個人的にさださんの好きな曲ベスト10には入ると思っている「追伸」や「高田の背番号も知らないくせに」という歌詞がとても印象的な「朝刊」などのスマッシュヒットを飛ばし、抒情的な「ほおずき」やちょうど母子家庭になったばかりに私にはとても印象深く母の後ろ姿と共に忘れることができない「無縁坂」などの様々なタイプの曲もヒットし、その幅の広さというか世界の広さが当時中学・高校生の私をとにかくびっくりさせたものです。
(因みに「朝刊」の「高田の背番号」とは巨人軍V9戦士の生き残り高田繁選手(前ヤクルトの監督)で、背番号は原監督の現役時代の前の8番です。巨人の8番…今は仁志でもなく、谷ですねぇ!)

この「フレディもしくは三教街」ですがコミュニケーションというアルバムでも「いい曲だなぁ~」と思ったのですが、決定的に好きになったのは、その後に発売されたグレープのラストアルバムで2枚組のライブアルバム「三年坂」というアルバムでです。その2枚組のアルバムの2枚目のB面(D面)に収録されているのですが、このD面が個人的にはとにかく大好きで、本当に擦り切れるほど聞いた覚えがあります。

今でもこの2枚目のB面のジャケットと曲順ははっきりと覚えています。
1、さよならコンサート 2、僕にまかせてください (この2曲は「クラフト」というグループにさださんが提供した楽曲を本人が歌ったものです。1曲目の「僕にまかせてください」はヒットしましたが、二匹目のドジョウを狙った「さよならコンサート」は売れませんでした。)3、フレディもしくは三教街ーロシア租界にてー 4、あこがれ 5、精霊流し(アンコール)という順番でした。アルバムに収録されたトークまで鮮明に覚えています。

この「フレディもしくは三教街」という」奇妙なタイトルの曲ですが、さださんは曲名を「フレディ」か「三教街」にしようと思っていたそうです。「曲名、何にします?」と聞かれたときに「どっちか」のニュアンスで伝えたところ先方が誤解して、そのまま「フレディもしくは三教街」という曲名になってしまったというエピソードがあります。結果的にこのタイトルが曲の抒情性というか神秘さを増す効果を生み、「フレディ」よりも「三教街」よりも曲とそのストーリー性を印象付ける素晴らしいタイトルになりました。

曲の内容は是非YouTubeを聴いていただきたいと思いますが、美しいと思われる風景とラブロマンス、戦争の悲惨さを歌った上質の掌編映画のような曲です。2人のロシア租界での暮らしとささやかな夢、そしてすべてを奪ってしまった悲惨な戦争をたった数分の曲の中で完璧に表現した名作です。映画を見たようなエンディングでの強烈な印象が残ります。

この曲で中国に憧れました。舞台は漢口(ハンカオ)という揚子江沿いの街ですが、当時の地図を見ても漢口という地名は出てきません。高校時代は勝手に下流の上海の近くだと思っていましたが、実際は中流で今の武漢の一部なのだそうです。当時この曲と同じく中国特に揚子江に憧れ長江という映画を撮ったさださんと同じように憧れ、一度は漢口と三教街に行きたいと本当に憧れたものです。

大学卒業後、希望通り旅行会社に奉職した私はその3年後に希望通りに中国への初渡航を果たします。ところがその当時の中国は…とにかくまだ解放直後で旅程も秘密ならホテルなども全て政府の指令で動かされます。確かに万里の長城には感動しましたが、トイレをはじめとした国の衛生度の低さなどは想像を絶するほど。100年の憧れも一瞬で覚めた瞬間でした。

当時は漢口が武漢などは全く知る由もありません。フレディが人力車夫を停めた「揚子江沿いのバンド」は上海のそこだと信じて、夜タクシーを飛ばして上海のバンドへ向かいました。少しでも三教街の雰囲気を味わおうと思いましたが、とにかく上海の揚子江は広い! あれは「河」ではなく「海」です。

なのでロシア租界についてはあったかどうかを考えるのはやめました。「私の心の中」には「フレディ」がいる「三教街」があって、ヘイゼルウッドのおじいさんや掃除好きなボンコのおばあさんがいるのです。
そして私たちも年老いたらきっと素敵なおじいさんになっていきます。

※YouTubeの画像が削除されていましたので、別のバージョンにさせていただきました(2011.07.18)


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