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新しい職場について [日常のトピックス]


半年以上振りの「日本一周」以外の投稿です。

先週の月曜日より、無事にサラリーマンに復帰しました。先週は火曜日が祝日でしたので、会社に行ったのは4日間ではありましたが、1週間をレポートさせていただきます。

1、初出勤日の朝

 今度の会社の出勤時間は8時半と、今までの9:15より45分早い業務開始です。初日は、電車が遅延したりして始業時間に間に合わないことがあると、初日から「とっても目立つ、大失点」になり、「あ~ぁ、今度来た奴はダメだ!」という印象を持たれることになる(実際、こんな運の悪い目にあった人を前職時代に何人か見ており、その人たちは例外なく長続きしなかった経験があります。)と考えたので、6時半過ぎに家を出れば十分に間に合うことは判ってはいたものの、初日だけは余裕を持って6時前には家を出ることにしました。

今回の通勤ルートは、白岡(宇都宮線)上野(山手・京浜東北)秋葉原(中央・総武)飯田橋 の2回乗り換えのルートにすることを決めていて、事前に通勤ルートに登録していました。飯田橋までは、湘南新宿ラインで池袋まで行き、地下鉄有楽町線に乗り換えれば「乗り換え1回」で済み、やや時間も短いので、乗り換え案内サイトなどではほぼこのルートが出てくるのですが、湘南新宿ラインは宇都宮線の他の列車よりかなり混む上に、埼京線と線路を共有するためよく遅れるし本数も少ないので、「このルートを使うのは止めよう。」とだけは決断していたのです。
上野で降りて乗り換えるので、3月にできた「上野東京ライン」の恩恵にはあずかっていないように見えますが、上野東京ライン開業のお陰で、「上野駅の混雑がかなり緩和されていて、山手&京浜東北の殺人的な混雑がなくなっている!」という大きなメリットがあるのです。3月までは、上野駅の山手&京浜東北の東京方面ホームに降りる階段の手前から通勤客の大渋滞が始まっていて、ホームに降りるまで朝は常に5分以上の渋滞時間があり、列車にはかなり無理してぎゅうぎゅうに体を押し込まないと乗れなかったのですが、上野東京ラインの開業によりこの渋滞が解消されたことが、片手・片足が不自由な私には何より嬉しいことなのです!
総武線も混雑することはするのですが、秋葉原でかなりの乗客が入れ替わるので、問題なく乗ることが出来そうです。

幸い、この日は列車遅延等もなかったので、7時半前には飯田橋駅に到着することができ、流石にまっすぐ出社するにはあまりに早すぎるので、勤務先に一番近いスタバでラテを飲みながら心の準備をする余裕ができました。このスタバ、面接と適性検査(という名前の筆記試験)の時にも、指定時間までの時間潰しをした懐かしの場所でもあります。これから、いろいろな思い出がたくさんできるのでしょうね!?

以降の一週間は6時半には家を出ていて、8時には職場に着いています。8時半からの勤務時間で、新入社員といっても特に朝早く来て掃除などをするわけではないので、来週からは6:45分に家を出る生活パターンを試そうと思っています。

2、勤務先と仕事
 
 以前のブログでも簡単に書きましたが、今度の職場は営利企業ではなく”学校法人”です。具体的には「4年制の総合大学の事務職」が、新しい職場です。
そして、私の配属先は「人事課」です。内定の時に人事課配属予定とは言われてはいましたが、「その後、本人の適性により配置転換もあるかもしれません。」とも言われていましたので,仮配属的な措置なのかいつまで人事課の勤務が続くかは不明です。
前職では、人事など総務系の部署勤務の経験はなく、32年間のなかでは営業(営業管理)・(商品)企画等の仕事が大半だったので、人事・総務関連の仕事は憧れを持って眺めていたこともあります。
「新しいことにチャレンジする。」というのが前職を辞めた大きな理由の一つだったので、55歳にして新たな「人事職へのチャレンジ」については、今更感はあるにはあるのですが、結構楽しみでワクワクしています。人事関連の専門用語でも知らない言葉がたくさん出てきますので、とりあえず用語の勉強から始めなくてはなりません。早速amazonのkindle本を買い、通勤時間に本(スマホ)を読む勉強を始めました!

現在のところ、「あなたの仕事はこれ!」と具体的に何をやるかを指定されたわけではまだありません。部署内を眺めていると、給与だとか採用だとか人事業務の各々の役割がちゃんと決められているようなのですが、今のところはまだ「私の担当」というものはありません。とりあえずさまざまな皆さんがやられている業務のフォローとヘルプを見習いとしてさせてもらっています。

先週、主にフォロー(ヘルプ)した業務は、今まさに旬の話題である「マイナンバー」関連。普通の企業ならば、従業員等のマイナンバーを集めてしまえばいいのでしょうが、大学では従業員(教員及び職員)のマイナンバー収集だけではなく、それ以外にマイナンバーを収集する必要のある方が毎年数千人規模で存在するらしいので、想像以上にこの業務のルール作りは大変のようです。数か月前、ニートの時にマイナンバー関連のTVニュースをぼんやりと見ながら、「これ、担当する人大変だろうなぁ~!?」と”ひとごと”として眺めていましたが、まさか自分がその関連の仕事をするなどとは想像もしていませんでした!

3、昼食

 昼食休憩は、人事課の窓口(カウンター)が休みとなる12:45~。大学は結構繁華街に近いし、近隣サラリーマンのラッシュ時間とも微妙にずれるので、昼食事情は恵まれていそうです。近くには(この時間)空席が出来たランチのお店がたくさんあるようなので、とりあえずしばらくかけてお気に入りのお店を探そうと思っています。
また勤務先が大学なので、大学職員の”特権”として「学食」で食べることも勿論可能なようです。先週はまだ学食にチャレンジしてはいませんが、学生たちは1時からは午後の講義なので、その時間は我々もゆっくりと食べられるのだそうです。ランチが400円以下で食べられるようなので、貧乏人(この半年の日本一周で、すっかり金欠になった私です。)として大いに利用させていただく積もりです!
ちなみに、37年前の私が大学生時代の生協ランチの最安値は
・カレー = 140円
・いなり寿司 = 150円(5個ぐらい入っていたような記憶があります)
で、大食いの私は両方食べて290円というのが、”満腹になる最安値”でした。

4、勤務時間・残業

 朝は8時半~なので、終業時間は17時と今までより1時間早く仕事が終わります。上述の通り昼の時間がちょっと遅いので、午前と午後の仕事のバランスが前職時代とは逆転していて、午前>午後と午前のバランスが重くなっています。
前職時代の32年間は、3時間弱働くともうお昼で、午後は5時間(以上)みっちりと働く必要がありましたがしたが、今度の職場は昼食休憩が終わると、あと3時間とちょっとで業務終了なのです。

残業については、「あんまりない」と事前には聞いていましたが、その中で人事課はかなり残業の多い部署で、定時になってもあんまりみんな帰ろうとはしません。
まだ私はヘルプ中心の身分なので、残業を依頼されることはありませんでしたが、ある程度の残業は覚悟する必要はありそうです。

17時過ぎに会社を出ると、自宅には7時前に着くことが出来ます。出発時間が1時間早い代わりに、帰宅時間も丁度1時間早く帰れていますので、通勤時間も含めた労働時間は、前職時代とほぼ同じのようです。

アフター5のお付き合いですが、今の時代らしく「飲みに行くぞ!」という声はほとんどかからずに、仕事が終わった人から三々五々オフィスを出ていきます。この1週間、一度も飲みに行くことはありませんでした。
とは言え、”歓迎会”はちゃんと計画していただいているようです。

5、雰囲気・その他

 まだ1週間なのであんまり詳しく語ることはできないのですが、職場の雰囲気を一言で言うと、「非常に大人の組織で、各人の自主性に任されているなぁ~!」というのが正直な感想です。

前職、特に私の最後の職場は、息が詰まるぐらいにさまざまな”社内(ローカル)ルール”や”してはいけないこと”が異常なくらい多かったのですが、ここではかなり自主性に任されています。前の会社の社内ルールが、「社員性悪説」をベースに作られているのに対して、この学校のルールは「性善説」ベースで作られているというのが、正直なところなのでしょう。

勿論、今の時代性善説を全て信じていると、取り返しのつかない事故が起きる可能性もあるので、性善説を全面的な拠り所にするのはいかがなものかという気もしますが、とは言え前職場はやっぱり異常だったと思わざるを得ません。
一つ例を挙げると、前職場の社内ルールで、「デスクトップのアイコンは20個以内」という摩訶不思議で意味不明なルールがありました。個人管理の各パソコンのデスクトップのアイコンの数の社内ルールですよ!? 今度の職場でこの話をしたら、全員に大爆笑されてしまいました!


以上、ここまでが1週間の感想です。
まだ、最終判断を下すのは早いとは思いますが、今までのところは「退職して、今の職場に転職して大成功!!」と実感しています。

来週からは、再び「日本一周」のレポートに戻ることにします!
次回は、大分県です! 

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『最後の出勤日』を前に [日常のトピックス]


いよいよ会社員生活も、最終日(3月31日)あと1回の出勤だけになりました。
昭和58年と言っても今の皆様にはあんまりピンとこないであろう1983年に入社して以来32年間、思えば本当にたくさんのことがありました。
「早かった」と言えば早かったのかもしれませんが、人生の大半をこのグループの会社員として過ごしたので、本音としては「とてつもなく、長かった」という方が正しいのかもしれません。辛かったり苦しかったことも勿論たくさんありましたが、自分的には「やり甲斐があって、楽しく・充実していた」というのが本音で、悔いのない会社員生活でした。
「自分で自分を褒めている」わけではありませんが(褒められるような凄いことは何にもしていないので)、「お疲れ様」と自分では自分に声を掛けています。

2月頃からは、「出勤、あと○回!」と自分でカウントダウンしながら毎朝通勤していました。「自分は、今まで何回ぐらいこうやって会社に向かったんだろう!?」と電車の中で何度か考えてみました。普通に考えたら「約200回×32年=6400回ぐらいかなぁ?」ということになりますが、昔は休日出勤も全く当たり前で自分でも呆れるほど毎日働いた10年以上の時代もあるので、病気で5か月間会社を休んだ2010年や添乗や出張で会社に行かなかった日を除外しても、それでも6500回は会社に向かったような気がします。確証はありませんが自分史としてはそう思うことにします。(そういえば、仙台時代の6年間のうち約4年はバス通勤でしたが、バスもこの回数にカウントすることにして… です。)

先月から、さまざまな皆様に送別会というか「お疲れ様会」を開催していただき、久しぶりに大勢の懐かしい方々とお目に掛かることが出来ました。
「昭和○年に一緒に働いた仲間の会」から始まり、「平成○年の仲間」など年代別に一緒に働いた同僚(先輩&後輩)とその時代にお付き合いしていたビジネスパートナーの方とたくさん久闊を除することが出来、自分史の走馬灯を自分で体験できるという、ある意味とっても誇らしい1か月でした。

実は、このブログの存在についてはごく一部の方を除いては秘匿させていただいていたのですが、今回お目に掛かった皆様とは、「もしかしたら、会うのはもう最後になってしまうかもしれない!?」ということも考え、このブログの存在をカミングアウトすることにして、会社名の入らない自分の個人名刺をURL付きで作成して、参加された皆様にお配りしました。来週発送予定の挨拶状にも図々しくブログURLを載せています。
アクセス数を見ても増えた実感はありませんが、「あの人たちにも見られている。」と考えると身が引き締まる思いがします。
昔から長い文章を作ることが多かった自分なので、「相変わらず、アイツの文章は冗長だなぁ~!」と思われ、途中で閉じてしまう人も多いことと思います。ひとことだけ弁解させていただきますと、「このブログをはじめた主目的は、右麻痺になった私が左手一本で文書を打つリハビリなのです!」と言っておきます。
それにしても無駄に長いことは否定しませんが…

4月1日からは晴れて新生活が始まります。勿論、就活もはじめなければいけないのですが、まずは「日本一周」を加速したいと思います。
3月31日まで働きますが、翌日4月1日はのんびりと過ごすなんていうことはせずに、早速日本一周の一環としての「日帰りプチトリップ」をする予定です。

4月1日のプチトリップの行き先は「皇居」です。
今回、日本一周をするにあたって「日本人である自分の原点を見直したい。」という思いが強く、日本一周を本格的にスタートする4月には、まずは日本の象徴であり原点である場所の訪問から始めようと考えた次第です。
「皇居」の見学は平日のみの予約制であることは知ってはいたのですが、通常予約は意外に早く満員になってしまうようですので、今までは縁がありませんでした。(というか、行く気になってもいませんでした。)
会社を辞めた翌日のプチトリップには、今まで54年間外観だけしか見たことがない皇居を訪ねることこそ相応しい! と考え、4月の予約がオープンされる3月1日の早朝に起き出し、4月1日AMの部の見学予約を真っ先にGETしました。
「4月1日頃なら、『皇居の桜』も満開になるのではないか!?」という読みもあったのですが、予想通り満開予想日の翌日ですので、見学会の後は「東京第1回目」として、近くの桜名所も訪ねてみようと思っています。

その翌々日には、早くも「日本一周の旅1回目のロングトリップ」に出る予定です。本来であればハローワークへの登録など退職後の諸手続きをちゃんと行ってから、万端準備して旅に出たいと考えていたのですが、ハローワークの登録に必要な「離職票」は早くても退職2週間後以降でないと手元に届かないらしいですし、健康保険の手続きも同じように2週間は掛かるようなので、4月前半の2週間は病院にも行けません。(ということで、私も妻も今週あらゆる病院に掛かっています。)
であればこの2週間、「日本一周」を始める絶好のタイミングなのです!!

「日本の原点に触れる4月」ですから、行き先には逡巡はありません。
行き先の予定は
・富士山
・伊勢神宮
・高野山
・吉野の桜
をメインイベントにする予定です。勿論、世界遺産の「熊野古道」をはじめ自分の未訪問県である和歌山も満喫するつもりですし、日本の原点「奈良」もしっかり見てきます。高野山は今年弘法大師が高野山を開創して1200年の記念すべき年で、4・5月には法会が目白押しで大混雑のようなのですが、日付を先に決めて何とか宿坊を予約することが出来ました。
その後の楽しみは「吉野の桜」。2015年の「桜三昧(三部作)」のメインイベントとして満喫する予定です。
実は自分でもうっとりするような魅力的な日程がほとんど出来上がっていて、自分でもとっても楽しみなのです!

でも、大きな不安が一つ。先週木曜日、ちょっと歩きすぎて右足の付け根が痛くなり、金曜日には駅までの短距離が歩けなくて、往復タクシーを使わざるを得ませんでした。(勿論、駅までの短距離のみ… ですが)
3年半前、リハビリセンターから最寄りの駅まで歩いた時の症状に似ていて、その時は全快まで約1か月半掛かりましたが、今回はその時の教訓を活かして、その時に有効だった薬を毎日塗り、この週末は完全に安静にして回復を目指しています。
その時の症状を確認するためにこのブログを見直していたのですが、ブログに書いた懐かしい言葉を思い出しました。
「神は乗り越えられる試練しか与えない。」
当時、再放送していた「仁」で、主人公(大沢たかお)がよく口にしていたフレーズだった記憶があります。

あと1日、会社員最後の1ページを汚さないようにしなければ…

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ノートパソコン購入顛末記 [日常のトピックス]


すごく久し振りの更新です。
この2か月、投稿が出来なかったのは、多くのブロガーの皆様と同じような理由、「書くことがない」ためです。
週刊誌の連載に勝手にライバル心を燃やしながら頑張って週イチの投稿を続けてきましたが、そこが素人の悲しさで遂に「どうでもいいこと」ですら書くことがなくなって、キーボードを一文字も「ポチッと」押せなくなってしまいました!
「流石に週刊誌に連載を持っている人は凄い! やっぱりプロは違うなぁ~!」と週刊誌に何気なく載っているたった1~2ページの連載エッセイの凄さに改めて脱帽です。「私にはとっても出来ないなぁ~!」と思いました。たったこんなつまらない雑文ですら埋められないのですから…
今後については、書くことがある時にだけ投稿させていただきます。
もうしばらくしたら、書くことが増えそうな予感もしています!?

この数か月、特に何もしていなかった訳ではなく、さまざま準備をしていてそれなりに充実した日々でした。ただ、このブログもお蔭様で知り合いの方々にも読んでいただいている(本当に読んでくれているかどうかは?ですが)こともあり、次のステップについてまだ皆様にご報告できるタイミングではないため、関連事項も含めて書けなかったのです。
毎回読んでいただいている一部の方からは、「どうしたの?元気にしてるの?」というご心配もいただきました。1回病気で音信不通にもなった(ブログはまだ始めていませんでしたが)前科者の私ですが、お蔭様でこの通り元気です。
ご心配いただいて本当に申し訳ございません。

ところで今日は久し振りの投稿ではありますが、相変わらずの日常の些細なことについてのレポートで、ノートパソコンを買った顛末についてご報告したいと思います。

私のパソコンの愛機(VAIO)はデスクトップですから、旅行(ドライブ)に持っていくことは出来ません。でも今年6月の北海道旅行の時には冬に娘からプレゼントされたKINDLEのタブレットを持っていき、ホテルの無線LANを使ってネットを楽しみました。夜はすぐに爆睡してしまうものの、年寄りらしく朝は早くから目が覚めるので朝の暇つぶしには重宝しましたが、半年間の十分な下調べをして臨んだ旅行でしたので、改めて見るページも殆どなくネットサーフィンと言っても既に何回も見ているページの確認が主でした。勿論、ホテルなどの予約も既に自宅から完了していますので、その意味でタブレットを使いこなすことはありませんでしたが、朝ホテルでネットを見ながら、「旅行に行く時、ノートパソコンがあれば便利だろうなぁ~!?」と秘かに憧れたのも事実です。
でも指が太くて小さいキーボードだと複数のキーを押してしまう私は、以前からノートパソコンを大の苦手としていたし、老眼が着実に進行している現在、少しでも大きなディスプレイで見ないと情報が見えないことも事実なので、メインのパソコンをノートに切り替える選択肢はありません。

でも先日、「PCが壊れて困った」という話を複数の友人から聞かされて、正直考え込みました。今の生活で自宅のパソコンが壊れて修理に出すことを考えると…
パソコンのない生活が半月あるとして、その間の日常生活に耐えられるか? いや、その前に修理に出す先を調べるのをパソコンなしでどうやって調べればいいんだろう?? などと考えるうちに「やっぱり今の時代、もう一台サブのパソコンを持っていた方がいいのではないか?」と考えるようになりました。サブのパソコンをノートにすれば、今後の旅行にもノートパソコンを持っていくことが出来、無計画で旅に出てもその日の宿を楽天・じゃらん・るるぶトラベルなどで予約できる訳ですし…
そう考え、早速いつものビックカメラに行って情報収集です。するとノートパソコンの安いのは5万円前後のからあり、思ったより安いようです。でも5万円のパソコンのディスプレイはやや小さく、持ち運びには便利そうなものの老眼の私としてはちょっと辛いかなぁ~ という感じです。陳列されている様々なマシンを見ながら、「ディスプレイのサイズとしては14インチ以上は欲しいなぁ」と考えたのです。
また、私がこだわるCPUも安いのはインテルではなく、例えインテルだとしても一番安いシリーズだったりするので、即決の食指は動きません。やっぱり10万円以上のノートを見ながら、「欲しいなぁ~」とため息をついてしまいます。

また、ノートを買うとしたら同時に購入を検討したのはUQ WIMAXなどどこでもつながるネット接続のモバイルルーター。でもUQ WIMAXなどは月額4000円前後で、ちょっと手を出せそうにもありません。もっと安くて色々な場所で使えるプランはないか? とビックカメラの販売員にも聞いてみますが、「これだ!」という安いプランはないようです。
スマホを親機として接続する「テザリング」で対応することに意見を求めたところ、「PCをテザリングにつなぐと、すぐに契約容量を超えてしまいますので、止めた方がいいです!」と厳しいご指摘です。まぁ、何も買わなくて済むわけですから、販売員とすれば「テザリングで十分ですとは絶対に言わないだろう」とは思っていたのですが…

ビックカメラの情報収取で、やはりハードルが高いことは再認識しましたが、自宅に戻ってネットで更に情報収集を続けます。パソコン直売会社であるDellやHPなどでは、ワードやエクセルのOFFICEがなければ4万円前後からのノートがあるようなので、これなら行けるかも… と思って更にネットサーフィンを続けます。

しばらく(約1~2か月の間)さまざまなサイトを見ているうちに、懐かしい名前が少しづつ気になりはじめました。その懐かしい名前とは、「ThinkPad」。
ThinkPadと言えば、パソコンの走りの頃のIBMのノートパソコンのブランド名で、当時パソコンのことなどほとんど知らない私が、羨望の眼で見ていた憧れのノートパソコンだったのです。その後、IBMがパソコンから撤退して中国のLenovoという企業に売ったのは知っていましたが、あの斜めの「ThinkPad」のロゴは昔のままのようです。
基本、「メイドインチャイナ」を信用していない私なのですが、過去に一番長く使って非常に快適だったパソコンDellも中国製だったし、もはやメイドインチャイナを毛嫌いする時代ではないのかもしれません。
そう思いながらLenovoのページを見続けていると、何かの記念特売でインテル第4世代のCPU「コアi3」の入った14インチのノートが3万円台で出ているではありませんか!!

私の今のPCが「コアi5」で、以前買ってすぐに手放した富士通の最新PCが「コアi7」だったので、一番スペックは低いとはいえ、これで「コアi3」を買えば「インテル第4世代3兄弟のそろい踏み」になるではありませんか!?
勿論、スペックで比較すると7>5>3の順番ですが、今のPCは7から5にダウングレードしたもののさほどの不便は感じていませんし、まぁサブ機としてはコアi3であれば十分だろうと思い、毎回何らかのキャンペーンをやっているので本当にこれが「今回限りの特価」であるかどうかは大いに疑問を持ちながらも、遂に「購入」のボタンを押してしまいました!

2週間後、いかにも「中国から来ました。」風の美しくない梱包でパソコンが届いたのは意外と早く購入の2週間後。週末にウキウキワクワクしながらようやく中国風の(=ちょっと雑な)梱包を解いてセットアップを始めましたが、パソコンに初めて電源ををつけた瞬間、「あれっ??」と思いました。
初めて電源を入れたパソコンのディスプレイは見事に色が反転していて、カラーどころか大昔の「ヒットビット」のような白黒の画面になっています。ノートの角度がいけないのかと思い角度を調節してみると一瞬カラーになるのですが、その後すぐに反転して白黒に戻ってしまうのです。おまけに、しばらくするとついたり消えたりを繰り返すし…
「やっぱりこれはIBMのThinkPadじゃないんだ… メイドインチャイナのLenovoなんだ… 失敗!!」とは思いましたが、大枚4万円強(内容を少しだけアップグレードしたので…)を払ったので、簡単に諦めるわけにはいかずに翌月曜日にカスタマーサービスに電話します。
「いきなり修理? めんどくさいなぁ!」とは思って電話したのですが、「修理でもいいですが、交換でもいいですよ。」とのことなので迷うことなく「交換」を選択して、もう一度中国の工場で作って貰うことになりました。とりあえず今家にある方は新品到着後に返せばいいとのことで、先に改めて新品を送ってくれるとのことでした。

今度は2週間では届かず、たっぷり3週間は待ったでしょうか… マイページで自分のパソコンの製造状況・工場の発送状況や配達予定日が日々表示されるのですが、配達予定日を2日過ぎても今度は全く家にパソコンが届く気配はありません。「文句をつけたからいい加減に対応してるのかな?」と流石に怒って電話してみると、「明日配達です!」という「蕎麦屋の出前」状態で、この段階ではLenovoにしたのを重ねて心から後悔しました。

ようやくパソコンが到着し、改めてセットアップをしてみますが、今度はちゃんとカラーにもなり問題はなさそうです。約1か月遅れではありますが、ようやく待望のノートパソコンを手にできた瞬間でした!

このパソコン、現時点では好調です。(まだ完全に中国を信じ切れていない自分がいます) 購入後のトラブルがあったので、この1か月の間毎日のようにLenovoのサイトを見ていたのですが、私が買った製品は購入直後に5万円に戻り、今も5万円前後の価格を行ったり来たりしています。つまり4万円前後で買った私は結構いいタイミングで買ったことになり、1か月待ったのはやむなしと考えることにしました。
ワードとエクセルは付いていませんが、これは「サブ機」なので問題ありません。Wifiの接続については、とりあえずdocomoの「携帯以外300円で使い放題」のプランに加入して、様子を見ています。

過日、早速特に用もないのにステラタウンのスタバにこのノートパソコンを持っていき、外でも使えるかのチェックをしました。勿論docomo経由でスタバでもヨーカドーでもネットは問題なくつながりました。
「スタバでラテを飲みながら持っているノートでネットする」ことは昔からの憧れだったことを思い出し、何となく嬉しくなりました。

なお、このノートパソコンで使おうと、ほぼ同時にamazonでBluetoothのマウスも買ったのですが、中国直輸入のこのマウスも認識が遅く、毎回20秒は経たないとマウスを認識しないのでamazonのレビューに「認識が遅い!」と書き込みすると、すぐに販売した業者から「交換します」というメールが来たのですが、「送り返すの面倒」と返信すると「返送不要」としてもう1つ送られてきました。こちらも今度はすぐに認識して今のところ快適です。

つまり我が家には現在、2台のLenovoのパソコン(初期不良品は、年明けにならないと引き取りに来ないのだそうです。)と2つの新しいマウスがあります。
「やっぱり中国製には気をつけよう」というのが教訓でしょうか?


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息子とタバコ [日常のトピックス]


先週、7年半別々に暮らしていた息子が我が家に帰ってきました。
休みでちょっと帰って来たのではなく、別に暮らしていたアパートを引き払って我が家に帰って来たのです。アパートを引き払って自宅に帰って来た理由は、7年半勤めていた会社を辞めて、新たな生活をするために自宅から再スタートを切るためです。

長女が関西に転勤になって家を出てから3年… 2人の子供が家を出て妻と二人だけの生活が続いていましたが、3年振りに親子3人の生活に戻ることになった訳です。
7年前に息子が、3年前に娘が家を出た時には、残された我々はいつもいる子供たちが家にいなくなり、急に生活に大きな穴が開いたというか呆然とした淋しい気持ちになったのですが、3年も経つと妻と二人だけの生活ペースにもすっかり慣れて、今度は3人の生活に何となく慣れない感じです。二人だけの生活⇒食事は3人分用意しなければいけないし、風呂の順番も… なんとなく落ち着かない1週間を過ごしました。

息子は高校卒業以来、料理人を目指して「中華の鉄人」陳健一さんのお店(チェーン店)に勤めていましたが、勤続7年半でお店を辞め、新しい道に進むのだそうです。
新しい道とは… 「ラーメン屋を開業する。」ことを目指すのだそうです。
勿論、今すぐにラーメン屋を開業できるわけもなく、とりあえずラーメンの修行をしながら自宅に戻って開業資金をせっせと貯めて、何年か後(5年後が目標らしいですが)の開業を目指すのだそうです。

半年前に「ラーメン屋を目指すために会社を辞めて家に戻る。」ことを相談(というより宣言)されてはいたのですが、ごく普通のサラリーマンで会社というある意味では”ぬるま湯”の中でずっと過ごしてきた私には、独立開業の経験もなく、ましてや飲食業のノウハウなんて全くないので、何のアドバイスもしてあげられません。「会社を辞めた」ことも学校卒業以来32年間で一度もない私なので、そのあたりの手続きさえも知識としては何となく知ってはいるけれども、自分で経験したこともなく実体験のアドバイスもできません。
ただ、いくらラーメンブームが続いているとはいえ、独立開業して成功を収めることが出来るのは、数多くのラーメン屋を目指す人たちのうちのほんの僅かな人たちだけ… ということは知っています。TVで取り上げられるサクセスストーリーの主人公は本当に少ない人たちだけで、多くの人たちは開業前に挫折し、開業できたとしても借金を抱えて夢破れる… という惨状になるだろうと思います。
でも、「夢に向かって踏み出す」息子に「止めろ!」という気はありません。息子が悩んで決断した「息子の人生」なのですから、親としては温かく見守ってあげたいと思っています。

火曜日に7年間の一人暮らしの歴史の割には少ない荷物(家電製品などは、かなり整理してきたそうです)と一緒にに帰って来た息子は、翌日から早速バイトしながら勉強するラーメン屋探しを始めたようです。また、開業資金を貯めるためにもう一つバイトをする気のようで、こちらも早くも面接まで行っています。
手に職を持っているので、このあたりの「食うには困らない」さまは、一般のサラリーマンの私(+今は障がい者なので余計)よりもずっと引く手あまたのようです。

でも、一週間で早くも息子と衝突してしまいました。
その理由は「タバコ」。

息子は、20過ぎてからタバコの味を覚え、「プロの料理人を目指すんだったら、タバコは絶対止めろ!」と何度か言っていたのですが…
2年前に突然の病気で約1か月入院&自宅療養した時には、医者の勧めもあって禁煙を決意、以降「タバコとは縁を切った」と本人も言っていたのですが…
今回7年振りに家に帰って一緒に暮らすようになると、勿論我々家族に隠せるはずはありません。自室として与えた部屋の中のニオイは消しても消えません。

タバコに関しては、実は私は偉そうに言える立場では全くありません。、タバコを吸い始めたのは高校時代で、大学入試を前に半年間最初の禁煙をしたものの大学入学後にはずっとタバコを吸い続け、その後何度か禁煙⇒失敗を繰り返して、最終的な禁煙は「2000年になったらタバコを止める。」と宣言した禁煙にようやく成功し、以降約15年間タバコとは完全に縁を切っています。
でも、家の中ではもっと前からタバコは吸っていません。結婚して妻が上の子(娘)を妊娠したことが判明したその日から、家の中での喫煙は一切せずにベランダでタバコを吸ういわゆる”ホタル族”になり、今の家に越した後には、ベランダを含め家の中では絶煙しています。

今ではタバコの匂いだけでも大嫌いになりましたが、世間のタバコに対する風当たりが強くなってきて、今では吸えるところも非常に限られてきているので、タバコの匂いをかぐことも殆どなくなりました。
「健康のためにタバコをやめろ!」という意味では、40才前にようやくタバコをやめた私は、(50で脳卒中になって)「既に、手遅れだった」訳ですが、世間で言われている通り「味覚」の点で言えば「料理人」にとって喫煙は致命傷になると思うのです。そういった意味では息子にしてあげられる唯一のアドバイスが”禁煙”だと思うのですが、タバコの魔力に息子はまた押しつぶされてしまったようです。

喫煙していることが判った後、口で話すことも考えたのですが、より思いを正確に伝えるため、口頭をやめて紙で伝えることを決意し、A4×2枚の手紙を書き、息子不在時に部屋の中に入れておきました。
その後、(狭い家ですが)息子とは会話をしていません。
妻は、「ちょっと、厳しいのでは?」と言っていますが、私は間違っているとは思わないのですが… 
「大きなお世話」なのでしょうか?

子供に書いた手紙一部抜粋してここに掲載させていただきます。
私、間違っているでしょうか?

(以下、個人情報を削除した手紙)

XXへ

 2012年2~3月に、貴殿が入院してしばらく家で療養していた時、私が貴殿に禁煙を強く勧めていたことは忘れてはいないと思います。料理人として一人前になるためには、味覚をズタズタにする喫煙行為が貴殿にとって大きなマイナスとなることは間違いないと思うことが、最大の理由です。(勿論、健康面での心配もありましたが…)
貴殿も、理解して禁煙してくれたと信じていたのですが…

 確かにタバコを止めるのは難しいし、私も何回か失敗したので、その苦労は十分すぎるほどわかっているつもりです。でも、(料理を職業にしていない私の過去はともかく、)料理を職業にしている貴殿がタバコを止められないのであれば、正直貴殿のプロ意識に大いに疑問を抱かざるを得ません。ましてや、これから独立してラーメン屋を開業しようという夢に向かって邁進しようとしている今、タバコ一つ止められないようでは、ラーメン屋を開く夢は一刻も早く諦めた方がいいと思います。
今すぐに方向転換すべきです。ラーメン屋を開いて成功させるなんて、そんなに甘いものではない筈です!!

 私も、タバコと完全に縁を切ってから15年が経ちます。今ではタバコの匂いが大嫌いになり、現在の生活圏では全くタバコの匂いと切り離され、快適な生活を送っていました。また、29年前にXXがxxを妊娠したことが判った日から、家の中では一切タバコを吸うことは止め、それから約15年はベランダでタバコを吸っていたことは記憶にあると思いますが、家を買ってから18年間、この家では「完全禁煙」を守っていました。
(昔、貴殿が隠れて吸っていたことがあるのは知っていましたが…)

今の私には、正直家の中のタバコの匂いが耐えられません。自分の家に帰って来てこんなに不快感を覚えたのは18年間で初めてです。昨晩から、気持ちが悪くて殆ど眠れていないのも事実です。

大人である貴殿に、「タバコを止めろ!」と命令することは出来ませんが、少なくともこの家は私の家ですので、この家の中では本日以降「絶対禁煙」を守っていただきます。
貴殿の部屋の中であれ、喫煙は厳禁です。
喫煙は外でして下さい。
守れないのであれば、今すぐ家を出てアパートを探してください。

(中略)

 相変わらず煩い親だと思うでしょうが、普段は貴殿のやることに口を挟むことは出来るだけ遠慮しているつもりです。「今回の退社⇒夢に向かって進む」ことも、何も言わず(親として)できる限り応援しようと思っていました。
でも、本当に喫煙は舌をダメにするのです! 私は20年タバコを吸ったので、既に舌の機能はかなり失われてしまっています。貴殿も、もう「手遅れ」かもしれませんが、今すぐに止めれば「まだ間に合う」かもしれません。
「同僚がみんな吸っているから」というのがタバコを吸う「言い訳」かもしれませんが、あえて言わせていただきます。「だから、努力した一握りの奴しか成功しない。」んだと。
そう、タバコを吸ってノホホンとしている奴らが、みんな成功できるとはとても思えません。
だから、貴殿はその「一握りの人」になるためには、周りの人と同じことをやっていたのでは、絶対にダメだと思います。
今回の退社&転居は、「環境を一新させて自分が変れる大きなチャンス」ではないでしょうか!?

 タバコを止めるのは本当に大変です。でも今は、「禁煙外来」もあるのでこの利用も考えてください。(当時あったら、私も通いたかった!)
夢に向かって真っすぐに進むxxを、気持ち良く応援させて下さい。

 そのためにも、今後の自分の人生をもう一度よく考えてみてください。
 誰のためでもない、あなたの人生なのですから…


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(人生初) 法務局へ [日常のトピックス]


先週もまたまたブログの更新をサボってしまいまいました。
理由は毎回同様なのですが、「ネタ切れ」。日常生活では、報告するようなトピックも特になく、病状も特に変わらず(良くも悪くもなっていない…)、旅行計画もまだ壮大な計画に取り掛かったばかりで、計画のラフ案を検討中ですから報告するレベルでも全くないし…
ということで、毎度のことながらPCの前で髪を掻き毟りながら、「う~ん。書けない!」と固まってしまっていたのです。
今週も引き続き書くこともないのですが、とは言え書かなければ「リハビリ」にはならないので、何とか書きたいと思います。
先週水曜日、人生で初めて「法務局」に行きましたので、今日はその件をレポートしたいと思います。

法務局… 存在は何となく知っていたけれど、会社を作った(登記した)こともなければ今後もその予定もないし、親から不動産を相続することも残念ながらなかった私としては、「一番縁遠いお役所」だと思っていました。従って、行く用はおそらく一生ないであろうと思っていたのですが…

今回、そんな法務局に行くことになった用事は、「抵当権抹消手続」です。
いくつかのローンを借りて今のマンションを買ったのですが、景気よくそのローンを全部返せれば良いのですが、残念ながらそういう訳にはいかないものの、ある程度金利の高い契約当時からのローンを整理しようと様々な対策に取り組んだ結果、一部のローンを何とか返済することができたので、そのローンについている「抵当権」だけを取り返すことが出来るようになった次第です。
勿論、金融機関により抵当権がしっかり複数設定されている我が家は、これでめでたく「無罪放免」になった訳ではなく、まだ他社の抵当権はしっかり設定されてはいます。ただ、一つ減ったことだけは嬉しいことに事実のようです。

ネットなどで調べたところ、抵当権抹消手続きは「すぐには手続きする必要はないが、放置しておくと数年以降後にいざ何らかの手続き(売却する時や相続する時)が必要な時にやろうとすると大変。」なのだそうです。通常はそういった手続きの専門家である「司法書士」に依頼する場合が多いそうなのですが、依頼すると手数料は平均2万円程度(今回の抹消の時の金額例。手続きが煩雑になると更に増える!)は必要なようで、決して裕福ではない我が家には、それなりに痛い出費です。ネットを見る限り「自分でもでき、その場合は法務局の手数料だけ(2000円程度)」らしいので、「ならば、ネットで調べて自分でやってみよう!」と決意した次第です。

ただ、法律関係に全く明るくない私ですので、ネットでの説明を読めば読むほど不安が増幅してきます。ネットに書いてあることも、例えば「書類の綴り方」一つをとってもサイトによって微妙に違うのです。(申請する市によっても違うのでしょうか? 結局、綴じずに持参して「相談コーナー」で綴じていただきました。)
おまけに、「登記が変更になっている場合は、抹消前に変更の手続きが(先に)必要。」と書かれており、例えば我が家の場合、住所は市制施行で白岡町⇒白岡市に変わっており、この手続きが必要かどうかはどこにも書かれていないのです。
また、お金を借りた金融機関はこの20年近くの間に組織変更になっており、当然その手続きは金融機関側でやることになるはずなのですが、該当機関のHPを見る限り、「手続きがまだの場合があります。」とも書かれていて、不安が増幅します。
でも、悩んでいても仕方がないので、とにかく「一回やってみよう。ダメだったら2万円払って司法書士に頼めばいい!」と思うことにしました。

代理店である地元の信用金庫から「書類が出来ました。」と連絡が来て、「依頼先はお決まりですか? あてがなければ、ご紹介しましょうか?」と言われたので、電話を受けた妻が「自分でやるって言ってます。」と答えると、「面倒なので、素人には難しいと思いますよ!」とあくまで司法書士の代行を推奨するので決意が少し萎えかけますが、初志貫徹で「面倒でもお金が高いので、自分でやります!」と宣言します。

信用金庫に書類を取りに行ったのは先週の火曜日。元々妻の病院に(久しぶりに)つきあって、最近の状況を主治医と面会して聞くつもりで会社の有休を取っていたのですが、医者が普段よりかなり時間がかかったので、信金の閉店前に何とか間に合って、書類を受け取りました(書類を改めてチェックしましたが、金融機関の名称変更はちゃんと変更されていました!)

すぐに自宅に戻って、事前にネットの情報で下書きしていた申請書を改めて信金で貰った書類の通り記載し直し終わったのが4時頃。「いざ、法務局」と思ったのですが、念のため受付時間を電話して聞いてみたところ、「受け付けは17時までですが、相談コーナーは16時までです。」とのこと。

素人が申請する場合は、ネットのどの情報でも「法務局に持ち込む際には、最初にどの局にもある『相談コーナー』に行き、書類の不備をチェックしてもらってから、申請すべし!」というところだけは全ページ共通のアドバイスなので、当然私もそのアドバイスに従うつもりでいたのですが、その相談コーナーが4時で閉まってしまうのであれば、本日の申請は叶いません。
申請はいつでもいいと言えばいいのですが、信金からの書類には「有効期限」(3か月だが、何故か書類がいささか古く、残りは約1か月!)があるものがあることや、しばらくすると(健忘症が進んでいる私が)忘れてしまいそうな恐れがあるので、早く済ませてしまいたい!という気持ちもあったので、会社に連絡して翌日の午前中まで休みを延長させていただくことにして、翌日水曜日の午前中に改めて行くことにしました。

ネットの情報によると、都内などではどの「相談コーナー」も待ち時間が長く、「ここでかなり待たされることを覚悟せよ!」とあります。我が白岡市を管轄する法務局は久喜の法務局なので、「田舎だから大丈夫だろう…」とは思うものの、万一のことがあると会社に間に合わなくなってちょっとみっともないので、外で待つことも覚悟の上で、9時のオープン前に行きました。
8時40分頃に場所だけは何となく知っていた法務局久喜支局に到着しましたが、ありがたいことに既に法務局はオープンしており、待つ椅子もちゃんとあるようです。肝心な「相談コーナー」には銀行窓口のような自動受付機が置いてあり、早速GETした受付番号は「001」。やっぱり田舎なので都内のような状況ではないようです。

9時に早速相談コーナーで書類をチェックいただきます。何度もネットの複数のサイトを読んで「これで大丈夫だろう」と思って持ち込んだ書類ではありますが、それでもやっぱりプロの目から見ると不足な記載事項はあるようで、その場で少しだけ追加で記載を指導いただきます。でも、全体的には記載はちゃんとできていたようで、「みんなこのくらいちゃんと書いてくれるとありがたいんだけどね…」という愚痴なのかお褒めの言葉なのかをいただき、少し嬉しい気分になりました!
2000円の印紙を貼り、「はい、これで2番の窓口で申請をして下さい。」とのことで、申請は9時半前には無事に終了しました。
「完了書の受け取りは9月16日以降。問題があれば連絡します。」とのことですが、昨日までに連絡がなかったので問題はなかったのだろうと思っています。

抵当権抹消が出来て何が変わるわけではないのですが、1万8千円を節約できたこともそうですが、何となく自分でできたことが嬉しく感じます。以前のイメージに比べても、「お役所」は少し優しくなった(マイルドになった)感じがします、相談コーナーの対応もGOODでした。
(なお、市制施行による手続きなどは特に必要ありませんでした。)

最後に私が一番参考になったページをご紹介します。こちらです。
申請書のひな形もWordであるので、しっかりと利用させていただきました。

これで残りの抵当権の抹消手続きにも自信が出来ました!
でもその前に、「残りのローン」返さなきゃ!!


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都電荒川線のこと(愛しの7024) [日常のトピックス]


4年前に病気になって以降、毎日の通勤には駅が近いこともあり、都電荒川線のいわゆる”チンチン電車”を利用しています。
今日は、そのお世話になっている「都電荒川線」について書こうと思います。

都電荒川線は、都内に唯一残っているといっていいたった一両で走る電車です。荒川区の三ノ輪橋から新宿区の早稲田の間約12キロを約30の駅で結んでいるので、駅間は300メートル~500メートルと普通の鉄道と比べたら異常に短い区間です。
私が通勤で利用している区間は「王子駅前駅」(JRの駅と区別するために、これが正式名称です!!)~「向原(むこうはら)」の8駅ですから約4キロの区間を、毎日20分ぐらいかけて走ってくれています。(我が家のある白岡~隣駅蓮田の間の方が、これより距離がある<約5キロ>ようです。)
こんな「このくらい、歩けよぉ~!」と言われそうな距離ではありますが、我々病人や高齢者を中心に利用者はそれなりにいて、いつ乗っても(たった一両だとは言え)常に立っている人がいてそれなりに混雑しています。でも料金は170円均一(ICカードで払うと165円)なので、黒字かどうかは知りませんが、恐らく採算は取れていないのではないだろうかと推測します。

”チンチン電車”という愛称は、今でも本当に発車するたびに{チンチン」という鐘を鳴らすのがその由来だと思います。また、一部ではありますが道路に敷設された線路を走る「路面電車」です。代表的な道路を走る区間は、私が毎日乗っている王子駅~飛鳥山公園間の明治通りを走る区間で、右折レーンに設置された線路を、都電は線路通り斜め右に専用軌道に向かって走るのに対して、前後と左側を走る一般車両は道路標識通り右折するわけですから、油断すると事故につながりかねないちょっと危険な場所です。私が免許を取った32年くらい前の教習本には、このあたりの注意が書いてあったような記憶があります。(まさに、この交差点のことではなかったでしょうか?)

都電荒川線を走っている車輛は、ホームページを見る限り36両あるのだそうです。車両は7000番代~9000番代までありますので、一番古いのが7000番代で、最新が9000番代だと信じこんでいたのですが、この記事を書くにあたって念のため調べたところ、最新は9000番代ではなく8800番代なのだそうです。
これが最新の8800番代の列車です。
DSC_0534.JPG
(大塚~向原間 バラの花の横を疾走する8800形)

こちらは、4年間ずっと「最新だと信じこんでいた」9000番代です。
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(朝の王子駅。今日も座れない!?)

個人的には、一番古い7000番代(7000形)が一番気に入っています。この7000形は昭和30年代に製造した旧7000形の台車などを再利用して昭和50年代に新製した車両とのことですので、私と同じ50歳代の老体に鞭を打って走っているのだそうです。走っている台数は今でも都営荒川線の中で一番多いのだそうで、まだまだ頑張っては欲しいのですが、ぼちぼち「置き換え」の話が出てきているようです。
この7000形、大半の電車が全面広告の「ラッピングトラム(トレイン)」です。地元の信用金庫をはじめ大学の広告などで一面覆われています。大学の広告は近年珍しくはないのですが、地元の私立中学・高校のラッピングトラムも走っています。通学でこの電車に乗っているこの学校の生徒さんたちは、どう思っているのでしょうか? 都立高校卒の私としては、ちょっと羨ましい気もしますが…
自治体(東京都)の電車なので、何となくちょっと「お堅い」広告が多いような気がします。もっと貪欲にいろいろな広告を出してもいいのではないでしょうか? 風俗産業はともかく、レストランぐらいの広告はあってもいいような気がします。
これは、最新8800形のラッピングトラムです。やっぱり、「お堅い」ですよね!?
 DSC_0539.JPG
また、外側の全面広告ではないのですが、内側に「警視庁」が1台全部に「広告(なのかなぁ??)」を出している電車があります。入り口に「暖簾」が掛かっていて、「飲んだら乗れん!」というオヤジギャグです。
でも最近、この列車に当たっていません。中なので満員電車だと写真も撮れません。

そんな個性豊かな都電荒川線なので、2年ぐらい前から毎回朝晩乗るたびに乗る列車の4ケタの番号を何となく気にするようになりました。
そのうちに「何となく好きになった」列車ができ、気づいたらその列車に乗れる(逢える)のが、楽しみになってきたのです!!
その列車の番号は「7024」。7000形ですからこれも現役最古参のうちの1台ですが、大半の7000形が企業広告にラッピングされている中で、この7024はラッピングがされておらず昔からの基本デザインのままです。
「孤高を保っている」のか、単に「買い手が付かなかったのか」 実際のところは判りませんが…

最初の頃は、たまたま乗った電車の車番を見た時に、「また7024だ」と思ったところが始まりでした。徐々に「こんにちわ! また会いましたね!!」から何となく会話(?)をするようになり、何となく「7024を期待している」自分がいることに気づいて、何か不思議な気持ちになりました。
最近は、「7024に乗れればラッキー」と思えるだけではなく、すれ違っただけでも、「(何となく)いいことがあるかも!?」と嬉しくなるのです。
通勤の行きと帰りがたまたまどちらも7024だったことがあったのですが、その時は実益は全くないものの何となく「宝くじに当たった」ぐらいの嬉しい気持ちになり、それだけでルンルン気分になって家に帰ったことを覚えています。
尤も、「宝くじに当たった」経験は全くありませんので、本当の嬉しさを知らないだけのかも知りませんが…

今週、月曜日の朝いきなり王子駅で反対側に向かう7024とすれ違います。
「おはよう!元気だった!?」と線路越しに会話を楽しみ、「これは、今週ツイてるぞ!!」と朝からテンションが上がりました。
DSC_0531.JPG
火曜日には、昼間大塚駅近くまで散歩(リハビリ)がてら昼食を食べに行った帰り道に、遠方に7024のシルエットが見え、またまた「暑いのに頑張ってるね!」と勇気づけてくれました。
水曜日の帰り道(都電乗車中)には、帰宅途中で反対側に向かう7024にすれ違います。「今日も暑かったね!? 夏バテしてない?」と友人以上の親しい会話をさせていただき、気持ち良く帰路につくことが出来ました。
木曜・金曜には7024の姿は見かけませんでした。今週は乗ることは1度もありませんでしたが、3回もその元気な雄姿を見ることが出来て、何となくモチベーションが上がりました.

これからももうしばらく、私の通勤とモチベーションアップにお付き合いください!


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親父の一番長い日 [日常のトピックス]

 
「親父の一番長い日」という曲は、さだまさしさんが1979年にリリースした曲です。当時「雨やどり」や「関白宣言」などでさだまさしさんは人気絶頂だったため、12分という(当時としても)異常に長い曲でありながらも、オリコンチャートで1位を獲得した曲なので、ご存知の方も多いと思います。

曲の内容は、娘(妹)が生まれてから成長し、その成長ぶりに父親が一喜一憂するさまを、兄貴の視点で描いている曲です。
曲のクライマックス「親父の一番長い日」とは、成長した娘が結婚相手を家に連れて来た日のことを描いています。詳しく説明するより曲を聴いていただいた方が早いのですが、12分という超大作曲なので全部聞くのは結構大変なのと、You Tubeなどで誰かがUPしたその曲を貼り付けても、最近はプロの歌は著作権などの関係などですぐに削除されてしまうようなので、曲の貼り付け自粛しこの場面の歌詞のみご紹介したいと思います。
(これも、著作権的に言えばグレーというかアウトなのでしょうが…)

ある日一人の若者が我が家に来て、「お嬢さんを僕に下さい」と言った。
親父は言葉を失い、頬を染めうつむいた いつの間に綺麗になった娘を見つめた。
(中略)
「わかった娘はくれてやる。その代り一度でいい、奪って行く君を、君を殴らせろ!」と言った。 
親父として mm…。
(後略)

当時からさださんのファンであった私は、勿論発売当時からこの曲を聴いていましたが、当時私は大学生で、「”娘をくれてやる”なんて、女性は親父の持ち物じゃないのになぁ~!?」 なんてことを思いながら聴いていた記憶があります。
その後、自分が「お嬢さんと結婚させて下さい。」と言いに行った約30年前にもこの曲のことをちょっとだけ思い出し、「一発殴られても、それで結婚を許してくれるなら安いもんだ! 一発殴るぐらいで親父さんの気が収まるのなら、一発とは言わず右の頬と左の頬を交互に差し出そうかな!?」なんて、真剣に考えたものです。
勿論、私が殴られることはありませんでしたが、その日親父さんの機嫌が悪かったことは、今だによく覚えています。

娘が生まれた後は、娘の成長のたびに、時折この曲を思い出すことがありました。我が家は長女で兄貴はいないのですが、さださんの唄う「兄貴の視点」で自分が娘のことを見ているような錯覚に陥る時もあり、長い間この長い曲と「つかず、離れず」付き合っていたような気がします。

そして先週、私にとっての「親父の一番長い日」が、遂にやって来てしまったのです!!

娘も間もなく28才になり、そろそろ周囲も真剣に結婚を考える年になってきているのですが、娘を持っている父親の方にはわかっていただける方もいるとは思いますが、父親としては「娘の幸せな結婚を願う」気持ちがあるのは勿論なのですが、反面「娘にだけはいつまでもこのままそばにいてほしい」という気持ちがあるのも(私だけかもしれませんが)偽らざる正直な事実で、きわめて複雑な心境です。

さださんの曲の「親父」さんは、どれだけ娘(妹)から事前に情報収集をしていたのかは知りません(??)が、我が家では娘から事前にこの話を聞いていましたので、心の準備はそれなりにしていた積もりではあります。
事前に聞いていた相手の情報では、相手のプロフィールには文句のつけようがありません。
年は相手が1つ上、一流大学を卒業して、日本人の大半が知っている超大企業に勤めているそうです。(公務員ではありませんが、ある意味では「公務員並みに硬い」会社です。)相手の家は埼玉ではないものの同じ首都圏の神奈川で、我が家よりは裕福な家庭らしいのですが、「釣り合いが取れない」ほどの高貴な家でもなさそうとのことです。おまけに彼氏は次男… その意味でも余計な心配をする可能性も少なそうな感じです。
 
妻などは「凄いじゃん!、よくやった!」的に全面的にWelcomeの姿勢です。妻は「文句ないでしょ? 一緒に歓迎しようよ!?」という感じですが、娘のことが異常に好きな親父としては、心から「歓迎」する気にはどうしてもなれないのです。
偽らざる心境としては、「人生の最後の方に現れた、”生涯最大で最強の恋敵”と対峙しなければならない勝ち目のない弱者の心境。」と言えばわかっていただけるのでしょうか??

現在神戸に住んでいて、”休日は稼ぎ時”の平日休みの会社に勤務している娘としては、ようやく作った祝日の休みなので、当日は昼に彼氏を我が家に連れてきた後、夕方からは彼氏のご両親に娘がはじめて挨拶に行き、その日のうちに神戸に帰る「超ハードスケジュール」な一日で、「親父の一番長い日」というよりも娘にとっても「一番長い一日」なのかもしれません。夕方の「娘の先方へのご挨拶」については、誰よりも娘を溺愛する保護者としては、「私もついていきたい!」と思うのも、こちらも偽らざる正直な心境です。
「この結婚話がまとまらなければいい」なんていう気持ちは正直微塵にも思わないのですが、でも「微妙」という表現が本当に妥当な、親父の変な心境です。

約束通り11時に現れた青年は、プロフィール通りというかそれ以上に爽やかな青年でした。私は、自分が反対の立場の時、相手(妻の父親)に黙りこくられて会話をするのに無茶苦茶苦労した(元々、無口な親父さんだったのですが、当日は超不機嫌だったのでいつも以上に全く会話の糸口が掴めず、当時からよく喋る母親とばっかり話していたのです。)経験があるので、緊張しているであろう相手のためにもこっちから積極的に話をしてあげようと思っていたのですが、必要以上によく喋ったようで、後日娘から「あの異常なハイテンションは何?」と訝しがられる程よく喋ったようです。

最初の1時間自宅で話をした後には、昨年12月の結婚記念日にも妻と行った隣町蓮田のイタリアンレストランに行き、4人でランチを楽しみました。
彼氏にお酒を飲ませて、本音を聞き出そうとしたのですが、彼氏も娘(夜の娘にとっての「本番」に備えてか、自粛してました。)や私(運転手)に遠慮してアルコールを少ししか飲まなかったので、本音を探るまでには至りませんでした。

妻は「娘のどこがいいのですか?」と大胆な質問をしていましたが、よく考えた相手は「娘の自由なところ、考え方」という思いもよらない回答でした。正直、父親として娘が「自由に生きている」とは決して思ってはいないので、この回答は全く思いがけなかったのですが、何となく嬉しい気持ちになりました。

「相手からあの決め言葉が出たらどう回答しようか?」というのは、この日が決まった時から何度となく考えていたのですが、結局この日にあの言葉が相手から出ることはありませんでした。
二人の気持ちは娘から聞いていましたし、この日の夜の先方のご両親との会話では具体的な結婚や式の話も出たようですが、私としては相手から決意なりはっきりとした言葉が出ない限り、具体的な結婚の話をこちらから切り出すことはありません。
なので、この日はそう言った意味ではちょっと中途半端ではありました。
でも、娘を20年以上愛情たっぷりに育てた我々としては、やっぱり「結婚したいんだって?」なんて私から切り出すことは、絶対にしない積もりです。
「親父として mm~」 です。
でも「君を殴らせろ!」という気もありませんが…

「妹の選んだ男に間違いはないと、信じていたのもやはり親父だった。」
とさださんは歌っていますが、私の心境も全く同じで、「娘が選んだ男」なのですから全幅の信頼を置こうと思っています。
妻は早くも結婚式のことや花嫁道具のことなどで頭が一杯のようです。
私も、一緒に娘の幸せを祝ってあげなければいけない立場なのは十分に判ってはいるのですが…
でも、当分この複雑な心境は続きそうです。

「親父として mm~」


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【緊急報告】LINEのアカウントを乗っ取られました! [日常のトピックス]


北海道旅行記をせっせと投稿している真っ最中ですが、一昨日、私の不注意により私のLINEのアカウントを何者かの詐欺グループに乗っ取られてしまいましたので、今日はそのことについて報告します。

LINEの乗っ取り詐欺については、しばらく前にTVのニュース番組の特集で見ていたので、その存在は知っていました。
その時観たTV番組によると犯人の手口は
・何らかの手段でLINEのアカウントを乗っ取り、犯人のスマホ(?)からアカウント者になりすましてLINE登録されている人にメールを発信
・メールの発信内容は、「急にお金が必要になった。現在手が離せないので、後で返すからコンビニでWebマネーを購入して、番号の写真をLINEで送ってほしい。」との依頼とのことです。
そのWebマネーを犯人がどうやって換金するのかについては触れられていませんでしたが、「この手のサギが多発しているので注意!」という報道に、自分でも僅かながらLINEのアカウントを持っているとは言え、この時は他人事の気分で「へぇ~… 世の中にはこんな手口もあるんだぁ…」 と印象に残っていました。

乗っ取りは予告もなく突然やってきます。(当たり前か!?)
一昨日7月3日の深夜12時頃に、滅多に連絡がない従兄から突然の電話がありました。私は既に翌日に備えて爆睡していたのですが、最近従兄からの電話というのは「いい知らせ」ということは殆どなく、だいたいが「親戚の訃報」であることが多いので、嫌~ぁな予感がしながら電話を替わりました。
親戚の訃報ではなかったのは何よりではありましたが、従兄から「Webマネーを買ってくれって… 何?」と突然訳のわからない内容の質問を受けます。
「何のことですか?」と聞いてみると「LINEで送ってくれって頼んだよね??」とのこと。そういえば随分前にこの従兄の名前もLINEに登録されていた記憶もあったのですが、勿論、従兄とは言え私よりずっと年長者で既に還暦を迎えている方なので、私から連絡する場合もLINEを使うことはありません。
でも「Webマネー」というキーワードに前に観たTVのことを思い出して、「それ、LINEの乗っ取り詐欺かもしれません。絶対に何もしないでください!」とお願いしてとりあえず電話を切りました。従兄はLINE乗っ取り詐欺をご存じなかったようで、心配してくれて「何だろう?」と思い携帯(出ず)⇒自宅に電話してくれたとのことです。

こうなるとのんびり寝ている場合ではありません。すぐに布団から飛び起きてスマホを見ると… 結構多くの方から着信とメールがあります。詐欺のことをご存知の方も多かったようで、「LINE、乗っ取られてますよ!!」と親切に教えてくれる方が大半です。
二人の子供とは普段よりLINEでやり取りをしているのですが、普段と全く言葉使いも違うので詐欺に気づいたようで、娘はやり取りのLINEの画面を送ってくれました。

その画面を見ると、確かにTVで見ていた「LINE乗っ取り詐欺」とほぼ同じではありませんか… こんなサギが、まさか自分に降りかかるなんて思ってもみませんでした!!
個人情報を消して、娘とのやりとり画面を公開させていただきます。
ライン_edited-1.jpg

スマホでLINEにアクセスしようとしますが、「別のツールでログインしています。」とのことで私のスマホからはアクセスできなくなっているようです。PCで「LINE 乗っ取り」で検索し、「PWや登録情報を変更すべし」という情報を見ますが、恥ずかしながらLINEの設定をどうやったか正直記憶になく、パスワードなどが思い出せません。
(このあたりが、犯人に狙われた「隙」なのです。今後は、絶対に注意しようと思います。)
最悪、アカウントを全削除するなどの方法も考えましたが、1時間以上PCとスマホで悪戦苦闘した挙句、ようやくPWをはじめ全設定を変えることに成功しました。
「やっぱり、ITツールは便利だけれど、怖いなぁ~!」と改めて思いました。
今までのLINEでのやり取りはすべて消えてしまいましたが、大半が子供たちとのやり取りなので、仕方がないとは思っています。

犯人の指示通りにWebマネーを買って、詐欺にあった方がいたとは思えませんが、念のためLINEに登録された方にはお詫びの連絡をする必要があるとも思ったのですが、LINEを十分に理解していない私は、勝手に連絡先を追加してしまうLINEの特性上、恥ずかしいことに誰がLINEのアカウントに登録されているのか、過去にLINEでやり取りしたことがある人以外はほとんどわかっていないのです!!
なのでとりあえず私のアカウントのトップページに「7/3 LINEのアカウントを乗っ取られました。」というメッセージを入れて、念のためFacebookにも(1年以上振りに)その旨の書き込みを投稿しました!

乗っ取られた原因は判明しないのですが、他のシステムとの連携が狙われてるなどの情報もあったので、そのFacebookとの連携も解除し、念のためいくつかのシステムのPWも変更しました。

翌日、会社に行くと何人かの方から「何があったの?」と聞かれ、朝からメールや携帯に電話が結構入り、そのたびに事情を説明します。
中には、親切にもWebマネーを買おうとしたが知人から「念のため本人に確認したほうがいい」と止められて電話をくれた人もいたようです。それ以外にもこんなことで数年振りに電話をくれて、本当に久々に会話した方も何人かいました。
総じて、若い人ほど詐欺に気づいた人が多く、私より年長者の方は詐欺のことは知らないけれど、「何かおかしい…」 とは気づいたようです。

メールが行った方にはご迷惑とご心配をお掛け致しました。
改めてお詫び申し上げます。

皆様もくれぐれもご注意ください。
私も、今後十分に注意致します。


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4周年/W杯/旅のしおり [日常のトピックス]


おはようございます。
いよいよワールドカップが始まり、日本中びっくりするぐらいW杯一色ですね!?
来週から旅行に行くので、今後最低1か月は普通のブログのネタ切れに悩む心配はなくなります。
ということで、今日はもろもろのことについて気ままに記したいと思います。

1、明日、倒れてから「4周年記念日」を迎えます
 明日6月16日、脳卒中で倒れてからちょうど4年目になります。
1年目2年目3年目と記念日にはその日の出来事を思い出し、文書に綴っていますので、今年はもうそんなことはしません。(というより、もうそれ以上思い出せません。)
 倒れてから3年間は、毎年自分なりにテーマを決めて1年を過ごしていました。
1年目は「(倒れてから)リハビリの1年」
2年目は「本格回復の1年」
3年目は「普通に戻る1年」
今の暮らしが決して普通に戻れたわけではないとは思っていますが、自分なりには毎年何とか目標を達成して、そのテーマを「卒業」したことにしちゃっています。

昨年からの4年目の1年間にはテーマはありませんでした。「普通に戻る1年」で一応目標を達成したのだから、「もう普通なのです!」と自分に言い聞かせる意味があったのかもしれませんね!? あえて言えば、「足の痛みに苦しんだ一年」と名付けられるのでしょうか…?
 足の痛みですが、かなり改善されてきていて、「もう大丈夫!」と思ってこのブログにも書きたいのですが、今まで何度も「治った!」と確信してこのブログに書いた途端にまた痛くなり出して翌週には元に戻る… という苦い経験を数回繰り返したため、みっともないのですが、まだ「治りました!」と書く勇気がありません。
旅行記を書き終わって、それでも大丈夫だったら改めて「4年目に苦しんだ足の痛み」として振り返りたいと思います!!

そして、明日からの5年目ですが、何となく「そろそろ人生の転機を真剣に考える1年」にしたいと思っています。来年で55歳になるのですが、55歳と言えば私が会社に入った昭和の時代には「55歳=定年」の年なのです!
今は60歳を過ぎても働き続ける時代ではありますが、私のこれからの人生を考えると、「本当にこのままでいいのか!?」と真剣に考えなければいけません。たった一度きりの自分の人生なのだから…
来月には、人生の大きなターニングポイントが一つ訪れる予定です。
子供の頃からの夢、「小説家デビュー」を真剣に考えていたりします。

2、W杯の想い出
 というほどの想い出ではありませんが、「ワールドカップ」というと思い出すことです。
 会社に入った頃、サッカーは見るスポーツとしてはマイナーなスポーツでした。当時はまだ、Jリーグだってなかったし… でも会社のとある支店では「4年に1回のワールドカップがファンには凄い人気で、100万以上するツアーがあっという間に売り切れるぐらい人気だ!」という話を聞いて、当時田舎の一介の営業マンだった私も「そんな超高額のツアーがあっという間に売り切れるような仕事をやってみたい!」と秘かに憧れたものです。1986年、入社3年目のメキシコW杯の時です。
90年のイタリア大会の前には、諦めずにツアーを企画してみようと色々と調べたのですが、チケットの入手手段に全くたどり着けずに断念した記憶があります。
「サッカーが好きだった」訳ではなく、営業マンとして「金の匂いがした(=儲かりそうな予感がした)」故ですが、そう簡単に問屋は卸してくれなかったのです。
その後Jリーグも始まり、私個人的にはずっとサッカーのツアーを大きく扱ってきた都内の支店に転勤になり、そのチケット入手のからくりについてもおぼろげながら見えるようになり、「下手に手を出さなくて良かった!」とも思いましたが、ドーハの悲劇(個人的にも、深夜のTVが終わった後、ヤケ酒を飲みに行った記憶があります!)を経てついに日本が初めて出場した98年のフランス大会の時には、記憶に鮮明な「チケット騒動」が持ち上がり、その支店のみんなは本当に大変だったようです。その騒動の直前に転勤した私は、騒動の話はリアルタイムで聞いていましたが、人気が出て世間の注目が集まった分だけ、反響やメディアなどでの報道も凄まじかったみたいです。
その後の2002年の日韓大会や06年のドイツなどでは、大風呂敷を広げずに、チケットが取れる分だけの身の丈に合ったというか地道なビジネスをさせていただきました。

4年前の南アフリカというと… 前項とかぶりますが、正にW杯期間中=脳卒中で入院中でした。まだリハビリも始められず、病院の個室で入院していたあの頃は… 時差の関係で深夜の試合本番はさすがに重病人だった私が病室で見られるはずもありませんが、逆に昼間はTVしか見るものがないので、あの時の本田のゴールは誇張ではなく百回近くは観たと思います。

今回の予選リーグの対戦相手は、日本での知名度や人気はともかく、意外と「地味な強豪国」が揃っている厳しいリーグのようです。
頑張れ! ニッポン!

3、旅のしおり
 待ちに待った旅行に来週の土曜日からいよいよ出発します。半年間は掛けた旅行の下準備もほぼ終了し、先週本当に久しぶりに(妻のためだけに)作った「旅のしおり(最終日程表)」を妻に納品して、準備完了です。
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「旅のしおり」… 昔はツアー前に(寅さんに出てくるタコ社長の会社ような)街の印刷屋さんに作成してもらって、お客様に旅行前にお届けするのが日常でした。ごく僅かのしおりはまだ手元に残っているのですが、本当にあの時のお客様の笑顔を今でも彷彿とさせる懐かしいしおりです。こんなことなら、全部のしおりを老後の楽しみに取っておけばよかったとすら思っています。

若い頃、とある会社の職場旅行で、ツアーの日程の確定が遅れたためギリギリにできたばっかりのしおりを会社にお届けに行きました。
その会社の社長は、出来たばかりのしおりを早速その場にいた社員全員に配ってくれて皆で見たのですが、そのしおりの表紙に大きな笑っちゃう誤植があり、怒られたというか全員大爆笑でした。
表紙の上にあった文字が ”旅のおしり”
勿論、すぐ印刷屋さんに直していただき、翌日には再度納品し笑って許していただけましたが、以降その会社で私は「おしり君」と呼び続けられるハメになりました!!

来週の旅行については、ほぼ見るものや食べるものもほぼ決めて、準備は万端です。昔は準備は十分にしていても現地での追加情報や現地で出会った人からの「口コミ」情報によって日程を変えることがよくあったのですが、ネットで「口コミ」も含めて事前調査は十分なので、今回は自分たちの体調や気分以外では日程変更する要素はなさそうです!

来週の今頃は、北海道上陸直前のフェリーの中の予定ですので、来週の投稿は休ませていただきます。
それでは、行ってきま~す!

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我が家のレイアウト変更 [日常のトピックス]


昨日まで、我が家のレイアウト変更をしましたので、今日はそのことをご報告します。

我が家には、我々夫婦が使っている部屋以外に3つの部屋があります。3つの中ではやや大きな部屋は、ずっと私の母が使っていたのですが5年前にその持ち主を失い、遺品整理をした後は贅沢にも荷物置き場のように使っていました。
その他の2部屋は現在他都市で暮らしている娘と息子の部屋なのですが、息子の部屋は「一番年少だから」とか「男だから」とかの理由で、4畳半程度の一番小さな部屋を使ってもらっています。マンションの構造上どうしても小さな部屋があり、「誰かが使わなければならない」という状況なので、家族構成上仕方がないと言えば仕方がないのですが、予想通りこの一番小さな部屋をあてがわれた息子の心境はどうだったのか… 察するに余りあります。

ところが、いろいろありこの夏にこの息子が8年振りに家に帰ってくる可能性が高くなってきました。そうなると今はたった二人で暮らしているこの家の一番狭い部屋に息子を幽閉する(!?)理由はないので、「早く帰って来い!」と歓迎する我々夫婦の意思表示を明確にするためにも、3つの部屋の中では一番住環境が良い筈の(元母親用の)この部屋を、息子用に開けてあげる必要があります。
なので先月から家具の入れ替えというかレイアウト変更に取り組んだ次第です。
それなりに費用は掛かりますが、アベノミクスの恩恵は全く関係ないものの、今月には雀の涙程度のボーナスが出ますので、費用もここから何とか捻出できそうです。

1、ガスエアコンの撤去
 このマンション、購入時からこの部屋にだけ「ガスで動く」エアコンが付いていました。前の家の時から持っていたエアコンは、リビングや我々夫婦の寝室に設置したので、母親用にこのガスエアコンは大変重宝させてもらいました。
ところが、5年前に部屋の主であった母親が近所の病院に入院しこのエアコンも使わなくなり、結局持ち主がそのまま帰ってくることがないという状況が確定すると、「大きな古時計」のように「ご主人様に従順な」(古くはない)このガスエアコンも時を同じくして動かなくなります。
その後、別の機会に東京ガスの人に見てもらった時には、「故障、原因不明。調査にも費用が掛かる。」との診断です。新しいガスエアコンに買い替えればいいのでしょうが、ガスの冷暖房は大規模な施設の冷暖房施設には力を入れているものの、庶民の家用のエアコンにはほとんど力を入れていないようで、息子にエアコン付の部屋を与えるためには、改めて電気の(普通の)エアコンを家電量販店やジャパネットあたりで買うしかないようです。

でも、ガスエアコンが面倒なところは電気のエアコンを設置する業者にはガスエアコンの撤去が出来ないらしいので、誰かがこの部屋の主として再びこの部屋を使い始める時には、この「いまは、もう動かない」このガスエアコンは無駄なだけです。

ということで、とりあえず東京ガスにエアコンの撤去だけをお願いすることにしました。電話で費用を聞いたところ「2万円弱」とのことです。正直痛い出費なのですが、エアコンを買うときにエアコン代に+2万円を払うととても痛そうなので、今のうちに撤去代を払うことを選択したのです。

先週、私がいない日に東京ガスが工事をして、ガスエアコンの痕跡を消してくれる筈だったのですが… 
その日、私が家に帰ってくるとガスエアコンは撤去されていたものの、壁の真ん中にはぽっかり穴が開いています。ガス屋さんによると「ガス特有の穴」なのだそうですが、「電気のエアコンをつけると、ちょうど隠れる場所ですよ!」ということで、結局このエアコンの穴は塞いでくれずに帰って行ったのことです。
DSC_0044.JPG 
これで「息子のためにエアコンを買って」あげざるを得なくなったようです。

ところで、夫婦の寝室にあるエアコン「霧ヶ峰」は、16年前に越して来た時に前の家から持ってきたものですから、かれこれ20年は使っている年代ものです。このエアコン、当時のアイドル「キョンキョン」がスイスイと泳ぐCMに魅せられて買ったものなので…
年に数回しか使っていないと言えば使っていないのですが、こちらも15年は間違いなく経過しているリビングにあるエアコンも含めて、間もなく寿命を迎えそうです。
安いエアコンを必死に探す必要がありそうですね。

2、学習机の撤去&洋服ダンス・ベッドの部屋移動
 二人の子供の共通した希望は、「学習机、もういらないから捨てて!」。
約20年前、小学校入学時に買ってあげた「思い出の品」ではあるのでしょうが、想い出<住環境(スペース)優先なので、この機会に捨てることを考えなければいけません。20年物なので、貰ってくれる人がいることもあり得ませんし…

でもこの学習机、撤去にも思いの他費用が掛かるようなのです。以前、HPで見た廃棄専門業者から見積を取ったところ、「2台で概算15,000円」と予想外の高額です。市役所に引き取ってもらえれば1台千円程度で引き取ってくれるようなのですが、役所の場合平日のみの対応で玄関までは自分で出さなければならず、片手しか使えない私が自分で処理することはとっても不可能です。
また、元母親の部屋には私が使っている洋服ダンスも置いてあり、息子に部屋を提供してあげるためには、この家具の部屋移動も必要になります。

こんな時に役に立つのは「便利屋」の存在。「便利屋」と言えば我々の世代では、35年前のTV番組「俺たちの旅」でカースケ(中村雅俊)たちが始めた「何でも屋」がそのルーツのような気がするのですが… 私も特に病気になって様々なことが自分でできなくなってからは、何度か使ったことがありました。
でもその時に比較的対応が良く、料金も安かった業者の名前も連絡先も、こんな時に限って出てこないものなのです。以前から、年に1~2回はDMが来ていたようなのですが、いざ探そうとすると見つからないし…

なのでネットで探したいくつかの業者に見積を依頼してみます。各社とも値段は本当にマチマチ。個々の料金を比べると、各々の見方が全く違うことが興味深い状況でした。「撤去・破棄料」が異常に高い業者がある反面、そっちは安くても「家具の部屋移動」が高い業者があったり… 標準料金はないものの、本当に「各社、違うなぁ~!」と興味深い各社の見積でした。

その中で、レスポンスが特に早く熱心だった会社は、TVの「あの人は今」で何度か見たことがあった「新・加勢大周」のタレント坂本某が役員をやっていて、HPにも大々的に登場している「便利屋! お助け本舗」という会社でした。
何度かクイックレスポンスでメールでのやり取りがあり、「無料で見積/確認に来たい」とのことだったので、「頼むかどうか?だけどいいですか?」と断った末に先週日曜日の午後に我が家に来てくれ、「メールでの見積で大丈夫です。よろしくお願いします。」との念の入れようです。
この会社、特に「机の撤去費用」が意外と高く、合計で最安値ではなかったのですがここまで熱心だと多少情が移ります。
「合計で某社(勿論、会社名は言いません)の提示価格が(税別)1万8千円ですが…」と切り出して、結局同価格でこの会社に作業してもらうことになりました。

作業いただいたのは昨日。昨日は朝から部屋の周りの片づけや洋服ダンスの中身の洋服をすべて出して、「お助け本舗」の到着を待ちます。
学習机の撤去はスムーズに終わったものの、部屋の入り口が狭かったので洋服ダンスの搬出には意外と苦労しました。結局、洋服ダンスを解体して部屋を移動し、再度組み立てるという作業で移動をすることが出来ましたが、その手際の良さは便利屋というレベルを超えていて「さすがプロ!」というレベルの仕事だったように思います。

カースケやオメダやワカメ(「俺たちの旅」の登場人物)には無理だっただろうなぁ…


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