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<1976年8月>長崎旅行の想い出 [回顧録]


暑い日が本当に毎日続いています。
そろそろ真剣に水不足も心配になり始めましたが、個人的にはあと一週間だけは全国的に雨が降らない好天が続いてほしいと切に願っております。
その理由は… 今週木曜日からは、夏休みで待望の九州旅行に出かけるからです!
全ての計画作りも無事に完了、予約が必要なところは全て予約を済ませて、後は明後日火曜日に荷物を取りに来るのを待って、木曜日の出発を待つだけなのです!
今回の最初の訪問地は長崎。長崎に初めて旅行に行ったのは1976年8月のことでしたので、今から36年前の初めての九州一人旅での出来事でした。
なので折角の旅行を前にして、初めての一人旅の想い出を、覚えている限りで綴ってみたいと思います。

1976年と言えば、私が高校に入学した年です。この年の1月に父親が亡くなり、本来は四十九日その他の仏事に息子が参列しないことはあり得ないことなのですが、急逝した父親が眠る墓は福岡で、49日のその日などはまさに高校受験の真っ最中でもあったため、父親の実家と母親が相談した結果、我々親子は不参加となり納骨等は実家にお願いしたようです。

その後何とか高校に合格。春休みに墓参りに行きたかったのですが当時貧乏だった我が家はそんなに何回も福岡に行くお金はありません。春休みの旅行は断念し、初盆の8月まで墓参は我慢していました。

夏休みに入ってからは、中一の夏以来恒例になっている母親の働く弁当会社でのアルバイトにいそしみ、お小遣いを貯めます。この弁当屋、元々は親父の友人が起業した会社で、近隣企業への配達が中心の仕出し弁当屋さんです。当時はコンビニもなくほっかほか弁当などを売る店も皆無だったので、自分で弁当を作らない人はこういう弁当を注文するしか昼食の手段はありません。

弁当屋さんでの中高生アルバイトの一日は
08:00~10:00 弁当箱におかずを詰める作業
10:00~12:00 配達補助 助手席に乗って注文の弁当を配達
12:00~13:00 昼休み 弁当の余りをいただく
13:00~15:00 弁当箱回収補助(当時の弁当箱は固いプラスチック製で、再利用)
15:00~17:00 弁当箱などの清掃(ガラを捨てて、機械に入れ、その後乾かす)
という一日でした。
3年前、本来はアルバイトが許可されない中学1年生時代から両親のコネでアルバイトさせていただいた私は、夏休みほぼ1か月毎日アルバイトをして、中一の時には貰ったアルバイト代でフォークギターを買い、中学2年生の時は演奏した曲を録音するカセットデッキを買ったことを覚えています。何しろ最初の時給が忘れもしない140円。1年の時1か月フルに働いても給料は2万円に届かなかったことを覚えています。

高校1年のこの年はお盆前の約15日間の短期労働でしたが、今回は「何かを買う」という目的ではなく旅行のお小遣い稼ぎが目的です。勿論、初盆への出席がメインでしたから交通費は親から貰ったのですが、「どうせ行くのなら」と寄り道&観光をしたいと思い、初めての旅行のためのアルバイトでした。

出発は初盆行事の3日ぐらい前だったのを覚えています。勿論、仕事を長く抜けられない母親は飛行機で来てその日のうちに飛行機で帰る強行軍日程でしたので、初めての一人旅です。
福岡までの往路での寄り道は京都と甲子園。前年、初めて修学旅行で京都に行き、その魅力に結構感動したことを思いだし、自主研修(班行動)で行けなかった希望地を行こうと計画しました。

アルバイト終了後に東京駅に向かい、夜行列車で京都に向かいました。夜行列車、今考えると先日惜しまれつつ廃止になった「急行銀河」のような気もしますが、記憶が曖昧です。午前中、当時憧れていた「苔寺」に行き、その雰囲気に感動したことを覚えています。(その後苔寺は入場制限が厳しくなり、今や簡単に見られない寺になってしまいました。あの時、行っておいてよかった!)
午後はその名前に憧れていた「哲学の道」へ。当時「哲学の道」には何か見るものがたくさんあるのかと思っていました… 地図を見て哲学の道の方向に細い道を歩いてみますが、一向にそれらしき案内やモニュメントが現れません。
反対から歩いてくる地元民らしき人に
「あの~ 哲学の道ってどっちですか?」
「はぁ? 今歩いているこの道ですが…」
当時から哲学には縁がなかったのでしょうか? 確かに西田幾太郎さんの話は16歳には難しすぎたのかもしれません。
(でもこの道、その後何度か歩いて、その雰囲気は大好きになりました。)

宿泊は京都郊外の「北山ユースホステル。」ユースホステル(YH)初体験の宿泊でした。北山杉の故郷の北山、落ち着いた雰囲気のYHで同じような一人旅のお兄さんお姉さんがたくさんいて何でも話すことができる雰囲気にすっかり魅せられて、以降YHの魅力に取りつかれるきっかけになりました。

翌日は高校野球を見に阪神甲子園球場へ。当時京阪電車最新の「テレビカー」に乗って関西の私鉄の凄さに圧倒されたことを思いだします。
甲子園では当時話題の剛球投手、長崎海星高校の酒井投手を見に行きました。「サッシー」という愛称で呼ばれその後ヤクルトにドラフトされたこの選手、本当に速かった。そのスピードに圧倒されたのを覚えています。

その後夜まで高校野球を見て、夜行列車で福岡に向かいます。翌朝母親と合流し、お盆の行事をこなして東京に帰る母親を見送って親戚宅にお世話になります。でも、子供の頃にはいとこがたくさんいて退屈せずに遊んでくれていましたが、お互いに高校生以上になると相手にもそれなりに都合があり相手をしてくれる人もそんなにはいません。元々いとこは年上が圧倒的に多かったので、皆私なんかの相手をする暇もないようです。

元々九州までの往路を決めていた私ですがお盆行事以降の予定はノープランでした。一応何処に行くかわからないこともあったので、知人に勧められた「北九州ワイド周遊券」を持っていましたので、どっかに行こうと思えば周遊券のエリア内であれば無料で行けるのです。
ついてはこの旅行用に買ったYHのハンドブックを見ながら、とにかく「明日泊まれますか?」という電話をかけてみます。何処でもいいとは思ていたのですが、どうせなら異国情緒が味わえて行ったことがない長崎に行きたいと思い、長崎のYHから電話をかけ始めました。
当時人気のYHの返事は「満員」が多かったのですが、3件目にかけたYHで「う~ん。まあ何とかなるでしょう。但し明日は夕食がありませんが、それでも良ければ…」とのこと。
OKしてくれたYHは忘れもしない「長崎オランダ坂YH」です。

翌日、親戚宅に別れを告げて一路長崎に向かいます。長崎につくと駅前は異常なお祭り騒ぎで超盛り上がりの雰囲気です。近くの人に「今日、何かあるのですか?」と聞くと「今日は精霊流しというお祭りだよ!」とのこと。何と、あのさだまさしの曲で一躍有名になったお祭りの当日というじゃないですか! どうりでYHの宿泊断られると思った…というより、よく前日で予約が取れたものです。

半信半疑で昨日予約を受けてもらったオランダ坂YHに行き、ようやくその事情が呑み込めました。このYHの定員は60名程度らしいのですが、この日の宿泊者は噂によると160名を超えているようです。(つまり、定員の約3倍!)
ロビーで話してくれたその方は、昨日から2段ベッドの真ん中に布団を敷いて寝ているとの話ですが、「今日はその上の空間にハンモックを吊るす予定」とまで言われているようです。
私が案内された部屋は、恐らくオーナー家族の自宅と思われるYHから数分歩いた一般家庭の4畳半で、「ここで4人で寝て下さい。こんな場所いですがいくらお祭りでも10時には帰ってきてね!」と言われます。

同室になった4人と早速意気投合し、精霊流し見学に出発します。さだまさしのイメージではもの悲しいイメージがありますが、「耳栓は必須」と言われるぐらいの凄い爆竹の音で、あの曲のイメージは全くありません。「こんな騒がしいお祭りでも、愛する人を亡くした人にはあんな気持ちになるんだ!?」と不思議な気分にはなりましたが、はじめて長崎を訪れた私には全くその気持ちはありませんでした。1年分の爆竹を1日で使うというパワーと騒音と煙に圧倒されました。
YH本来はアルコール禁止(当時)なのですが、練り歩きを見ながらみんなでビールを飲んだことを思いだします。 高1の私も、勿論いただきました!(もう、時効?)

翌日は、昨日のメンバーと改めて市内観光。大浦天主堂、グラバー園など主要観光地を観光し、午後再び福岡の親戚宅に戻りました。

その旅行ではその後同じように阿蘇山の1泊2日の旅行を楽しみ、その後ブルートレインで東京に戻りますが、帰りの頭の中は、早くも「次の旅行のこと」で一杯でした。
この旅行が、将来旅行業に就職する私の半生を決めた旅行であったと言っても過言ではないと思っています。
そんな想い出を胸に、今週10年振りに長崎の地を踏みます。

「絵はがき」のような坂を登るのを楽しみに…


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