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私の読書履歴<小学校~高校まで> [回顧録]


先週の金曜日のお昼に、”業界”の大先輩と久しぶりにランチをご一緒しました。
大先輩と知り合ったのは昭和60年頃だったと記憶しています。仕事上のお付き合いから始まり、途中、転勤や担当が変って10年ぐらい全く没交渉の時期もありましたが、2001年に私が海外旅行の商品企画担当になって、久しぶりにお付き合いが復活。以降は大先輩でありながら親しくさせていただいております。通算30年近いお付き合いになりますので、本当に長い付き合いになったものです。(それだけ私も年を取った… のですね!?)
大先輩がリタイアされたのが今から1年ぐらい前だったでしょうか… リタイア後、1年振りではなく大勢いる飲み会でご一緒する機会はあったものの、懐かしの池袋(大先輩の最後の職場は偶然にも私の会社のすぐ裏だったのです!)で昼食をご一緒するのは1年振りだと思います。

ランチをご一緒したのはサンシャインシティの3階にある中華の名店「聘珍樓」。横浜に勤務していたバブル絶頂期には、中華街にある聘珍樓の本店は超値段の高い高級店で、30歳前後の私には高嶺の花の存在だったことを思い出します。でも最近中華は全体的に安くなっているので、特にランチであれば我々も躊躇することなく入ることができるようなお店になっています。
(個人的に「日本の中華料理は高すぎる!」とずっと思っていました。ヨーロッパでもアメリカでも、世界中でどこへ行っても中華料理は「リーズナブルな料理」なのに、何故か日本でだけはいつでも高級料理で、特に中華街などではその傾向が顕著でした。でも最近、ようやく中華街でも大分安くなってきたようで、嬉しい限りです!)

1時間以上、大先輩と積もるよもやま話を楽しませていただきました。大先輩は週に1回は池袋にいつも来ているとのことで、新たな趣味でも発見されてその勉強にでも通っているのかしらなどと想像していましたが、大先輩のが毎週池袋に来る目的は、「本を買うこと」なのだそうです。中でも「安い古本を「ブックオフ」で大量に仕入れて、読書三昧の毎日を送っている…」というお話を伺い、昔は大の読書好きで、今は本を読むことからすっかり離れてしまった私の心の中に、本に対する憧憬がムクムクと蘇って来ると同時に、本を読まなかった自責の気持ちも芽生えてきました。
なので、今日は自分の反省を踏まえて本に対する半生を振り返ってみたいと思います。

小学校時代には、親に薦められた伝記本に夢中になることから、私の本生活はスタートしたことを覚えています。最初は確か大阪万博に行った1970年、翌日大阪城に観光に行った時、当時小学校4年生だった私は、その巨大な大阪城を見て初めて豊臣秀吉という人物を知ることになります。初めて農民から天下を統一した秀吉に興味を持ち、帰京後には学校の図書室に行き、豊臣秀吉の伝記を借りて読んだのが伝記本との出会いだったことを思い出します。その後小学校6年生までは、伝記と日本の歴史(特に戦国時代)に夢中になりました。伝記本は戦国武将から始まり、日本の偉人だけではなくあらゆる子供用の伝記本を貪るように読み漁った記憶があります。
この時代、夢中になった伝記のヒーローと言えば、最大のヒーローは以前にもブログに書きましたがJFK(ジョン・F・ケネディ)でしたが、それ以外に感銘を受けた人は勿論たくさんいます。一例をあげると海外ではナポレオン、シュバイツァー、ライト兄弟、リンカーンなど。日本国内では、野口英世、豊田佐吉、湯川秀樹、源義経など。 
改めて見てみるとなんの関連性もありませんね… 
因みに、日本で人気のある偉人と言えばやっぱり織田信長と坂本龍馬が両巨頭のようですが、私はその時にはどちらもあまり興味は持てませんでした。戦国時代で言えば、やっぱり最初の印象が強烈な豊臣秀吉びいきだったからでしょうか…

中学時代は、何を読んだという強い印象はあまりありません。最初に熱中した星新一の「ショートショート」を思い出す程度です。当時は本より音楽に熱中しており、当時憧れの吉田拓郎の本なども読んだ記憶がありますが、勿論楽しかった記憶は全くありません。ただ、「読むことに意義がある」とだけ思っていたことを覚えています。
中学生時代は、母親の勧めもありとにかく世界の名作をたくさん読んだことを覚えていますが、当時もう子供用の本は恥ずかしくて読めなかったので、大人用の普通の本を読むのですが、正直理解できなかったことが多かったことも事実です。
図書館でも、もう「こども室」には入れませんので戸惑いながらも普通の部屋に入り、イマイチ理解できない本を読むたびに、「見栄なんて張らないで、もっと簡単な方を読みたい!」と思ったことも思い出です。

中3の時には、ドストエフスキーの「罪と罰」を見栄だけで持ち歩いたことを思い出します。読んでもほとんど理解できなかったのですが、当時同級生の女子に「知的な人」と思われたかったためだけに持っていたというのが真相です。でも、当時読んでもほとんど理解できなかったなぁ~ 一応最後までは読んだのですが、筋を含めて全く頭に入っていませんでした。その後、未だに読み返してはいませんので、「読んでいない」と同じことなのかもしれません。
シェークスピアなども読んだことは読みましたが、シェークスピアも結局好きにはなれませんでした。なので、会社に入って初めてシェークスピアの故郷であるイギリスのストラットフォード・アポン・エイボンを訪ねた時も、何ら感動することはありませんでした。英国の田舎の景色としては素晴らしいのですが、シェークスピア作品のバックグラウンドがないので、それ以上の感動を感じることができないためです。
でも、これは他の日本人観光客の多くの方も、同じ状況のようでした。

高校時代、熱中したのは太宰と三島でした。
最初に熱中したのは太宰治。自殺を繰り返しながら女漁りを続けた太宰の半生を知ったことがきっかけです。太宰治と言えば、小学校時代に「走れメロス」で美しい友情を謳った作品を読んだ記憶があり、その作品と彼の辿った人生との間に猛烈な違和感があったために、「どっちが本当の太宰だろう?」と興味を持ったことがきっかけです。
そんなきっかけで太宰の本を読み始めましたが、当時高校生だった私の心情に太宰は何故かピッタリとハマってしまいました。特に人間失格だとか斜陽だとかの、周囲の人に言わせれば「暗いだけ」の作品に憧れ、太宰が入水自殺した玉川上水など、太宰ゆかりの地に行ったこともありました。
(大学に入って、最初の東北旅行の時には、満を持して太宰の故郷である金木の生家である斜陽館にも行きましたし、小説「津軽」に出てくる小泊や蟹田などにも勿論文庫本片手に行きました!)
「走れメロス」などと実際の生きざまとのギャップについては、結局謎のままでした。太宰を語れるほどの超熱狂的な読者でもなく、超熱狂的な読者や評論家がさまざまな説を出しており、その説の多くには納得できる部分もあるので、大作家の人生を前に自説を披歴するような度胸はとてもありません。
でも、あえて言わせてもらうとすれば太宰という不思議な作家は、作風にも躁うつのような波が激しくあったのではないかと思っています。躁期には信じられないような明るい作品を書く反面、「暗い」作風はうつ時期にかかれたものであり、その行きつく先が4回の自殺だったのではないかと… 
あれほど熱狂した太宰作品ですが、今は読み返す気に全くなれません。これも不思議です。

三島との出会いも奇なものでした。三島由紀夫が自殺したのは私が10歳の時。勿論、当時は三島の存在や作品なんて全く知りません。でも、自分史上最もセンセーショナルな自殺事件でしたから、以降三島由紀夫という名前は一生忘れない名前になりました。だからと言って、「その三島の作品を読もう」とはあまり思いませんでした。

高校生時代、当時2人暮らしの母親が私に隠して何かコソコソと本を読んでいます。「何読んでるの?」と聞いても答えを濁して教えてくれません。母親が風呂に入っている時にこっそりと覗くと、三島由紀夫の「仮面の告白」でした。「いつも名作を『読め』と勧める母親には珍しいなぁ~」と思い、内緒でこの文庫本を買い、カバーをしっかりかけて母に隠れて読み始めました。
確かに、高校生の息子には読ませたくない倒錯した性描写などがある作品で、母親が隠したのもむべなるかなと思います。
でも、この作品がきっかけでその後三島作品を読み漁るようになりました。「怖いもの見たさ」のような興味からはじまた乱読でしたが、金閣寺などは本当に貪るように読んだことを思い出します。

成人してからの読書履歴については、次の機会にまた書きたいと思います。
(この後は推理小説や経済小説などが多いのですが…)
でも、今週木曜日からは久しぶりに旅行に行くので、しばらくはその旅行記をレポートする予定にしています。

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