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1992年のロシア(シベリア) [回顧録]


先週は日曜日定例のブログ更新を「ネタ切れ」という理由によりサボってしまいました。
いくら書くことがないとはいえ、このブログを始めた目的(左手で文字を打つ練習&リハビリ)を考えると、このままどんどん先細りになることは絶対に避けなければいけません。
ということで、気を取り直して今週からまた日曜日にはちゃんと一定文字数を投稿していきたいと思います。

いよいよソチオ冬季リンピックが始まりましたね。ということで今日は「冬季オリンピック」について書こうと色々と考えてみましたが、ウインタースポーツにあまり造詣が深くない私なので、冬季オリンピックネタはあんまりありません。
同世代の皆様とほぼ同じだと思いますが、トワエモアの「虹と雪のバラード」で開幕を迎えた1972年の札幌オリンピックで初めて「冬季五輪」の存在を知り、恐らく夏冬通してもう2度と見られないかもしれないジャンプ「日の丸飛行隊」の「金銀銅メダル独占」に熱狂した記憶はあるのですが、それ以上の記憶はあんまりなく、これ以上は筆が進みません。
「では、何を書こう?」といろいろ想いを馳せましたが、「ロシア」というと、私的にはいくつか笑えるエピソードがある20年前のシベリア旅行を懐かしく思い出しました。
なので今日は、(一度しか行ったことがないのですが)その時のシベリア旅行のエピソードについて書いてみたいと思います。

私がロシアのシベリアに行ったのは1992年の5月、前年にソ連(ソビエト連邦)が崩壊し、あの巨大な国は「ロシア」に生まれ変わたものの、まだ国全体が激しい混乱の中にあった時でした。
ゴルバチョフが推進していたぺレストロイカ政策のお陰で、戦後ずっと日本人が訪問できなかった戦後の「シベリヤ抑留兵のお墓参り」がようやく日本人に解禁されたため、今後の墓参団のためにまず(旅行会社の)我々が体験する… ということでの視察&勉強ツアーでした。
でも、当時のロシアのインフラが凄すぎて、残念ながら日本に帰ってからもそんなロシア墓参団の販売には至らなかったのですが… 
その時のロシア(シベリア)旅行のエピソードを、いくつかご紹介します。

1、1週間風呂に入れない!
 私が参加した視察団は新潟発着で8日間の日程でした。訪問地は新潟から直行便があったハバロフスクに加え、シベリアの中心地イルクーツクとチタ、ウランウデという2つの日本人墓地がある田舎町。
ハバロフスクとイルクーツクはそれなりに有名な国際都市で、泊まったのは当時勿論「その都市NO1のホテル」のはずなのですが… 国際都市NO1ホテルでも日本の超安っぽいビジネスホテル以下でした。
バスタブのないシャワーオンリーであることは予想し、覚悟していたのですが、肝心なシャワーも「チョロチョロ…」程度しかお湯が出ないのです。
中にはバスタブがあるホテルもあったのですが、蛇口をひねっても「(錆の色?の)真っ赤な水(お湯ではなく、水)」しか出ずに、とても風呂に入れる状態にはなりません。「きれいなお湯が出るまで我慢比べだっ!」と数時間赤い水を出し続けますが、数時間たっても状況は改善せず結局そのうちに赤い水すら止まってしまいました。
ということで、結局旅行中1週間の間風呂はおろか満足にシャワーも浴びられませんでした。
重い思いをしてスーツケースに数本のミネラルウオーターを持って行ったのですが、これがないと飲み水にも困る晩がある状況でした。

2、3食、メニューが同じ
 ロシアの食事言えば、ピロシキやボルシチなどで、ウォッカと共にそれなりに楽しめるのかなぁ? と楽しみにしていたのですが、この頃のロシアは本当に食糧難の時代で、本当に食べるものが枯渇していたのです。
当然、我々は高いお金を払っているツアー客なわけですから3食キチンと食事は提供されるのですが、当時のシベリアに流通している食材は豚肉とキュウリ(ズッキーニ?)とトマトとパンしかないのでは? と疑うぐらいに食材は豚・キュウリ・トマトの繰り返しです。この3つの食材だけではメニューの幅も広がりようがないようで、朝でも昼でも夜でも、メニューは殆ど変わりません。
旅行2日目にして同じメニューに完全に辟易しました。
「念のため」に持って行ったカップラーメンが早くも旅の前半で無くなりました。

3、逞しいロシア人
 ソ連⇒ロシアの過渡期だったあの頃は、本当に国全体が混乱していたんだろうと思います。職にあぶれたらしい人々は、東南アジアや中国で貧しい幼い子供が物売りをしているのと同じように、ロシアでは大人たちまでがあらゆる場所で露天販売を行っていました。売り物は軍からの横流し品らしい軍服のようなものが中心ですが、片言の日本語で「KGBの帽子」と言って売っています。
「KGBってスパイだよね? 帽子(制服)なんてあるの?」と我々は笑って答えますが、それでも安いのでいくつか買ってお土産にしたら日本のみんなに笑って歓迎された記憶があります。
また、その時もっともたくさん売っていたお土産は「政治家マトリョーシカ人形」。エリツィン人形の中を開けるとゴルバチョフ人形が出てきて、ゴルビーを開けるとブレジネフ、スターリンと続きます。
海外の政治家の人形で、外国人の我々でもみんな知ってて、人形の顔がみんなとてもユニーク… なんていうのは「日本には絶対ないよね!?」と皆でこぞって買ったのを覚えています。

4、移動エピソード1 超暑くて寒い寝台列車
 シベリア鉄道ではありませんが、都市間移動では夜行寝台車を使いました。本物のシベリア鉄道ではないものの雰囲気は味わえたので、我々は(先日お亡くなりになった大瀧詠一さんの)「さらばシベリア鉄道」などを歌いながら大はしゃぎです。
乗車時の午後には5月だというのに気温は35℃を超えており、勿論冷房はないので我々は車掌の制止を振り切って窓を開けていたのですが、夜になるにつれて気温が下がり、持ち込んだ温度計は35℃⇒0℃まで急降下です。
ところがあちこちが古い車両、一度開けた窓は何度やっても閉まってはくれません。車掌は「だから言ったじゃん!」と言いたげな顔をして手伝ってくれますが、結局朝まで窓は開いたまま…
寒さで遂に一睡もできませんでした。

5、移動エピソード2 飛行機が満席で座れない!?
 次の都市移動は飛行機です。「朝6時ホテル出発」と言われていたのに夜中の2時過ぎに突然電話が鳴り「飛行機の時間が早まったので、今から出発します。」とのこと。何とか全員で空港に行き、途中乗車の大きな飛行機に乗ることができたのですが、飛行機は当時海外ではよくある「自由席」であったことに加えて、前の都市から既に乗っている乗客はそのまま席に座っていたので、我々は空席を探すのに一苦労… で、席を探して全員が座る前に、ドアが閉まってすぐに飛行機は離陸して行くのです!
「立ったままの離陸」は初めての経験でした!
その飛行機でもっと驚いたのは… 
ようやく座った後によくよく見ると、大型犬のシベリアンハスキーが1人分の座席に鎮座しているではありませんか!? 我々の座席がなかなか見つからなかったのも、シベリアンハスキーが1席利用しているから?? と疑ってみたものでした。
爆笑したのは離陸後、袋に入った軽食(スナック)を配っていたパーサーが、当然のように犬にもスナックを渡しているのです!!
これには、見知らぬ隣の人と大爆笑してしまいました!

6、移動エピソード3 絶対にロストバゲージしない方法
 飛行機でもう1題。添乗員経験者の我々は、「預けた荷物が届かない」といういわゆる「ロストバゲージ」で苦労したことは必ずあり、海外旅行の(添乗員が)誰もが通る関門のようなものです。
別の中型機での移動の時、スーツケースを持って飛行機の前まで歩いて行き、「スーツケースは自分でここから(飛行機に)入れてください!」とのこと。
当然荷札(クレームタッグ)はなく、到着地では自分たちで飛行機から直接取り出します。
荷物紛失で苦しんだ経験のある我々の間では、「これ、いいなぁ~!」とここだけロシアが好きになりました。

7、異常な物価(為替レート)
 旅行も終盤に差し掛かった頃、ハバロフスクで当時唯一の日本食レストランを楽しみました。日本食レストランらしくメニュー表示は日本円で、巨大なタラバガニの足は「3000円」と日本よりは安いけれどロシアでは?? という価格設定でしたが、主催者が豚とキュウリとトマトだけで我慢してきた我々の苦労に報いるべく振る舞っていただき、満足の宴でした。
翌日の午後、唯一の自由時間に4人で街に出た我々は、「地元のレストランを体験してみよう!」とロシア人向けと思われる地元の海産物レストランへ…
全員ビールを飲み、昨日よりも大きい日本で頼めば3万円はしそうな超巨大なタラバを1パイ頼んで満喫した我々は、請求額を見てポカンとし、その後全員で大爆笑です。
我々への請求額は… 当時の換算レートで日本円に直すと全部で250円!!
ビール4本と巨大なタラバで250円です。
ストイックな我々は、当然のごとく「割り勘」にしました。
そう、「80円通し!」 人生最安値の割り勘でした。
ロシアの通貨ルーブルが大暴落したために、こんな貴重な体験ができたのです。

肝心な抑留兵のお墓については、道なき道を歩いたところなどにあり、墓碑などもなくこんな異国の地で大自然と闘って苦労されて亡くなっていった皆様を偲ぶと、本当に悲しくなるお墓でした。



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コメント 2

makimaki

訪問しました
by makimaki (2014-02-09 15:45) 

渡辺

私もロシア(モスクワ)には何度も仕事で行ったことあります。ロシアになって時間が経った1999年のことですが、アエロフロートで成田からモスクワまで乗っている間にフライトアテンダントがビジネス席にゆったりと煙草リラックスタイムをすごしているのを拝見しました。流石アエロフロートだと感じた次第です。
by 渡辺 (2014-11-01 07:21) 

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