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IM氏の想い出 [雑感]


昨日の土曜日、久し振りに横浜に行きました。
横浜は、平成元年~6年間勤務していて9年間住んでいた懐かしの地です。今回横浜へ行った目的は、懐かしい方と数年振りにお目にかかって、4年前に突然亡くなられた方のお墓参りをするためです。

4年前に亡くなられた方を今回は「IM氏」という名前で書かせていただきますが、IM氏と私との関係は、最初は「ツアーの参加者と営業担当者&添乗員」という関係でした。最初は平成2年の某視察団で北欧に15日間ご一緒したのがスタートで、当時私はまだ入社8年目ぐらいで、一応係長クラスの営業担当者だったのですが、私より確か約10年年長のIM氏は、40歳前であるにもかかわらず当時横浜の財界では有名な地場企業の常務で、バリバリ活躍していたいわゆる「やり手」が第一印象でした。でも勿論「怖い」とか「厳しい」とかのイメージではなく、”ちょびひげ”がトレードマークの気さくですぐに仲良くなれるタイプの方でした。ちょっと難しい構成のその北欧での視察団では、「大会社の常務」風を吹かせることはなく、みんなの盛り上げ役として常に場を和ませてくれる存在でした。

フィヨルドで有名なベルゲンで夜景を見に行った夜、関係が必ずしも良くなかった(参加者のうちの)二人が、お酒の勢いもありやや親しげに話をしているのを見たIM氏が、すかさず皆を和ませるために大きな声で「ベルリンの壁がたった今崩壊しました!」という当時では非常にタイムリーなギャグを飛ばして皆を和ませて大爆笑を誘ったのが強く印象に残っています。帰国後の写真交換会でもこの時のことが皆の話題にのぼるくらい強烈なインパクトがあったので、参加者の皆さんにしてみれば北欧のフィヨルドよりIM氏のギャグの方がノルウェー最大の想い出だったのかもしれません。
勿論、横浜に帰った後は「大手企業の常務様」と「一介の旅行会社の営業担当者」の関係に戻ります。簡単に遊びに行けるような関係にはならずそのまま1年が過ぎました。

次の出会いは翌平成3年の同じ視察団、今度はカナダ・アメリカに行く視察団にまたIM氏にご参加いただき、私は前年同様営業担当者&添乗員としてご一緒することになります。つまりIM氏と私は合計で30日も一緒に過ごしたことになるのです!
この平成3年の視察団は、私にとってもいろいろな意味で忘れられない・楽しかったツアーとなり、私の添乗員生活の中でも最も想い出深く・楽しかったツアーのベスト2には間違いなく入る15日間でした。通常参加団員は常に15~20名程度なので当然添乗員はツアー担当者の私一人で随行するのが当たり前だったのですが、何故か平成3年(まだバブルの名残があった頃です!!)の時は30名近く参加者が集まってくれたお陰で、「30人も参加者がいるのだから、もう一人添乗員をつけろ!」と主催者から要求され、いつもは男だけのむさくるしい視察団(海外でもスーツを着て行動する外国人から見たら異様な軍団)に初めて紅一点の女性添乗員が加わったこともこの視察団が和んだ原因の一つだったのかもしれません。

今回もIM氏は全員を和ませてくれて、みんなが早く本領発揮できるようにそのキャラを存分に活かしてくれて30人にもなる団員が仲良くなるために大活躍してくれました。昼間の視察時の真面目な側面はともかく、最大の活躍はやっぱり夜… 「夜の視察団」では「夜の団長」と「夜の添乗員」をつとめていただく大活躍で、夜はIM氏のサポートに回った私も、皆さん以上に楽しませていただいたのを覚えています。

この視察団を「楽しかった」と思ってくれたのは少なくとも私だけではなかったようで、「もう1回、このメンバーで旅行に行きたい!」という皆さんの強い想いが最初は夢物語から始まりましたが、多くの方の強い気持ちが夢を現実のものに導く大きなパワーとなり、その結果この時のメンバーで(海外旅行はさすがに無理だったものの)仙台に1泊2日の(国内)視察団を実現させて、あの時のメンバーで秋保温泉の夜を満喫したことも忘れられない思い出です。
勿論、「楽しかった」だけではなく「有意義だった」ことも事実だと私は確信しています。その証拠は、今の「みなとみらい地区」を見ていただければ… と思います。あの時のみんなの勉強が20年後にちゃんと形になっているのです!!

今回の帰国後、IM氏とは30日間(IM氏の人生の0.1%)も「同じ釜のメシを食った」こともあり、「お客様と添乗員」という枠を超えてお付き合いをさせていただく関係にさせていただきました。10歳も年が上ですから、「友人」と呼ぶには失礼ですので「先輩」として良い関係を続けさせていただきました。
会って飲みながら話す内容は種々雑多ですが、色々なところに問題意識が高かったIM氏が、例えば「横浜の夜景をニューヨーク並にするには、どうすればいいだろう!?」などの問題提起を受けて、その件について侃侃諤諤の議論をする… などこうなるともう旅行会社の社員とお客さんの会話ではなくなっていたようです。
たまに「飲みに来ない!?」という電話が待ち遠しくなったものです。(待ちきれずに、こっちから電話をしたのも1度や2度ではありませんでした。)

その後IM氏は、会社の枠には収まり切れなかったのか、若くして常務になった会社を飛び出し、当時落選中の某国会議員の選挙参謀となり、その後の某氏の国政復帰にそのIM氏の実力を存分に発揮します。
その議員は、IM氏がその参謀を離れた後に、不祥事もあってその後落選の憂き目に逢いますが、IM氏が引き続きその参謀として仕切っていたならば、某議員の人生ももうちょっと違ったものになっていたのかも…?
と思うのは私だけでしょうか?

某氏の国政復帰を見事に果たしたIM氏は、その後大好きだった横浜の魅力を十分に伝えるために、屋形船の会社を興します。
その頃の私は東京勤務になり、家も(横浜より安い)埼玉に転居していましたので以前のようにIM先輩と侃侃諤諤の議論をしながらお酒をご一緒する機会はめっきり減ってしまいましたが、それでも時折「屋形船に乗りにおいでよ!」とのお誘いを受け、年に1回ぐらいは横浜の夜景を楽しませていただきました。
さすがに船の上では以前のような議論は出来なくなっていたのが、私的にはちょっと不満でしたが… 毎回、楽しいひと時でした。

IM氏の突然の訃報に接したのは2009年の10月。まだ元気だった私はその日札幌に出張していて、札幌在住の友人とススキノの夜を満喫していた時に突然の訃報を受けて愕然としたのを思い出します。
楽しい筈のススキノの一夜を早めに切り上げ、ホテルに戻って一人になった私は風呂場で文字通り泣き崩れたことを思い出します。まだ60歳ぐらい… 本当に早すぎますよね!? 本当に神様を恨んだものです。

札幌出張中だったのでお通夜やお葬式にも参加できず、その直後に自分の母の臨終もありそれどころではありませんでしたが、心の中でずっと「IMさんのところへいかなきゃ!」と思っていたのですが、その後は自分が病気になってしまい、ずっとIM氏には会いに行けずじまいでした。

今回IM氏の墓前にご案内いただいた方は、やはり平成3年のカナダ・アメリカの視察団にご参加いただいた方です。その方とIM氏とはあの時の旅行が初対面だったとのことですが、その後は本当に深くお付き合いされていたらしく、そのお付き合いの度合いは私から見ても羨ましいぐらい(今でも)強い絆で結ばれているようです。

横浜の青い空が似合うIM氏のお墓に参拝し、空の上のIM氏と久しぶりに会話することが出来ました。
いろんな話をしましたが、根っから明るくポジティブシンキングのIM氏から
「諦めずに頑張れよ!」
と励ましていただいたような気がしました。

「今までに出会ってきたたくさんの方々に感謝し、引き続き前を向いていこう」
と、私もIM先輩に誓いました!



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