SSブログ

12.東北一周の旅<その6:岩手県(陸中海岸編)>  [日本一周(一周目)]


10日目:8月16日(火)続き

いよいよ再び岩手県で、ある意味今回のメインとも言える三陸に入ります。
ここ三陸の岩手県野田村は、云わば私の第2の故郷。大学生時代の夏休みには毎年、野田村にあったユースホステルで、ヘルパー程には仕事を手伝わない”居候”として、この地でほぼ夏休み中ずっと過ごしていたのです。会社に入って仙台にいた時期にも、数日間の休みがあればとにかく車を飛ばしてボケーっとしに来ていたので、野田村滞在は合計でざっくり6ヶ月程度にはなるでしょうか?

私的な野田村のハイライトは大学3年の時のこと。経営不振(つまり、それだけ宿泊者が来なかったということです。)でこの秋にはユースホステルを閉鎖するという村役場の方針に、存続を切に願う我々常連が何かしようという情熱に突き動かされて、「せめて、ささやかな抵抗として署名運動でもやってみよう!」と、閉館(このユースホステルは元々季節営業で、10月から翌年の4月まではクローズ)までの2ヶ月の間、必死になって署名をかき集めたのです。
そして最後の閉館パーティーになるかもしれないと全国からこのユースを愛する人たち30人弱が集まって大宴会をした翌日、集まった人たちの代表4人(タクシーに乗って役場まで行ける人員)が、村長に会って署名を手渡しに行きました。「署名の数を一番集めた。」という功績(実際は大学の後輩たちに酒を奢って協力を頼んだだけなのですが…)により私もその4人の中に入れていただき、学生の身分で生まれて初めての村長室に入ることができました。
野田村の人口に匹敵する3000名を越える署名に村長も圧倒されて、存続の検討を約束してくれた結果、翌年春には存続が決まり、再び開所を喜ぶ数十人が野田村に集結し、歓喜の雄叫びを挙げたのでした。
署名を持って行ってから半年の開、毎日吉報を心待ちにしていましたが、開館が決まった時には間違いなく「いままで生きてきた中で、一番幸せ!」な瞬間だった記憶があります。

ユースホステルはその後約10年存続し、最後は建物の老朽化によりその役割を終えたのですが、その時には少しだけ年を取った我々には、もう署名運動をする気力もなく、建物の老朽化という現実の前には、「署名運動をしても、今回ばかりはもう無理」という大人の諦めもありました。

そのユースホステルの雇われペアレント(宿主)だった人が、私が昨年春に滋賀県の琵琶湖のほとりまで会いに行き、10年以上振りに再会を果たした人。ところが今年の春、信じられないことにその人の訃報に接し、その魂はここ野田村に来ているに違いない…と考えたので、今回その初盆に会いに来たのです。

この日のお昼は、野田村で頑張っている南部曲がり屋の民宿”苫屋”。未だに電話のない民宿で、宿泊したい時は往復ハガキで申し込むという超レトロな民宿です。私も2008年にこの宿に泊まった時には、高校生時代以来超久し振りに往復ハガキで宿泊の申し込みをしました。今回、宿泊はしないものの8年振りにお昼を食べに行って、経営者ご夫妻にご挨拶して、最近メディア等にしばしば取り上げられるその盛況ぶりを確認しようと思っていました。田子町に立ち寄ったお陰で、苫屋到着は1時を大きく過ぎてしまいましたが、それでも民宿のテーブルにはまだ数組のランチ客がいて、メディアですっかり有名になったのは正しく事実のようです。あんな田舎の野田村の中心街から更に車を30分も走らせないとたどり着かない超僻地(誇張ではなく、事実!)なのに… です。
ご夫妻と昔話(といっても2008年のことですが)や野田村の観光についてしばし歓談し、改めて次回は宿泊に来ようと自分に誓いました。
IMG_1251.JPG
野田村近くの都会と言えば隣町の久慈。地方都市特有のシャッター商店街がありその行く末がやや心配になる町でしたが、数年前朝ドラ”あまちゃん”の舞台になったお陰で超有名になり、”じぇじぇじぇ”と驚くような勢いで超メジャーな観光地になった町です。
三陸鉄道の久慈駅はマスコミには常に取り上げられていますが、隣にあるJRの久慈駅は悲しいくらいにスポットを浴びることはありません。多少リニューアルされているようですが、佇まいは35年前そのまんまです。
IMG_1258.JPG
(駅前の青い車はマイカーです)
勿論野田村に何ヵ月もいた私は、あまちゃんで有名になった久慈のスポットの大半はよく知っていましたが、わざわざ久慈まで戻って来た理由は、35年前によく買って帰ったお土産を久し振りに手にしてみたかったからです。
35年前からの久慈の定番土産といえば”ぶすのこぶ”。そのネーミングだけで話題がひとつできる、シャレで持って帰るには最適なお菓子ですが、命名の由来は当時の記憶では久慈渓流にある岩の名前なのだとか… 30年振りに久慈では有名なお菓子やさん沢菊の本店に行き、意外と(失礼!)美味しかった記憶の”ぶすこぶ”(我々の愛称)を今回もお土産にします。30年も経つのですからぶすこぶも進歩していて、オリジナル味の他にゴマ味も出来ていました!
IMG_1256.JPG
野田村に戻り、懐かしい場所を訪ねてみます。まずは野田村でも美しい砂浜を持つ十府ケ浦海岸。
IMG_1296.JPG
我々が”玉川銀座”と呼んでいた部落で2軒だけ商店があった場所も、今では一軒だけ残った酒屋さんがコンビニのような業態(といっても24時間営業ではない)になっています。我々はいつも夕方に、この酒屋さんでサッポロジャイアントを買い、隣のよろず屋で丸い栄養豆腐やイカをつまみに買って毎晩の酒宴に備えていました。
今は三陸鉄道の駅になった野田玉川駅。当時は1日に5本しか列車が来ない国鉄久慈線の駅でした。
IMG_1260.JPG
初めてこの駅に降りた時、車掌さんにユースホステルへの行き方を尋ねたところ、線路を指差して「ここを歩けば近いよ!」と国鉄職員にあるまじき貴重なアドバイスを貰ったことが、つい昨日のことのようです。35年前に何度も歩いた懐かしの線路です。
IMG_1265.JPG
三鉄になり、列車の数もかなり増えて、今では反対側にもうひとつホームができていて列車のすれ違いができる駅に進化しています。1日5本時代には夢のような、列車のすれ違いを見て何故だか感無量になりました。
IMG_1274.JPG
野田玉川駅周辺の観光地と言えば、西行屋敷跡。昔、今にも潰れそうなユースホステルも、いつかは「跡地になってこの駅名標に西行屋敷と並んで載るかも!?」なんて自虐ネタをいつも言って笑っていました。不幸にもそのジョークは現実となってしまいましたが、勿論駅名標に”ユースホステル跡”が載る訳はありません。
IMG_1263.JPG
でも、無性に落書きしたくなりました!

ユースホステルの跡地は2008年に来た時と変わってはおらず、ただの空き地です。足が良ければズカズカと空き地に入り込んで、海が見える女子トイレがあったあたりに献花したいところですが、そこまで悪路を歩くことができないので、入り口に佇んでしばし思い出に浸りながらペアレントさんの霊と会話をしていました。
IMG_1292.JPG
本日の宿泊は野田村に昔からある国民宿舎。毎年、海の日近辺にユースホステルの残党が集まる時のベースになっている場所で、私も2010年にはここに来る予定にしていたのですが、その1ヶ月前に脳卒中になり、その頃は病院のベッドの上でした。なので35年以上前からその名前は知っていたものの、実際に宿泊するのは初めてでした。とはいえ、昨日呑んだ友人からも、「よく、(このお盆期間中に)予約が取れたね?」と驚かれたぐらい人気の宿になっているようです。この日は、小学校の昔は臨海学校と呼ばれていた今は修学旅行(?)が来ていました。
世田谷区で育った私の、小学校5年生の時の臨海学校は、三浦半島だったことを思い出していました。

11日目:8月17日(水)

自宅発から10日間、素晴らしい天気がずっと続いていましたが、今日は台風が近づいていて、初めての雨音で起こされた朝です。日本一周を始めた頃、「この日本一周が終わる頃には、自分が晴れ男か雨男かが明らかになる。」とこのブログに書いた記憶があります。雨ばっかりだった紀伊半島や北海道の旅もありましたし、九州や四国の時には、本当に天気に恵まれました… 結論としては、「これだけ長く旅すると、晴れ男も雨男もなくなり平均化する。」ということに落ち着かせることにします。

この日は、三陸のどこかで台風に正面衝突する最悪の天気予報でしたが、日程を決めている私は、正面衝突を覚悟して車をスタートさせます。(因みに、岩手県沿岸部に大きな被害を与えた台風は、この台風ではなく、次の台風でした。)何度となく来た三陸の地ではありますが、まだ見ぬ震災の遺構を中心に、ドライブしながら雨の中でも出来るだけの観光はする覚悟です。

野田村の隣村である普代村は、震災時に被害が少なかったことで一躍有名になった村。昔から、防災対策に力を入れ、この普代水門がたくさんの人を津波から救ったのです。
IMG_1306.JPG
普代村を救った元村長の座右の銘が記念碑として建立されています。
IMG_1301.JPG
黒崎~北山崎あたりは北部陸中海岸のハイライトなのですが、雨と霧のお陰で全く何も見えません。懐かしい北山崎に車を停めてはみたのですが、当然のように店は全て閉まっていて、雨とガス(霧)で景色は全く見えそうにはありません。
IMG_1307.JPG
個人的には一番好きだった鵜の巣断崖にも、行くのは早々と断念します。
この辺りにはコンビニもないので、飲み物を買いに三鉄の田野畑駅へ。かって見知った田野畑駅は、幸いにも震災被害が少なかったらしく、昔の面影を残しつつキットカットとのコラボで昔と違ってカラフルな外観になっています。
IMG_1313.JPG
駅の人からの情報によると、三鉄も今はまだ運行しているけど、台風が近づけばどうなるか… なのだそうです。プランでは30年以上振りにこの近くから遊覧船に乗るつもりだったのですが、遊覧船が運航する筈もなく、当然の如く先を急ぐことにします。

ナビには、この旅に備えて最新の道路データを入れていた筈なのですが、やはり三陸の道路は新しい道や無くなった道路も多く、今日からしばらくは、ナビを頼るドライブは難しそうです。早速、いきなり普通ならナビが絶対に案内しない筈の超狭い道路を案内され、激しい雨中のスリル満点のドライブに、大いに冷や汗をかかされます。

何とか田老に着きます。田老の駅は、大学1年生の東北旅行の時の記念すべき一泊目の駅(つまり駅での野宿)で、その際「この高さまで津波が到達!」というモニュメントを初めて見た地がここ田老だったので、個人的には「津波対策はできているんだろう」と思っていましたが、今回の津波は遥かにそれ以上だったようです。
震災遺構で保存が決まったという「たろう観光ホテル」。事前に申請すれば中まで入れるという震災遺構ですが、勿論私は予定通り外から眺めるだけにします。
IMG_1321.JPG
戻る道も工事中などで迷路のようになっているので、なかなか国道45号線に戻れずに、15分以上迷路の中を彷徨してしまいました。

北三陸の中心地宮古。みどころは浄土が浜なのでとりあえず向かってみようとしたのですが、雨風が益々激しくなり、いよいよ暴風雨圏内に入った感じです。浄土が浜に行こうとして極楽浄土に行ってしまっても仕方がない(!?)ので、とりあえず近くの道の駅で雨宿りします。道の駅で台風情報を見ると、正にここ宮古でまもなく台風と正面衝突する感じなので、しばらく昼食を含めて嵐が過ぎ去るのを待つことにします。
本来なら、宮古では新鮮な海産物のランチを満喫する予定が叶わず、ごく普通のラーメンで腹を満たした直後にスマホの調子がおかしくなり、大いに慌てます。このままでは、台風が過ぎ去ってもすぐに旅を再開することができないので、この豪雨の中を車に戻り、スマホが使えないため何とかナビを駆使して宮古市内のドコモショップを見つけて、台風に向かっての決死のドライブです。
何とかたどり着いたドコモショップは、さすがにガラガラですぐにみて貰うことができ、30分後に無事に元に戻ったスマホが帰って来たのと時を同じくして、台風が少し遠ざかった感じになったので、ドライブを再開します。

三陸のドライブを再開し、次の目的地は大槌町旧庁舎。震災遺構として保存するとかしないとかの議論を見た記憶があったのですが、既に解体工事が始まっていて、間もなく見られなくなりそうな感じです。雨もやや小降りになったので、旧庁舎の周辺を散策して震災時の気持ちに少しだけ近づこうとします。時計の針が3時過ぎで止まっているのが、一層生々しさを感じさせてくれます。
IMG_1328.JPG
元々釜石では、明確な観光プランはありませんでした。世界遺産になった橋野鉄鉱山は、知人に言わせると「つまんないよ!」というところらしいのですが、世界遺産になったことに敬意を表して行きたかったのですが、釜石市内と言えども随分と遠い場所で、むしろ約1週間前に訪ねた遠野のすぐ近くなので、今から行くのはしんどそうです。釜石大観音にも、上にあがるのはエレベーターではなく階段のようだし、苦労して上に登ったところで、今日の天気では眺望も期待薄です。国道を走りながら遠くに大観音が見えたので、それで満足することにします。

今日の泊まりは大船渡。大船渡と言えば、国道沿いにある「ようこそ大船渡へ。新沼謙治のふるさと」と書かれた大モニュメントの印象が昔から超強い町です。「最近、新沼謙治見ないけど、あの看板、まだあるかな?」と思いながら運転していましたが、今でもちゃんとありました!でも、今の若者たち、新沼謙治って知っているのでしょうか?
ホテル名が「大船渡温泉」という名前で、宿泊費もかなり安いので、どんなホテルなのか大いに謎でしたが、知人曰く「震災後に建った新しいホテルで、評判もいいよ。」とのことでしたが、着いてみると、完全な「日帰り温泉」で、宿泊より地元の方のための健康ランドのようでした。少し早めのチェックインだったので、のんびりと温泉に浸かってリフレッシュすることにしました。

12日目:8月18日(木)

台風一過の翌日は、「風は強いけど好天!」というのが多いパターンなのですが、台風は抜けたもののこの日もザーザーと激しく雨が降っています。という事で、今日も雨中の観光を楽しむことにします。

大船渡の海岸と言えば碁石海岸。何度も見た穴通磯は津波で形が変わってしまったのではないかと心配していましたが、昔通りの荘厳な姿で我々を迎えてくれます。
IMG_1333.JPG
碁石海岸の中心地に車を停めて、海が見える場所まで少し歩きます。
IMG_1360.JPG
平成に入ってすぐの頃に、添乗員としてここのレストハウスに来て、お客様と歓談したことを何故か忽然と思い出しました。勿論、お客様の顔も名前もどんな話をしたかについても、全く思い出せないのですが、あそこの椅子にこっちを向いて座って、タバコをくゆらせている自分の姿だけが鮮やかに甦ったのです。
当時の私は、自分でも呆れるほどのヘビースモーカーでした。

新沼謙治の大船渡の隣は、千昌夫の陸前高田。ヒット曲としては千昌夫の方が多いと思うのですが、大船渡のような個人名を出した大きな看板はないようです。私が見つけられないだけなのか、その後借金王となったイメージが悪いからなのかは不明ですが…
ここ陸前高田の観光としては、震災直後からずっと見たかった「奇跡の一本松」。
この辺り、津波が来る前は「高田松原」という松が群生した名勝地だったというのが、全く信じられないくらいに、本当に一本だけがポツンと残っているのです。
IMG_1365.JPG
これで岩手県陸中海岸沿いの観光を終えて、この旅最後の宮城県に入ります。台風と雨に祟られたため、十分な観光はできなかったのですが、何度となく来た場所でもあり、「もう一回おいで!」と言われたような気がしました。
勿論、また来ますよ!

実は微妙な県境線の関係で、明日もう一ヶ所だけ岩手県の見学スポットが残ってはいるのですが、次の宮城県の中でレポートさせていただくことにします。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

12.東北一周の旅<その5:青森県> [日本一周(一周目)]


7日目:8月13日(土)続き

午後、秋田県を出ていよいよ青森県に入ります。この日本一周で青森県には、昨年7月の北海道一周の帰りにフェリーで下北半島の大間に降り立ち、本州最北端の大間崎と恐山を訪ねて以来二度目になります。(投稿はこちら)

今日は日本海側を海に沿ってドライブし、鉄ちゃんとしては日本で恐らく一番か二番に好きだった五能線(因みに対抗馬は、こっちも毎年冬には必ず乗りに行っていた大好きだった只見線です。)の車窓風景を(車からですが)楽しんで、五能線の中心であり昔は五能線の乗り継ぎ時間に何度かブラブラした深浦の町に泊まります。五能線と津軽地方には、5年前の病気後初の旅(投稿はこちら)でリゾートしらかみに乗りに28年振りに来ています。その時、リゾートしらかみの車窓から「そのうち運転にも復帰して、次はあの道路を思う存分走ってやるぞぉ~!」と誓った地でもあるので、五年後しの宿願達成です!

また五能線は、生前母が「人生最後の旅は五能線に乗ってみたい!」と病気になってから常々言っていた地なので、ここに来るとどうしてもその事を思い出してしまいます。前回同様位牌を持って来ようかとも随分と悩みましたが、今回も写真を持って来るだけにとどめます。元気だった頃、私の勤める旅行会社以外の会社の安いパックツアーで、しょっちゅう日本全国を旅していた母、今度会ったらきっとお互いの日本全国の旅の話が尽きないでしょう!

海岸線と五能線に沿ったこの道を走るのは初めてですが、五能線の車窓から何度となく眺めたイメージでは、線路と国道が競うように常に海岸線を走るイメージだったのですが、なかなかそのようなイメージの場所にはたどり着けません。時折見える線路に、「今ここでリゾートしらかみが来たら、最高に絵になるんだけど…」と願いますが、列車のダイヤも調べて来ていないので、運転本数の極めて少ない五能線ですので、列車に巡り会うことは翌日も含めてついぞありませんでした。

このルートの内陸側には世界遺産である白神山地が広がっています。白神山地を代表するお手軽な観光地としては十二湖なのでしょうが、十二湖の青池には5年前に来ていますので、それ以外に足が悪い私でも気軽に世界遺産を味わえる場所がないかと散々探して見ましたが、ネットやガイドブックをいくらみてもそんな都合の良いところは見つかりません。思い余ってネットの掲示板に”教えて!?”と投稿してみたのですが、驚いたことに初めての”回答ゼロ”… やっぱり白神山地は私にとってはハードルが高い世界遺産のようですね?

今晩の宿泊が民宿のようなところなので、私が入れる風呂があるかどうかが不明だったこともあり、チェックイン前に日帰り温泉でスッキリしてから宿に向かうことにします。五能線沿いの温泉と言えば、何と言っても「不老ふ死温泉」の海のすぐそばの露天風呂が超有名ですが、有名な海沿いの露天風呂にはどう見ても手すりはないので、早々に諦めて近くの「ウェスパ椿山」の日帰り温泉を選びます。写真で見る限り窓が大きくて開放的なお風呂に見えましたが、入って見ると大きな窓どころか半露天で、日本海が見渡せる最高のお風呂でした!

この日宿泊したのは、ペンションと名が付いた洋風民宿。ベッドの部屋が今の私にはとてもありがたいのです。とにかく海産物中心の食事がたっぷり新鮮で美味しいというクチコミで選んだ宿でしたが、夕食の豪華さは温泉旅館と比べても決して劣らず…というより妻はずっと「あのペンションの夕食が今回の旅で一番だった!」と言い続けていたほどの豪華な食事でした。この旅では、この日の倍の料金を払った温泉旅館にも泊まったのに… です。

でも私が何より感動したのは、食堂から見えた日本海に沈む夕陽。元々深浦は夕陽スポットとしても名高い地ですが、高台の上に建つペンションからの夕陽は最高!美味しい海産物を食べながら、徐々に日本海に沈む夕陽は超感動的でした。二階の部屋にカメラを置いてきた事を心から後悔しました。雲などに邪魔されずに、日本海に沈む夕陽をじっくりと眺められたのはもの凄く久し振りな気がします。
初めて日本海に沈む夕陽を見たのは高2の夏、忘れもしない北海道礼文島のユースホステルでのことです。あの時、沈む夕陽を見ながらユースホステルのみんなで大声で歌った曲が吉田拓郎の「落陽」。あの時から、私の夕陽の生涯のテーマソングになったその「落陽」が、この日も私の頭の中で何度となく繰り返し流れていたのです。

8日目:8月14日(日)

この日は津軽半島突端の龍飛崎まで行くなど走行距離だけでもそれなりにある上に、見たい場所もたくさんあるこの旅で最も忙しいことが予想される1日です。おまけに今日はお盆期間中の日曜日ですから、観光地と名がつく場所ならどこも大混雑が予想されます。
それに加えて貪欲な私は、弘前近くの田舎館村の名高い田んぼアートを見に行こうかをずっと迷っていました。人気の田舎館村の田んぼアートはピーク時には1時間以上の待ち時間があるということですから、行くのならば深浦の宿を6時前には出て、田んぼアートオープンの8時半前には行列に並んでいる必要があります。結局。田舎館村の田んぼアートは次回の楽しみに取っておくことにして、普通通りの時間に大満足のペンションを出発しました。
五能線の線路には相変わらず列車の姿はありません。でも海岸線の景色は”この辺りが、五能線車窓風景のハイライト!”と言わんばかりの素晴らしい風景が続きます。列車でも写真停車がある千畳敷などでダイナミックな日本海を満喫します。
IMG_1015.JPG
今日最初のみどころは、「鶴の舞橋」。前から絶対に来たいと願っていた場所でしたが、タイミングよく旅の1ヶ月ほど前から、JR東日本の「大人の休日倶楽部」のCMの舞台となり、吉永小百合さんとここの風景の映像が何度となく流れています。毎回、そのCMを見ながら、「この場所、天気が悪くってバックの岩木山が見えなければ、行く意味なさそうじゃん?」と危惧していたのですが、今日も朝から晴天でそんな心配はどうやら杞憂のようです。実際の風景もCM以上で、思わず自分のFacebookページのカバー写真を、1年振り変えてしまうほどの最高の景色でした!
IMG_1047.JPG
いよいよ津軽半島に入ります。津軽半島と言えば、高校生時代の数年間に、異常と言っていいほどに心酔した太宰治の故郷金木があります。初めて東北に来た1979年には金木やそれ以外の小説「津軽」に書かれていた津軽半島各地を貪欲なほどに見て回り、太宰治の生家「斜陽館」が当時は旅館をやっていたので、「次は、何としても太宰治の家に泊まるぞぉ~!」と固く誓ったのですが、いつのまにか旅館ではなくなり、太宰への強い思いも徐々に風化してゆきます。とはいえ、金木に行って今では記念館になった生家斜陽館を見れば、きっと当時の思いが甦り、今日のスケジュールが滅茶苦茶になるかもしれないという自分の弱さには十分に気づいていたので、今回の旅では金木をルートから外していました。次に金木に来る時には、日程に丸1日以上余裕を持たせて来るようにしようと思います。

津軽半島最大の湖十三湖。十三湖駐車場は意外にも満車で、「流石はお盆!」とちょっと驚きましたが、よく見ると殆どが地元ナンバーのファミリーカー。どうも有名な十三湖のしじみの潮干狩りに来ている人たちの車のようです。
IMG_1058.JPG
(十三湖越しにも岩木山が眺められます)
十三湖の散歩を楽しんだ後、お店で名物のしじみ汁を味わいます。濃いしじみの味が大変美味でしたが、しじみなのでその小さい実を食べるのには大いに苦労しました。
IMG_1065.JPG
津軽半島突端の地と言えば龍飛崎。実はこの龍飛崎には、以前から(仕事以外で)結構な頻度で訪れています。私が中学生の頃に吉田拓郎とムッシュかまやつのデュエット曲に「竜飛崎」という曲(確か「シンシア」というシングルのB面だったような記憶が…)があってよく聞いていたため、その曲の影響で行きたくなった故だからでしょうか?
「竜飛崎」の作詞は岡本おさみさん。サビの「竜飛崎よ、どてっ腹をぶち抜かれちゃったね。」という歌詞が、中学生の私に不思議な衝撃を与えた曲でした。おさみさんの歌詞では「秋にあじさい咲くという」とありましたが、真夏のこの日もすでにあじさいが咲いています。
IMG_1079.JPG
竜飛崎の何がそんなに好きなのかとよく聞かれますが、好きなのは昔からすぐにも手が届きそうに近い北海道です。毎回、ここから北海道を眺めて、無性に行ってみたい気になるのです。
IMG_1095.JPG
岬にいる間には、いつもその「竜飛崎」と「ご覧あれが竜飛岬北のはずれと~」と夏なのに津軽海峡冬景色を口ずさむのもいつも通りです。
IMG_1093.JPG
ランチの目星はつけていたものの、あらゆる場所が大混雑していたので、とにかく空腹を満たすこと優先で待ち時間が少なそうな観光地の食堂へ。味は全く期待して
いなかったのですが、観光地の食堂にしては出色の刺身定食でした。
昼食後は、すっかり有名観光地になった「階段国道」を見てから青函トンネル記念館へ向かいます。
IMG_1074.JPG
青函トンネル記念館には来たことがあったのですが、妻が見てみたいというので斜坑線に乗って実際に海底にあるトンネルを見学します。
IMG_1102.JPG
前回も見ていて、「こんなもんか…」というイメージでしたが、約10年振りでも同じような感想でした。それにしてもすごい観光客とちびっこの数でした!
IMG_1103.JPG
その青函トンネルの新幹線が通る本物の(?)トンネルの出入口が見たいと、青函トンネル入口公園にナビをセットしたのですが、龍飛崎から随分と遠く離れているようです。確かに鉄道が海の底より更に深くまで潜るのですから、出入口が岬のすぐ近くではないとは思っていましたが、「それにしても…」という感じで「また、ナビ間違ったかな?」と疑い始めた頃に、ようやく公園に着きます。念のため、列車の予想通過時間をメモしてきたのですが、ラッキーなことに10分後にトンネルから北海道から来た新幹線が長い長いトンネルを抜けて出て来るとのこと。
ここにもたくさんいた鉄ちゃんに混じって、トンネルの出口がよく見える展望スポットに何とか割り込んで新幹線を待ちます。トンネルの奥から列車の通過音が聞こえて来たと思った直後に、すごい勢いでトンネルから飛び出してきた新幹線は、あっという間に青森駅に向かって瞬時に消え去ってゆきました。
IMG_1114.JPG
新幹線がトンネルを出た直後に慌ててシャッターを切ったので、ちょっと姿を表した新幹線は何とか撮影できたものの、連写機能のない二枚目の写真では、もう一番後ろの景色でした!
IMG_1116.JPG
さすがに新幹線は早い!!

青森県と言えば、私の大好きな日本酒のブランド”田酒”が有名です。ネットで田酒を買おうとすると、プレミアがついて一升瓶だと5000円近くもします。とはいえ、青森に来ても買えろお店はかなり限られているらしく、そんな田酒を置いていることが多いという有名な酒屋さんがこの近くにあるというので向かって見ます。私の記憶では、漫画”美味しんぼ”にも登場したその酒屋の外観は、記憶にある美味しんのカットそのまんまでした。店に入ると美味しんぼでは旦那さんが登場したように記憶していましたが、この日は奥様が店番をされています。「田酒、ありますか?」と聞くとカウンターの裏に隠してあるかの如くの田酒を、勿体ぶるように出してくれます。この田酒は知人への土産ではなく自分用で、今でもチビチビと味わって晩酌で楽しんでいます。
DSC_0652.JPG
因みに一升瓶で2700円ぐらいでした。

昔、青函連絡船で何度も通った陸奥湾の風景。あちらに見えるのは下北半島ではなく浅虫温泉近辺でしょうか。
IMG_1119.JPG
今日の宿泊は十和田湖に行く途中にある酸ヶ湯温泉。今日の日程では青森市内に行く時間は全くないことは判ってはいたのですが、出来れば三内丸山遺跡には行きたかったのですが、さすがに日暮れまでに酸ヶ湯温泉に着くのが精一杯でした。
IMG_1124.JPG
千人風呂で名高い酸ヶ湯温泉は、もう日が暮れるというのにまだ日帰り入浴の人たちでごった返しています。我々はチェックインして、まだ大混雑らしいお風呂には入らずに、すぐに夕食を楽しみます。千人風呂は8時からは女性専用タイムになるので、妻は早速テレビの旅番組でずっと憧れていた千人風呂の初入浴を果たして満足そうでした。

9日目:8月15日(月)

昨晩、千人風呂にも入らず9時前には床についた私の作戦は、「明日、4時頃に起きて人の少ない時間に千人風呂に入る!」。9時に寝ると4時頃には目が覚めてしまう年取った自分の習慣を十分に理解しているので、目覚ましは掛けません。予定通りほぼちょうど4時に目覚めて、暗い通路を千人風呂へと向かいます。脱衣場には人の姿はなく、「よし、千人風呂貸切だぁ~!」と勇んで風呂に入ると、貸切ではなく人の姿があります。よく見たら女性で、湯浴着を着ているようです。勿論、ジロジロ眺めることはせずに、慌てて大きな浴槽の正反対の方に入ります。その女性は5分ほどで出て行きましたので、それからは念願の「千人風呂貸切状態」を10分以上も楽しむことができました!
千人風呂に手すりがあるのは、「熱湯」という一番大きな湯船だけなのは判っていたので、私は入れるのはその湯舟だけなのですが、その名の通り熱いお湯だと、猫舌ならぬ「猫肌」の私は長湯できないなぁ~と思っていましたが、その名とは違って丁度良い適温で、4時から30分以上もほぼ独占状態で千人風呂を満喫しました! 熱湯以外の湯船には… やっぱり入れませんでしたので、温度は不明です!

この日は十和田湖近辺を観光して、昨年に続いて八戸に泊まる予定です。朝から酸ヶ湯を大満喫した私は、まずはすぐ近くの城ヶ倉大橋の風景を楽しみます。
IMG_1128.JPG
本日もいい天気です。この旅に出てから9日間… 見事なほどの晴天が続いている最高の天気でしたが、どうやらこの晴天続きも今日が最後らしく、明日以降は台風も近づいていますので、最後の晴れ間を十分に満喫することにします。

次に八甲田のロープウェイに登り、八甲田山のハイキングコースの散策を楽しもうと思います。八甲田のハイキングコースの階段の度合いは確認できていなかったのですが、八幡平での成功体験の影響で、「まぁ、大丈夫だろう。」と甘く考えていました。ロープウェイの山頂駅に現地の方がいたので、聞いてみようかとも一瞬思ったのですが、「まぁ、大丈夫だろう…」と、甘く考えて歩き出しました。
IMG_1156.JPG
ところが、そのハイキングコースの階段が思いの外キツく、私には異常に大変だったのです。最初、階段は緩やかでしたが、徐々に急な階段が増え、上がるのにも苦労をする段差が大きい階段も登場します。登りより下りが苦手な私的には、登るのにこれだけ苦労すると、下りを考えたら空恐ろしくなります、一周コースも中間に差し掛かり、予想通りの急な下り階段が待っていましたが、何度も階段に腰かけて一歩一歩降りるというとても恥ずかしい状況が続きます。
天気も良く景色も良いのですが、景色を楽しむ余裕は全くありません。十年以上前の映画八甲田山の名セリフ、「天は、我々を見はなしたぁ~!」と私一人で叫びたいくらいでした。
IMG_1141.JPG
所要30分のハイキングコースにたっぷり1時間以上掛かって、ようやくロープウェイ駅に戻ることが出来ました。このハイキングコースの状況を調べていたら、「止めとけ」と言われることは間違いないのでしょうが、結果的に何とか言って帰ってこれたのですから、「結果オーライ」としなければいけないのかもしれませんね!?
IMG_1148.JPG
本日のメイン観光スポットである、奥入瀬渓流から十和田湖を目指します。奥入瀬渓流~十和田湖には、30年以上前に妻と結婚する前の初めての旅行で来ていて、妻はそれ以来なのでとても懐かしそうです。本来なら奥入瀬渓流をのんびりと散策したいところですが、渋滞ではないものの車の流れは非常に激しく、滅多に車を停めて景色を眺めることも出来ず、とりあえずノロノロと進みながら車窓風景を楽しむだけなので、私には写真も撮れませんが、何とか少しだけ停車して滝と渓流の風景を楽しむことが出来ました。
IMG_1167.JPG
IMG_1164.JPG
十和田湖観光の中心地休屋。何とか駐車場に車を停めて、湖畔まで散歩します。本来なら十和田のB級グルメ「十和田バラ焼き」をこの日の昼食にしたかったのですが、店の混雑具合に圧倒され、やや早く食べられそうなお店で「稲庭うどん」をいただきます。そう、ここは青森と秋田の県境近くなので、稲庭うどん以外にも秋田名物もたくさん置いてありました。遊覧船に乗ることも考えていましたが、何となくその気も失せたので湖岸を乙女の像まで散歩します。
IMG_1186.JPG
やはり、田沢湖の辰子姫よりも観光客はたくさんいます。
IMG_1180.JPG
十和田湖の全景を眺めたいと、秋田県側の展望台である「発荷峠」に向かい、久々の発荷峠からの眺望を楽しみます。
IMG_1197.JPG
昭和の時代、10月の連休に仕事でここに来た時、ものすごく鮮やかな紅葉に文字通り言葉を失って立ちすくんだ記憶があります。紅葉の時期にもう一度ここに来たいものです。

次に私がどうしても来たかった場所が、「キリストの墓」。初めて東北旅行に行く1979年に、旅のプランを立てるために買ったガイドブックが「ブルーガイドパック東北」で、ネットもない時代なので、東北旅行の情報を集めるために毎晩貪るようにそのガイドブックを何度も何度も読んだので、ガイドブックの文言はすっかり覚えてしまう程でした。そのガイドブックの忘れもしない最終ページに、「青森県の戸来(へらい)という地には、キリストの墓がある!」という小さな紹介記事があり、大いに興味をそそられたものの、鉄道旅行で行くにはあまりにも僻地(失礼!)で、その後はすっかり忘れていました。

今回のプランニング中に突如その記憶が蘇ります。「そういえば、あのキリストの墓って、まだあるのかしら…?」早速ネットを調べて、その墓が十和田湖から八戸に行く途中にあることを知ったので、その結果今回の旅のプランが決まったと言っても誇張ではない程です。
クリスチャンの妻に、「次は、キリストの墓に行くよ!」というと、「??」と何の事だか訳が分からないという状況のようです。当然と言えば当然ですが、クリスチャンの世界では全く話題に上ってはいないようです。
国道に「キリストの墓」という看板が現れると、「遂に、キター!!!」という高揚した気分になります。
IMG_1211.JPG
墓はキリストと弟(聖書には登場しない)イスキリの2つの墓があります。十字架にキリストのかわりに掛けられたのは弟のイスキリで、難を逃れたキリストはその後2度目の来日を果たし、この地で100年に及ぶ天寿を全うしたのだとか…
IMG_1200.JPG
すぐ横には「キリストの里伝承館」とう施設があり、まことしやかに日本に渡ってきたキリストのことを伝えています。
IMG_1208.JPG
妻は熱心に見ていますが、相変わらず「???」という感じです。クリスチャンの友人にもこの話はするのでしょうか?しないのでしょうか?
東北には「義経=チンギスハン伝説」もありますが、キリストですから少なくともそれより千年以上前のことです。伝承館によると、「キリストは2回も日本に来ている。」とのことですが、航海技術が発達していない2千年も前のことですから、普通に考えたらリアリティゼロの話ではあります。とは言え、毎年6月には地元では「キリスト祭り」も開催されているようです。今度は、このお祭りにも来てみたいなぁ~!?

夜は八戸市内で昨年7月にも同じ八戸市内で呑んだ旧友と一献。旧友から、「〆に、せんべい汁食べに行こう!」という誘いは、B級グルメ好きとしては大歓迎です! B級グルメがいくつかある青森県ですが、呑んだ後の〆に食べるラーメンのようなポジションを地元で得ているのであれば、何より嬉しいことです。
せんべい汁も前に食べたものより美味しいような気がしました。

10日目:8月16日(火)

この日は、お昼前には岩手県三陸に入る予定です。朝食は、この旅2度目の朝食イベントとして、市場に朝ごはんを食べに行く日です。ホテルを早めに出て、盛岡の時同様コインランドリーに洗濯物を放り込んだ後に市場に向かいます。
市場そのものは特に大きいわけではありませんが、最近この「市場の朝ごはん」がTV等にも取り上げられていて、観光客にも人気のようです。市場での朝食と言えば、釧路の和商市場がその発祥の「勝手丼」などの丼物が有名ですが、ここはあくまで「刺身定食」が基本のようです。この内容で朝食代は、ごはん・味噌汁を合わせて二人でちょうど2000円。新鮮な刺身は、食べ切れないくらいにたくさんあり満足の朝ごはんでした。
IMG_1215.JPG
市場には「明日からお盆休みです。」の看板が… 我々はここでもラッキーだったようです。

八戸の海岸線の観光は、まずはウミネコの島である蕪島。とは言え、季節柄なのか以前に来た時のように「ミャーミャー」といううるさい鳴き声は聞こえず物静かです。以前来た時は何度もフンを掛けられましたが、残念ながらその被害も今日はありません。
IMG_1218.JPG
次の観光地は緑が広がる海岸線が珍しい種差海岸。ここも20年振りぐらいの訪問です。初めて八戸線の車窓からこの景色を見た時のワクワク感は、いまだに忘れることができません。
IMG_1241.JPG
ここで青森県の観光を終了して岩手県に向かうつもりでしたが、昨晩八戸在住の旧友から「田子町のタッコーラ」の話を聞いて妻が興味を示したので寄り道してみることにします。田子町(たっこまち)と言えば、にんにく生産量日本一の青森の中でも、その中心地として有名ですが、「その田子町には、『タッコーラ』というガーリック味のコーラがあり、『にんにく×コーラなんて絶対に合わないだろう!?』と思っていると、これが意外と合うんだよね…!?」というレア現地情報です。
田子町のにんにく観光の中心がガーリックセンター。レストランはかなり有名らしく12時前なのに観光客の行列が凄いようですが、我々はレストランには見向きもせっずに売店へ行き、「コーラ2本!」。
IMG_1249.JPG
肝心な味ですが、思ったよりニンニク味が強くなく、合うというか…
続いて「にんにくソフトクリーム」もいただきましたが、個人的にはソフトの方がお気に入りでした。

次はいよいよ三陸へ向かいます。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

12.東北一周の旅<その4:秋田県> [日本一周(一周目)]


5日目:8月11日(木)続き

午後からはいよいよ秋田県に向かいます。この日本一周を始めてから、最後まで足を全く踏み入れていない都道府県がここ秋田県だったので、一昨年10月の沖縄旅行(投稿はこちら)から始めて、ようやく47都道府県全てに、その足跡を残したことになります。
当初の計画では県境の八幡平を見てからそのまま秋田県に入り、山を下って田沢湖を目指す予定でしたが、結局安比高原まで降りて来てしまったため、東北道を盛岡まで戻って、その後国道46号線を雫石方面に向かって秋田県を目指します。このルートからは、あの小岩井農場にも近く、妻は子供の頃に行った思い出を熱心に語りますが、「今、初老の二人で行く?」と聞くと首を横に振ります。数年後、もう既に溺愛が始まっている孫となら来たいのでしょうが…

JRの線路沿いの国道46号線。知識として知ってはいたものの、このローカル線の線路に、突然秋田新幹線こまちの鮮やかな赤い車体が現れると、元鉄ちゃんとしては大興奮です。写真を撮りたいものの、元々片手運転なのでカメラを構えることすら出来ず、ゆっくりと車を追い越していく秋田新幹線をどうしても手が届かないアイドルを眺めるかのような羨望の眼で見送ります。翌日までの2日の間に何度かすれ違った秋田新幹線が、鉄ちゃん的には最も印象深い秋田県の車窓風景でした。

午後は予定を変更して秋田県を代表する渓谷である「抱き返り渓谷」に行くことにします。その理由は、昨日盛岡のE先輩から聞いたYさんが今いると思われるホテル(E先輩も名前は知らない)というのが、私の予想ではこの抱き返り渓谷のすぐ近くのホテルではないかと予想したので、「それなら訪問候補にしていて行くかどうか最後まで迷っていた抱き返り渓谷を観光してから行ってみよう!」と思い立った次第です。
IMG_0828.JPG
抱き返り渓谷と言えば東北を代表する紅葉の名所。駐車場から片道30分以上細い遊歩道を歩きますが、途中の眺めはやはりなかなかのものです。
IMG_0833.JPG
遊歩道のゴールは「見返りの滝」。滝好きには終点に滝があるというのが、長い散歩のモチベーションになり、結構疲れたけど楽しいひとときでした。
IMG_0837.JPG
抱き返り渓谷の長い散歩の後に、いよいよYさんが勤めているかもしれないホテルを訪ねてみます。もう夕方なので、訪ねたホテルのフロントでは当然宿泊客と思われたのでちょっと憮然とされますが、「実は…」と切り出すと、「少々お待ちください」と奥に入って行くので、どうやらこのホテルでビンゴのようです。

数分後、変わらない姿のYさんが現れ、十数年以上振りの再会です。まもなく70になるYさんは、このグループの非常勤の役員をされているらしく、不定期の出勤でこの日もずっと会議に出ていたとのことですから、会えたのは本当に運が良かったとしかいいようがありません。このグループはこの近辺にいくつもの施設を持っているグループですので、この日のこの時間にこのホテルに来なければ恐らく会うことは叶わなかったでしょう。Yさんは妻とも面識があるので、久し振りに昔話に花を咲かせました。
「何でうちのホテルに泊まらないの?」と皮肉たっぷりに言われたので、次回は必ず泊まる約束をして別れました。こういうところは、意外に義理堅い私です。

本日の宿泊は「休暇村乳頭温泉」。意外にも休暇村には初めての宿泊です。
乳頭温泉と言えば、何と言っても「鶴の湯」などが有名で湯めぐりを楽しめる東北有数の名湯ですが、私が調べた限りでは浴槽に手すりがあって私でも入浴できる乳頭温泉は、どうもこの休暇村のお風呂だけのようです。Yさんと会ったため乳頭温泉到着は6時を大きく過ぎてしまいましたが、有名な鶴の湯にはまだ車の行列が出来ています。鶴の湯は混浴ですから妻一人で入ることはないので、休暇村のお風呂で乳頭温泉を味わうことにします。でも休暇村の2つの源泉も流石にすごくいい泉質で、ずっと入っていたい最高のお風呂&露天風呂でした!
初めての休暇村も、サービスも意外に良く、一回の宿泊ですっかり休暇村ファンになったのですが、どうも「このホテルが特に良かっただけ!?」というのが正直なところのようです。夕食ビュッフェの「秋田名物オンパレード」も十分に満喫しました。

6日目:8月12日(金)

この日は秋田県内を観光してから、男鹿半島の男鹿温泉を目指す1日です。この日の観光プランは時間に応じていくつか考えていたのですが、朝から乳頭温泉にもう一度ゆっくりと浸かったりなどと珍しくホテルでかなりのんびりした(それだけ、満足感の高い宿泊だったということです。)ため、殆んどのプランが無駄になってしまいました。どうも遠野であのカッパ釣りを見て以来、貪欲に観光地を回る気がかなり減ったようです。おまけに、昨日八幡平と抱き返り渓谷と長いハイキングを二回もしたため、妻はしきりに足の不調を訴えて来ます。もう若くはない我々なので、無理は禁物です。

今日はまず昨日見残した田沢湖へ。遊覧船に乗る気は元々なかったので、湖岸を車で一周します。田沢湖岸は一周約20キロぐらいでしょうか? 車ではゆっくり走ると30分ぐらいの感じですが、夏休みらしく仲間でランニングしている学生をたくさん見かけます。何の合宿かまではわかりませんが、結構早いスピードで走っているマラソン選手のような軍団から、ゆっくりとウォーミングアップをしている人たち、中には明らかに集団から大きく遅れても必死に走っている人もいます。
今更ながら走れない自分がちょっとだけ悲しくなりました。
IMG_0852.JPG 
田沢湖の一番のビュースポットは辰子姫の像。昔は何度も見た筈なのですが、「こんな大きかったっけ?」
IMG_0862.JPG
どうも私の記憶は相変わらず曖昧です。

次のみどころは「角館武家屋敷」。有料駐車場の係員さんに無料の身障者用駐車場を教えていただいたので、その親切に応えることにします。
角館武家屋敷の観光では、場合によってはと人力車観光の情報収集もしていたので、妻の足の不調もあり迷わず人力車乗り場に向かいます。

以前に乗った小樽などの人力車は、確か二人で30分6000円だったと記憶していますが、ここ角館は30分で5000円と良心的。おまけに我々を案内してくれる人は、何とうら若い女性です?
IMG_0872.JPG
何と言っても桜の時期が名高い角館武家屋敷ですが、真夏の深緑の時期もなかなか良いものです。秋田佐竹藩武士のさまざまなエピソードをバスガイドさんのような女性車婦(?)さんにご案内いただいた30分は、とても得難い時間でした。でもフェミニストを目指す私としては、重い人力車をうら若き女性に引かせてその上に乗ることには、ちょっとばかり抵抗があったのも事実ですが…
IMG_0885.JPG
人力車を降りた後、1つぐらい武家屋敷の中も見たいということで一番有名な青柳家を見学します。
IMG_0890.JPG
その後妻は、早くもこの旅の最後に立ち寄る実家へのお土産を仕入れたので、私も有名な味噌しょうゆ蔵で自分とこの旅で出会うであろう人へのお土産を仕入れます。
IMG_0894.JPG
醤油と言えば、1年前に熊本の人吉で買った醤油がとても美味しく、その後我が家の食卓に欠かせない調味料になったので、秋田でもそんな調味料に出会えないかと考えた故の訪問です。
そういえばあの人吉の味噌しょうゆ蔵は大丈夫だったのでしょうか? 次回購入の時に尋ねてみようと思いました。

この日のお昼は予定では湯沢に行って、本場の稲庭うどんを食べる予定でしたが断念。近くの道の駅で稲庭うどんをいただきましたが、稲庭うどんも讃岐うどんと同じく関東でもそのクオリティがかなり上がってきているので、地元で味わう感動はありません。

午後は予定していた観光地をパスして秋田市内へ行き、秋田市のシンボルである千秋公園に向かいます。混雑していて何とか車は停められたものの、公園は想像していたよりかなり大きいようです。おまけに、妻が突然思い出したように、「ここ、来たことある! 足も痛いから車で待ってるね。」などと言い出すものですから、散歩する気も一気に萎えてしまいます。
IMG_0895.JPG
じゃあ歩かないで済むところにしようと、秋田港が展望できるポートタワーへ向かいます。港すぐ近くのタワーからは秋田港をはじめ秋田市内も男鹿半島も見えるのですが、嬉しいことに入場無料です。
IMG_0904.JPG
これから向かう男鹿半島も地図で見るみたいに見えています。
IMG_0898.JPG
IMG_0903.JPG 
男鹿半島入口の観光案内所には、巨大ななまはげ像があるようなので男鹿半島最初の観光スポットとして向かいますが、夕方近くのこの時間、なまはげ像は完全な逆光で、目を細めて眺めるだけに終わりました。
IMG_0907.JPG
男鹿半島に来るのは2回目です。初めて来たのは大学2年の夏休み。青森の宿が取れなかったため、ねぶたを諦めて弘前でねぷた祭りを見てから秋田で竿燈祭りを見て、その翌日国鉄で男鹿半島を訪ねてユースホステルに泊まったことまでは鮮明に覚えているのですが、どうやって観光したのかなどは全く覚えていないのです。その意味では、初めての妻と五十歩百歩ですね。

この日の宿泊は男鹿温泉ですが、予算をけちったためか肝心な温泉がとってもぬるくって、温泉に入った気が全くしません。旅館のウリは新鮮な海産物らしいのですが、「これがウリ?」という余りに貧弱な値段相応というよりそれ以下の夕食。昨日、Yさんに薦められた男鹿にあるというYさんの系列ホテルにその場で予約を変えなかったことを激しく後悔しました。

でも男鹿でとても楽しみにしていた「なまはげ太鼓ライブ」は予想以上に大満足でした。通常500円のライブが金曜日は無料で、お盆直前のこの日は立ち見も含めたぎゅうぎゅう詰めの超満員でしたが、その迫力に大いに満足した晩でした!
DSC_0558.JPG
DSC_0567.JPG
 
7日目:8月13日(土)

今日から数日間は、お盆の最混雑を覚悟しなければいけません。丁度1年前のお盆の土曜日は、超混雑するであろうという群衆心理の裏をついた私の作戦が見事に効を奏して、信じられないほど快適に上高地を満喫できたのですが(投稿はこちら)、上高地に匹敵するような超人気スポットであっても、二匹目のドジョウは期待できそうにはありません。この日は、男鹿半島のみどころを見てから、いよいよ青森県に向かう予定です。

まず、八望台から男鹿半島の全景を眺めます。この日の天気も快晴で、この旅の前半は本当に天気に恵まれています。
IMG_0936.JPG
昨晩、なまはげのライブは見たけれど、あくまでなまはげの格好をした太鼓ライブがメインだったので、地区毎にたくさんいるというさまざまななまはげが見たくなり、「なまはげ館」へ。そんなに広くはないここ男鹿半島に、本当にこんなにたくさんの顔をしたなまはげがいることに改めて驚かされます。
IMG_0954.JPG 
IMG_0957.JPG 
近年、男鹿半島観光のメインとしてよく取り上げられる男鹿水族館にも、勤務先の共済の券でただ同然で入れるらしいので行くつもりにしていましたが、予想以上の駐車場の混雑とちびっこの大行列で、中の混雑を想像しただけで行く気も萎えてしまい、駐車場からの景色を眺めるだけで満足することにします。
IMG_0987.JPG
男鹿半島突端の入道崎。ここで観光とお昼を食べる予定にしていたのですが、水族館をパスしたのでまだ11時前です。とりあえず男鹿半島突端の風景を満喫します。
IMG_0964.JPG 
IMG_0972.JPG 
念のため昼食候補にしていた食堂群を覗いてみます。どのお店も既にオープンしており、年最高の掻き入れ時の1日に向けて、臨戦体制を整えています。
結局、「今日はこの先、普通に考えたら超混雑でちゃんとしたお昼になんかありつけないかも?」と思ったのと、流石に11時前なので食べログ最高評価で混雑時には2時間待ちとクチコミに書かれている食堂でもまだ空いていたので、ついつい入ってしまい、空腹でもないのに高価なウニ丼を注文してしまいました!
空腹ではないので、美味しく感じられるかどうかが心配でしたが、流石にウニはウニでした!
DSC_0606.JPG
昼食後は男鹿半島をゆっくりとドライブしながら景色を楽しみます。次の目的地である「ゴジラ岩」をナビに入力すると、当然のように北海道知床半島のゴジラ岩を表示します。昨年、「ゴジラ岩観光」という会社の遊覧船に乗った時の我が身に降りかかった惨劇(投稿はこちら。ちなみに、この会社が悪いわけではありません。)を思い出して、思わず苦笑いです。

そのゴジラ岩ですが、近年TVのCMで話題を呼び、人気観光地になった故なのでしょうが、駐車場がいかにも急ごしらえの臨時駐車場的で、ちょっとびっくりします。駐車場からゴジラ岩が見えるスポットまでの道も全く整備されておらず、ラフな道が苦手な私は岩がゴロゴロする悪路に大いに苦労させられます。それでもここまで来てゴジラ岩を眺めずに引き返すわけにはいかないので、必死に歩いて何とか岩がCMのように見えるところまではたどり着きました。他の人たちはまだまだずんずん進み、ゴジラ岩のもっと近くまで行こうとしているようですが、私はここで満足して引き返すことにします。
IMG_0990.JPG
男鹿半島最後のみどころは寒風山展望台。15分でぐるっと一周するハイテクな回転展望台なので、勿論上まではエレベーターがあると思っていましたが、何とエレベーターはなく階段で最上階まで上がるのです。ちょっと慌てましたが、手すりがあるので事なきを得ました。
IMG_0999.JPG
秋田県最後に私が特に行ってみたかった場所は、八郎潟の干拓地。子供の頃、日本有数の湖が埋め立てられて広大な農地に変わった話を社会の教科書で見て以来、私の憧れの地の1つになりました。
まっ平らの農地に北海道のような真っ直ぐな道、道の左右にはどこまでも続くちょうど満開のひまわりが咲き誇っています。数十年前までは、ここがだだっ広い湖だったなんて想像もできない風景です。
IMG_1011.JPG
八郎潟を作った人たちの「遊び心」が覗けるのが「日本一低い山」の「大潟富士」。日本で一番低い富士山は勿論私でもあっという間に登れ、周囲に他に高い地やビルのない八郎潟の「お山の大将」になれるのです。
IMG_1002.JPG
もっとも、この頂上で海抜ゼロメートル。どうやら一番低いところにいる「お山の大将」のようです。
IMG_1008.JPG 

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

12.東北一周の旅<その3:岩手県(内陸編)> [日本一周(一周目)]


4日目:8月10日(水)

山形県を後にして、本日からはいよいよこの旅のメインである北東北未制覇3県に向かいます。まずは岩手県、個人的には6年間住んでいた宮城県に次いで何度となく訪れた思い入れのとても深い岩手県なので、改めてじっくりとその魅力に触れたいと考えています。
とても広い岩手県、今回は内陸部を観光しながら北上し、一旦他県を楽しんだ後、北東北の最後に思い入れの強い三陸を海岸線に沿って南下するという2回訪問のプランを考えていたので、今回はまず一回目として岩手内陸部の観光です。

東北道で宮城県から岩手県に入ると、最初の街が一ノ関。一ノ関には仕事でも何度となく来たし、昭和の時代には会社の同期も住んでいたので、何度か飲みにも来た懐かしい街です。近くには猊鼻渓で舟下りを楽しむことができますし、何と言っても隣町平泉には世界遺産の中尊寺があるのですが、猊鼻渓と平泉は病気直後の自分的一大イベント「温泉復帰の旅」(その投稿はこちら)で訪ねていますので、今回はスルーさせていただきます。

本日最初の見学地は、「えさし藤原の郷」。奥州藤原氏がテーマの東北では数少ない歴史的テーマパークなので、以前から一度は訪れてみたい施設でした。
IMG_0717.JPG 
平安~鎌倉時代のテーマパークなのですが、その時代だけではなくさまざまな時代の映画や大河ドラマなどにもよく使われるらしく、最近では戦国時代が舞台の真田丸でも利用されたとのことですから、見知った風景に出会えるかも…とも楽しみにしていました。
IMG_0723.JPG
広いテーマパークを全部ゆっくりと見るには、数時間以上はかかるようなのですが、今日もみどころをてんこ盛りにしている我々は、迷うことなく「お急ぎコース」を選択します。
IMG_0746.JPG
確かに昔見た大河ドラマなどで使われていたようなセットもあり、それなりに楽しむことはできました。
IMG_0729.JPG
でも、いくら今日が平日の午前中とは言え、お盆休み直前の夏休み期間中です。団体客も殆んどいないし家族連れもパラパラのこの状況には、正直経営が大丈夫なのかとても心配になってしまいます。
せめて奥州藤原家のように三代はもってくれたら嬉しいのですが… 当初の予想よりロケもそんなには多くはないみたいなので、その意味でも非常に心配です。
IMG_0733.JPG
次の目的地は遠野なのですが、出発前には「どう考えても、間に合わないであろう」と思っていたものの、念のため時間を控えてきた「銀河鉄道」の通過時間にひょっとしたら間に合うかも…という時間だったので、事故を起さず違反で捕まらない程度に、少しだけ先を急ぎます。

「銀河鉄道」とは正しくはSL銀河。このSLは週1往復の週末のみの列車なのですが、お盆期間中の臨時列車として本日も運転されているようです。一番有名な撮影スポットとしては、遠野郊外の宮守のめがね橋を渡るSLが、さながら宮沢賢治の銀河鉄道のようだということで人気を集めているのだとか…
何とか通過予定時刻5分前にはそのビュースポットである道の駅に着くことができ、重装備したたくさんの鉄ちゃんに混じって、SLを待ちます。
すぐに遠くに煙が見え、ポーっという汽笛が聞こえるというベストタイミング!でゆっくり橋を通過するSLを撮ることができました。
IMG_0752.JPG
SLはゆっくりのスピードなので、連写機能のない私のカメラでも、何回も撮影できるからありがたい…と、改めて後日痛感することになりました。
IMG_0753.JPG 
 IMG_0754.JPG
遠野でのランチに決めていたのは、遠野名物らしいジンギスカン。ジンギスカンと言えば、35年くらい前の貧乏旅行者にとっては大のごちそうで、「あの民宿は、ジンギスカン食べ放題だよ!」なんて評判を聞くと、予定を強引に変更してまでジンギスカン目当てに行くというぐらいのぜいたくな食事でした。(当時は、20代前半でしたので勿論食う量も半端ではありませんでしたが…)その後、我々も年を取り、昔は高嶺の花だった牛肉の値も徐々に下がって来た影響で、ジンギスカンは食卓から徐々に消えて行きます。ですからジンギスカンを食べるのなんて恐らく10年以上振りです。
久し振りのジンギスカンに、思わず妻と食らいついてしまいました!!

実は遠野に来るのは、私の初めての東北旅行であった1979年以来です。大学1年の時の夏休み、夜光急行を花巻で降りた我々は、花巻市内をぐるっと見てから、釜石線に乗り遠野に降り立ちます。旅するにあたって、柳田国雄の遠野物語を俄知識として仕込んでいたことはいましたが、まだまだ若かった19歳の私には、遠野の観光スポットを見ても、「何だ、こんなとこか!?」とがっかりしたことだけが強く印象に残っていたので、今まで再訪する気にならなかったのです。
あの時から37年、「ようやく私も、柳田国雄が分かる年になったかもしれない!?」という期待を込めての再訪です。

遠野物語の昔話を聞くのには、昔はなかった「とおの物語の館」で地元の語り部さんの話を聞くのが一番と、語り部さんの講演時間に合わせて訪ねてみます。夏休みなので都会から来たらしいちびっこも多かったので、語り部さんは我々にも理解可能なようにソフトな方言を使ってくれたようですが、それでも私には8割しか理解できませんでした。東北出身の妻は100%だったそうですが…

語り部さんの話ですっかり遠野物語の雰囲気になった我々が、次に向かったのは物語の舞台でもあるカッパ淵。そこで見た観光客の余裕ある旅の姿が、私に大きな衝撃を与えることになるのです。
IMG_0768.JPG
カッパ淵にいたその若い女性二人は、釣り竿にカッパ釣りの定番であるきゅうり一本を丸々結びつけて、お喋りしながらもずっと竿を動かし続けています。まるで、本気でカッパを釣りたいと言わんばかりの勢いです。その状況には大いに興味があったので、近くを散歩した後に再びカッパ淵に戻ってみましたが、あの二人は何かに笑いながらも相変わらず竿を動かし続けているのです。
IMG_0763.JPG 
この余裕を見て、改めてこの二人の旅がとても羨ましくなりました! どこから来たのかは知りませんが、こんな絶好の天気なのに、他のみどころには見向きもせずに、ひたすら釣れるはずのないカッパ釣りをしているなんて… 私には考えられない余裕で、とにかく猛烈に羨ましくなったのです。

もうすぐ日本一周を達成できるので、その後にはもう少し地に足を着けた余裕のある旅をしたいと心から思いました。あの娘ぐらいの年の女性に教えられました。

本日の宿泊は盛岡市内。盛岡は妻が中学生の頃に父親の転勤で数年間住んでいた地で、折角なので妻が通った中学校を訪ねることに…
今はナビがあるので、学校名さえ入力すればちゃんとその地まで運んでくれるのでありがたいのですが、学校の周りをウロチョロすると、すぐに不審者の疑いを掛けられるのも、今の時代ならではです。

今晩の夕食はホテル近くの専門店で盛岡名物「じゃじゃ麺」を食べることに決めていました。盛岡と言えば冷麺やわんこそばなどの麺も有名ですが、何と言っても懐かしいじゃじゃ麺を食べ、大いに満足したのでした。
DSC_0552.JPG
夕食後、昭和の時代に数年間一緒に働いたE先輩と数十年振りの再開を果たし、ホテル近くで2時間近くの昔話を。その時、Eさんから「当時我々の上司だったY先輩が、風の噂では田沢湖周辺のホテルにいるらしい!?」という情報を聞いたので、それ以上の詳細はE先輩もご存知ないようですがいくつかヒントになりそうな情報もあったので、明日田沢湖方面に行くつもりの私は「出来るだけのことをしてでも出来るものならば是非Yさんにも会いたい!」と、その晩遅くまでネットで情報を収集したのでした。

5日目:8月11日(木)

この日は初めての「山の日」です。現在、学校法人に勤めている私にとっては、夏期休暇中の祝日なので、「嬉しさも、中くらいなり」ではありますが、海の日以来久し振りに増えた祝日なので、嬉しくない筈はありません。旅行プラン的にも、この日は丁度山がメインの1日だったのですが、初の祝日を歓迎するような最高の晴天が広がっています。

今回の旅でホテルで朝食を食べないのはたった二回だけなのですが、その二回共にとっておきの朝食プランを計画していて、今日はその一回目です。6時過ぎにホテルを出て、まずはネットで調べておいた24時間営業のコインランドリーに洗濯物を預け、7時開店の近年TVなどでしょっちゅう取り上げられる超有名になった盛岡のパン屋さんの「福田パン」を目指します。開店の10分前には着いたものの、駐車場はすでに満車で開店に並ぶ行列は既に50人を越えています。まだ、朝の7時前なのに?
IMG_0777.JPG
近くのコインパーキングに何とか車を停め、行列に加わりますが、パンを買うだけとは言え名物のコッペパンにその場でジャム等を塗るので、行列は遅々として進みません。改めて先頭の人たちを見てみると、一人でパンを10個以上注文している人ばかりです。TVの影響で観光客ばかりの行列かと思っていましたが、どうやら地元の方々が早朝から並んでいるようです。
DSC_0557.JPG 
(室内に並んでいる様子) 
少しして列の進みが早くなりました。一人の注文個数もぐっと少なくなったので、我々のような観光客中心になったようです。
結局パンを買えたのは8時前、朝から丸1時間以上の行列に並ぶとはゆめゆめ思わず、コインランドリーではとっくに洗濯が終わっていました。
ようやくコンビニの駐車場で福田パンのコッペパンにありつきます。ここ一番の名物は「アンバター」なのですが、実は私の高校のすぐ横のパン屋さんにも40年前から「アンバタ」というほぼ同じパンがあったのですが、比べて抜群に旨いとはどう考えても思えません。もう1つ有名な「サラダパン」もオーダーメードのパンも、平均よりはずっと美味しいけれど、「朝から1時間並ぶまでのことはないなぁ?」というのが我々の結論でした。

本日は、最初に安比高原で働いている大学時代の友人を訪ねた後、八幡平をハイキングをしてから秋田県に向かう予定だったのですが、安比の友人から「朝イチは都合が悪くなった。ゆっくり来て!」という連絡が入り、八幡平に先に行くことに。仕事中のホテルにお邪魔虫するわけですから、文句は言えません。

八幡平アスピーテラインは蔵王同様つづら折りの道。頂上に近づくとガスがかかる御釜の時の悪夢を思い出しますが、今日は山の日なので山の神様もそんな悪戯はしないようです。
IMG_0786.JPG 
岩手県と秋田県の県境にある駐車場、私の中ではまだ拘って岩手県側に停めます。
IMG_0791.JPG
八幡平の遊歩道については、事前に観光協会に階段等の状況を問い合わせていて、「(左回りで行くと)最後に150段の(下り)階段があるだけ。」という情報を得ていましたので、躊躇なく右周りでまずは情報通りの階段を上ります。
その後のハイキングコースは至って順調。前にも書きましたが、階段は上りの方がずっと楽なのです。
おまけに今日は、第1回目の山の日にふさわしい、これ以上ない晴天です。
IMG_0793.JPG
みどころの沼などもしっかりと見ながら、八幡平の頂上に到達します!
IMG_0802.JPG
IMG_0813.JPG 
一時間のお散歩コース、やはり私には1時間半はかかりましたが、久々のハイキングに満たされた気分になりました。

安比高原のホテルで働いている友人は、大学のゼミの同級生。大学を出て、地元岩手県で就職した彼と会うのは、確か昭和60年に私が盛岡に出張した晩に、居酒屋で酒を酌み交わして以来です。仕事中の彼とそんなに長話をしてはいけないことは判っているつもりなので、積もる話は山ほどあるのですが、30分ちょっとで再会を約束して席を立ちました。


コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

12.東北一周の旅<その2:山形県> [日本一周(一周目)]


2日目:8月8日(月)

この日は、山形県内を観光して、日本海沿いの名湯あつみ温泉に宿泊する予定です。昨年10月に行った「南東北紅葉紀行」の二日目の日程と結果的に酷似した日程になってしまったのですが、昨年見られなかった出羽三山をどうしても見たいということもあり、あえて近くでも昨年行けなかったみどころを訪ねることにしました。

この日最初の訪問地は蔵王の御釜。蔵王には昨年も行き、ロープウェイでの展望を楽しんだのですが、昨年は時間の都合で断念したさらに奥で宮城県との県境にある御釜を、28年以上振り(平成になってからははじめて)制覇しようと勇んで朝早くから車を走らせました。

この日の天気も快晴で、今日も気温がムチャ上がるらしく、ラジオでは朝から熱中症の注意を繰り返しています。空を見上げると、文字通り雲一つない絶好の天気です。
米沢から1時間強を過ぎ、順調に蔵王の山頂に向かって快適につづら折りの道をドライブします。ところがナビが「あと5分」とゴールが近いことを告知した頃から、突然ガスが発生してきて視界が遮られます。昨年以来日本一周の旅で何度も味わった「山の上で、全く視界が利かない状況に突入!」の見事なほどの再現です。
とりあえず 駐車場に車を停めて、刈田岳の頂上まで散策しますが、頂上で霧が晴れる筈もなく、周囲は見事に真っ白です。
IMG_0611.JPG
御釜が見えるはずの展望スポットまで戻り、「私の記憶では、あの辺に御釜が見えるはず!」と記憶がもっと不確からしい妻に説明しますが、私の記憶も昭和時代の記憶なので迫力はありません。
IMG_0616.JPG
晴れるまで待つ余裕も元気もなく、全く予想外のことに落胆は隠しようがありませんでしたが、「全部叶ったら、次に来る理由がなくなっちゃうよね?」と二周目以降に向けて前向きに考えることとしました。
でもやっぱり、山を降り始めた5分後には、ガスはすっかり晴れて、朝同様の雲一つない天気の山形でした!やっぱり、悔し~い?

次は山形市内にある山形県内各地のお土産がまとめて揃うスポットの「ぐっと山形」。ここで、今日午後にノーアポで訪ねる予定の友人の職場と、次の岩手で会う予定の二人へのお土産を仕入れます。このぐっと山形、ここでかなりの山形県内の名物が揃うので、非常に便利です。「他の県にも、こんな施設があればいいのになぁ~?」と思ってしまいます。
山形名物の玉こんにゃくなども食べましたが、久しぶりに美味でした。

次は高速道路で出羽三山にはまっすぐ向かわずに、山形県内の一般道を少しだけドライブしながら庄内地方を目指します。寄り道の目的地は、この旅では棚田としては唯一の見学となる二つの棚田。最初に山辺町の大蕨の棚田を見学して、次に朝日町の椹平(けやきだいら)の棚田を見るコースが、観光地があまり多いとは言えない山形県中部地区をドライブするには丁度良いと考えていたのです。
IMG_0620.JPG
(大蕨の棚田) 
二つの棚田共、全国に名を馳せたような有名な棚田でもありませんし、「やっぱり棚田を見るベストタイミングは、まだ稲が十分に生育していない5~6月に限るなぁ~!」と改めて感じました。
IMG_0624.JPG
 (椹平の棚田)
棚田の見学を終えていなか道を走っていたら、「最上川ビュースポット」という看板が現れたので、車を停めてみます。十分にしたはずの下調べには全く引っ掛からなかったのですが、こういうサプライズがあるので、やっぱり一般道のドライブはやめられませんね!
IMG_0638.JPG
国道に戻ってお昼を食べます。前回もではありますが、山形と言えば何と言ってもそばという個人的な思い入れが強いため、この日の昼食はそばと決めていて、ネットでも評価が高いそば屋さんに決めていました。
1時少し前なのに駐車場にはまだ車がたくさんあり、ちょっとだけ嫌な予感がします。案の定、入口には「本日そば売り切れ。うどんならあります。」の貼り紙が。
DSC_0531.JPG
空腹で今から別の店を探す余裕もなかったので、うどんで我慢することにしますが、やっぱり悔しいので店員さんに聞いてみます。
「このお店、いつもこんなに早くお蕎麦売り切れちゃうの? さすが人気店!」「そんなこんなありません。実は今日、そば打ちの職人さんが急遽腰痛で帰ってしまったんです!」とのこと。
まぁ、うどんも悪くはなかったですが…
DSC_0527.JPG
いよいよ本日のメインである出羽三山。出羽三山といっても月山、湯殿山、羽黒山と3つの山と神社があり、全部行ける余裕はありません。その場合、出羽三山の代表として多くの方が選ぶのは羽黒山。一番庄内地方に近く、冬でも参拝しやすいということもありますが、観光的には何と言っても五重塔の存在です。
とは言え、羽黒山五重塔へは階段を使わないと行けないようで、写真を見る限り手すり等は全く無さそうです。事前に観光協会に階段の勾配などの状況について質問のメールを打っていたのですが、資料は送ってくれたものの明快な返事はありませんでした。
 
とりあえず近くの「いでは文化資料館」に入館し、日本中の五重塔(改めて見ると、まだ我々が未訪の五重塔がこんなにたくさんあることに、改めて気付きました!)と出羽三山の資料を見ながら、係員さんに階段について聞いてみます。「上まで階段で登ろうなんて恐れ多いことは考えていませんが、せめて五重塔までの往復なら私でも大丈夫ですよね?」という私の問いに、係員さんはかなり困ったような顔をしています。その顔色から伺うと、「あんたには、無理じゃない?」という顔です。とは言え、ここまで来て出羽三山の最大の目的である五重塔を諦める訳にはいかないため、「とりあえず行けるところまで行ってみよう!」ということで登山口に向かいます。
IMG_0643.JPG 
私にとってラッキーだったのは、五重塔までの階段の大半下りだったこと。手すりのない階段では、登りより下りがとにかく苦手なのです。昇るのは何とかなっても、その階段を下ることを考えると、昇るのが怖くなり、「止めよう!」と引き返すことが多いのですが、今回は下ることさえ出来れば帰りは登りなので何とかなりそうな感じです。
IMG_0648.JPG
とは言え、私にはそれなりに辛い下りでしたが、五重塔というモチベーションがはっきりしていたことと多くの階段はそう急でもなかったので、何とか五重塔までたどり着くことができました。
IMG_0657.JPG
登りが先だったら、恐らく諦めていたでしょう。幸運に感謝です。
帰りは登りなのでさほど苦労せずに、駐車場まで戻ることができました。

その後、車で羽黒山上の神社を目指します。元気ならば、五重塔からそのまま上に登る参拝道があるのですが、今の私には五重塔ですらやっとなので、これ以上を望むべくはありません。

山頂の神社で参拝をして、コレクションである交通安全のお札を仕入れます。
IMG_0673.JPG
羽黒山の参拝を終えた後は、酒田と鶴岡の真ん中付近にある友人の職場をノーアポで訪ねますが、本日友人は休みとのこと。この友人とはそんなに久し振りではなく、昨年仙台で酒を酌み交わしているので、「どうしても久し振りに会いたい」という訳ではないのですが、「明日は出勤します」とのことなので、折角土産まで持って庄内まできたのですから、明日もう一度訪ねて見ることにします。

今晩の宿はあつみ温泉。10月の湯野浜温泉に続いての庄内の名湯への宿泊ですが、ここあつみ温泉と言えば昔から二つの名旅館がその覇を競っていることで業界的には有名です。
今回、そのうちの一つに宿泊したのですが、感想は「??」。
翌日、プロの友人に聞くと、「最近は、もう一つの方が評判がいい!」とのこと。
業界を卒業して1年以上経っている私、最新情報にはやっぱり疎かったようです。

3日目:8月9日(火)

庄内の二都市である酒田と鶴岡。病気後初の旅行(記事はこちら)の時には妻の要望もあり酒田を訪ね、昨年紅葉で来た際(記事はこちら)には、酒田を再訪して鶴岡にも…と目論んでいたのですが、鶴岡では話題のクラゲの水族館である「加茂水族館」に行ってしまったため結果的には未だ未訪である「鶴岡市内」も、出羽三山と並んで今回どうしても行きたかった場所でした。

まず最初に訪ねたのは、クリスチャンの妻のために「鶴岡カトリック教会」。ここの「黒いマリア像」が有名とのことで、クリスチャンならば一度は行ってみたい教会なのだとか。
平日の午前中なので誰もいない…と思いきや、教会にはパイプオルガンの調べが流れています。入場自由なのでひっそりと入り上を覗くと、どうもパイプオルガンの練習をされているようです。お祈りをする妻の良いBGMになりました。
IMG_0677.JPG
黒いマリア像は、やはりその名の通り黒くてなにやら由緒ありげな佇まいでした。
IMG_0687.JPG
それよりも妻は、教会のプリントに同じ信者の友人の名前を見つけたことが嬉しいようで、このクラシカルな教会で毎週お祈りをしている友人がとても羨ましそうでした。

鶴岡市内の観光地の代表と言えば、「致道博物館」。仙台の旅行会社に勤務していた時代、何度も日程表にその名前を書き込んだ鶴岡を代表する観光地です。「何度もお客様に勧めておきながら、自分では行ったことがない。」という私の(旅行会社社員の)いつものパターンだったので、当時のお客様の顔を思い出しながら、贖罪の意味も込めた訪問です。
IMG_0697.JPG 
致道博物館は、明治村のようにこの近くの歴史的建造物を移設して展示しています。しかし、建造物はともかく内部に展示している展示物は、器の歴史的建造物とは全く関係がないようです。つまり、外側の建造物を見る屋外博物館と、例えば日本刀の博物館などの小さないろいろの博物館が少しずつ観られる二つのみどころがあるのです。昔、この事を正しく知っていたらお客様に良いこともそうでないことももっと的確にご案内出来たのに…と改めて昭和の時代の自分を反省してしまいました。
IMG_0705.JPG
鶴岡を後にして、昨日会えなかった友人の職場に再び向かいます。友人の職場は郊外のイオンモールにある旅行会社のカウンター。平日の午前中なので、カウンターにはお客様の姿はなく、30分以上カウンターに座りこんでよもやま話をさせて貰いました。
他のスタッフのクレームがでても仕方ない状況でしたが、お土産のお菓子のお陰もあり、図々しく居座ってしまいました。

もうお昼の時間になり、すっかり予定より遅くなってしまいましたが、今日のお昼は天童まで戻ってうなぎを食べる予定です。ただ、昨日そばを食べられなかったこともあり、そばに変更する手もあったのですが、妻のご希望は「遅くなってもうなぎ」とのことなので、イオンモールでランチタイムなのにたこ焼きで腹ごしらえをして、庄内地方を後にします。
うなぎは別に天童の名物ではなく、お店が私の綿密な調査に引っ掛かったので選択したのですが、老舗のうなぎ店らしく我々の注文後にうなぎをさばき始めるといううなぎ好きには堪らないお店だったので、結局我々がうなぎを食べ終わったのは、3時近くになってしまいました。
「空腹は最高のソース」なので、個人的には意外と安いうなぎに満足だったのですが、妻にはうなぎそのものはともかくたれがご満足いただけなかったようです。

この日午後はいくつかの観光プランを考えていたのですが、もう3時も回っているので、時間がかかる観光地には行けそうにありません。個人的には山寺に久し振りに行きたい気持ちが強かったのですが、山寺の階段には手すりがないことは判っていたのと、妻に「昔山寺には何度も行っているので、反対!」と言われ、山寺は諦めることに。28年振りの今日の宿にも早めにチェックインしたいこともあり、天童にあるという「ひまわり迷路」をちょっとだけ見て、今日の宿に向かうことにしたのですが、その季節限定の観光地であるひまわり迷路が見つかりません。ナビやガイドブック情報によると間違いなくこの目印のあたりなのですが、周辺をくまなく走ってもひまわりどころか看板も見当たりません。人に尋ねるにも車通りはあるものの人も歩いておらず… 結局、諦めて宿に向かうことにしました。

宿に向かう途中にどうしても行きたかった場所である山刀伐(なたぎり)峠に寄り道です。昔、観光バスでこの辺を通ると、バスガイドさんが決まって奥の細道最大の難所であったというこの山刀伐峠の話をしたのが、未だに強く印象に残っているが故です。とは言え、本当の峠道に沿うルートは、バスがいつも通るメイン国道ではなく、もう少しマイナーな道路で、その雰囲気に近くなったので、「芭蕉の気持ちになって一句捻ろうか?」などと考えながらハンドルを握っていたら、突然「峠入口」の看板が現れます。

元気な頃ならそのまま旧道を散策していたのかも知れませんが、今の私には散歩をする元気もなく、ちょっとだけ芭蕉を偲んだだけにします。
IMG_0716.JPG
今晩の宿は赤倉温泉。実は、この日の宿には懐かしい思い出と、その後どうなっているかを知りたいという自分の強い思いがあり、早くから事情等を何もいわずに電話予約をしていたのです。

昭和60年なので私が結婚する年の4月、この旅館の社長夫妻を団長とするこの付近の方々の中国旅行の添乗員として、10日間を越える長い旅行にご一緒しています。
当時の中国はまだ解放前で、日程もホテルも現地に行ってみないとわからないという社会主義国特有のシステムで、まだまだ解放されていない場所も多く残る中での10名の珍道中でした。私も初めての中国旅行でしたし、日程もホテルもわからないので添乗員として役に立つのか?という状況の中でしたが、ここの社長のお陰で何とか無事に帰って来ることができたのです。
その数年後の平成元年、社長から「あのメンバーで今度はカナダに行くから、プラン作って説明においで!」という嬉しい電話をいただいたので、折角なので説明に行くとき、家族を連れてそのまま温泉旅行にしよう! と今考えるとかなりの公私混同で今なら間違いなくコンプライアンスに引っかかりそうな温泉旅行として、この宿に妻と子供二人(下の子はまだ0歳)を連れて来たのです。(勿論、宿泊費はちゃんと自腹で払いましたよ!)
ところが、説明会も無事に終わり家族旅行モードに切り替わった夕食後に、今まで一度も熱を出したことがなかった下の子が突然40度以上の高熱を出し、旅館の方々に病院に連れていっていただくなど、ドタバタの大騒ぎに。思い出深い温泉旅行になったのです。

その翌月に私が横浜に転勤を告げられ、社長には電話で転勤のご挨拶をするだけになってしまい、カナダ旅行も後任者に引き継ぎました。後日、「カナダ旅行は、無事行ったよ。」という話は後任に聞いたものの、ちゃんとご挨拶が出来なかったことに何となくずっと引っ掛かった気持ちを持ち続けていたのです。

勿論、そんな気持ちは私の独りよがりの気持ちであることには間違いはありません。当時70歳ぐらいだった社長がご存命ならば、100歳は越えているはずで、今更行っても会える確率は限りなくゼロに近いことは十分に判っているつもりなのですが、自分的には「どうしても、けじめとして一度は行っておきたい!」という心境だったのです。

奥の細道の地ですから、宮城県県境に近い山形県でも一番奥にあるひなびた温泉なので、温泉の風景は昭和の時代と一つも変わっていないようで、旅館の面影も昭和のあの時のまんまのようです。
チェックインが終わり、部屋に案内されるタイミングで、「実は私、昭和60年に先代ご夫妻と中国にご一緒した添乗員です。」と名乗ってみました。経営者らしい女性はやはり先代社長夫妻の娘さんらしく、女性はご夫妻が中国とカナダに行かれたことはよく覚えていらっしゃいました。ご夫妻のその後についてお伺いしたところ、社長は平成元年のカナダ旅行から帰ってきてすぐに体調を崩され、まもなくご逝去されたとのことでした。奥様はその後もかなり長生きされ、震災の年までお元気だったとか…
無理をお願いしてお二人の写真にご挨拶させていただくことができ、勝手ながら28年間の肩の荷を下ろせたような気持ちになりました。
来るのがちょっと遅れたものの、「来て良かった!」と心の底から思えた山形県最後の夜でした。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。