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2014年夏 北海道旅行計画<その①> [雑感]


今週もいろいろなことがあり、かなりへこんでいるというか落ち込んでいるのですが、それは別にして定例のブログ書き込みをめげずに行うことにします。
正直「落ち込んでいる暇はない!」と自分を叱咤し、楽しいことを考えるようにしなければ、このままではどこまでも落ち込むような気がするので…
今日は、今一番心がが沸き立つ楽しい話題、夏の旅行計画について書きたいと思います。

昨年は自動車運転復帰がメインで長い旅行を楽しむことができなかったので、今年2014年の夏休みこそは長い旅行に行きたいと考えています。
「海外旅行にも復活を果たしたい。」という考えもあるのですが、海外旅行への復活は来年2015年を考えています。理由は海外旅行なんて勿論そんなに頻繁に行けるわけではないと考えており、来年が結婚30周年なので記念に海外旅行に行きたいと考えているからです。
本来であれば結婚25周年の銀婚式を迎えた後、その翌年には記念旅行としてカナダあたりへの旅行を考えていたのですが、何度も書いた通り25年目の夏にこの病気で倒れ、25周年の記念日の頃には退院はしたものの、まだ週2回の勤務にようやく復帰できたばかりでしたので、その時もその翌年も「記念旅行」なんて悠長なことを考えることすらできない状況でした。
妻には「25年の時には何もできなかった」ことを本当に申し訳なく思っているので、「30年目には何とか海外旅行に行きたいね♪」と何度か話していますので、来年の夏こそはその(ほぼ10年越しの)約束を絶対に叶えないといけないと考えています。
なので、行き先については妻に任せています。行き先が決まったら、コースや旅行シーズンは元プロである私が決め、心に残る最高の旅を贈りたいと思っています。

なので今年は「海外旅行の予行練習」にはならないかもしれませんが、ちょっと長く国内の旅行に行きたいと思っています。
前回の旅行から間もなく2年となりますので、毎月電気代やガス代などできる限りの支払いをJALカードに集中させているお蔭で、この夏までには何とか2名分の往復航空券ぐらいまでは何とかマイルが貯まりそうです。
このマイルをフルに使って、沖縄の離島にのんびりと行ってみたい気持ちはあるのですが、海外旅行並みの予算が必要な危惧もありますし、離島には行ってみたいものの、この体では「行って何するの?」という問題もあります。また妻はあんまり沖縄の離島には興味がないらしく、そういった意味でもお互いのモチベーションはあんまり上がりません。
そのほかには日本国内ではまだ私の未訪の地である島根・鳥取の山陰地方にも行ってみたい気持ちはあるのですが、ここはもっと時間がある時に車でのんびりと行ってみたいと思い、移動だけでそれなりにかかる旅行に無理な計画を立てる気はあまり起きません。(残念ながら妻からもあまり歓迎されるムードではありません。)。

そうなると行き先は定番ですが九州か北海道になります。九州は2年前に行ったばかりではありますが、今度行くとしたら大分と宮崎の東海岸を中心に巡りたいと考えています。行きたいところは、高千穂と国東半島、湯布院、黒川などまだまだたくさんあります。
北海道は、病気になる前年に道東を1週間かけてドライブし、景色と海産物を満喫していますが、こちらも北海道は広いので行くとなれば前回見ていない見どころはまだまだたくさんあります。
でも、北海道は本当に広いので行くのであれば車がないと厳しいような気がしています。なので。「鉄ちゃん」の要素は少し置いておいて、車での旅行について考えてみることにしました。

左手足だけで運転している私が、現地で運転できるレンタカーを借りられるかどうかの情報はありませんので、北海道と九州で「左手足だけで運転できるレンタカー」の情報を早速検索してみます。
その結果、私の愛車にも取り付けられている片手片脚運転装置のメーカーで、自動車の総合福祉器具の「ニッシン自動車」という我々にとっては非常に頼りになる心強い会社の北海道・九州支社で、それぞれ「左手足だけで運転できるレンタカー」があることが判りました!
勿論、選択できるレンタカーの選択肢は限られてきますが、この期に及んで車種やメーカーに贅沢が言えるなんてことは全く考えていません。料金も通常のレンタカーのようなわけにはいきませんが、「思ったより高くない」ようです。何より、普段から運転でお世話になっている「ニッシン自動車さんの製品ならば安心」という気持ちがあり、「北海道or九州でドライブができる!」という夢が急速に広がってきました!
因みに、「福祉車両のレンタカーがある」というネット上の情報を元に、昔から私が一番お世話になった最王手のTレンタカーの北海道にメールにて問い合わせてみましたが、すぐに丁寧な返信が来て「当社では左手足だけで運転できるレンタカーは(少なくとも道内には)ありません。」とのこと。やっぱり「レンタカーを借りる」というハードルは、私にとっては決して低いハードルではないようです。

なので、「よし! 2014年の夏は北海道にドライブに行こう!」と行き先を決め、早速計画づくりを始めることにしました。九州ではなく北海道に決めたのは、「2年前に九州行ったし、次は北海道」という順番もありますが、やっぱり私本来の北志向が出たという殆どそれだけの理由からです。

日程(出発日)はまだ決められませんが、どこに行ってどこに泊まって何を食べる… などを早速買ったガイドブックとネットの情報を見ながらプランとの格闘(検討)を始めます。旅好きの私にとって、一番楽しい瞬間の始まりです!

でも、日程が決められないので予約は何一つ取れません。このプランの一番のキーポイントはレンタカー… そう、左手足で運転ができるレンタカーが万が一先に他の予約が入っていたら、旅行のプランは全て一から組直しになるのです。
それ以外にも、このレンタカーに「ナビはついているかしら?」「バックモニターはあるかしら?」などよくよく考えると心配はどんどん増幅してきます。運転に復帰できているとはいえ、車限定のドライバーなので、「いざ運転」と車に乗ろうとすると予期せぬ制限があるかもしれません… 「やっぱり、自分の愛車じゃないと無理かなぁ~??」と俄かに不安になってしまいます。
でも、「北海道をドライブするぞぉ~!」という強い決意については、そう簡単には諦めたくはありません…

そこで、今までは考えたことはありませんでしたが、「フェリーで愛車を北海道まで運ぶ」ことも検討を始めました。
北海道へのフェリーで思い出すのは、吉田拓郎の歌でも有名になった「苫小牧発、仙台行フェリー」仙台勤務中には添乗員として何度か乗ったことがあります。仙台を夕方出ると翌午前中には苫小牧港に着けるので、土曜日の朝に自宅を出ると日曜日の昼前にはもう北海道の大地を走っていることができるのです。これならば愛車でのドライブですから、ナビやバックモニターなどの設備を気にする必要はありません。レンタカーのように短い期間での利用であれば移動に時間がかかりフェリーの利用は勿体ないのですが、元々今年の旅行は少し長めに行こうと思っていたので、時間がかかっても往復フェリーで行くだけの価値はありそうです。
2年間、このために必死に貯めたJALのマイレージは使えないけれど、障害のある私が北海道であれドライブするとすれば、「やっぱり愛車にしよう!」と考えることにしました。

なので先日から方針転換をして、フェリー往復でマイカーでの北海道ドライブをする計画を立てることにしました。
プランのはじめはフェリーを選ぶことです。北海道へ行くフェリーは上記の仙台をはじめとして、(茨城の)大洗~苫小牧や、八戸から苫小牧のフェリー、日本海ルートを考えれば新潟から小樽に行くフェリーもあり様々なルートが考えられそうです。

今回の北海道、5年前の時は釧路・知床を中心に道東を満喫しているので、私の一番よく行った道東地区以外で考えています。今現在の候補は「道央地区」中心で、富良野や美瑛などの地区をのんびりと回ってみたいと考えています。
そうであれば、旅行時期は7月。そう、富良野のラベンダーの季節には実はまだ行ったことがありませんので、ラベンダー咲き乱れる富良野を見てみたいと考えています。果たして、休みがちゃんと取れるでしょうか??

どのフェリーも予約開始は2か月前のようなので、それまであと4か月楽しい楽しいプランつくりの時間が取れます。大いに悩みたいと思います。
同時に旅行資金も貯めなきゃ… と誓いを固めました。折角のフェリーでの旅なのですから、二等客室での雑魚寝は嫌なのでスイートとは言わないもののせめて2人部屋に泊まりたいなぁ… とも考えています。

当分の間、愛読書は「るるぶ北海道」になりそうです!!


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2014年への思い [雑感]


明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

今年のお正月は9連休でしたが、年末はスマホの機種変をしたり川越に行ったりなど比較的アクティブに過ごしたものの、正月3が日は例年以上に寝正月&TV三昧の3日間でした。

元旦は2年ぶりに息子と3人でのお正月です。朝の食事前には毎年の恒例行事である近所の神社に(1人で)初詣に行きました。
いつもの道を新鮮な気持ちで神社に向かいます。
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こんな田舎の神社でも、大晦日の夜中だけは毎年大行列で、昔は私もその大行列に毎年30分以上並んで初詣をしていたのですが、元日の朝7時過ぎは神社は静かなものです。いつも通り少ないお賽銭で間違いなくその金額以上たくさんのお祈りをします。
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その後、自宅から持ってきた1年間お世話になった破魔矢とお守りに「1年間我が家を守ってくれた御礼」を心の中で述べながら返納し、少ないお賽銭の代わりにというか地元の神社の売り上げに少しでも貢献すべく、こちらも毎年の恒例行事となっている破魔矢と交通安全のお守りを購入します。神社からは毎年恒例のお神酒をいただき、ぐいっと今年最初の一杯をとてもおごそかとは言えないのですが、美味しくというよりありがたく飲み干し、恒例の初詣は無事終了となります。 
今年お神酒を振る舞ってくれた方は、脳卒中の先輩とのことで「頑張って治せよ!」と応援をいただきます。年の最初に出会った人が回復の先輩で最初っから励ましてくれるなんて… 「こいつは春から(最初っから)縁起がいいわい!」と少し嬉しくなりました。

家に戻ってからは、私は昨年同様の日本酒、ビール党の息子はいつものスーパードライで乾杯です。日本酒の銘柄は昨年と同じ「浦霞」、年に1回しか日本酒を買う機会はないのですが、「せめて1回ぐらいは売り上げに貢献したい…」と、復興を必死に頑張っている第2の故郷宮城の銘酒を選んでしまいます。

その後は例年通り年賀状を読んで、(出していない方には)返事を書く… という元旦恒例の作業が続きます。たった1合ではありますが、日本酒のほろ酔いの気分中で気持ちよく作業が続きます。
個人情報保護法の実施以来、会社やさまざまな組織・仲間の住所録などが無くなったため、新しく年賀状をやり取りする人が増えることはもう殆どなくなりましたので、「意外な人」からの年賀状が来ることももう殆どありません。
でも今年、すごく久し振りの方からの思いがけない年賀状が2通届いて、新年早々サプライズがありました。2人とも2001年までいた支店での同僚ですが、私の転勤後もう13年も年賀状のやり取りなどは完全に途切れていた人から突然13年振りにいただいた年賀状です。特にそのうちの一人は、今どこ(の勤務先)にいるのかすら全く分からずに、少なくともこの10年以内には1回もお逢いしていない先輩です。
「何故突然年賀状をいただいたのか?」や「私が病気になったことを知っているのか?」は全く分からないのですが、心温まる年賀状をいただき、悪い気がする筈はありません。心の中で「ありがとうございます。」と感謝し、すぐに返事を投函させていただきました。

今年の年始早々嬉しいことがもう一つ。それはずっと使っている年賀状作成ソフト「筆王」の(復旧)バージョンアップです。
筆王は2001年頃からずっと使っていて、その頃からの年賀状を出した・貰ったの履歴もずっと管理させていただいています。毎年、様々なバージョンアップが図られているようなのですが、こっちも年に1回(ほんの一時期)しか使わないツールなので、その機能や使い方に精通しているわけではありません。
昨年の元旦、例年同様いただいた年賀状の履歴を登録し、「今年の年賀状をもらった方」で「今年の年賀状を出していない人」を抽出しようとしたのですが、例年と方法が変わっており、条件が2つある検索(AND検索)がどうやってもできません。1年に1回しか使わないソフトではありますが、恐らく元旦の1日に一番使われる機能だと思われるのに、どうやっても2つ目の検索に入ろうとすると、前回の検索内容がリセットされてしまうのです。
確かこの機能は過去からずっと使っている機能だし… マニュアルを読んでも使い方がわからないため、メーカーのサイトにメールで質問をしてみました。
さすがにメーカーは「正月休み」なんて悠長なことは言わずに、翌日にはすぐに返事のメールが届きましたが、回答内容は「先ごろのバージョンアップにより、その機能は無くなりました…」
少々、唖然としました。誰がどう考えても正月に誰もが一番使う機能で、年賀状ソフトを使うようになって一番助かっている機能ではないかと思うのに、よりによって「バージョンアップで機能廃止」なんて… 昨年、怒りを込めて「この機能が無くなったら、この製品を使うのは止めます!」と恨みたらたらの強烈なメールを最後っ屁のように返信したものです。
その段階では他社に乗り換える気マンマンだったものの、季節が過ぎるとその怒りも忘れてきます。今年の年賀状を作る12月中旬になって、その時の怒りを思い出したものの、正直新しいソフトを調べて移行作業をする元気もなく、「まぁ、今年までは筆王でいいや。来年、乗り換えよう。」と思い、今年の年賀状は今まで通り筆王で作成しました。
元日、昨年中に乗り換えなかった自分の怠慢を叱責しながら、仕方なく面倒な作業を開始しようとPCに向かいます。年賀状をいただいた方を登録し、これから履歴を調べようと作業を進めると、右上に昨年には見慣れないボタンが… 操作してみると何とあの「AND検索」が(密かに)復活しているではありませんか!!
「昨年、私があれだけ文句のメールを出したから復活した!」とは言いませんが、元旦早々凄く嬉しい気持ちになりました。「慌てて乗り換えなくて良かった!」とも…
年賀状を「いただいた方」で「出していなかった方」も(減ったとはいえ)今年まだ10人以上はいたのですが、この「AND検索復活」により昔以上に簡単に抽出ができました。
こんなことも「2014年がラッキーな年になる」と思わせる嬉しい出来事でした。

例年、年の最初のブログで「今年の目標」を発表しているのですが、今年の目標というか決意を書きたいと思います。
今年最大のテーマは、「2014年を感謝の年にする」ことです。
今までは「自分が回復すること」を目標の第一義にしていました。その目標はすべて自分中心であり、病気以降人のことを思いやるとか考える余裕がなかったことも事実です。
でも、脳卒中で倒れた私が助かったのも、こうして今普通通りではないものの生活がちゃんとできているものも、すべて家族や会社のみんなをはじめとした周囲のみんなのお陰であることはよく考えなくても当然のことなのです。
従って、今年は「自分のために何をする」は二の次にして、「周囲のみんなに感謝し、その方にどういう恩返しができるか」を考えたいと思っています。
なので、「具体的に何をする」を今は申し上げられません。でも
・常に人に感謝する
ことと
・その人のために何ができるかを改めて考える
ことを今年の行動の基本にしたいと思います。

自分的な目標では
・勉強をすること
を2014年の目標にしたいと思います。

最後に今年の年賀状をご紹介します。
毎年同様、昨年の写真を使った年賀状です。
 2014年賀状 fior blog.jpg
 


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2013年を振り返って<その2:今年のトピックス> [雑感]


2013年最後の投稿になりますので、今年1年を振り返ってみようと思います。
昨年は自分的10大ニュースのような形式で振り返りました(記事はこちら
一昨年はまだ退院後1年前後だったため、回復もトピックスも書くことはたくさんありましたので、3か月ごとにトピックスを振り返りました。(記事はこちら
その前年は、ブログを始めてまだ10日以内で、初めての病気関連以外の投稿でした。わが母校(都立駒場高校)が高校サッカー全国大会に出場した、驚きの記事を投稿したのが大晦日でした。(記事はこちら

昨年、一昨年、その前年(病気になった年)のように闘病記で書くネタもなく、平凡な1年間であったために昨年のような10大ニュース形式にしても順位が埋まらない状態です。なので、今年の出来事をいくつかにまとめて振り返ってみたいと思います。

◇自動車運転に復帰
自分的10大ニュースをランク付けするとしたら、間違いなく2013年ダントツの一位になるのはまさにこれです。運転に復帰することでそれまでの生活は大きく変わることになりました。
運転への復帰は、2010年に倒れてからいろいろと考え、免許が一旦失効することになった2011年の夏に描いたまさにその青写真通りに復帰することができました。青写真との違いと言えば、(青写真では)もっと右手足の復活が進んでいる筈だったのですが… でもそれ以外のスケジュールはほぼ100点満点で、自分で自分を褒めるというか自己満足に浸っています。

・3月には(年度末の3月でもしっかり残っていた)有休を使って鴻巣の運転免許センターへ行き、適性検査OKで2年振りに免許を受けとりました。
・4月~5月は自動車教習所通い。教習所内2時間・路上4時間の計6時間で少しは自信を取り戻しました。
・教習所に通いながら、マイカー購入を契約し、目標だったバースデーより1週間早く6月1日に遂にほぼ3年振りの愛車を手に入れました。
・それからはドライブ三昧。ドライブの記録を総括すると。
 6月 佐野のアウトレットで高速道路(東北道)に復活
 7月 横浜みなとみらいの息子の勤務先へ 首都高に復帰
 9月 東北道で仙台までロングドライブ
 それ以外は埼玉の郊外アウトレットが中心でしたが、県内ですが長瀞や川越なども楽しみ、都内にも何回か車で出没しました。

◇ショッピングモールに行き過ぎて金欠状態に
車を買って3年振りにドライブに復帰したので、土日はほとんど外出するようになりました。行き先は近郊のショッピングセンターが多く、ショッピングセンターに行くとついつい買い物をしてしまいます。それなのにこの3年間ですっかり身についたネットショッピングの癖は全く抜けないし… 
夏以降運転に復帰して以降に買った(買ってしまった)ものは
パソコン、デジカメ、ガスレンジ、ジャケット etc…
おまけに、外出するので土日の昼食は殆どが近所のファミレスになってしまったために、結構冗談では済まない金欠病に陥ってしまいました。

◇闘病関連
今年は残念ながら「良くなった」と言えるような症状は殆どありませんでした。
この1年間に一番苦労したのは「足の痛み」で、3月の旅行に時に初めて感じた足の痛みは、結局年末の今に至っても完治したとはとても言えない状況です。
装具の痛みは無くなったのですが、右足の緊張が強く数か月に1回はブロック注射を打つような状況です。次回1月中旬にブロック注射を打つ予約を入れていますが、来年は回復に向かってくれることを祈ります。
また、持病には直接関係ありませんが、7月には下血による1週間の緊急入院と絶食も経験しました。検査の結果ガン等ではありませんでしたが、一時は本当に空腹と心配で深刻で悲惨な状況でした。

◇旅行
今年6月以降はドライブに復帰したため、ドライブが生活の中心となりそれ以外の旅行にはあまり行けませんでした。
3月には念願が叶って娘の神戸の家と職場を見に行き、その後娘と3人で淡路島への初めての旅行を楽しみました。
9月に行った仙台近郊秋保温泉と合わせて、今年入った温泉は2湯のみでした。それ以外の期間は結構足が痛い時間が長くあり、「このままの痛みでは装具なしの歩行は辛く、この体調では温泉に入れない」と思っていた時期も長くありました。
列車の旅は10月に行ったSLと会津鉄道の1回のみでした。車に復帰して金欠病が悪化したため、鉄道を楽しむまでの余裕はなかったようです。

◇仕事
仕事の面では、いいことのなかった1年でした。夏には結構深刻なトラブルもあったし… 長年一緒にやってきた仲間がすっかり変わってしまう事態もありましたが、新しい仲間との業務にも少しづつ慣れてきました。

◇2人の子供
昨年の「緊急入院」のようなトラブルはなく、平穏な1年でした。娘は引き続き神戸で頑張っていますし、息子は横浜に転勤しアパートも横浜に変わって頑張っています。
娘は正月も仕事で神戸ですが、息子は今晩帰ってくるので、久し振りに一緒に酒を飲むのを楽しみにしています。、

以上、今年は平穏ですが充実した1年でした。
2014年はもっと充実した1年になりますように!



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2013年を振り返って<その1:熱中したTVドラマ> [雑感]


今年もあと10日間ぐらいになってしまいましたので、2013年を私なりに振り返ってみたいと思います。
今日はその第1回目として、今年観たTVドラマについて書きたいと思います。

病気になってから本当に外で酒を飲まなくなったので、その分家に早く帰ってTVドラマを本当に良く観るようになっています。
以前は… 本当にドラマなんてほぼ全く観ませんでした。平日の連ドラなんて、会社に入った年(1983年)に初めての仙台でまだ友達もほとんどいない頃に、1人で寂しくアパートで観た「スチュワーデス物語」以降には見た記憶は正直全くありません。世間では月9などで盛り上がっていることは知ってはいたのですが、わざわざビデオに撮ってまで見る気も全く起きませんでした…
だから、俳優の名前も本当に覚えなかったのです。
週末は普段家にいない分、(ゴルフ行く以外は)ほとんど家で過ごしたのですが、ドラマは子供の成長につれて子供たちに付き合って見るぐらいでした。
印象に残っているのは、土曜9時の「ごくせん」ぐらいでしょうか…
日曜夜の大河ドラマも子供につられて真剣に見始めたのは2005年の「義経」ぐらいからで、確かにいくつかの作品は結構真剣に観ましたが…

入院しているときから連続ドラマを見る習慣がはじまり(復活し?)、現在までその習慣はすっかり毎日の生活パターンとして定着しています。だいたい毎晩8時過ぎには家に帰って風呂に入って晩ご飯を食べてから、9時~11時が私のTVタイム=連続ドラマの時間なのです。たまの用事(飲み会など)で遅くなる時は、しっかりとビデオに録画して週末に楽しんでいます。

でも今のドラマは3か月で10回程度の放送ですので、その時は熱中しても、半年もたつとすっかり忘れてしまいます。(年のせいでもあるのですが)
なので、2013年に観たドラマを自分のメモリーとしても記憶しておきたいと思った次第です。
四半期の曜日ごとに最後まで観たドラマ名を書きます。最初の1~2回見て止めてしまったドラマは割愛します。有名どころの番組で名前がない番組は、ほぼそのパターンです。(今年の大河を含む)

◇1~3月期
月:ハンチョウ 
火:ラストホープ
水:相棒11
木:あぽやん、おトメさん、最高の離婚
金:夜行観覧車、信長のシェフ
土:なし
日:とんび、dinner

「あぽやん」は成田のツアーセンディングの物語で、業界人としての義務感もあり見続けました。ドラマの途中に同じ部署の人がまさに成田空港に異動になったので、その後は彼の仕事を思いながら観たことを覚えています。
「とんび」も内野聖陽さんの演技に楽しく見られたドラマでした。同時間帯の「dinner」も毎週ビデオに撮って、直後に見ました。楽しい日曜日でした。
このクールの個人的NO1は「最高の離婚」。尾野真千子さん演じる性格が大ざっぱな女性にちょっと憧れたりしました。(このドラマで尾野真千子さんのファンになりました)

◇4~6月期
月:確証~警視庁捜査3課、ガリレオ
火:鴨、京都へ行く、幽かな彼女
水:遺留捜査、雲の階段
木:ダブルス
金:なし
土:35歳の高校生
日:空飛ぶ広報室

今見返すと、個人的には低調な3か月だったのかもしれません。
毎週楽しみにしていたのはニセ医者のストーリーにハラハラした「雲の階段」ぐらいで、後は惰性で見ていただけのような気がします。
従って、このクールの個人的NO1は迷うことなく「雲の階段」です。
ドラマを見ながら眠ってしまうことが多い3か月でした。

◇7~9月期
月:名もなき毒、SUMMER NUDE
火:救命病棟24時
水:新警視庁捜査1課9係、Woman
木:Doctors2、Oh,My Dad!
金:なし
土:斉藤さん
日:半澤直樹

密かに好きな番組が多かった3か月でした。
ジャニーズのアイドルだと惰性で見始めたけど、何故か意外と引き込まれて毎週の楽しみになった山Pの「SUMMER NUDE」、毎回可哀想で切ない気持ちになった「Woman」は特に子役の2人がすごく印象的でしたが、凄く久し振りに見た田中裕子さんが複雑な心境の母親役を好演していましたが、主役の満島ひかりさんの演技にも引きつけられました。
妻に逃げられて子連れで夢を追うダメ男を織田裕二が演じた「Oh,My Dad!」も楽しく見ることができました。
でもやっぱり、このクールのNO1は日本中の話題をさらった感のある「半澤直樹」。実はずっと前に原作は読んでいたことに途中で気づきましたが、最初から楽しく見ることができました。

◇10~12月期
月:刑事のまなざし、海の上の診療室
火:ミスパイロット
水:相棒12、リーガルハイ、ダンダリン
木:Doctor X、独身貴族
金:クロコーチ
土:なし
日:なし

まだ終わったばかりなので、みんな記憶がはっきりしていますが、このクールも楽しみにしていたドラマが多かったような気がします。
前回も楽しく見たので、「続編が始まるよ」と聞いて嬉しくなって楽しみにしていたのが、いつもの「相棒」に加えて「リーガルハイ」と「Doctor X」。2本とも楽しく最後まで観ましたが、やっぱり出来が良かったドラマの続編で前作をさらに超えるのは難しいですね。
「労基署」にはいいイメージはないのですが、そんな労基署のイメージを個人的に少し変えてくれた「ダンダリン」。竹内結子さんはなにをやらせても似合う女優さんですね! 
私の子供の頃の1大事件「3億円事件」をテーマにした「クロコーチ」。初めて我が家に刑事が聞き込みに来たのはあの3億円事件だったので、その頃のことを思い出しました。長瀬クンはいい俳優になってくれていると感じます。
瀬戸内の景色を毎週楽しみにしていたのは「海の上の診療所」。2枚目なのに寅さんのような振られ役を演じている松田翔太の演技を見ていると、父親松田優作を思い出してしまいます。やっぱり、似てますよね!?
個人的にこのクールのNO1は「独身貴族」。最終回はちょっとハッピーエンド過ぎてちょっとがっかりしたことはしたのですが、それまでの回では十分に楽しむことができました。草なぎ君の主人公の気持ちも良く分かりましたし…

以上、独断ですがついでに年間ベスト3を勝手に考えると
第3位:Woman
第2位:半澤直樹
第1位:最高の離婚

この数年で、俳優・女優さんにもかなり詳しくなりました。


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2013年の決意 [雑感]


明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

今年の正月は、26年振りに妻と2人だけで過ごすお正月でした。
26年前は、その年の12月に結婚して初めてのお正月だったので、元旦早々から徒歩20分の妻の実家に行ったり、会社の同期が(同期でいち早く結婚した私を冷やかしに)新婚家庭に遊びに来たりとそれなりに忙しい日々だったのを思い出します。
正月の後半、体調を崩した妻が正月明けに病院に行ったら「妊娠三か月」と言われ、嬉しいやら戸惑うやらの心境も想い出です。
今年の正月はそれ以来初めて、子供のいない正月を過ごしています。

朝起きてすぐには恒例の初詣に。
我が家の目の前の小さな神社ですが、この家に越してきて以来必ず初詣はこの神社にしている我が家のささやかな氏神様です。
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たった一回だけ、「喪中」ということで初詣に行かなかった2010年に脳卒中で倒れたのですから、喪中とは言え我が家の氏神様に詣でなかったバチが当たったと考えています。
宗教を信じる方では全くないのですが、この神社だけにはお参りを欠かさないようにしています。
お参り後には破魔矢と交通安全のお守りを購入します。交通安全のお守りは昨年は娘の分1個だけ購入したのですが、今年は2個。1個は勿論娘の車に置くお守りですが、もう一つは自分の車を買う時のためです!

今年の食事は、夫婦二人だけのおせちなので、今年は初めて何も料理を作らない正月でした。
息子のお店からおせちをいただいたのですが、やっぱり和風のおせちがないのはちょっと淋しいので、楽天で1万円以下の簡単おせちを買い、この2つのおせちでのお正月です。
でもさすがにおせち2つは超ハードです。息子の店の高級中華は昨日、近所に少しお裾分けさせていただいたのですが、それでもとっても二人では食べきれないボリュームです。
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昨年のお正月はアルコールに復帰して、味わってビールをいただきましたが、今年の正月は日本酒。今年頂いたのは、仙台在住時から愛飲していた塩釜の銘酒「浦霞」。
東北の復興を祈りつつ美味しく戴きました。
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朝食後は年賀状を読んだり返事を書いたりしましたが、「2013年はよりアクティブに過ごす!」と決めていましたので、早速妻と今年初の散歩へ。(散歩でもしないと夕食が入らないと思われるほど、満腹だったというのが正直なところなのですが。)
珍しく福袋などを見に、近所の「洋服の青山」に行き、ついつい1万円の福袋の衝動買いをしてしまいました。
「無駄遣いは十分注意しよう!」と誓ったばかりだったのに…


ところで、昨年同様「今年の誓い」を投稿させて頂かなくてはなりません。

まず全般的には、全体的にすべての体の機能をよりバージョンアップすることが目標ではありますが、具体的な目標はまず足の部分で
・スムーズな歩行でより早く歩く(普通の人並みを目指す!)
・階段を手すり(と杖を)使わずに昇降する
・杖なしでの外出
と言うのが目標です。そして昨年は何故か8月にだけ3回も転倒してしまったのですが、
・転倒ゼロ回!
が絶対の目標なのです。

手については、昨年から本当に進歩がありません。諦めることは絶対にはしないので、何らかの兆しが見えることを信じて引き続きリハビリに励みます。目標としては昨年同様
・茶碗が持てるようになる
を掲げさせていただきます。

それ以外の体の部分では
・より多くの風呂に入れるようになる
と言うのが現実的な目標です。大浴場でもビジネスホテルの風呂でも、浴槽(風呂)を選ばずに入ることが目標です。

仕事の件では、お陰様で昨年フル勤務と自宅通勤にも復帰できましたので、今年はそれらを継続させることが最低条件ではあります。
個人的にはもう少し喋ることのリハビリを続けて、今年は会議のスピーチやセミナーに復帰したいと思います。出来れば「営業」だけではなく「出張」なんかにも行ってみたいとも思っています。

プライベートでは、旅行の目標として。
・2月後半 神戸の娘の家&淡路島旅行の実現
・6月には例年同様大人の休日倶楽部パスを使って 東北旅行&仙台実家へ
・そして8~9月には昨年同様夏休みの旅行 (場所は今後検討)

そして2013年度最大の目標は、何度も書いている通り
・(失効中の)運転免許を取得して運転に復帰! 車を買う!
そして
・車を買ったらゴルフの練習場に行き、練習を開始する!
です。

ゴルフへの復帰は、そんなに簡単なことではないことはわかっているつもりです。今の足の状態では、アップダウンが激しいゴルフ場を歩くことは無理なことも判っていますので、私的なゴルフ場復帰は再来年2015年をイメージしています。
今年はそのための第一ステップという位置づけです。
何度も申し上げますが、ゴルフ場で倒れて救急車で搬送された私が「完全復帰する」ということは、ゴルフ場に再び立つことこそふさわしい!と信じているからです。

以上、今年も「絶対に諦めない」ことは変わらずに、駄文を綴ってゆく所存ですので、引き続き宜しくお願い申し上げます。

最後に今年送った年賀状です。
今年初めて、自分と妻の写真をちょっとだけ載せてしまいました。
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2012年の総括<その2> [雑感]


昨日に引き続いて、今年の総括を投稿します。
今日は特にテーマはなく、ランダムに綴りたいと思います。

・今年の決意~できたこと&できなかったこと~

今年元旦に投稿した「今年の目標」を検証してみます。

まず、身体に関しては
>・足 人並みのスピードに近い速度で歩けるようになる&絶対転倒しない
> できれば杖を持たずに外出する
>・手 せめて茶碗を持てるようになりたい
>というのが2012年の目標です。2013年の車運転復帰&ゴルフ練習場復帰に向けて
>ますますさまざまな動きがスムーズになり、安定感が増すことが目標です。

これに関しては全然思うようには回復していません。足は思ったより早くなっていませんし、
(8月にだけですが)3回も転倒してしまったし… 
杖を持たずに外出については、もうちょっと回復が必要に思います。
手に関しては… 兆しが見えてこないのが悔しい日々でした!

仕事関係での目標は
>・仕事への完全復帰 月~金フルタイム働く
>・営業などで積極的に外出する
>・池袋の通勤用住宅を引き払い、埼玉からの通勤に戻す

これに関しては、ほぼ満点だったと思います。もっと仕事上外出出来れば良かったという思いも少しはありますが、まぁこれはタイミングもあるので仕方がないという気がします。

>その他の目標としては
>・島根県へ旅行 憧れの一畑電鉄に乗る
>・温泉に復帰し、露天風呂に入る
>・娘の滋賀の家に行ってみる
>などでしょうか…

これもほぼ合格点。滋賀の家には行けなかったけれど、島根を方針転換して九州は満喫できたし、温泉にも復帰したし… この調子で来年もガンバロー!!

・ブログについて
投稿記事は今日の分を入れると全部で113回。後半はネタ切れもあり、週1回のペースに落ちましたが、まぁ満足しています。
アクセス数は累計で228,717件(12/31 10:45現在)でも後半は投稿のペースが落ちてきたので、投稿のペースに比例してアクセス数も漸減傾向にあります。
年間で一番アクセスが多かったのは4月21日に投稿した「障害年金受給決定」の記事で、637件の閲覧数がありました。
閲覧数だけで言うと、昨年の震災関連の投稿で2000閲覧を超える記事がありましたので、比べると1/3以下ですが、悩んでいる人の少しでも参考になることができた回だったと思います。
たった一人にでも少しでも役に立ったのだとすれば、こんなに嬉しいことはありません。

・体のデータ~血圧~
私の場合、脳卒中の再発を防ぐためには一番気にしなくてはいけないのが血圧。なので血圧は退院して以来2年以上朝晩の2回は必ず測っています。
でも血圧はアップダウンが大きく、特に寒い冬場は高くなりがちです。
血圧にはナイーブになりがちな私でしたが、リハビリセンターの前の主治医から何度も言われていたフレーズは「血圧に一喜一憂するな!」。
以降、前の主治医の教えを遵守するように心がけております。
でも、ここ2週間は冬なのに低く安定していて、ちょっと「一喜」しています。
この2週間、一番高い朝の血圧でも120/75程度です。
因みに夜寝る前は110/65ぐらいなのですが… こちらはいつもよりはちょっと高く、朝とあまり変わりません。

・体重
12月に「食べる順番ダイエット始めました!」と書きましたが、今日現在の体重は81.75キロで、ダイエット始めてから▲1.2キロ程度です。先週からずっと81キロ代前半をキープしていたのですが、正月休み期間に入って、毎日全く動いていないので82キロに近くまで少しだけリバウンドしてしまいました。
そしてこれから、年越しそばにはじまりおせちなどの正月食が始まりますので、83キロに戻ることはある程度覚悟しています。
なので4日からリスタート。少しは効果がありそうなこのダイエット方法をもう少し続けてみようと思っています。

・仕事中の昼食データ

今年9月24日から、思い立ってすべての勤務日の昼食の店・メニュー・料金の記録をはじめました。まだ3か月とちょっとなので何のデータにもなりませんが、平均的サラリーマンの昼食記録としてのご報告です。

9/24~12/28の昼食データ
食べた回数60回(昼食を食べなかった回数は+1回)
全昼食代金 ¥34,079- 平均単価 ¥560-
最も多かった店・メニュー
 コンビニ(セブンイレブン)のパン 22回 平均単価300~400円
 (大半が菓子パン2個+ドリンク一本)
その他多く行った店とメニュー 平均料金
 大戸屋(定食屋)12回 メニューはバラバラ 平均単価800円
 丸亀製麺所(うどん屋)5回 釜揚げうどん 平均単価400円
 日高屋(中華料理) 5回 タンメンなど 単価490円
 リンガーハット(ちゃんぽん) 3回 ちゃんぽん 590円
 餃子の王将 4回 定食各種 平均単価700円
(こうやって改めて見ると、中華多いですね…)
ちなみに、期間中最高額のランチは、サンシャインプリンスホテルのコーヒーショップで食べた1300円のハンバーグランチ、その他大塚のホテルベルクラシックでのランチも単価は1000円を超えました。どちらも、知人と久しぶりに旧交を温めた時にゆっくりと食べたランチでした。

これで本年の投稿を終了させていただきます。一年間、駄文にお付き合いいただいて感謝申し上げます。

最後に、今年も息子の勤務先「四川飯店」からおせちをいただきました。
今年は息子も帰って来ないので、夫婦二人で持て余すと思いますが、美味しく戴きます!
正月明けの体重計が怖い!!
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反省 でもわがままなブログです [雑感]

おはようございます。
凄く久しぶりの携帯からの投稿です。
今日は通勤電車ではなく、大宮経由で月一回のリハビリセンターの定期診察に向かっています。

週一回をノルマにしていた携帯からの投稿をしなくなったのは、10月のことだったと記憶しています。ブログを打たなく 否 打てなくなった原因は、PCに向かう時にも直面している大問題、そう「ネタ切れ」です。
通勤電車に乗っておもむろに携帯を取り出すまでは以前と同じで、いつも通り「おはようございます。いつもの通勤電車です。」とまではスムーズに打ち始められるのですが、次の文章が全く浮かんで来ないのです!
なので、電車に乗っている40分近い間、携帯の入力画面はオープンにしたままぼんやりとあれこれと書くことを考え続けています。
結局書くことが浮かばないまま赤羽到着になり、携帯画面を閉じてしまうのです。

今日も今までと状況は何ら変わることはないのですが、昨日自分の反省を込めて気持ちを入れ替えた部分があり、それが今までとの違いと言えば違いなのです。

昨日、日曜日はパソコンのブログ定期更新を義務にしている日でした。でも前の晩の布団の中から書くネタを考え始めたものの、本当に書くことが全く思いつきません。
思いつかないままに時は非情にも過ぎてゆき、日課のリハビリも終わって最早ブログを打つことしかなくなってしまい、仕方なくパソコンに向かい、開き直ってなにも考えずにキーを片手で叩き始めたのです。

でも、何も書くことが浮かばない割には「開き直った」境地が効を奏したのか、文章は少しずつ確実に埋まってゆきます。
ある思い出を打っていると、「そう言えば、こんなこともあったなぁ…」と次に書くことが自然と湧き出て来るのです。
出来上がった文章の出来は決して良いものではありませんが、それは私の文章としては当然のこと。
思えばいつの間にか出来映えなどを気にして、外見ばっかり気にする格好だけの奴のようになってしまっていたようです。
私のブログの目的は人に読んで貰ったり広告収入を稼ぐことではなく、ブログを書くことで一刻も早くリハビリして普通の生活に戻ること!
この基本を見失っていたことに気付き、大いに反省した次第です。

勿論文章を投稿する以上、多くの方に読んでもらえれば嬉しいのは事実ですが、私の場合それは「ついで」に近い目的であり主目的ではないのです。

このブログを読んで頂いている数少ない読者の方々には申し訳なく思いますが、これからは初心に戻りわがままに自分の思うことを綴らせて頂きます。
申し訳ありません。

まもなくリハビリセンターです。
今週も頑張ります!
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電話のこと [雑感]


金曜日の地震は久しぶりにびっくりしました。
あの3月11日と同じ金曜日の午後。今回は夕方でしたが、揺れる自席周辺のロッカーなどを抑えながら、「東日本大震災の再現?」とちょっと青くなったものです。
揺れが収まった後、早速ネットをチェックしたら、揺れが激しかったのは青森・岩手・宮城で、各地に津波警報… という速報をみて益々恐ろしくなりました。

でも、各地とも大したことがなかったようで本当に何よりでした。
金曜日の夜は20年以上前の仲間と久しぶりの忘年会&飲み会の予定で、メンバーの一人は仙台出張終了後に新幹線で飲み会に駆けつける予定でしたが、地震発生後早々に仙台の公衆電話から電話をいただき、「新幹線、止まっているから今日の参加は無理!」と欠席の連絡をいただきました。
私も本日の参加メンバーと連絡を取ろうと、何人かの携帯に電話をはじめたところでしたが、やっぱり携帯は全国的につながらず、仙台から公衆電話がこんなに早くつながったことには驚きでした。
妻は早速仙台の実家(家族)に無事確認の電話をしていたようなのですが、携帯に電話がつながったのはやはり数時間後だったようです。仙台から電話をくれた友人も、携帯がつながらないので機転を利かせて公衆電話に切り替えて電話をくれたものと思いますが、携帯やメールに頼らず公衆電話に切り替えたあたり流石に危機管理というかリスクマネジメントがちゃんとできているなぁ… と感心してしまいます。
「先輩、さすがです!」 本当に頭が下がります。

そう考えると、公衆電話というのはやはり万一の時には必要だと思いますが、本当に最近は公衆電話、少なくなりましたよね!? 今や公衆電話を見る機会は日増しに減っているような気がします。このまま公衆電話が減り続け、ゼロになってしまったらこのような災害時にはやっぱり困ってしまうのではないでしょうか?

また、最近自宅の固定電話も本当に少なくなりましたよね? まぁ、特に一人暮らしの人は携帯があれば固定電話は不要なので、最近の一人暮らしの人は殆どが携帯だけの生活なのだろうと思います。勿論、我が家の二人の子供もそれぞれ一人暮らしをしていますが、当然2人とも固定電話はなく、携帯だけの生活で本人たちも我々親も何ら不思議に思うことはありません。最近は夫婦二人の家庭でも固定電話は無く、携帯だけの家庭も少なくないそうです。

昔話になりますが、私が小学校低学年の頃にはまだ半分近くの家庭に電話は無く、近所の人や大家さんに呼び出してもらうことが少なくありませんでした。当時の電話番号簿の電話番号欄の半分近くは空欄か番号の後ろに(呼)がついていたのです。
私も小学校1・2年生の頃にはアパートに住んでおり、自宅電話は当然のようにありませんでした。当時から親戚との電話などには、同じアパートの自宅にある電話を使わせていただいており、私が小学校入学当時には、学校で配られる学級名簿(当時は個人情報云々などはなく、当然のように無条件に学校で作成され配布されたものです。)には近所の方の電話番号と(呼)の記号が名簿に記載されていました。思えば、隣の家の電話番号を名簿などに公表していた上に、電話の都度我が家を呼び出していただいてその方の家にお邪魔した上に電話をさせていただいていた訳ですから、ご近所付き合いは今と違って濃密にならざるを得ない訳です。(そういえば、調味料や玉子の「貸し借り」は当然のようにありました!)
当時の学校の連絡網で電話がかかってくると、用件を聞いた後に次の方に電話しなければいけないので、連絡を受けた後にその方の電話を借りて電話を掛けるわけですが、両親は終了後ちゃんとその家に毎回10円を払っていたと記憶しています。

当時、風呂上りに買う棒のアイスが5円だった頃ですから、電話代の10円は結構大きな出費でした。思えば次の電話の家も確か(呼)がついていた一般家庭ですから、お互い電話を人に借りていた人同士の電話連絡ですから、雑談などは一切なく、事務的な連絡事項の伝達だけで電話が終わっていたように記憶しています。記憶では市内電話は3分で10円。もし電話が3分を超えてしまったらアイスが4本買える20円を払わなければいけないので、倹約家の母も必死だったのでしょう。

そして確か小学校2年生の後半になって、ようやく我が家も電話を買うことが出来ました。当時ですから勿論ダイヤル式の黒電話ですが、小学2年生の私はとにかく人に自慢したくって、何かあれば自宅に届いた電話番号を連呼していたことを思い出します。
この電話番号は、おそらく一生忘れることはないでしょう。
当時親の目を盗んで、同じように電話をようやく買った友人の家に電話をかけまくったものです。電話代の10円が高額だったため、親に見つかっては互いに大目玉を食ったのが一番の想い出です。

電話で思い出すのは、高校~大学時代の想い出は女性の友人に電話した時です。大半は母親が出て、名前を確認して本人につないでくれるので事なきを得るのですが、(母親の場合は、後で本人には関係を聞かれるようですが、電話口で私が聞かれることはまずありませんでした)やっぱり怖いのは時に父親が出る時です。
「xx高校(大学)のxxと申しますが、○子さんいらっしゃいますか?」と恐る恐る切り出しますが、当時父親は「娘とはどのような付き合いですか?」のようなことを聞いてくる方が少なくありませんでした。
なので、女性への電話、特に初めてデートに誘う電話を掛ける時などは、本人が出る前にその父親という第一関門が最大の鬼門だったことを鮮明に思い出します。(気のせいか、特に初デートに誘う電話の時には父親率が高かったような気がします。)

自分に娘が生まれた頃、娘が成長した暁には自分が女の子への電話に苦労したことを思い出して、「娘が大きくなったら、絶対男からの娘への電話には『娘とどういうご関係ですか?』って訊いてやろう!」と楽しみにしていましたが、娘は中学生になった頃から携帯を持ってしまったので、自宅の固定電話に異性から電話がかかってくることは残念ながら一切ありませんでした。
それはそれで、ちょっとばかり淋しい気分でした。
因みに娘の学生時代のサークルの名簿を見ると、名簿には住所もなく連絡先は全員携帯番号と携帯のメアドでした。「時代は変わったなぁ~」と思いましたが、自分があれだけ苦労したことを考えると、ちょっと悔しいです!

会社に入った1983年頃には、世の中は電話が全盛の時代。「仕事も電話が無ければ始まらない」という時代で、今のような電話が鳴らない静かなオフィスと言うものはなく、業務開始の9時半になると同時に電話が鳴り始め、電話に出ることで一日がスタートする毎日でした。

1983年頃に当時最新だったのがFAX。今では信じられないと思いますが、自宅はおろかまだFAXがあるオフィスが非常に稀でした。
入社当時から海外旅行担当だった私ですが、海外旅行の場合1か月前にツアー参加者の名前を航空会社に報告するのですが、当時は英文タイプで参加者名簿を作り、速達で東京まで郵送していたのです。また、人数が少なくて急ぎの場合には、電話で口頭報告をしていたことも思い出です。(当時、ちょっとした間違いは笑って許される時代でした。)
会社(私の所属していた支店)がFAXを導入したのが確か私の入社翌年の84年だったと記憶しています。当時電話番号の隣にFAX番号がある名刺がとにかく羨ましかったのですが、遂に私もFAXがある名刺を持てる身分になって、名刺交換の時に鼻高々だったことを思い出します。
FAX番号のある人との会話では、「じゃぁ、その情報FAXで送ってくれる?」と言う会話ができて、お互いに満足したことを思い出します。
「釣りバカ日誌」のハマちゃんではありませんが、FAXの原稿が何度送っても無くならない(=相手に届かない)と思い何度も送ったことは、当時としてはよくある(笑えない)間違いでした。

今やFAXは自宅にもあるのですが、データや書類はメールとその添付ファイルで送り、会社でも自宅でもFAXを使うことは殆どなくなりました。また、商談なども同時に複数の方と連絡が取れるメールが大半となり、気づけば1日に1回も電話をしない日もあるくらいです。
本当に、変われば変わってしまうものですね!?

実は今日、ブログで書くネタが思いつかず、なにも考えずに先週の地震ネタから始めてみましたが、何とか今週のノルマ分は書くことができました!

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選挙を前に思う [雑感]


今朝、何故か愛用している万歩計が見つからず、1時間以上狭い我が家の大捜索をしました。昨日午前中リハビリウォーキングの時にはいつもの通りこの万歩計で歩数を測定したので、ちゃんとあったのに… 
1時間家の中を必死で探索したけど見つかりませんでした。昨日、リハビリの後に行った900円床屋にも近所でお菓子を仕入れたセキ薬品(近所にできたドラッグストア)にも行きましたが、落し物としても届けられていませんでした。昨日の11時過ぎからわずか22時間の行動範囲で、こんな狭い世界なのにどこに隠れているのでしょう? 
でも、現実問題としてリハビリの歩数測定にも、近畿圏まで来た日本一周のためにも、万歩計は私にとっては無くてはならないものですので、仕方がないので諦めてネットにかじりつき最安値を探して、結局amazonが最安値だったので無くした物と同じ万歩計を2,800円也で購入しました。
(送料を考慮すると送料無料のamazonが結果的に一番安くなるのです…)

それにしても最近は本当に物入りで、お金がいくらあっても足りない感じです。特に贅沢はしていないつもりですし、外食や飲み会に参加しているわけではないのですが… 
今朝もメールで「ウイルスソフトの自動更新 1年分のウイルスソフト利用料8000円強を登録のクレジットカードから引き落とします」との通知が来て、判っていたこととはいえ、こんなことが少なからず続いているのでボディーブローのようなダメージが徐々に蓄積されてゆきます。
そして間もなく始まる怒涛の忘年会月間… 普段の飲み会に殆ど参加していない私でも、年に1回だけは参加しなくてはいけない(と言いながら楽しみでもあるのですが)忘年会の季節は、参加費は勿論のこと場合によってはタクシーで帰宅しなければいけない場合やホテルに宿泊しなければいけない場合があり、これもまた半端なく物入りになるシーズンです。
元気な頃は「物入り」は今以上ではありましたが、それを上回るパワー(体力と精神力)があったので、あまり気にはならなかったものですし、いろいろな意味で挽回のチャンスも多くあったのですが、今は取り返すパワーも機会も激減していますので、ひたすらこうべを垂れて怒涛の出金地獄の被害を最低限に抑えるべく我慢するだけなのです…

このタイミングで、我が日本でもようやく待ちに待った選挙がやって来ます。
私の小学生の時の卒業作文のテーマはお決まりの「将来の夢」だったのですが、私が書いた将来の夢は「ケネディのような政治家になりたい」。
この当時、JFKの偉人伝や読み物にハマっており、憧れの人や目標の人を聞かれると躊躇なくケネディの名前を挙げていたことを思い出します。
その後、ケネディのもっといろいろな視点からの本を読むにつけ「何でそこまでこの人を崇拝していたんだろう?」と考えるようになり、子供時代の恋心に似たJFKへの憧憬は徐々に冷めてゆきます。でも未だにケネディの暗殺されたダラスのディリープラザは、個人的にはどうしても訪れてみたい場所の一つです。
(残念ながらダラスは乗り継ぎで空港に数時間滞在したことしかありません。)
ちょっと話がそれてしまいましたが(いつものことですが)、政治のことです。そんなように私は昔から政治には結構興味がありましたので、政治関係のニュースや新聞はそれなりにチェックは欠かしていませんでした。

日本で好きだった政治家は、子供時代は何と言っても田中角栄。上述の卒業作文にも目指す政治家はケネディにしようか角栄にしようかちょっと迷ったことを思い出します。私が小学校6年の時代は、まさに佐藤栄作の7年に渡る長期政権が終わり、”若く”て”フレッシュ”な田中角栄が「日本列島改造論」を引っ提げて我々の前にセンセーショナルに登場したまさにその年だったので、将来政治家を目指すつもりの少年には、本当にキラキラして眩しく映ったものです。
でも、角栄はその後のロッキード事件などでそのイメージは地に落ち、「金まみれ」のレッテルがすっかり定着してしまいました。個人的には確かにその側面は否定しませんが、今考えてもあの時の日本にあのリーダーシップは絶対に必要であったと思え、個人的には今でも好きな政治家です。
でも、娘さんの大学認可に関するスタンドプレイは、父親譲りの強引さと言う方もいますが、単なる思い付きというか目立ちたいだけとしか思えずに、全く納得できませんが。

では、今の政治家で誰がいい? これ、難しいですねぇ~?
今の政治家では、実はずっと小沢さんを応援していました。というか信じていました。なので4年前民主党が政権を取る選挙の時には、「小沢さんがいる民主党なら、長年にわたる自民党時代に幕を引き、新しい日本を作ってくれるに違いない!」と信じ、本当に期待し応援しました。

でも、「民主党」には本当に本当に幻滅しました。
特に鳩山・菅の2人の総理(特に鳩山!)には本当にガッカリでした。「最低でも県外だとか「トラスト・ミー」などの言葉は、何の裏付けもなく単なる要望だけであり、総理の言葉と言うより今や単なるギャグでしかありません。日本の総理の言葉をあそこまで軽くした罪は重いと思うのは私だけではないでしょう。
北海道エリアの方々の良心として、鳩山から議員の職を奪ってくれないでしょうか??
個人的には絶対に大惨敗して政権の座から転がり落ちることは当然として、それ以上の審判を国民のみんなが下してくれることを大きく期待しています。
鳩山だけでなく菅さん・野田さんも議員落選しないでしょうかねぇ?? 実は密かに期待しています。

じゃぁ石原さん?橋下さん?
個人的には石原さんはちょっと過激すぎるような気がします。尖閣の問題でも石原さんが「決められない」民主党に火をつけたわけだし… また橋下さんには少なくとも与党になるだけの政治経験はまだないと思いますし、本人はともかくチルドレンのような候補者たちが極めて心もとないと考えています。なので個人的には今回旋風は巻き起こすものの、一定の当選者を持つ第3勢力野党として、次回の選挙に向けて力を蓄えて欲しいと思います。
でも、個人的には他の第3勢力と呼ばれるみんなの党の渡辺さんと、減税日本の河村さんには実は大いに期待しています。特に渡辺さんの党は大躍進してほしいと思います。
小沢さんについては、流石に民主党離党時のドタバタもあり、もう応援する気は起きません。

そうなると消去法で残るのは自民党… あまりに淋しいですが、そうなってしまうのでしょうか??
安倍さんが総理に返り咲くというのは、ちょっとぞっとする展開ですが、そもそも総理が毎年変わるめまぐるしい総理交代は安倍さんが先鞭をつけたのですから、責任を取って今度は少なくとも次の衆議院の解散まではやって欲しいものです。
もう「美しい国」などの無駄な連呼をせずに…

今回の論点はさまざまあると思いますが、個人的には「景気回復」が第一だと考えています。そのためには消費税のアップではなく、「物価上昇による円高是正」が先だと思います。
やっぱり経済が回復してこそ雇用が守れる訳ですし、物価が上がるのは貧乏な市民としてはとっても辛いことなのですが、学生時代経済学の講義で習った「適度なインフレ(物価の上昇)は経済発展上必要。」に今こそ立ち返る必要があるのではないでしょうか??

私が初めて一人で添乗員として行った香港旅行が、3泊4日で一人14万円でした。(昭和59年) その年の年末にハワイに行った時の旅行費用はホノルル4泊で38万円でした。
今考えるととんでもない値段の海外旅行でしたが、当時としては普通(ハワイは正月値段ではありますが…)だったのです。
ここまで値段が下がったのは海外旅行だけだと思いますが、ランチなどは恐らく30年前と今を比較すると、メニューによってはむしろ今の方が安かったりするかもしれません。
昭和55年当時、初めてCMを打つようになった「牛丼一筋80年」の吉野家。33年前の当時、牛丼一杯300円と言うのは衝撃の安価だったように記憶しています。

今日はちょっと変に真面目な投稿になってしまいました。

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アメリカ50州制覇の夢 [雑感]


今日もいつも通りにリハビリを1時間して、TVでヤンキースのプレーオフを見ながらパソコンに向かっています。

ここ数年で、日本のプロ野球に対する興味は、残念ながらすっかりなくなってしまいました。私が野球を見なくなったきっかけは、大好きなドラゴンズに私の天敵ともいえる落合氏が監督として来た8年前であることは間違いないのですが、今年ようやく落合氏がいなくなってドラキチに戻ろうと決めていたのですが、いざシーズンが始まってみるとドラゴンズにも何故かあまり興味が持てず、昨日も午前中のメジャーリーグの中継は見たものの、午後の日本のクライマックスシリーズの中継にはセ・パ共にチャンネルを合わせませんでした。
(パリーグでは埼玉の地元ライオンズを応援しなきゃ!とは思っているのですが…)

それにしてもメジャーリーグ、前にも書いた記憶がありますが、あれだけ選手が入れ替わるのに「地元のおらがチーム」の応援は本当に凄いと思います。今は特にプレーオフ期間中だけあって、スタンドは地元チームの応援一色です。球団のある都市はニューヨークやロスなどの大都会はともかく、そんなに大都市でもない都市も結構あるのに…
だからこそ、地元球団に余計愛着があるのでしょうか…

実は私は、結構アメリカフリークです。今まで、当然と言えば当然ではあるのですが、仕事では海外旅行にはそれなりに多く行っています。ツアーの添乗員として団体旅行に随行した旅行が大半で、それ以外には会議や視察や打ち合わせなどの出張がその次を占めます。
添乗員としての行先は「憧れのヨーロッパ」が圧倒的に多く、会議等の出張では近くて行きやすいこともありアジアが圧倒的な回数を占めます。どちらもアメリカはさほど多くありませんが、でも好きな「憧れの地」には変わりありません。

思えば日本人のアメリカ旅行には、何度か人気にブームがあったような気がします。私が知っている第1回目のブームは私がこの会社・業界に入った1983年の頃。当時は「西海岸」がトレンドで、誰しもがロスやサンフランシスコに憧れた時代だった気がします。
でも私が入った頃、まだ1ドルが240円はしていた時代。当時ビックマックが$4はしていた記憶がありますので、「ビックマック=1000円」のアメリカ旅行はとかく高嶺の花でした。
当時お客さんと、スーパーで$1(つまり240円)の缶コーラを飲みながら、「1ドルは100円ぐらいが物価が釣り合う妥当な交換レートですよね!?」と当時では夢物語で語っていたことを鮮明に思い出します。

その後アメリカ旅行人気は少し下火になった時期もありますが、2度目のブームは$1が90円を切り超円高になって東海岸が初めてと言っていいほどもてはやされた1995年の頃だった記憶があります。但し、このブーム感は明確な記録には残っておらず、日本人訪問者数は当時は倍々ゲームで伸びていた頃でしたから、人員等の根拠は全くない1旅行会社の海外旅行担当者の単なる皮膚感覚です。(間違っていたらゴメンナサイ)

私がハワイ以外のいわゆるアメリカ本土に初めて足を踏み入れたのは、1987年頃だったと記憶しています。初めてアメリカ本土で足を踏み入れた地は、私が個人的に一番憧れていて未だに一番好きな街でもあるサンフランシスコ。ゴールデンゲートブリッジを初めて見た時は、堀江健一が初めて太平洋をヨットで単独航行してゴールデンゲートブリッジに辿り着いた時とは比べ物にはならないものの、個人的には同じように震えが止まらず感動したものです。
サンフランで最終日の晩、カラオケスナックに行って昔から密かに得意だった「I left my heart in San Francisco(思い出のサンフランシスコ)」を英語の歌詞を見ずに歌って、本場サンフランシスコ(の日本人)に拍手喝采を浴びたことを思い出します。
(今でも歌詞はアカペラで歌えますが、音程は何故か狂って音痴になったままです。)

その後も、個人的にはアメリカが好きと言うこともあり、アメリカ旅行は積極的に企画し、機会があれば添乗員として乗り込んでいました。当時かなりアメリカに入れ込んでいる証拠に、アメリカのロードマップを自宅で暇さえあれば毎日眺めていたことを思い出します。日本の47都道府県と県庁所在地が言えるのは日本人の大人ならば別に不思議でもありませんが、私はアメリカ50州の名前と州都と愛称(各州に「何とかステート」という愛称が全てあるのです。因みにニューヨーク州は「エンパイア・ステート」です。)を全て覚えるというヲタク的な楽しみをしていました。

当時の夢は「アメリカ50州全制覇」。レンタカーでアメリカ中の田舎を見て回るのが夢でした。勿論、まだ諦めたわけでは全然ありませんが、現在ちょっとそのモチベーションは少し下がって来ています。(まず日本の47都道府県制覇が先なので…)
今までに訪問した州の数は、まだ20に達していません。やっぱり日本人の旅行先として選ばれるのはカリフォルニアなどの特定の州に限られるため、ロスやサンフランに何回か行っても、州の数は増えないためです。
一気に訪問州の数を増やすためには、小さい州がたくさんあるアメリカ独立当初の13州のあたり(東北部)に行けばいいことは分かっているのですが、このあたりに行くツアーは殆どありません。この地域の中心地ボストンとニューヨークには勿論行ったことはありますが、この区間の移動は勿論飛行機でした。
また、一番「つぶす」のが大変そうなのが、「ディープサウス」と呼ばれる南部~中南部の各州。南北戦争時代、南軍の中心地として奴隷解放に反対し続けた土地で、今でも黒人比率が高い地域です。勿論、このあたりも大都会のアトランタと観光地のフロリダ・ニューオリンズにしか行ったことがありません。
アトランタ以外の大都市も観光地もさほど多くなく、また各州もそれなりに大きいため、行く機会は滅多になさそうです。
クリントンが大統領になった1993年頃、当時バブル末期の視察旅行担当者だった私は、「これからのトレンドはアーカンソー(クリントンさんの出身の南部の田舎の州)だ!」と勝手に信じ込みアーカンソーを含む日程を必死に売り込みました。何本か私の売り込み通りアーカンソーには行ってくれたものの、結局私が同行してリトルロック(アーカンソーの州都で中心都市)の地を踏むことはできませんでした。

アメリカには「既に行ったことのある憧れの地」も結構増えましたが、「まだ見ぬ憧れの地」がまだまだ圧倒的に多いのも事実です。少し例を挙げると

・今一番行ってみたい国立公園は、イエローストーンとマウントラシュモア (とデビルスタワー)
・フロリダ半島突端部キーウエストで「老人と海」の世界に浸る
・アイオワ州マディソン郡の橋。20年以上前に大流行した屋根つきの橋を見たい
・アラスカ最北限のポイントバロー アラスカ物語のフランク安田になる!
・ナッシュビル・メンフィスで音楽にどっぷり浸かる…

ずっと考え続けているわけではなく、ちょっと考え始めるだけでも、いくらでも出てきそうな気がします。
早く復活してまたアメリカ三昧の旅行をしたいと思います。
もう10年以上使ってなくて完全に錆びついた英語… また勉強し直さなくてはいけませんね。

アメリカに憧れるようになってから好きになった曲があります。今は演歌歌手ですが我々の世代のフォークバンド「アリスのベーヤン」の曲で、カリフォルニアに憧れて旅を続け、届かなかった人の物語です。
テネシー~テキサス~ニューメキシコ~アリゾナと旅をするその風景が浮かんでくるような気がします。20年以上振りにこの曲を思い出し、ベーヤンの曲の動画が見つかったのでアップします。

でも私のアメリカ旅行のスタートはいつもサンフランシスコ。
勿論、いつか実行する「アメリカ50州全制覇」のスタートも… です!!

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