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東北旅行記<その2:酒田の喫茶店編> [回顧録]


おはようございます!(と言いながらあっという間に昼過ぎ!)
早速、昨日の続きを書くことにします。

東北旅行1日目 9月8日(木)続き

今回の旅の、最初の目的地は酒田です。新潟発酒田行の羽越本線特急「いなほ」は13時過ぎに酒田に到着しました。

早速荷物をコインロッカーに預けて酒田の街に繰り出します。お昼なのでまずは昼食。新潟駅で駅弁でも買おうかと考えたのですが、折角の日本海側の街酒田、駅弁だけで海の幸を食べないなんて勿体ないと思い、ネットで港に面した海産物の有名店を探し出しました。まずは港に面したその店までタクシーで向かいます。
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その有名なお店とは、酒田から飛島行フェリー乗り場の横にある「さかた海鮮市場」の2階にある人気どんぶり店「とびしま」。行列必至と各種ブログには書いてありましたが、9月の平日の1時半過ぎでしたので、さすがに行列はありません。でも座席を探す必要がある混雑具合は、さすが人気店!です。
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「どれにしようかなぁ…」と迷いましたが、さすがに人気店だけあり、「本日の限定メニュー」等は全て売り切れです。まぁ、人気店に行列なしで入れたのですから、贅沢は言えません。
それでもお目当ての定番「海鮮丼」はしっかり売り切れなしであるのでこれを注文、セルフサービスなのですぐに料理が完成、早速日本海の豪快料理をいただきます。
 
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何より魚がとびっきり新鮮なこと! おまけに海産物の量が半端じゃない!丼に乗っている魚の数、10個までは数えていたのですが、それ以上になり数えるのをやめました。これで1050円とは驚きです。東京にも1,000円以下の海鮮丼は数多くありますが、ネタの多さと新鮮さではやっぱりとても本場には敵いません。 大満足の一食でした。
食後のデザートの「いかすみのソフトクリーム」を食べましたが、こちらはちょっと微妙な味でした。

昼食後、酒田の訪問の最大の目的である、妻の友人夫妻が経営している喫茶店へ向かいます。地図で見る限り港のすぐ近くなので、勿論散歩がてら歩いて向かいます。ちょっと道を探すのに苦労しましたが、15分程度迷った挙句、無事にその喫茶店「豆麦亭」に到着しました。
(豆麦亭の入口)
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妻の友人と言っても、勿論私は初対面です。地元(埼玉)の教会で知り合った奥様だそうですが、ご主人が定年後に一念発起して、さほど縁のない酒田に移住、喫茶店を開いて家族3人で運営しています。
コーヒー好きな妻ですが、実は結婚当初「将来は田舎で喫茶店を開くのが夢」と言っており、退職後は田舎に移住して喫茶店を開く夢を訥々と語っていたものです。私はコーヒーを飲むのは好きでも、喫茶店の経営なんてちょっと無理だと考えていましたので、「妻の夢物語」だと思っていましたが、このご夫妻は、見事に妻の夢を完璧に実現させている稀有な成功例のような気がします。
 
「成功」と断言できる理由はいくつかあります。
1、大繁盛 2時過ぎに訪問しましたが、3つあるテーブル席とカウンターはほぼ満席でした。テーブル席ではまだランチが売れていました
2、親子3人 会社勤めをしていた息子も会社を辞めて同時期に酒田に移住。 親子3人での喫茶店経営です。 また、親子の仲が抜群にいい!
3、地元に根付いている ご主人はコーヒーを入れながら一人でコーヒーを飲みに来る地元の奥様の接客をしています。埼玉から移住してきて3年目の家族とはとっても思えず、完全に酒田に根付いている感じです。

上記の通り、近年関東ではドトール等に押されて個人経営の喫茶店が厳しい状況なのに対して、こんなにも「繁盛していて」「家族経営で」「地元に愛されている」喫茶店は本当に超レアケースのような気がします。なので妻は羨ましいのか自分のことのように嬉しいのかわかりませんが、兎に角久しぶりの訪問にとても嬉しそうでした。

でも、個人的にはこんな喫茶店を作るのは… 無理かなぁ~??

喫茶店で昔話を1時間ばかり楽しんだ後、酒田の市内観光と称して山居倉庫まで親孝行な息子さんに車で送ってもらいました。
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 山居倉庫を一回りした後は、徒歩にて旧本間家本邸へ。700円也を払って見学した割には質素な屋敷だと思いましたが、あとで聞いたら「本邸」とは名ばかりで本間家が来客を泊めた時の屋敷だったのだそうです。700円(×2)も払って、??って感じです。どうも従業員もプライドだけは高いようで、私が「あの本間ゴルフの…」と喋っていたのを聞き逃さず、「本間ゴルフの家は本間家とは関係ありません」とすかさず否定されました。観光客のたわごとなのに… (後で聞いたら、分家の末裔のような関係らしいです)
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その後、流しのタクシーがいないという酒田なので、タクシーを呼んでもらい港を一望できる日和山公園へ。
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 その後、タクシーで市内の旧跡や酒田の大火の話などを聞きながら駅に戻ります。
駅に戻ると朝から大活躍していたカメラ兼務のスマホの電源が切れる事態が発生しました。

18時前、再びいなほに乗車して秋田へ向かいます。すっかり暗くなった秋田の街をトボトボと徒歩5分と称するホテルまで、10分ほどかかって辿り着きました。

チェックイン後、秋田名物稲庭うどんを食べに。地元民の居酒屋と旅行客の稲庭うどんの定食屋がミックスしたような店で夕食です。
私は勿論、「サントリーオールフリー」で晩酌。稲庭うどんと舞茸の天ぷらを堪能しました!
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続きは次回!! 

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東北旅行記<その1:たびだち> [回顧録]

 
久しぶりのブログ更新です。
先週日曜日、旅行から無事に帰ってきて月曜日からは通常通り会社に出勤しました。「疲れた~!」という感じはさほどありませんでしたが、何と無くPCに向かう気にもスマホで打つ気にもならなかったので、やっぱりそれなりには疲れていたのでしょう。
一週間、ブログも打たずにダラダラと過ぎてしまいましたので、「これではいかん!」と思い久しぶりにPCに向かっています。

これから旅行記を徐々に打とうと思っていますが、相変わらずこのブログのシステムとの相性が相当に悪く、写真の掲載がどうもうまくいきません。
もう既に2回、写真を掲載しようとして本文を消してしまっています。全く相性が悪く、本格的にこのブログからの乗り換えを検討しなければなりませんが、とりあえずは旅行記の掲載を先にしようと思います。

ではとりあえず、写真に悪戦苦闘しながらとにかくやってみようと思います。

東北旅行記 2011年9月8日(木)~9月11日(日)

1日目:9月8日(木)

いよいよ待望の出発です。昨日8時過ぎに埼玉の自宅に帰り、あれやこれや準備をしていましたので、準備は万端です。早めに寝たので早めに起き、今日4日間からはパスポートならぬ命の次に大事な「大人の休日倶楽部パス」を確認して、7時半頃に家を出ます。
私はバッグが持てないので、楽天で少し前に買ったリュックに着替えを詰めての出発です。

・2カ月ぶりの転倒
順調に駅まで着いて、いよいよ電車の旅の始まり~! と思った瞬間、自宅駅のホーム近くで、何とほぼ2カ月ぶりに転倒してしまいました! 単なる不注意だとは思いますが、左足を出そうとした瞬間、何故か左足が道路に突っかかってしまい、勢いよく前にすっころんでしまったのです!
ショックと言えばショックでしたが、今更旅行を中止する気もなく、何とか立ち上がって、引き続き歩き始めました。
原因は解りませんが、不慣れな重いリュックを持ったことも原因の一つかもしれません。ともあれ「今回の旅行、十分注意するように!」という神様からの注意と受け止めることにしました。
 
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 ・MAXときにて新潟へ(フラットシート)
最初は、大宮駅から2階建て新幹線「MAXとき」にて新潟へ向かいます。昔は2階建てなんて夢の電車で「2階建て新幹線」なんて本当に憧れの列車だったのですが、足の悪い今は階段がネックで、出来るものなら乗りたくありません。おまけに2階建て列車自体はいまや自宅近くでもグリーン車で走っていますので、珍しくも何ともありません。とはいえ、上越新幹線は東海道と比べても本数は決して多くなく、接続のいい列車が全車両2階建て編成なので、この列車を選択せざるを得ません。
でも2階も1階も嫌だなぁ~ と思っていましたが、いろいろと調べてみると新幹線にも宇都宮線のグリーン車のように車両のはじっこに2階建てではない車両が一部だけあり、この部分の座席も僅かにあることが判明しました。この座席「フラットシート」と呼ばれていて、結構人気なのだそうです。指定券を買う時にも「この部分で!」とお願いすると駅員さんは「あぁ、フロアシートね?」(恐らくフラットとフロアの単なる記憶違い)とすぐに理解して、早速指定券に「FL」と表記のある指定を確保していただきました。ネットによると、それなりに人気なのだそうです。
実際乗り込んでみましたが… 失望しました。理由は
1、狭い…本当に5号車の端に申し訳程度に設けられた席ですが、3列しかなく、宇都宮線のグリーン車より狭く感じます。また、前のピッチも恐らく宇都宮線の750円也のグリーン車より絶対に狭いです!横も5列の分だけ宇都宮線のグリーン車より確実に狭いです。
普通車とグリーン車の違いと言えばそれまでですが、こっちは普通なら1万円近く払って乗る新幹線なのに… 通勤で使う列車より居住性が悪いなんて… ちょっと納得できない感じです。改めて普段乗る宇都宮線の快適さがありがたく感じました。
2、人通り激しすぎ…新幹線だから仕方がないんでしょうが、短い車両の端だからでしょうか、兎に角人通りの激しさが半端じゃありません。特に私の席がドアの目の前の通路側だったからでしょうが、大宮駅発車以来、「うるさ~い!」と切れたくなるほどひっきりなしにお客さんが通ります。もう少しで切れるかも… と本当に思ったくらいです。
3、トイレが遠い…「JRがバリアフリーに配慮して作った席」だと思っていましたが、実はそうではありませんでした。その証拠に、トイレは同じ場所にはありません。トイレは隣の車両に行かなければならず、結局2階か1階のどちらかを超える必要があります。トイレに行った私は、結局この列車で階段の上り下りを4回する羽目になり、フラットシートを予約した意味は全くありませんでした。
倒れて以来、1年3か月ぶりの久しぶりの新幹線でしたが、こんなように感傷に浸る余裕もなく、あっという間の1時間半でした。
 
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・羽越本線「いなほ」で酒田へ
新潟からは、羽越本線に乗り換えて日本海側を酒田に向かいます。久しぶりに在来線の特急に乗り、列車に段差があることにビックリしました。東京近郊に列車には段差などは殆どありませんが、これから乗る列車は地元埼玉に帰ってくるまで、ほぼ全列車に段差がありました。段差があると少しではありますが恐怖を覚えます。段差がない東京のバリアフリーは改めてありがたいことだと思いいます。
羽越本線はのどかな田舎を走り、村上を過ぎたころから豪快な日本海に沿って走ります。日本海を眺めるのはいつ以来でしょう? 昨年5月の富山旅行以来ですが、凄く久しぶりのような気がします。

日本海の豪快の眺めを1枚
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写真の操作に疲れましたので、酒田編は明日にさせていただきます!
 

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2010年富山旅行回想(その4 最終回) [回顧録]


何故か今週末は鬱状態が続いています。個人的にもショックな言葉があったり、仕事でも調子が出ないというか嫌なムードになったり…
こんな日が続くとうつ病になる様な前兆に思えます。ともあれ折角少しずつとは言え良くなってきている(と、とりあえず信じてる)ので、ここでめげるわけにはいきません。
おまけに今日は1カ月前に関西に赴任した娘が出張で帰ってくるという嬉しい日なのですから、こんな風に落ち込んでばかりはいられないようです。

ということで、パソコンに向かっています。
と言っても正直落ち込んでいてあまり書きたい話題も思いつかないので、続けている昨年の富山旅行紀行を仕上げてしまいたいと思います。


4日目:2010年5月2日(日)

2日間富山県内を十分堪能しましたので、今日は富山を離れる日です。富山市内の夜だけは堪能できなかった私ですが、朝は年のせいなのかやっぱり早く起きてしまいます。昨日の晩に体調不良だった妻ですが、一晩ぐっすり寝たせいか今朝は大丈夫の様です。
6時前にチェックアウトを済ませ、富山市内で朝からやっているファミレス探しです。富山IC近くでようやく開いているファミレス「ジョイフル」を発見、朝定食を堪能します。
この日、メイン通りのオープン前のファミレスを必死に探しました。例の焼肉屋「えびす」の看板に見覚えがあったのは、恐らくこの日に再三見たのではないかと思います。

予定ではこの日のスタートは砺波のチューリップフェアに開聞から入る予定でしたが、2日前にアルペンルートでの地元の人のお勧めにより一昨日観光を済ましてしまったので、今日は砺波を素通りして富山県最後の観光地である世界遺産「五箇山」に向かいます。
今回の旅行の最初の頃はGWの影響をあまり感じない交通状況でしたが、この前日あたりから車の量が徐々に増えてきていました。定着した1000円高速の影響もあり、この期間の渋滞は相当のものになると計画時には予想していましたが、二日目まではあまり影響がなかったので少し油断していましたが、やっぱりこの日からその影響はやってきます。砺波を前々日に済ませてしまったのは結果的に大正解でした。
(恐らく、昨日から交通ラッシュはやってきましたが、昨日あまりそう思わなかったのは「富山県内」だからだと思います。)

世界遺産五箇山は合掌造りの集落です。このあたりで有名な合掌造りの集落と言えば岐阜県の白川郷ですが、もう少し俗化していない集落が富山県の五箇山です。
最初に到着したのは、ややマイナーな「相倉集落」。駐車場が8時オープンなのですが、観光地でありながら人が住んでいるので、「8時前には入るな」という立て看板があり、8時までは車のエンジンを切って待機します。
8時に早速入場しますが、駐車場は数十分でもう満員に… 「さすがGW! 恐るべし!」です。相倉集落は結果的にこれから見るいくつかの集落と比べても、一番集落らしく落ち着いた素晴らしくひなびた雰囲気でした。8時半オープンの民族博物館をゆっくりと見学し、このあたりの合掌造りエリアをまずもってしっかりと把握できました。

因みに合掌造りの家は人が住んでいるとはいえほぼ全部民宿です。それでも確かに五箇山の雰囲気は素晴らしく、一度泊まってみたいと思いました。

その後道の駅に立ち寄り和紙体験を楽しみ、同じ五箇山の菅沼集落へ。ここでこの旅行初めての満車を体験。集落の駐車場に入るまで30分ぐらい待ちました。集落の規模は相倉よりかなり大きくなりましたが、人も多いのでその分俗化された感じです。

五箇山を後にしていよいよ富山県に別れを告げ岐阜県へ。ちょっと早いけれど狙いをつけていた道の駅でお目当ての「岩魚寿司」と「岩魚の姿焼き」を堪能します。12時過ぎに入ると恐らくすごい混雑になったのでしょうが、時間が早かったために待たずに食べられました。
やっぱり田舎で食べる岩魚は本当に美味しいです。このあたりに行く方には是非ともお勧めします。

今日午後の目的地は、合掌造り観光のメインイベント白川郷です。何となく嫌な予感はしていましたが、高速の白川郷ICの出口から渋滞が始まっており、全く動きません。「白川郷4キロ」の看板は出ていますが、ノロノロとも進みません。

めげそうにもなりましたが、まさかここまで来て白川郷を諦めて帰ることはできません。ノロノロと進む列について少しずつでも進むしかありません。1時間強走り、やがてこの渋滞の先頭が白川郷の駐車場であることが判明。駐車場の出入りは結構激しいので、近くまで行けば入るまでには時間はかかりませんでした。

白川郷は施設も広く人も多く、まさに合掌造りの「観光地」という感じです。合掌造りの家は全て売店と博物館で、普通の民家は皆無です。人ごみの中を歩いていると、「合掌造りのディズニーランド」って感じです。
3か所の中で規模は、白川郷>菅沼>相倉の順番ですが、見学は小さい方から言ったのでまた朝から行ったので混み具合も徐々に激しくなったので、個人的な印象では五箇山の相倉集落が一番良かったように感じました。

その後高速に乗らず川沿いの道をドライブしましたが、高地なのか東京ではもう1か月前に散っている桜がまだ満開です。途中、とっても混んでいる場所がありました。後から調べたら荘川桜という桜の名所なのだそうです。車を停めようとも思いましたが、駐車場が長蛇の列で当時こんなところを知らなかった私は、素通りしてしまいました。今考えたらちょっと残念でした。

その後は一路高速を名古屋へ。途中ちょっと混雑しましたが無事に名古屋市内へ。市内繁華街の栄にあるホテルを予約しており、ホテルの契約駐車場に車を停めようとしましたが、駐車を待つ他県ナンバーの凄い行列です! 駐車場の人にきいたら「多数のホテルの契約駐車場になっており、恐らくほぼみんな入庫待ちの車!」とのこと。これは1時間以上待たなければ入れられない…と覚悟し、市内は若干土地勘があったので隣町のオフィス街「丸の内」へ。予想通り丸の内はガラガラでまた休日の駐車料はメチャ安く、徒歩15分の距離でしたが、却って契約駐車場より安くつきました。

昔長男が働いていた店を見学に行ったりした後、今日の夕食は妻のリクエストで「ひつまぶし」でした。「食べログ」で評価の高いお目当ての店がある松坂屋に行ったとたんに嫌な予感がしました。エレベーターでは全員同じ10階で降ります。エレベーターそばから行列が既に始まっており、長蛇の列の行列の後ろには「最後尾」の看板と「ここから2時間半」の看板を持った人が立っています。(本当にすごい数の人がディズニーランドのように待っています)流石に2時間半は待てないので第2希望~第3希望の店を当たります。2時間半はともかくどの店も1時間は行列必至の混雑です。
それでも妻の意志は固かったので、名前を書いておけばそこにいなくてもいい店に名前を書いて、再度市内を散歩します。ようやく1時間半で席にありつけ、美味しいうなぎを堪能することができました。
ひつまぶしは量が多く、お茶漬けを含めてとっても美味でした!

5日目:5月3日(月)

前日の「ひつまぶし」の混雑は結構ショックでした。名古屋市内と高速の混雑は予想以上です。この日も嫌な予感がしたので、予定を変えて早々に帰宅の途に就くことにしました。
唯一の観光で名古屋城だけ行きました。これも開門前から凄い行列でした。思えば初日の最初が松本城に行ったこの旅行の最後は名古屋城です。不思議な因縁ですが、昔からある松本城に比べて再築された名古屋城は便利ですが風情に欠けます。

その後、高速の混雑を予想して10時過ぎには高速に乗りました。
そして… 家には19時前に到着しました。

以上、倒れる前の最後の旅行記を4回に分けて書きました。


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2010年富山旅行回想(その3) [回顧録]


旅行好きな私は、今年の夏過ぎにはぼちぼちどこかに旅行に行きたいと、旅行好きな虫が蠢き、真剣に考えています。
ただ有給を取るわけにはいきません。週4日勤務の身分では、金曜日を有給と考えると上期だけでもう年間の20日を超えてしまい、下期の25日は欠勤扱いになります。
昔は2年分の有給が常に余っており、その気になれば40日くらい休んでも平気でしたが、昨年6月に倒れてから8月下旬までで、ほぼ有給を使い果たしてしまいました。
今年は欠勤も含めて会社から理解をいただいていますが、この上夏休みなんてとんでもない話です。
でもリハビリの毎日にはなにか目標が必要なのも事実で… なので2日でも3日でも旅行に行くことが自分のために必要とも勝手に考えています。

復帰第一段の旅行は、JALのマイルを貯めて、未踏破県の一つである「島根県」に行きたいとひそかに決めていました。これは映画”Railways”に感動して、「一畑電鉄に乗りたい!」という思いがあったからです。でも昨年倒れてから出張が全くないので、マイルは公共料金の引き落としぐらい分しか貯まらず、まだ2人分の無料チケットまでは貯まっていません。冬場のディスカウントマイルならば貯まっているのですが、やっぱりどうせ行くのなら季節のいい時期に、隣の未踏破県の鳥取と合わせてゆっくりと行きたいものです。

ついては、最初の旅行での島根行きは諦めることにします。来年、完全復帰して週5日勤務復帰した暁には、堂々と1週間ぐらい休みを取り、島根旅行をしようと思います。いくらなんでも、その頃のはJALのマイルも貯まっているでしょうから…

行先については、現在検討中です。ここでプランを書くのも一案ですが、旅行と言えば書きかけの昨年の富山旅行の旅行記がまだ途中です。来年の旅行プランを書く前にこれを仕上げてしまわないと不謹慎(?)な気がします。ついては、今日は続きを書くことにします。

3日目:2010年5月1日(土)

今日はもう一つのハイライトである「黒部峡谷トロッコ鉄道」に乗る日です。
トロッコ鉄道は元「鉄ちゃん」としては昔からの憧れの列車です。峡谷の上をトロッコでコトコトと走る風景は、「絶対に一度は乗ってみたい鉄道ベスト3」に間違いなくランクインします。事前に情報収集したところ、この年度の運転開始は5月1日! そう、この日が運転の初日だったのです。列車には予約が必要ということで、午前中の便の往路普通車、復路は多少の追加料金で特別列車を予約し、代金も事前支払いを済ませました。終点の欅平でのんびりすることも考えましたが、多少の散歩時間だけにして戻る便にて予約しました。(結果正解でした)

いつも通り朝は早起き、6時にはホテルをチェックアウトしてトロッコ列車の乗車駅である宇奈月温泉を目指します。高速に乗りSAで朝食を…と思いましたが、今日から本格的なGWで、朝からSAには車が溢れています。SAに入ったものの駐車スペースを探すのにも苦労しそうですし、特に「どうしてもSAで朝食を食べたい理由」があるわけでもないので、SAでの朝食を断念して先を急ぎます。でもそのまま高速を進んだのでは宇奈月に早く着きすぎるので、途中の魚津ICで降りて、名前にひかれて「海の駅蜃気楼」を目指します。

天気はまさに五月晴れでいい天気ですが、蜃気楼がどういう時に見えるのかも知らないので「見えるかも」と思っていったわけではありません。ただ、有名な蜃気楼見学スポットを見ておこうという感じだけで車を降りますが、幸い「とれたての刺身定食」の朝食をやっていましたので、これ幸いとばかり朝食にありつきます。特にとれたてのイカが美味でした。

朝食後、高速には戻らず一般道で宇奈月を目指します。8時頃に宇奈月に到着、街の有料駐車場に車を預け、インターネットでの予約を乗車券に引き換えてから出発まで温泉街を散歩です。帰りの電車の中での楽しみ「白エビの押し寿司」を購入することは忘れません。

いよいよ人気のトロッコ列車に乗り込みます。早めに並んだので自由席の座席は選び放題でしたが、「どっち側の眺めが良いか」を下調べしてくるのを忘れたことに気が付きました。とりあえず左側の窓際を確保した上でもらったパンフレットを開けてみました!
パンフレットの地図には見事に7割以上渓谷の左側を走る全体図が描かれています。「しまった!逆だ!」と気づいた時には時すでに遅く、右側の座席も完全に埋まっている満員状態です。

下調べを徹底的に行う私にとっては見事な失敗でした! 走り始めてみると、トロッコの右側には見事な峡谷が続き、左側は崖しか見えません。右側の人に遠慮しながら、一生懸命景色を眺めました。それにしても普通車には窓がなく半オープンスペースなので、風が強いと共に非常に寒い乗車でした。前日の雪のアルペンルートと言いこの寒さと言い5月とは思えない紀行でした。

終点の欅平までは1時間20分。本当はこのあたりを散策する計画もあったのですが、40分で折り返す復路便の乗車券を持っています。結果的にこの選択は大正解。だって終点あたりは雪が深く、散策路はどれもまだ通行止めで散策ができません。終点駅の山並みを眺めるだけなので、40分での折り返しは妥当でした。

帰りは進行方向左側をしっかりと確保、追加料金で窓のある車輛でしたので帰りは寒くもなく、景色を満喫して帰ることができました。楽しみの「白エビの押し寿司」も堪能した復路でした。

宇奈月到着後は、あの辺で数少ない「食べログ」の投稿で評価の比較的高かった温泉街の食堂で、ます寿司と白エビのかき揚げ丼を食します。富山名物「白エビ」は何度食べてもとてもおいしい一品です。

昼食後、近くの美術館で平山郁夫の展示があるということで、妻の希望で美術館を鑑賞。その後折角の宇奈月温泉なので、とニューオータニホテルで日帰り入浴。まだGWとは思えず、大きなお風呂にお客さんは私一人と、1000円とは思えないゴージャスな入浴です。

宇奈月を後にし、こちらも名前に魅せられた「魚の駅」というお土産屋さんに寄り実家と自宅に白エビなどの名物を送ります。その後、再度朝寄った「海の駅蜃気楼」へ。
今度は蜃気楼に遭遇するほのかな期待もあったものの、そうは上手く行くはずもなく、そういえば蜃気楼っぽく見えなくはないと思っても、実態は全く関係ないものでした。

本日最後の見どころは滑川の「ほたるいかミュージアム」。ほたるいかを食べた後は、博物館で実際にほたるいかが光るところを見学しましたが、それ以外は特に面白いところはなく、800円也の入場料は「う~ん」と唸ってしまう価格です。

今日も富山に連泊ですが、連泊で予約できる場所がなかったので、市内の別のホテルです。
今日の夕食は寿司。ホテルに教えられた寿司屋は6時前なのに既に予約で満員でした。仕方なく別の近くのすし屋で夕食。夕食後疲れた妻は部屋に返し、私は富山の繁華街を散策。
でも、富山の繁華街… 何度散策しても全然面白そうなところがありませんでした。
2時間近く散歩した挙句、「富山ブラック」にリベンジする気にもなれず、何もせずにホテルに戻りました。

以上3日目の日記です。続きは次回


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2010年富山旅行回想(その2) [回顧録]


昨日は足のリハビリを受けた後、亡母の墓参りに行きました。間もなく転勤(明日、発表!)の娘が休みだったので、(私と妻では)車を運転できない我が家は当分墓参りに行けないと思い、久しぶりに3人で繰り出したのです。
次はお盆には行きたいと思いますが… 車があった時は簡単に行けたのですが…交通不便の墓地なので、仕方ないとは思います。「だから安かった!」と言えばそれまでなので。

明日から第2週間目の勤務ですが、特に珍しいことや変ったことはありません。なのでGW中に書いた2010年GWの富山旅行の続きの記録を書きます。(前回、第1回目の書き込みはこちらからご参照ください。)

2日目:2010年4月30日(金)
今日は早くも旅のハイライト、「アルペンルート」の日です。国内旅行を商売にしている人には、誰でも一度は経験する&定番の観光地ですが、28年間旅行業にいながら一度も国内旅行畑にいたことがない私には未経験です。なので当然アルペンルートに行ったことがあれば富山県へいった経験はあるはずなのに、アルペンルート未踏破である私は、富山県も初めて。これで、日本国内で行ったことがない県が、また一つ減ることになりました。

因みに、現段階でまだ全く足を踏み入れたことがない県はあと4つです。それは和歌山と鳥取・島根と宮崎です。足が直ったらその頃にはJALのマイルも十分たまっていると思うので、まず映画Railwaysで感動した一畑電鉄に乗りに島根を中心に旅行して、勿論その足で鳥取にも行きます。和歌山は大阪のついでに制覇できると思っていますが、折角なので世界遺産の熊野古道や瀞峡などもゆっくり楽しみたいと思います。そして最後は宮崎… これでようやく日本全都道府県制覇が終わります。次にはいよいよライフワークと決めている「アメリカ50州制覇」に向けて動き出します。

話が大幅にそれましたので30日の続きです。
朝は本当に最近早く目覚めるものです。この日は少しでも早くアルペンルートについてゆっくり観光しようと、5時には起きて早々にホテルをチェックアウトし、アルペンルートの長野側の玄関口信濃大町までのドライブです。途中、大町の町中でマクドナルドで朝食を取ります。アルペンルートの玄関扇沢には7時半頃到着し、予約した車の回送会社を見つけて車を預ける手続きです。
アルペンルートは車では観光できませんので、車は信州側または富山側に置いて往復する必要があります。でも往復したのでは富山側もしくは長野側の観光が十分にできません。そのため公共交通機関やツアーで行くのが効率的で、マイカーでの旅行にはあまり適さないと言われています。
そんなアルペンルートを往復せずにマイカーで楽しむ唯一の手段が、「回送サービス」です。これは、アルペンルートを観光している間にこのアルペンルートを大回りで回送し、反対側の富山県側の立山で車を受け取るサービスです。どのくらい大回りするのかと言えば、回送で走る距離はおよそ400キロ、基本殆ど一般道での400キロですから、60キロで走っても7時間近くかかることになります。
回送料はガソリン代は自己負担で24000円、「高い!」とは思いますが、往復することを考えると人件費は当然かかりますのでやむないとは思います。
ネットで十分調べておいた回送業者に愛車を預け、いよいよアルペンルートに乗り込みます。

アルペンルートは流石日本有数の観光地、朝8時前なのにすごい行列です。朝から観光バスがどんどん止まり、都度満員の乗客が降りてきます。行列に並び、立山までの片道8千円弱の乗車券(×2なので1万5千円! これだけでも回送料は安い!?)を購入してアルペンルートの最初の乗り物を待ちます。

アルペンルートは険しい山を観光するために様々な乗り物が開発されており、この乗り物そのものが観光なのです。最初はトロリーバスにて黒部ダムまで。黒部ダム到着後階段を220段上がり展望台へ。その後の遊歩道は閉鎖されており、中よりダムを通って黒部湖駅へ 雪が降っていて寒かったのを覚えています。黒部ダムの放水は6月中旬からなので、黒部ダムでは観光はそこそこに先を急ぎます。
黒部湖駅からはトンネル内ケーブルカーで黒部平へ。トンネル内のケーブルカーですから、景色は全く見えません。
黒部平ではガスと雪が凄く、大観峰が見えるはずですが何も見えません。仕方がないので室堂に期待して先を急ぐことにします。
黒部平から大観峰まではロープウエイにて。残念ながら景色は全く見えません。
大観峰から室堂まではトロリーバスで先を急ぎます。

アルペンルートのハイライトは室堂平。本来はこのあたりの観光をゆっくりと楽しむ予定でしたが、雪が激しく降っており、展望台を散策することもままなりません。もう一つのメインである「雪の大谷ウォーク」には行き、見上げる雪の壁を楽しみました、ただ最大15mあると言われる雪の壁はせいぜい7m程度、それでもすごい迫力で雪が降りしきる天気と合わせて迫力は十分です。往復30分程度の雪中の散策を楽しみました。(明日から5月なのに!)

天気がやむのを祈りつつ室堂のホテルで昼食、昼食後再度展望台&遊歩道にチャレンジしてみますが、残念ながら遊歩道には進めません。このまま待っていても天気が回復する見込みがないので、諦めて美女平までバスで行きますす。美女平でも特に見るところはなく、諦めてケーブルカーで立山に下山します。

初めてのアルペンルートは天気があまり良くなく、残念な結果になりました。今度は雪の壁はもういいので、夏の時期の高原を散策したい! と思いました。やっぱり1日ではなく、天気もあるので室堂のホテルにも1泊して2日間はは最低必要です! 次回は夏にもう一度りべンジしたいと思いました。

立山で回送してもらった車をピックアップ。予定では立山に夕方(限りなく夜)に着くはずだったのですが、時刻は2時前です。(各地でのんびり散策の予定が、天候の関係でゆっくりできなかったため)山の上は大雪でしたが、立山は快晴でいい天気です。早く着いたので今後の予定はなかったので「どこかいいところある?」と聞いてみたところ「チューリップフェアには?」と言われたので「明後日行く予定」と答えると、「GWの混雑は殺人的だから、時間があるなら今日行った方がいい!」というアドバイスに従って、高速で砺波に向かいます。

一度は行きたかった砺波のチューリップフェア。高速を降りると駐車場などの案内一色、地元の力の入れ方がわかります。咲き乱れるチューリップを確かにそんなに混雑せずに堪能することができました。

砺波から高速で富山に戻り、駅裏のビジネスホテルへ。初めてのAPAホテルでしたが、隣の日帰り温泉と同じ系列でホテルゲストは無料ということで、都市で温泉も楽しむことができました。温泉も楽しんで2人でたった7000円! 満足な滞在でした。

夜は富山市内へ。人のいない街中で居酒屋を探します。名物の白エビやゲンゲや刺身などを楽しみました。その後、富山名物のラーメン「富山ブラック」を体験したくなり、店を出て人に道を聞きながらお店を探します。
富山ブラック…あの頃(倒れる前)の味覚でも「しょっぱい!!」 あの頃でも食べるのに苦労するしょっぱさでしたので、今ではとても食べられないでしょうねぇ…

2日目の回想録は以上です。
明日からはまた会社です。頑張ります!!

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2010年富山旅行回想(その1) [回顧録]


今年のGWは、結局池袋の引っ越しだけで過ぎてしまったような気がします。
この三連休前に買い物はだいたい済ませて、あとは持っていくものなどを段ボールに詰める作業などをしています。
とはいえ、その仕事もあらかた昨日で終了し、今日は最終の確認だけで何もすることがなく、暇な一日を過ごしています。こんな日は昔だったらどこかへ出掛ける一日になりますが、車もなく運転もできない現在の私は、残念ながらどこにも出掛けられません。

それにしても観光地に人が戻ってきた様子、観光産業の片隅に奉職する身分の私にとっても、何とも嬉しい限りです。確かに震災は大変で被災者の皆様は大変な思いをされたと思いますが、やはり皆さんが働いてそして休みには遊びに行ってこそ日本は活性化して経済も活気づくのだと思います。
そんなわけで人のいない箱根や日光の映像を見て大変心配していました。ところがこのGW中日光は対前年倍のお客様が訪れ、箱根もすごい行列です。このお客様の大半は日帰りだと想像しますので、箱根や日光の旅館業界の完全回復にはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、復活の足音は着実に大きくなってきています。
私も先頭に立って旅館業界の回復に寄与すべく出来るだけ早く温泉に行きたいと思います。
最初に行く温泉は…「福島」ということだけは決めています。飯坂温泉にするか岳温泉にするか土湯にするか磐梯熱海にするかは… もう少し楽しみながら悩むことにします!!

昨年のGWは… というとまだ自分が倒れるなんて想像だにしていなかった時です。実は富山に旅行に行っていました。富山というと今焼肉屋さんでのユッケでの食中毒が話題になっています。中毒を起こした焼肉チェーンの看板に見覚えがあったのですが、埼玉や近県にはないのだそうです。(神奈川にはあるそうですが、見ていません)でもこのチェーンの看板には記憶がありますので、恐らくこの旅行の時に何度となく見た風景なのでしょう。その時には私の病気もこの店の食中毒も全く想定外です。

折角なので1年前の思い出を辿り、旅行記を綴ろうと思います。どれだけ記憶力が戻っているのかのテストも兼ねていますので、出来る限り詳細に渡って記してみようと思います。

今回の旅行は4泊5日。勿論妻と二人旅です。交通機関は全て自家用車、あまりお金がない(倒れるのを予感していた訳ではなく、一昨年も北海道に行ったからです。)中ですが、まだ見たことがなかった富山をゆっくり見たかったのと、アルペンルート特に「雪の大谷ウォーク」を見てみたかったので行くことにしました。徹底的に宿には金を掛けずに、全泊ほぼ最安値のビジネスホテルです。


1日目:2010年4月29日(木・祝)
高速が混む前に…、と早起きしすぎて予定より1時間早く4時過ぎに自宅を出発。圏央道から関越道・上信越自動車道へ。幸い高速は全く混まずにスイスイと快適なドライブです。途中佐久PAで妻が作ってくれたおにぎりで朝食。東部湯の丸ICで降りて美ヶ原へ、想像よりめちゃ早く7時前には到着してしまいましたが、風が強く寒くって外に出られず、また美術館開館まで2時間以上あり、他にすることもないので、一旦美ヶ原の観光を諦めて、松本市内へ向かいます。
8時前に松本市内についたものの、その日は予想外に早くついて特に行きたいところもなかったので、ガイドブックを見て安曇野までドライブを思い立ちます。安曇野についてまず荻原碌山の彫刻が展示されている碌山美術館へ。このあたりは大学1年生の夏に野辺山での夏合宿(勿論、酒合宿!)の前後に立ち寄った記憶があります。この碌山美術館も、入ってみると何となく行ったかもしれない記憶がありました。だとしたら32年振りです。美術館好きの妻には満足頂いたようです。
その後は同じ安曇野の「大王わさび園」へ。基本、お土産を買うところですが、勿論旅行ははじまったばかりでまだお土産は買えないので、清流のワサビ田の散策。途中、岩魚の塩焼きとから揚げを食します。美味。
安曇野を後にして再び松本市内へ。市内の駐車場に車を停め、松本城へ。松本城も確か32年振りです。昔の建築がそのまま残っている城で、結構急な階段が多く登るのが結構つらかった階段でした。足が不自由になった今からでは当分無理な感じです。昨年行っておいて本当に良かったと思います。
城見学後、るるぶで目を付けておいた城の反対側の蕎麦屋へ。私は「もり」を2枚注文、やっぱり本場信州のそばは美味しかった! その後、旧開智学校を外から見学、再び駐車場に戻り、朝寒くって車を降りなかった美ヶ原に再びチャレンジします。途中の道で、御柱祭りのような祭りに遭遇、「やはりここは信州なんだ…」と痛感しました。有名ではないものの地元ではそれなりに盛り上がっている祭りの印象を受けました。
14時ころ美ヶ原着。山本小屋から歩き始めますが、朝ほどではないもののすごい寒さと風で散策を断念。小雪が舞い散るような天気でした。(午前中は雪だったらしい)
みたび松本市内に戻り、浅間温泉の温泉施設で日帰り温泉を楽しんで初日のホテルにチェックインします。
松本市内のホテルは、今回の旅行では一番豪華なホテル。とは言っても2名で1万円(一人5千円)程度です。ちなみに今回の旅行は全てRCのみで、食事は夜も朝も近くで済ませることにしています。
ホテルチェックイン後は松本市内の散策。ナワテ通りや仲町通りを散策した後、何の変哲もない中華料理屋で夕食。松本では名物が考えられずに土地のものは食べられませんでした。

意外と記憶が残っているものです。次回もそのうちに書きたいと思います。

明日はいよいよ池袋のマンションの引っ越し初日です。今からワクワクしています。

今の家に引っ越したのが15年前。「人生で最後の引っ越しかなぁ?」とも思っていましたが、思いがけず22歳の時以来28年ぶりに本当に久しぶりに東京都にて暮らすとになります。

とは言え、住民票は埼玉のままですが…

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倒れてから現在まで… 最終回 リハビリとその後 [回顧録]


今日もゆっくりとした午前中でした。
朝食後、大沢親分のいなくなった「喝!」を見た後、日課となっている右腕のリハビリをゆっくりと行いました。

サンデーモーニングのスポーツコーナーは数年来欠かさずに見ていました。それだけに大沢親分の逝去はショックでした! 日ハムファンではないものの、親分は監督時代から好きで、変な話ですが何となく「監督だけ」をずっと応援していました。

サンデーモーニングの「喝!」「あっぱれ!」も忌憚のない意見が好きで、毎回(ゴルフなどに行く日以外は)欠かさず見ていました。昨年、体調不良で何度か休んでいた時に心配はしていたのですが… まさかそのまま昇天されてしまうとは思ってもいませんでした。
最近は相棒を失った張さんもイマイチ元気がないようで、「喝!」の件数も怒り具合も大人しくなったような気がします。
張さん! 我々が見たいのは大人しいコーナーではなく、世のスポーツ界を震撼させるような気合いの籠もった「喝ぁつぅ~!」なのですよ。

そのためにもTBSさん、早くレギュラーを固定化して下さい。毎回がゲストではゲストが張さんに遠慮してイマイチ面白くありません。
今日は遠慮してコメントの切れがイマイチでしたが、キャラ的には達川さんなんて良いと思うのですが…
親分のように歯に衣を着せないコメントが見たいものです。

前段が長くなりましたが、17回に渡った回顧録もいよいよ最終回になりました。

11月からはいよいよ通院リハビリと会社出社が始まりました。
月曜日と木曜日はリハビリセンターにてリハビリです。リハビリは3回目以降は基本一人で行くようにしていました。朝、娘の運転でセンターまで行き、1時間はリハビリを見学したりぶらぶらしています。最初のうちは病院に一緒に入院していた人がまだいたので、この人たちと運良く会話ができれば退屈しなくて済みます。その後血圧を計り、診察前の医師の簡単な診察を受けてその後PT(歩行)とOT(手)のリハビリを行います。
血圧を測るのは自動血圧計。最初の頃はたとえ人ではなく機械の血圧計相手でも緊張して血圧は上がってしまう私でしたが、何度か計るうちにようやく提出出来るレベルの値になりました。この頃はまだ血圧の変動が大きく、血圧計の数値に毎朝一喜一憂する日々が続きました。

PT(歩行)については杖を使って階段や段差などのギャップ対策に多くの時間が費やされました。OTは相変わらず思うに任せない手のマッサージが中心です。

終了後はPTの訓練室隅を借りて着替えをします。その後会計をしてバス停まで歩きます。12時15分の大宮駅直行バスに間に合えばいいのですが、目の前を無情に通り過ぎることも少なくなく、その場合が25分の指扇行きのバスで帰ります。

大抵大宮駅のエキュートで昼飯の菓子パンを買い込み、宇都宮線で帰ります。この時間の列車は大概座れるので問題ないのですが、座れなくてもまぁ15分なので何とか立って帰ることにしていました。
自宅に帰るのは1時半過ぎ。午後はTVを見たりしてのんびりと過ごします。

火曜日と金曜日は会社へ。11月中は「通勤家族同伴」が産業医によって義務づけられていましたので、基本妻に同行していただきました。9時過ぎに自宅を出て、グリーン車にて仲良く通勤します。妻は私を会社に送ると私がネットで予約したホテルへ。コンビニで昼食とお菓子を買ってデイユースのホテルでのんびりと過ごしていたようです。

私の方は… 半年ぶりの会社ですから、まず最初はメールを見ることから始めなければいけません。勿論、不在中の私宛のメールは全部周囲の方々に見ていただき処理していただいていましたが、その間のストーリーを全て追わないと復帰というかみんなの話題について行けません。

メールの未読件数は合計で3千件前後だったと記憶しています。最初メーラーの未読件数を見た時には気が遠くなりましたが、読む必要のない定期メールなどもあるので、読む必要があるのは1000件ぐらいでしょうか…
仕方がないので気を取り直して毎日少しずつ読んでいくことにしました。(結局メールを読み終わるのに1ヶ月かかりました)

11月が終わる頃に再度産業医と面談し、ようやく一人での通勤が認められ12月に入ってからは1人で通勤ができるようになりました。ただ、12月も勤務は11月と同じパターンです。

10月から11月の2ヶ月間は、万一の風呂場での事故を恐れ、週2回ヘルパーをお願いすることにしました。初めてヘルパーが来た日…倒れて以来5ヶ月ぶりに湯船に入れた日です。本当に待ちわびた湯船に入った気分は… うまく表現ができないほどに「格別」でした。
とは言え、お風呂にはすぐに慣れたので、ヘルパーさんは1ヶ月で終わりにしました。


こんな日々を続け、12月の20日には遂にリハビリセンターでのリハビリも発症後半年の期限を迎えて遂に終わりになります。
そして… 12月の後半にはこのブログを始め、その後のことはこのブログに綴られています。

以上、「倒れてからのことをどこかに綴っておきたい!」と思って始めた回顧録ですが、一応今回で終わりとします。
このシリーズは全17回。(番号のついていない看護師編を含む)左バーの「マイカテゴリー」の「回顧録」をクリックすると全17話がご参照いただけます!

ただ、まだ書いていないことがありそうな気がしています。たとえば転倒したことなどもまだ書いていませんし…
次回以降、ネタに困ったときにでも「番外編」として書く可能性があります!!

とりあえず長い間のご愛読に感謝申し上げます!!


倒れてから現在まで… その⑮ 退院後のリハビリ [回顧録]


おはようございます。
今朝も体重計に乗りましたが81.2キロでした。
昨日に続いて今日もマイナス400g。以前は体重計のぶれが激しく、何もしないのに不思議と体重が増えたり減ったりしたのですが、このところは食べたものに正確に反応するようです。順調と言えば順調ですが今日も間食はおあずけです… 明日は81キロを切っていればいいのですが…

さて、今日も残り少なくなった回顧録を書きます。

会社の方は11月から復帰の方針が決まりましたので、次に気になるのがリハビリです。リハビリは発症後(つまり倒れてから)半年後とルールが決められていますので、リハビリセンターでリハビリが受けられるのは10月下旬から12月中旬までの僅か2ヶ月です。
リハビリセンターでは退院後のリハビリは週2回と決められていますが、退院時には何曜日に受けるのかスケジュールが決まっていませんでしたので、出勤日などとの兼ね合いで希望曜日だけ伝えましたが、「退院後1週間以内に連絡します。」と言われ連絡を待ちます。

リハビリを受けるのはOT(手)とPT(歩行)の2科目に決まっていました。どちらも週2回で1回は40分です。スケジュールがうまく希望通りに組めればいいのですが「2科目の時間(間隔)が無駄に空いてしまうと何もすることがなくてちょっと困るなぁ…」 と危惧していましたが有り難いことにリハビリは月曜日と木曜日に決まり、両日とも10時20分~PT/11時05分~OTと連続したスケジュールになりました。

これで退院後のしばらくの週間スケジュールがようやく決まりました。
月=リハビリ
火=出社
水=夕方ヘルパーが来てお風呂
木=リハビリ
金=出社
土=休み
日=夕方ヘルパーが来てお風呂
出勤もリハビリも週の中で理想的に配分されており、理想的な1週間のスケジュールが何とかできあがったというわけです。

リハビリセンターまでの行き方ですが、センターまでは大宮経由で「丁度良い時間にバスがある」と喜んでいましたが、よく考えると娘の現在の勤務先が割とセンターに近く、寄り道をしてもらってもせいぜい+10分です。娘が家を出る時間はその丁度良い時間のバスに乗るために家を出る時間と大差なく、「病院にとても早く着いてしまう」デメリットはありますが、何より車で行けばあまりリハビリにはならないけど体はとっても楽です。

ということで、2ヶ月の間娘に毎回送ってもらうことにしました。これは本当にリハビリ時間の妙で精神的にも肉体的にも助かりました。

ということで、リハビリの日の2ヶ月間のスケジュールはおおよそ以下の通りです。

08:10 娘の車にて自宅出発
09:00 リハビリセンター到着
      (この時間が1時間の空き時間)
10:00 リハビリ前の血圧測定・問診
10:20 PT開始
11:05 OT開始
11:45 着替え
12:00 会計
12:15 大宮行きバス乗車(のろのろして間に合わなかったら12:55)
      (大宮でJRに乗り換え)
13:40 自宅到着(または14;20)
とだいたいこんなスケジュールでした。

リハビリそのものは… ざっと以下のような感じです。担当訓練士は入院中と担当の課が違うらしく入院中とは別の方で、両名とも女性でした。
1,PT(担当Sさん)
 退院直前は長距離を杖なしで歩くことに集中しておりましたが、退院後のリハビリはどちらかというとより実践的で、毎日杖での階段歩行などを行いました。階段は日頃手すりでの昇降が中心ですが、世の中には手すりのない階段も多く、杖での歩行もできるようになる必要があります。その他にも主に杖を使って段座のある通路の歩行などの実践的なトレーニングや、毎日やるようなストレッチを中心にリハビリを行いました。

2、OT(担当Iさん)
 手の回復は相変わらずゆっくりなので、退院前とリハビリに大きな変化はありません。最初に寝て右手のマッサージで腕を全体的に開きます。後半は右手でものを握ったり離したりする練習です。握るのはともかく、相変わらず離すのは上手くいきません。


リハビリには最初の2回は妻に同行してもらいました。3回目にもう大丈夫と思い初めて一人での行動にトライしてみました。但し、このとき大変な目に遭いました。

リハビリは歩行などもあるのでジャージなど動きやすい格好で行います。往路は車で自宅から直行するので自宅からジャージを着て行っても問題ないのですが、復路は公共のバスと電車に乗るので、ずっとジャージというわけにも行かず、着替えが必要です。
右手が使えず左手に杖を持つ私は、着替えを持つことができません。リュックに着替えを詰めて自宅を出発し、病院のコインロッカーに荷物を収納します。OT終了後ロッカーから荷物を取り出し、着替える作業が必要です。

ところがこのセンターには更衣室がありません。まさか自分が入院していた病室に行くわけにも行かず… 

最初のウチは仕方がないのでトイレを使っていました。車椅子用の広めのトイレにてジャージを脱ぎズボンを穿くのですが… 何とついうっかり携帯をトイレの中に落としてしまいました!

当然携帯は機能停止、辛うじてFelicaの機能が使え、Suicaは使えるようですが、当然電話やメールは全く使えません!
また最初のうちなので着替えその他にも大変時間がかかり、15分のバスには間に合いませんでした。

たまたまその日大宮で別の用があった妻と大宮駅で待ち合わせていたのですが、緊急事態を告知することもできず、また予定のバスにも乗っていない… 妻は相当焦ったようですが何とか40分後のバスで大宮に行き無事に会うことができました。

その日の午後は、何の予定をおいても機種変です。
その後については、訓練士にお願いをして訓練室の端の方を借りて着替えをするようにしました。

こんなリハビリ生活が約2ヶ月続きました。


倒れてから現在まで… その⑭ 出社に向けて [回顧録]


おはようございます。
まだ、ショックからは抜け切れていない部分もありますが、本当にいい加減切り替えないといけませんね。
ということで退院直後の回顧録です。

10月19日、退院した日は昼前に自宅に戻りました。昼飯は当時からはまりかけていた菓子パンです。もう、一時帰宅を6~7回繰り返していましたので「家に帰ってきた~!」という感動はさほどありませんでした。兎に角一時帰宅の延長のような帰宅でした

自宅ではLDKにテーブルとこたつ(夏は単に座るテーブル)をずっと使っていましたが、足の悪い私が下(地べた)に座れないということで、こたつは撤去です。こたつがテレビ前の特等席だったのですが、テレビを見られる座席を確保するために、娘が(安物ですが)二人掛けのソファーを買ってくれ、テレビの前に置きました。
これで、食事はテーブル・寛ぐのはTVの前のソファーという我が家の当面のレイアウトが決まりました。

午後、トイレと風呂場に手すりの工事が入りました。今まではトイレでも立ち上がるときプレッシャー(というか緊張感)があったのですが、この結果トイレに安心して入れるようになりました。
風呂場はとりあえずヘルパーが入れてくれるまで自粛です。ただ、4ヶ月ぶりの浴槽までもう僅かです!

翌日は、アポを取って会社に向かいます。カミさんに同行してもらい数ヶ月ぶりに電車に乗ります。
ルートは現在の通勤と同じ、赤羽までは宇都宮線のグリーン車、京浜東北で王子まで出て、王子から都電荒川線で会社近くの向原まで。向原から徒歩ですが、ここが一番の最寄り駅です。入院中、復帰に向けて一番リスクが少ないと考え抜いていたルートです。
正直、すべてにおいてドキドキものでした。初めてのエスカレーターに乗るのとか初めて階段を歩くとか… 兎に角、「転倒しないように!」というのを第一に、慎重行動を心掛けました。

何とか11時過ぎに会社到着、まずは総務と社長にご挨拶です。丁度給料日だったので有り難いことに10月の給料明細をいただき、復帰について相談します。
出社については産業医と面談し、産業医の判断で決めましょうと言うことになりました。たまたま産業医が金曜日当社に来ると言うことなので、金曜日もう一度会社に行くことにしました。

その後、4ヶ月ぶりに自分の机に行きました。4ヶ月ぶりのデスクは有り難いことにまだ席があります。入院していた人の話では、倒れたのを機会にリストラされた人や、運転手の仕事のように復帰したくても完全に直るまでは復帰出来ない人も多いようですが、席があるだけ本当に私は恵まれています。数ヶ月ぶりに自分の席に座り思わず涙が流れてきます。
机の上はそれなりに片付けされていましたがとても懐かしい風景です、私のデスク上の小物もしっかりありました。

その後、入院中に楽天で購入し会社宛に送っておいた快気祝いの菓子を持って各セクションを回ります。各部署の皆様にとりあえず何とかご挨拶を済ませて、今日の会社への挨拶回りは終了です。
「金曜日にまた来ます!&(恐らく)11月から徐々に復帰します。」4ヶ月ぶりの会社行きはとっても疲れましたが何とか無事に終わりました。帰りも同じルートを何とか帰ります。
何とか自宅に帰れた時には文字通りクタクタでした。

金曜日、再び会社ですが中1日であの怖い電車で往復する度胸もなく、娘に車で送迎のアルバイトを持ちかけたところ快諾してくれたので、車で池袋に向かいます。
久しぶりの首都高をドライブして池袋に向かいます。「いつかはこの道を運転出来るまで復活するぞぉ~!」と慣れた5号線の景色を見ながら決意を新たにしたのですが、同時に「本当に首都高まで運転出来るようになるのかなぁ?」という不安は、実は今でも心の底にあります。勿論「絶対に復活する」という決意は強いので、絶対に復活しますが!!

無事に池袋到着、全然渋滞しなかったのでアポイント時間より1時間以上早く着きましたので、車を駅前に駐車してリハビリを兼ねてビックカメラにプリンタのインクを買いに行きました。ビックカメラには上りのエスカレーターがあるので上りはいいのですが、下りにはエスカレーターがなく階段のみです。まだ階段には恐怖がつきまとう私でしたので恐ろしくなりましたが、エレベーターがあるのを思い出し、何とか事なきを得ました。この頃は兎に角行きも帰りもルートを確認しないと動くのがしんどいという状態でした。

産業医とは初面談でした。同情されながらも「右手はこれ以上回復しないと思う」と初対面ながら冷酷に宣告され、またしばらく落ち込む原因となりました。
11月から復帰することは何とか許可していただき、回数は週2回 時間は11時から4時の実労4時間(昼食1時間)ということで、このあたりは私の希望通りとなりました。
しかしながら、大きく私の希望と違ったのは「通勤」です。通勤ルートについては希望とは一致したものの、産業医の判断では「当面、家族同行の通勤」がマストということです。
私は個人的にも何とか自分一人で行けると思っていましたが医者の目にはそうは映らなかったようです。

実はカミさんの体調に不安を抱えている現在、週2回カミさんに会社まで同行してもらうことは、かなりカミさんの体力に負担を強いることになります。
恐らくカミさんの主治医に言ったら「とんでもない!」と拒絶されそうなので、この件はかなり強く抵抗しました。
「それでは、私はいつまでたっても通勤(=復帰)出来ません!」と激しく抵抗しましたが、主治医の意志も強く、ついに判断を変えるまでには至りませんでした。

結局、カミさんに負担をお願いすることにしましたが、とは言え私の働いている間には何とかカミさんを休ませることが必要です。
結局会社到着後業務終了までの5時間、近くのホテルのデイユースを手配し、カミさんは私の仕事中このホテルの部屋で寝てもらうことに決めました。往復の交通費・グリーン車代(勿論自腹!)を含めると1回1万円以上の負担ですが、やむを得なかったと思います。

翌週月曜日には日本橋の三越に快気祝いの購入に行きました。品物を送付依頼した後、一部の方の会社には直接お届けにいったり、私の前勤務先にも社長に快気祝いを持って行きました。

この日の行動は
自宅→三越前→浜松町→大崎→新橋→有楽町→自宅

疲れましたが都内を回って、少しずつ自信をつけて行きました。


倒れてから現在まで… その⑬ 退院 [回顧録]


今日は会社に行かない日です。妻が月1回の定期検診で病院に行ってしまいましたので、今日は私一人です。
なので時間はたっぷりありますが、仕事もしたいしITパスポートの勉強もしたいし、やりたいことはいっぱいあります。

とは言え、回顧録も早く書いてしまわないといつまでも中途半端だし… ということで今日も回顧録を書くこととします。


退院が決まってから退院までの3週間ほどは瞬く間に過ぎて行きました。
訓練の進捗状況はと言うと…

1,OT(手)
手は「回復が遅い」という言葉通り、相変わらず超スローペースの回復です。入院後一ヶ月ぐらいで右手は握る動きが出来るようになったのですが、期待した「開く動き」は全く出来ません。なお、実は開く動きはいまだに出来ず期待を裏切り続けています。
右肘は折れ曲がったまま固まっておりましたが、本当に少しずつ伸びるようにはなってきました。
ただ、リハビリは相変わらずマッサージが中心で、驚くような回復は残念ながら(今に至るまで)ありませんでした。

2,PT(歩行)
こちらはおかげさまで順調に回復しています。退院1ヶ月前ぐらいからの訓練は敷地外の1時間歩行が中心です。昨年の9月はまだ残暑が続いておりましたが、私にとっては残暑と云うよりようやく夏本番に突入した感じです。
毎日、汗ふきのタオルを首から下げ、ミネラルウォーターのペットボトルを持って訓練に行きます。歩行中は訓練士にペットボトルを持っていただき、2~3キロをひたすら歩きました。
熱中症になりそうになったこともありました。「2010年の夏は本当に暑い!」と、ようやくお見舞いの方とこの異常な年の暑さ体験を共有することが出来ました。
なお、最初は杖なしでは歩行出来なかったのですが、徐々に杖が不要になり、退院前にはすっかり杖なしで歩くことが出来るようになりました。
なお、近所に荒川河川敷のゴルフ場があり、散歩の途中にそのコースのグリーンの横を通ります。初めて通った時、一組が楽しそうにパッティングをしており、見ている私の目に思わず涙がこぼれました。「絶対に直してあっち側(グリーン側)に立ってやるぞ!」と固く誓ったものです。

3,ST(言葉)
発音も徐々に回復しているようです。こちらだけは、悪くなったときも自分ではあまり自覚症状がなかったのですが、周囲のみんな云わせると、「入院時よりかなり聞き取りやすくなった」のだそうです。
ただ、訓練士からは相変わらず「話し方が早い!もっとゆっくり!」と同じ指導をされ続けます。生来の癖はそう簡単に直らないようです。

退院後の訓練については、リハビリセンターでの継続も出来るし別の施設でもいいといわれました。上尾からも指扇からも本数があまり多くないバスしかアクセスのないセンターに自宅から通うのにはいささか抵抗感がありましたが、自宅近くには老人向け施設しかないと言う情報もありましたので、医療保険でリハビリが受けられるあと2ヶ月間はリハビリセンターに通うことで申し込みをしました。
通院してのリハビリはOTとPT(手と足)。ST(言葉)は一応卒業ということになりました。
STの若い女性訓練士との会話が一番楽しい時間だったのですが、退院した後の通院リハビリでは必ず別の訓練士が担当するそうで、であれば「卒業しよう」と諦めがつきました。

前にも書きましたが介護保険の認定もおり、ケアマネージャーと土日の一時帰宅中に面談しました。退院に向けてまずやることは、住宅の改修です。
一時帰宅中、おっかなびっくり使っていた自宅のトイレと、湯船に入れなかった風呂に手すりをつける改修です。17~8万かかりましたが、自己負担一割ですので即刻申込を行い、退院当日に工事をしていただきました。また、風呂場のギャップを改善するために特注の「すのこ」と大きな椅子を注文、こちらも介護保険の適用範囲内です。
ただ、「いきなり湯船に入るのは危険」というケアマネのアドバイスもあり、退院後1ヶ月は週2回の入浴ヘルパーを頼むことにしました。

と言うような準備をしながら、10月19日の退院の日を迎えることになります。

本当にこのリハビリセンターにはお世話になりました。麻痺の回復はともかく、それ以外の対応には本当に満足しています。(麻痺については、こればっかりは病院を責められない自分のせいでしょう!)

特に主治医のS先生には本当にお世話になりました!
前の2つの病院では医者の顔を覚えられないくらい医者が病室に来ることは稀でした。ところがこのリハビリセンターでは、土日以外は必ず朝または夜に主治医が病室に来てその日の調子を尋ねてくれます。毎日主治医と数分でもコミュニケーションが生まれますので、体調の相談など気軽に看護師にも主治医にも相談することが出来ます。

脳卒中で倒れて、血圧も安定せずに不安な日々を送りましたが、主治医のアドバイスが何より心強かったです。
S先生! 本当にありがとうございました!
とは言え、今でも月1回このS先生には見てもらっています。今週月曜日にも診察を受けました!

10月19日(火)いよいよ退院当日です。6月16日に倒れて4ヶ月、晴れて退院出来る日がついに訪れたのです!!

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