12.東北一周の旅<その2:山形県> [日本一周(一周目)]
12.東北一周の旅<その1:旅は米沢からスタート> [日本一周(一周目)]
11.(京都)・滋賀・愛知<その3:感動の瞬間&愛知県> [日本一周(一周目)]
11.(京都)・滋賀・愛知<その2:滋賀県> [日本一周(一周目)]
11.(京都)・滋賀・愛知<その1:京都~比叡山> [日本一周(一周目)]
日本一周というか47都道府県周遊も、残すところあと7府県になり、そろそろ一周目のゴールを自分なりに”決める”べく、フィニッシュを意識しなくてはいけません。残す7府県とは北東北の青森・秋田・岩手の3県と、今回の日本一周の旅では何度となく通ってはいるのですが、まだ”達成”とは位置付けていない、中部の愛知と、京阪神の滋賀・京都・大阪の7府県です。うち、北東北3県は今年の夏の勤務先(学校法人)の夏休みを利用して行くつもりなので、中部~京阪神の4府県を達成すれば見事日本一周の達成で、あと1回の旅で達成は十分可能なのですが、4府県の達成にはマイルールとしては最低でも4泊は必要であり、そんな長い旅はいくらGWと言えども行けそうにはありません。
そもそも昨年、会社を辞めて日本一周を昨年内に目指していた頃には、「11月の終わりに、『紅葉の京都』で、日本一周を完遂しよう!」と決めていました。思いのほか早く再就職が決まってしまい11月から再び勤務することになったので、2015年11月のフィニッシュは幻に終わっているのですが、紅葉の京都に行きたい気持ちは変わっておらず、”1年遅れの2016年11月のフィニッシュもいいなぁ~!”と思うようになりました。JR東海の有名な宣伝文句でいえば、「そうだ、京都、行こう」を今の気持ちで私流に言い直すと、「そうだ、京都で、終わろう。」と言ったところになるのでしょうか!?
ということで、今年晩秋にフィニッシュすることは決めたのですが、その旅で(休暇期間でもないのに)4泊以上するのはかなり辛そうです。ということで、京都と大阪は最後まで残しておくことにして、その前に滋賀と愛知だけは終わらせてしまおうと考え、比較的混雑が少ない(と勝手に信じている)GW前半のうちに済ませてしまおうと考えてプラン作りを始めました。
ところが、昨年6月にバージンロードを一緒に歩いた娘が嬉しいことに子供を授かり、ちょうどその頃が出産予定。私にとっては初孫になる男の子です。娘は”里帰り出産”で子供を産む気はないらしく、現在住んでいる千葉で産むつもりで、我々夫婦に頼ることは殆どないといういことで、「旅行、行って来たら? 産まれたら、ご祝儀持って見に来ればいいよ!」と言うので、正直行くかどうかについてはかなり悩みました。旦那も仕事が忙しいとは言いながら非常に協力的なので、何もしない(できない)のであれば、ただ漫然と我が家でモジモジしながら「まだか、まだか」と待っているより、旅行に出た方が精神衛生上もいいだろうということで、結局行くことにしました。妊娠がわかってからは、各地で散々、安産祈願をしてきましたが、「最後の安産祈願を、比叡山延暦寺で!」と無理矢理理由付けをして、自分で自分を納得させて旅立つことにしたのです。
1日目:4月28日(木)
ゴールデンウイークはこの翌日からですが、「一日前に旅立てば、混雑はしないだろう!?」という旅行会社勤務時代からのカンを信じて1日早く有給休暇を取り、出発を一日前にします。今回の旅はマイカーではなく、久しぶりの鉄道の旅にしました。GWの渋滞を恐れたというよりも、京都や名古屋などの大都会には、車で行くより公共交通機関利用がいいと考えた故です。
上野東京ラインが開通してからは、東京駅まで乗り換えなしで行けるようになり、本当に便利。その恩恵に充分に浴して快適に東京駅まで行き、東海道新幹線ホームへ。東海道新幹線には、3年前の3月に当時神戸に住んでいた娘を訪ねて行って以来丸3年振りです。
この日の天気は雨。1週間前の週間予報は曇りだったのですが、天気予報は徐々に悪化の途を辿り、数日前から”全国的に雨”予報に変わりました。でも、明日以降の天気予報は”回復”と出ているので、しっかりした傘を持たずに途中で傘を捨てて旅を続けられるようにと安物のビニール傘を持って、久し振りのN700系に乗り込みます。”晴天なら、富士山が見えるように”と満を持してE席を予約したのですが、この雨では富士山は見える筈もありません。この日も、相変わらず富士山には縁がない”日本一周”です。
”のぞみ”号を京都で降り、京都市内へ。この日の目的地は比叡山なのですが、京都と滋賀の県境に聳える比叡山を、滋賀からだけ単純に往復したのでは面白味がないので、元”鉄ちゃん”としては単にバスで比叡山に行くのではなく、今日は京都市内から鉄道とケーブルを使って比叡山に登り、明日の観光後は別のケーブルカーで琵琶湖を見ながら滋賀に降りるプランを考えていました。
まずは今朝6時過ぎに簡単な朝食を食べただけですっかり空腹だったので、まだ11時過ぎではありますが京都市内で昼食に向かいます。今日のランチのプランは天気に応じて2つのオプションを考えていました。晴れていて暑いくらいの気候ならば、有名店「いづう」で鯖ずしを食べる案。寒いぐらいの気温ならば、こちらも有名店「南禅寺順正」で名物の湯豆腐を食べるプランです。どちらも有名店で行列必至と書かれてはいますが、今日はまだ平日であることと、行列が出来る11時半前には行けるのではないかと気軽に考えていました。雨のこの日ですから、湯豆腐で温まるには程よい日でしたので、京都駅からタクシーで南禅寺まで直行します。たまたま個人タクシーのベテラン運転手さんだったので、早速11月に来るために紅葉の季節について情報収集します。運転手さん曰く、「11月最後の連休(23日がらみ)には、絶対に来ちゃダメ! 混雑で、全く身動きが取れないよ!」とのこと。「でも、12月なったら、紅葉には遅いのでは?」と聞くと、「紅葉の時期は毎年違うのである意味ギャンブル。」で、「いずれにせよ、タクシーを貸し切って観光するにせよ、よく研究してから来てください。」とのこと。夏の旅が終わったら、アドバイス通りにしっかりと勉強しようと思いました。
南禅寺順正は、名前だけは憶えていてその他の記憶は全くないのですが添乗員時代には何度か来たことがある懐かしい場所。入り口には仕切り役の人がいて、「何食べるの?」「湯どうふ」と言うと、待たずにすぐレストランに案内されます。湯豆腐のメニューも3千円を超えるので、「個室は無理でも、ちょっとは雰囲気のある和風の場所で食べられるのではないか?」と秘かに期待していたのですが、入り口はともかく店内は風情も何にもない普通の食堂でした。
湯豆腐は、勿論美味しく量もたっぷりあり、天ぷら等のその他の料理も美味でした。
(これ以外に、後で揚げたての天ぷらなども出ました)
昼食後、タクシーがつかまらないので腹ごなしを兼ねて平安神宮まで散歩。まだ雨は止んでいないけれど、間もなく止んでくれそうな雰囲気です。数十年振りに、懐かしの大鳥居を見て、よく添乗員として京都に来た仙台勤務時代(昭和の時代)を懐かしく思い出しました!
平安神宮に参拝したのって、いったいいつ以来でしょう? 否、もしかしたら、参拝するのははじめてだったのかも知れません。僅かなお賽銭でお願いしたのは、「2人(親子)とも無事で、元気な赤ちゃんが産まれますように!」。今回の旅では、全てこのお祈りでした。
今日の京都観光のメインは、はじめて訪れる「京都御所」。京都御所の見学は予約制なので、数か月前にネットで予約していたのです。この日、本当は比叡山行きの電車駅により近く、同じく事前予約制の「修学院離宮」に行ってみたくて、こちらを先に事前予約していたのですが、ここはかなりアップダウンなどが多そうなので、予約した後に階段の手すり等についてメールで聞いてみたところ、「足の悪い人には、あんまりお薦めできません。」的な返答を貰っていたので、足が悪くても影響が少なそうな京都御所に方針転換をしていました。余談ですが、京都御所も修学院離宮もその予約の窓口は昨年行った皇居と同じ宮内庁でした!
皇居の時よりはかなり少ない人数規模で、バス1台分(約40人)ぐらいの事前参加者を1名の案内人が先導するスタイルで見学が始まります。案内の方は、プロでないとは言えばその通りなのですが、悪い人ではないのでしょうが、正直”全く、聞き手の我々の聞きやすさということを考えてくれない。”ので、折角貴重な昔の話をしていただいているようなのですが、殆どの人が全く聞き取れていません。
最初のうちは、話を聞こうと必死にみんなついていこうとしていたのですが、そのうち皆も諦めて、それぞれが全く違う方向を見ていました。宮内庁さん、有料にしてもいいからちゃんと話せる人を雇うか、せめて「話し方」の研修をちゃんと受けた方をガイド役にしてほしいものです。折角日本の歴史に興味がある方相手の説明なのですから、それくらいはすべきではないでしょうか… と切に思います。
中には入れない中庭と、本殿のような場所を臨みます。ここで明治天皇などが実際に暮らしたのかと思うと、感無量です。
建礼門です。この名前からは、平家物語の悲劇のヒロイン建礼門院平徳子を思い出してしまいます。この京都御所が出来たのは南北朝統一後だそうですから、1400年の少し前ですから、建礼門院平徳子とは直接の関係はないようですが…
御所内部には風流な庭もありました。明治天皇も、眺めたのでしょうね…
雨がほぼ止んできていましたので、傘は御所の入口の傘立てにとりあえず置いてきたのですが、時折降ったり止んだりで忙しい天気でした。
後は、比叡山に乗り継ぎで行くだけと思ったので、結局この傘は御所に寄付してきました!
いよいよ、比叡山に向かいます。雨が止んだお陰か、すぐにタクシーがつかまり、叡山電車の始発駅である出町柳に向かいます。この叡山電車は、比叡山口と鞍馬に行くほか、三千院などの観光にも使えるローカル線です。大昔、私の高校時代は確か1両のローカル線だったなぁ… なんて昔の記憶を辿って懐かしんでいたら、Suicaは使えるようにはなっていたものの、今でもたった1両でした!
終点の八瀬比叡山口駅。写真等で見た駅舎の看板と変わっていました。昔のレトロ駅風に復元したのでしょうか?
この後比叡山に行くには、ケーブルカー⇒ロープウェイと乗り継がなくてはいけません。「この時間に行っても、もう比叡山延暦寺には行けませんよ!」と何回も注意されましたが、我々の今晩の宿は比叡山の上にあるので、そのままどんどん進みます。
ロープウェイの終点からはシャトルバスが出ていてホテルまで行けて、シャトルバスの接続も丁度良い筈だったのですが、ロープウェイで終点に着いてみると、シャトルバス乗り場までは「徒歩10分」の案内が… 普通の人なら次のバスまで十分間に合うだけの時間なのでしょうが、アップダウンの道ですから私の足ではかなり時間が掛かります。おまけにまたまた雨が降って来て、御所で傘と訣別したことを激しく後悔です。
結局、我々以外の数人はちゃんとバスに間に合ったようなのですが、我々だけ見事に乗り遅れて、次のバスまで待つこと30分。山頂の超寒くって雨がそぼ降る中、我々はブルブルと震えながら次のバスを待っていました。
ところが、次のバスはその頃からすぐ近くに停まっていて、運ちゃんは車内で暇そうに寝ているのです。我々が雨に濡れながらバス待っているのに、入れてくれたっていいじゃない?? と、思いますよね?? 京阪さん、風邪ひいたらどうするの??
本日の宿は星野リゾートの宿である「ロテルド比叡」。チェックイン直後、部屋にも入らずに5時から始まる「ワインテイスティング講座」に参加して、赤ワインのたしなみ方を教えていただきます。テイスティングした4つの赤ワイン、みんなは軽く口をつけた程度のようですが、酒飲みで貧乏性の私は、結局4杯全て飲み干してしまいました!
夕食時、赤ワインはさっき4杯も飲んだので、今度は白ワインをということで、先ほど講座をしてくれたソムリエに、つい奮発して”シャブリ”のボトルをオーダーしてしまいました。
フレンチのディナーはとても美味しく演出もGOOD! でも、このホテルの一番のウリである「フランスと近江との鮮烈出会い」では、近江名物の鮒ずしの匂いは消えることはなく、私的にはちょっといただけませんでした。それ以外の食事は全て美味だったのですが…
ショックだったことがもう一つ。このホテル、近江や琵琶湖を食材等に取り入れて大いにPRしていますが、実は住所が滋賀県ではなく「京都府」だったことを、チェックインして初めて知りました!「京都府には、5月に宮津にも泊まっているし… 2泊もしたんだから、もう達成じゃない?」と自問自答しましたが、まぁ厳密にルールを決めたわけでもなく自己満足の旅なのですから、京都は秋まで「未達」ということにして、「滋賀は明日、観光して&泊まって、それで達成と言うことにしよう!」と白ワインのほろ酔いの中で自分勝手に決めることにしました。
茨城梅紀行 [日本一周(一周目)]
10.南関東周遊(神奈川~千葉)の旅(その3:千葉県後篇) [日本一周(一周目)]
前回の投稿からほぼ一か月ブランクを作ってしまいました。これだけ投稿を怠ったのは、5年前にブログを始めてからはじめてのような気がします。このところ土日に何かしらの用事があり、土曜日の午後に疲れを取って日曜日の朝にパソコンに向かってポツポツとブログを打つ… というここ数年続いた土日のお決まりのパターンが出来なかったのが原因です。
ところで、1年前の今頃を振り返ってみると、1年前の3月には32年間務めた会社を辞めて、4月から晴れて憧れのニートになりました。昨年の4月1日には会社を辞めたことを実感するために皇居に行き、その後千鳥ヶ淵や靖国神社の桜を楽しんだものです。1年前のこの日のランチは靖国神社近くの飯田橋駅前の蕎麦屋でいただいたのですが、1年後の今その飯田橋で働いていることが何だかとても不思議な気分です。1年前のあの日、1年後の自分の姿なんて全く想像もしていなかったのですが、まさか飯田橋で学校職員として働いているなんて…
因みに昨年の4月の今頃は、まだハローワークでの失業手続きもできず健康保険証も届かないうちに、4月3日から紀伊半島一周の旅に出たことを思い出します。(投稿はこちらから)この紀伊半島の旅、今までに類を見ないほどの悪天候の旅で、「この日本一周、一体どうなっちゃうんだろう?」と暗雲立ち込めた旅でした。1年前の今日4月10日は、高野山を朝早く出て、雨の中満開の吉野の桜を見に行ったその日だったことを思い出しました。折角吉野の桜に合わせて日程を組んだのに… と、後醍醐天皇を恨んだ(??)ことを思い出しました
とりあえず、正月の旅紀行を書き上げてしまわなければなりません。GWには、また新たな旅に出るのですから…
3日目:1月5日(火)
昨晩の嫌な思い出をいつまでも引きずっていても仕方がないので、気を取り直して房総の旅を楽しむことにします。ホテルを出てまず向かったのは、房総半島の突端。まだ朝早かったので、お店などはまだみんな閉まっていて、駐車場も開いていないようなので、ロータリーのような場所に路駐している他の車に倣って(!?)ちょっとだけ車を停めさせて貰って、房総半島の突端を目指します。5分ほどの散歩で「房総半島最南端の碑」に辿り着きます。
房総半島には何度となく来てはいるのですが、ここ半島最南端到達は初めてです。この旅では、一体どのくらい”最○端”に辿り着くことが出来たのでしょうか? 日本一周完遂後にゆっくりと振り返ってみたいと考えています。
灯台は野島崎灯台。前日、前々日と灯台のふもとには縁のない旅ですが、今回もすぐ下まで行くことはしませんでした。
房総半島の向こう側はアメリカの筈ですが、勿論見える筈もありません。
でもちょっとだけ、久し振りにアメリカに行きたくなりました。
最南端からは外房を北上してゆくことにしますが、まずはちょっと内陸部に寄り道して、この日本一周の”棚田シリーズ”の一環として「大山千枚田」に向かいます。昨日行った、内房からちょっと内陸部に入った「をくずれ水仙郷」とはほんの目と鼻の先なので、「房総半島って、やっぱりそんなに広くはないなぁ…」と何となく実感します。
勿論、まだ棚田に水が張られている時期ではないので、棚田としてはシーズンオフではあります。この近辺には、都内在住の人たちが趣味で稲作を楽しんでいる人が多いそうで、以前友人から毎年秋になると、「今年のお米!」とプレゼントをいただいたことを思い出しました。この棚田にそういった人たちの田んぼがあるのかどうかは知りませんが、まだ1月のはじめなのにもうかなりの方が田んぼの周辺で動き始めていますので、「もう、春が始まるの?」という不思議な気分になります。この日も、前日同様の好天気なので、そんな錯覚をしてしまいそうです。
次に向かったのは安房小湊。小湊と言えば、日蓮上人の生誕の地であると言われる誕生寺で有名ですが、実は私にとっては33年振りの懐かしの地なのです。昭和58年(1983年)の6月、会社に入って初めての添乗員としてここ小湊の地に来たのですが、初めての添乗員として来たそのツアータイトルは、忘れもしない「東京ディズニーランドと島倉千代子ショー」。その年の4月にオープンした東京ディズニーランドと新宿コマ劇場でのショーがメインの仙台発の2泊3日の旅でしたが、バス5台約200名の参加者はディズニーランドには似つかわしくないご年配層の方々で、ここ小湊での大宴会も懐かしい想い出です。
ここ小湊では誕生寺に行くだけのつもりだったのですが、小湊に近づくにつれて「鯛の浦」という看板が増えてきます。「何だろう?」と思いながら小湊に入り、駐車場に車を停めて、「鯛の浦」の看板に操られるかのように近づいてみると、”鯛の浦”のその名の通り天然の鯛が泳いでいる不思議な場所への遊覧船なのだそうです。今回の旅では横須賀の軍港クルーズ以外に遊覧船に乗る気はなかったのですが、「次の船は間もなく出航しますよ~!」というセールストークに釣られて、ついつい乗船券を購入してしまいます。
この船、乗船時間は短かったのですが、それなりに楽しい遊覧船でした。船は外洋には行かず、港近くの景色をさまざまに眺めさせてくれます。
メインの鯛ですが、鯛の大群が見える場所に着くと案内と共にほぼ満員の乗客は全員下のキャビンから海中を眺めるのですが、外の景色を楽しみ下に降り遅れた私は、混雑と階段の関係で下のキャビンから生きた鯛を眺めることは出来なかったのですが、上から眺めるだけでも鯛がたくさんいてピチピチと泳いでいるのがわかります。
船に乗って私が一番よかった!と感動したのは、極めて個人的ですが船から間近に見えた「ホテル三日月」。そうです、33年前の初めての添乗員の時に大宴会をしたのがあのホテルなのです! 懐かしぃ~!!
その後、誕生寺にも行きましたが、仏教にも日蓮にも特別に興味のない我々は、とりあえず”初詣”として参拝します。33年前には勿論訪ねている筈なのですが、正直記憶は全くありませんでした。
この日の昼食は勝浦。勝浦と言えば最近有名なB級グルメ「勝浦タンタンメン」を食べたいところですが、タンタンメンがあんまり好きではなさそうな妻も満足する場所はないかしら?と探していたところ、勝浦市郊外に”勝浦タンタンメンを出すイタリアン”のお店を発見していたので、迷わずナビをセットします。
海に面した抜群のロケーションのお店で、私はタンタンメンで妻はパスタをオーダー。
勝浦タンタンメンの味を1軒のお店だけで論じることは避けますが、辛いもの好きの私を満足させる十分な辛さでしたので、次来る時にはタンタンメンの専門店で改めて食べてみたいと思いました。
午後は九十九里浜に沿ってずっとドライブ。「この、九十九里の凄く長い海岸線を感じられるスポットはないかしらん?」と走りながらずっと考えていましたが、とりあえず九十九里を代表する国民宿舎として名高い「サンライズ九十九里」の近くに「九十九里ビーチタワー」という施設があるようなので向かってみます。
九十九里海岸はシーズンオフらしく誰もいない感じで、ビーチタワー近くに有料駐車場の看板はたくさんあるものの駐車場には管理人も料金箱も何もありません。とりあえず車を停めてビーチタワーらしきものに向かってみますが、入り口には低い柵があり、一応「入るな!」と言いたそうな森田健作(知事)の意志が感じられます。とは言え、少ない人たちはその低い柵を乗り越えて海岸に出ていますので、足が悪い私でもようやく何とか乗り越えられる程度の柵なので、乗り越えて夏は海水浴場になりそうな砂浜に向かいます。
砂浜では子連れファミリーが凧揚げをしていたり散歩したりしています。
ビーチタワーには今度は見事に「入るな!」的な柵がされています。上に上がって、「九十九里は広い!」と感じたかったのですが、オフシーズンにはそれすらも叶わないようです。
九十九里の海岸線、「日本とは思えないくらい、長いんだぞぉ~!」という写真を撮りたいと思っていましたが、どうも無理なようですね。
本日の目的地は銚子。千葉県最北端の港町で、坂東太郎利根川が太平洋にそそぐ地でもあります。銚子では、まず最初にお土産を調達することにします。銚子のお土産と言えば、超ローカル線の銚子電鉄が経営再建のために売り出して一躍有名になった”ぬれせんべい”なので、まずは地図で気になった「ぬれ煎餅駅」に向かってみます。
前回、銚子に来たのは2012年の3月。(投稿はこちら)あの時は列車の旅だったのでお土産を持って帰れない私は、泣く泣くぬれ煎餅を買わずに帰って来たので、今回は職場や近所にぬれ煎餅を配って、僅かながら電鉄の売り上げに貢献しようと考えた次第です。
しっかりとお土産を仕入れた後に、店員さんに素朴な疑問をぶつけてみました。
「ところで、ここも銚子市内とは言え、銚子電鉄の沿線からはかなり遠いのに、なんでここが”ぬれ煎餅駅”なのですか?」
「煎餅工場が、このすぐ近くなんですよ…」
鉄ちゃんの興味とは違った大人の事情があったようでした。
今日の宿に入る前に、4年振りに犬吠埼灯台に向かってみます。灯台に登ってみようかとも考えたのですが、時間はもう4時を過ぎていて入場券売り場の方々は帰り支度を始めていました。この旅最後の灯台で、ようやく灯台の真下に立つことが出来たは出来たのですが…
この日の泊りは犬吠埼にすぐ近い犬吠埼温泉。豪華な船盛がウリの宿でしたが、確かに船盛は食べられないぐらいの凄いボリューム。
魚の種類の豊富さだけでいえば昨晩の方が上なのかも知れませんが、ここの夕食は部屋で食べられるので、それだけでもう大満足でした。
4日目:1月6日(水)
お正月休みもこの日が最終日なので、今日中には埼玉に戻って明日からの出社に備えなくてはなりません。とは言え今日の午前中はまだまだ千葉県を満喫したいと思い、まず向かったのは「銚子ポートタワー」。まだ朝早いので殆ど誰もいないタワーに登り、太平洋及び利根川の河口を眺めます。この日はあんまり天気は良くないようでしたが、あちらに臨める工業地帯は鹿島臨海工業地帯でしょうか?
利根川は本当に雄大で、まさに”関東地方を代表する河川”ですね。
その後、本日の晩御飯を隣の市場”ウオッセ21”で仕入れ、銚子の町を後にします。今回はぬれ煎餅は買ったものの銚子電鉄には乗れませんでしたが、新たな「電鉄おこし」では今度は駅名の命名権を販売してまたまた話題になりましたので、。今度はもう一度駅名を楽しみながら、のんびりと旅してみたいと思いました。
次の観光は”水郷”佐原。今は香取市となったので佐原の名前は駅名などにしか残っていないのですが、私的には友人の何人かが佐原高校出身ということもあり、香取より佐原の方が圧倒的に親近感はあるのですが、とは言いながらこの街に来るのは実は初めてだったりします。
近年関東の水郷として有名になったので、有料駐車場にて駐車料と引き換えに観光地図を受け取り、川沿いの散策をします。
この日本一周でこのような川沿いの町にはいくつか行きましたが、残念ながらシーズンオフの1月の平日なので、風情がない時期と言えばまさにその通りだろうと思われます。
これが春以降ならばもう少しは風情が楽しめそうなのですが…
川には遊覧船もあるようですが、乗り場は階段が急で手すりもなく、リスクを冒してまでも乗りたいという気にはなれません。
佐原出身の有名人と言えば伊能忠敬。記念館もあるようですが、何となく入る気にはなれず、代わりにお正月らしくお汁粉を食べて満足をすることにしました。
この旅の最後は初詣。本当は香取神宮に行ってから成田山に行こうと思っていたのですが、香取神宮に行く道は途中からすごい渋滞です。これらの車が、みんな「香取神宮の駐車場待ち」ということを周囲の人たちから聞き、これは両方行くのはどうも無理らしいと考え、香取神宮は諦めて今回の旅のフィナーレに決めていた成田山に向かうことにしました。
香取神宮の渋滞で成田山の渋滞は覚悟したのですが… 予想通り、成田市内に入ってからは俄かに車が動かなくなります。とは言え、今年千葉県で出産予定の娘の安産祈願のためにも、成田山だけにはどうしても参拝しなければと思い、辛抱強く駐車場が空くのを待ちます。
ようやくやや遠い民間駐車場に空きを見つけて、成田山まで歩きます。ここ成田山には、昭和の時代には数えきれないほど来ています。当時、仙台から貸切バスで成田空港まで来てそこから海外旅行に行くのが常だったのですが、年齢層の高い団体の多くは、少し(2時間程度)早めに宮城県を出て、成田山で旅の無事を祈願してから海外旅行に旅立つのが定番だったのです。なので、昭和の時代には毎年5回以上は来ていて、平成になって私が仙台を離れてからは一度も来ていない成田山は、27年振りでしょうか?
成田山の基本的なところは、27年ぐらいですから変わっている筈もありません。しっかり初詣して、勿論真っ先に娘の安産を祈願して安産のお守りを購入します。
成田と言えば鰻が有名で、この日のランチ=この旅最後の食事は成田山参道での鰻と早くから決めていたのですが、1時を過ぎたのに参道のうなぎ屋さんの各店の混雑振りは凄く、待ち時間を聞いても、「1時間半から2時間待ち」なのだそうです。この時既に1時半を回っていたので、2時間待つとお昼ご飯にありつけるのが3時半を過ぎてしまいます。
ということで、泣く泣く成田の鰻を諦め、裏道を通って駐車場に戻りますが、裏道にひっそりとあるごく普通の食堂でとりあえず空腹を満たそうと入りますが、メニューを見るとそのお店にも一応”うなぎ”はあるようなので、体中が鰻モードになっていた妻のためにうな丼を注文してみます。(そこまで鰻好きではない私は、無難なカツ丼にしてみました。)
店を出た後、妻はひとこと、「あぁ~、不味かった!」。やっぱり、いくら鰻が名物の成田とは言え、うなぎ屋さんではない食堂でうなぎを食べるのは×ということが教訓ですね。随分と高い授業料でしたが…
全ての観光を終え、成田を出て自宅までドライブです。成田からは圏央道に乗れば4日前に旅をスタートした白岡菖蒲ICまで1時間以内で行ける筈なのですが、途中のつくば~境の間の茨城県内区間がまだ未開通ですが、今回圏央道を全て通ってみたくてこのルートで帰ることにしました。
圏央道、茨城県部分は片側1車線であることが判明して、ちょっとがっかりさせられましたが、今年中に全通すると本当に成田まであっという間に来られることになり、楽しみがまた増えました。
日本一周も、これで関東も全て終わり、残すは北東北と関西エリアだけになり、ゴールがはっきりと見えてきました!