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12.東北一周の旅<その2:山形県> [日本一周(一周目)]


2日目:8月8日(月)

この日は、山形県内を観光して、日本海沿いの名湯あつみ温泉に宿泊する予定です。昨年10月に行った「南東北紅葉紀行」の二日目の日程と結果的に酷似した日程になってしまったのですが、昨年見られなかった出羽三山をどうしても見たいということもあり、あえて近くでも昨年行けなかったみどころを訪ねることにしました。

この日最初の訪問地は蔵王の御釜。蔵王には昨年も行き、ロープウェイでの展望を楽しんだのですが、昨年は時間の都合で断念したさらに奥で宮城県との県境にある御釜を、28年以上振り(平成になってからははじめて)制覇しようと勇んで朝早くから車を走らせました。

この日の天気も快晴で、今日も気温がムチャ上がるらしく、ラジオでは朝から熱中症の注意を繰り返しています。空を見上げると、文字通り雲一つない絶好の天気です。
米沢から1時間強を過ぎ、順調に蔵王の山頂に向かって快適につづら折りの道をドライブします。ところがナビが「あと5分」とゴールが近いことを告知した頃から、突然ガスが発生してきて視界が遮られます。昨年以来日本一周の旅で何度も味わった「山の上で、全く視界が利かない状況に突入!」の見事なほどの再現です。
とりあえず 駐車場に車を停めて、刈田岳の頂上まで散策しますが、頂上で霧が晴れる筈もなく、周囲は見事に真っ白です。
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御釜が見えるはずの展望スポットまで戻り、「私の記憶では、あの辺に御釜が見えるはず!」と記憶がもっと不確からしい妻に説明しますが、私の記憶も昭和時代の記憶なので迫力はありません。
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晴れるまで待つ余裕も元気もなく、全く予想外のことに落胆は隠しようがありませんでしたが、「全部叶ったら、次に来る理由がなくなっちゃうよね?」と二周目以降に向けて前向きに考えることとしました。
でもやっぱり、山を降り始めた5分後には、ガスはすっかり晴れて、朝同様の雲一つない天気の山形でした!やっぱり、悔し~い?

次は山形市内にある山形県内各地のお土産がまとめて揃うスポットの「ぐっと山形」。ここで、今日午後にノーアポで訪ねる予定の友人の職場と、次の岩手で会う予定の二人へのお土産を仕入れます。このぐっと山形、ここでかなりの山形県内の名物が揃うので、非常に便利です。「他の県にも、こんな施設があればいいのになぁ~?」と思ってしまいます。
山形名物の玉こんにゃくなども食べましたが、久しぶりに美味でした。

次は高速道路で出羽三山にはまっすぐ向かわずに、山形県内の一般道を少しだけドライブしながら庄内地方を目指します。寄り道の目的地は、この旅では棚田としては唯一の見学となる二つの棚田。最初に山辺町の大蕨の棚田を見学して、次に朝日町の椹平(けやきだいら)の棚田を見るコースが、観光地があまり多いとは言えない山形県中部地区をドライブするには丁度良いと考えていたのです。
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(大蕨の棚田) 
二つの棚田共、全国に名を馳せたような有名な棚田でもありませんし、「やっぱり棚田を見るベストタイミングは、まだ稲が十分に生育していない5~6月に限るなぁ~!」と改めて感じました。
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 (椹平の棚田)
棚田の見学を終えていなか道を走っていたら、「最上川ビュースポット」という看板が現れたので、車を停めてみます。十分にしたはずの下調べには全く引っ掛からなかったのですが、こういうサプライズがあるので、やっぱり一般道のドライブはやめられませんね!
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国道に戻ってお昼を食べます。前回もではありますが、山形と言えば何と言ってもそばという個人的な思い入れが強いため、この日の昼食はそばと決めていて、ネットでも評価が高いそば屋さんに決めていました。
1時少し前なのに駐車場にはまだ車がたくさんあり、ちょっとだけ嫌な予感がします。案の定、入口には「本日そば売り切れ。うどんならあります。」の貼り紙が。
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空腹で今から別の店を探す余裕もなかったので、うどんで我慢することにしますが、やっぱり悔しいので店員さんに聞いてみます。
「このお店、いつもこんなに早くお蕎麦売り切れちゃうの? さすが人気店!」「そんなこんなありません。実は今日、そば打ちの職人さんが急遽腰痛で帰ってしまったんです!」とのこと。
まぁ、うどんも悪くはなかったですが…
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いよいよ本日のメインである出羽三山。出羽三山といっても月山、湯殿山、羽黒山と3つの山と神社があり、全部行ける余裕はありません。その場合、出羽三山の代表として多くの方が選ぶのは羽黒山。一番庄内地方に近く、冬でも参拝しやすいということもありますが、観光的には何と言っても五重塔の存在です。
とは言え、羽黒山五重塔へは階段を使わないと行けないようで、写真を見る限り手すり等は全く無さそうです。事前に観光協会に階段の勾配などの状況について質問のメールを打っていたのですが、資料は送ってくれたものの明快な返事はありませんでした。
 
とりあえず近くの「いでは文化資料館」に入館し、日本中の五重塔(改めて見ると、まだ我々が未訪の五重塔がこんなにたくさんあることに、改めて気付きました!)と出羽三山の資料を見ながら、係員さんに階段について聞いてみます。「上まで階段で登ろうなんて恐れ多いことは考えていませんが、せめて五重塔までの往復なら私でも大丈夫ですよね?」という私の問いに、係員さんはかなり困ったような顔をしています。その顔色から伺うと、「あんたには、無理じゃない?」という顔です。とは言え、ここまで来て出羽三山の最大の目的である五重塔を諦める訳にはいかないため、「とりあえず行けるところまで行ってみよう!」ということで登山口に向かいます。
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私にとってラッキーだったのは、五重塔までの階段の大半下りだったこと。手すりのない階段では、登りより下りがとにかく苦手なのです。昇るのは何とかなっても、その階段を下ることを考えると、昇るのが怖くなり、「止めよう!」と引き返すことが多いのですが、今回は下ることさえ出来れば帰りは登りなので何とかなりそうな感じです。
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とは言え、私にはそれなりに辛い下りでしたが、五重塔というモチベーションがはっきりしていたことと多くの階段はそう急でもなかったので、何とか五重塔までたどり着くことができました。
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登りが先だったら、恐らく諦めていたでしょう。幸運に感謝です。
帰りは登りなのでさほど苦労せずに、駐車場まで戻ることができました。

その後、車で羽黒山上の神社を目指します。元気ならば、五重塔からそのまま上に登る参拝道があるのですが、今の私には五重塔ですらやっとなので、これ以上を望むべくはありません。

山頂の神社で参拝をして、コレクションである交通安全のお札を仕入れます。
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羽黒山の参拝を終えた後は、酒田と鶴岡の真ん中付近にある友人の職場をノーアポで訪ねますが、本日友人は休みとのこと。この友人とはそんなに久し振りではなく、昨年仙台で酒を酌み交わしているので、「どうしても久し振りに会いたい」という訳ではないのですが、「明日は出勤します」とのことなので、折角土産まで持って庄内まできたのですから、明日もう一度訪ねて見ることにします。

今晩の宿はあつみ温泉。10月の湯野浜温泉に続いての庄内の名湯への宿泊ですが、ここあつみ温泉と言えば昔から二つの名旅館がその覇を競っていることで業界的には有名です。
今回、そのうちの一つに宿泊したのですが、感想は「??」。
翌日、プロの友人に聞くと、「最近は、もう一つの方が評判がいい!」とのこと。
業界を卒業して1年以上経っている私、最新情報にはやっぱり疎かったようです。

3日目:8月9日(火)

庄内の二都市である酒田と鶴岡。病気後初の旅行(記事はこちら)の時には妻の要望もあり酒田を訪ね、昨年紅葉で来た際(記事はこちら)には、酒田を再訪して鶴岡にも…と目論んでいたのですが、鶴岡では話題のクラゲの水族館である「加茂水族館」に行ってしまったため結果的には未だ未訪である「鶴岡市内」も、出羽三山と並んで今回どうしても行きたかった場所でした。

まず最初に訪ねたのは、クリスチャンの妻のために「鶴岡カトリック教会」。ここの「黒いマリア像」が有名とのことで、クリスチャンならば一度は行ってみたい教会なのだとか。
平日の午前中なので誰もいない…と思いきや、教会にはパイプオルガンの調べが流れています。入場自由なのでひっそりと入り上を覗くと、どうもパイプオルガンの練習をされているようです。お祈りをする妻の良いBGMになりました。
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黒いマリア像は、やはりその名の通り黒くてなにやら由緒ありげな佇まいでした。
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それよりも妻は、教会のプリントに同じ信者の友人の名前を見つけたことが嬉しいようで、このクラシカルな教会で毎週お祈りをしている友人がとても羨ましそうでした。

鶴岡市内の観光地の代表と言えば、「致道博物館」。仙台の旅行会社に勤務していた時代、何度も日程表にその名前を書き込んだ鶴岡を代表する観光地です。「何度もお客様に勧めておきながら、自分では行ったことがない。」という私の(旅行会社社員の)いつものパターンだったので、当時のお客様の顔を思い出しながら、贖罪の意味も込めた訪問です。
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致道博物館は、明治村のようにこの近くの歴史的建造物を移設して展示しています。しかし、建造物はともかく内部に展示している展示物は、器の歴史的建造物とは全く関係がないようです。つまり、外側の建造物を見る屋外博物館と、例えば日本刀の博物館などの小さないろいろの博物館が少しずつ観られる二つのみどころがあるのです。昔、この事を正しく知っていたらお客様に良いこともそうでないことももっと的確にご案内出来たのに…と改めて昭和の時代の自分を反省してしまいました。
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鶴岡を後にして、昨日会えなかった友人の職場に再び向かいます。友人の職場は郊外のイオンモールにある旅行会社のカウンター。平日の午前中なので、カウンターにはお客様の姿はなく、30分以上カウンターに座りこんでよもやま話をさせて貰いました。
他のスタッフのクレームがでても仕方ない状況でしたが、お土産のお菓子のお陰もあり、図々しく居座ってしまいました。

もうお昼の時間になり、すっかり予定より遅くなってしまいましたが、今日のお昼は天童まで戻ってうなぎを食べる予定です。ただ、昨日そばを食べられなかったこともあり、そばに変更する手もあったのですが、妻のご希望は「遅くなってもうなぎ」とのことなので、イオンモールでランチタイムなのにたこ焼きで腹ごしらえをして、庄内地方を後にします。
うなぎは別に天童の名物ではなく、お店が私の綿密な調査に引っ掛かったので選択したのですが、老舗のうなぎ店らしく我々の注文後にうなぎをさばき始めるといううなぎ好きには堪らないお店だったので、結局我々がうなぎを食べ終わったのは、3時近くになってしまいました。
「空腹は最高のソース」なので、個人的には意外と安いうなぎに満足だったのですが、妻にはうなぎそのものはともかくたれがご満足いただけなかったようです。

この日午後はいくつかの観光プランを考えていたのですが、もう3時も回っているので、時間がかかる観光地には行けそうにありません。個人的には山寺に久し振りに行きたい気持ちが強かったのですが、山寺の階段には手すりがないことは判っていたのと、妻に「昔山寺には何度も行っているので、反対!」と言われ、山寺は諦めることに。28年振りの今日の宿にも早めにチェックインしたいこともあり、天童にあるという「ひまわり迷路」をちょっとだけ見て、今日の宿に向かうことにしたのですが、その季節限定の観光地であるひまわり迷路が見つかりません。ナビやガイドブック情報によると間違いなくこの目印のあたりなのですが、周辺をくまなく走ってもひまわりどころか看板も見当たりません。人に尋ねるにも車通りはあるものの人も歩いておらず… 結局、諦めて宿に向かうことにしました。

宿に向かう途中にどうしても行きたかった場所である山刀伐(なたぎり)峠に寄り道です。昔、観光バスでこの辺を通ると、バスガイドさんが決まって奥の細道最大の難所であったというこの山刀伐峠の話をしたのが、未だに強く印象に残っているが故です。とは言え、本当の峠道に沿うルートは、バスがいつも通るメイン国道ではなく、もう少しマイナーな道路で、その雰囲気に近くなったので、「芭蕉の気持ちになって一句捻ろうか?」などと考えながらハンドルを握っていたら、突然「峠入口」の看板が現れます。

元気な頃ならそのまま旧道を散策していたのかも知れませんが、今の私には散歩をする元気もなく、ちょっとだけ芭蕉を偲んだだけにします。
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今晩の宿は赤倉温泉。実は、この日の宿には懐かしい思い出と、その後どうなっているかを知りたいという自分の強い思いがあり、早くから事情等を何もいわずに電話予約をしていたのです。

昭和60年なので私が結婚する年の4月、この旅館の社長夫妻を団長とするこの付近の方々の中国旅行の添乗員として、10日間を越える長い旅行にご一緒しています。
当時の中国はまだ解放前で、日程もホテルも現地に行ってみないとわからないという社会主義国特有のシステムで、まだまだ解放されていない場所も多く残る中での10名の珍道中でした。私も初めての中国旅行でしたし、日程もホテルもわからないので添乗員として役に立つのか?という状況の中でしたが、ここの社長のお陰で何とか無事に帰って来ることができたのです。
その数年後の平成元年、社長から「あのメンバーで今度はカナダに行くから、プラン作って説明においで!」という嬉しい電話をいただいたので、折角なので説明に行くとき、家族を連れてそのまま温泉旅行にしよう! と今考えるとかなりの公私混同で今なら間違いなくコンプライアンスに引っかかりそうな温泉旅行として、この宿に妻と子供二人(下の子はまだ0歳)を連れて来たのです。(勿論、宿泊費はちゃんと自腹で払いましたよ!)
ところが、説明会も無事に終わり家族旅行モードに切り替わった夕食後に、今まで一度も熱を出したことがなかった下の子が突然40度以上の高熱を出し、旅館の方々に病院に連れていっていただくなど、ドタバタの大騒ぎに。思い出深い温泉旅行になったのです。

その翌月に私が横浜に転勤を告げられ、社長には電話で転勤のご挨拶をするだけになってしまい、カナダ旅行も後任者に引き継ぎました。後日、「カナダ旅行は、無事行ったよ。」という話は後任に聞いたものの、ちゃんとご挨拶が出来なかったことに何となくずっと引っ掛かった気持ちを持ち続けていたのです。

勿論、そんな気持ちは私の独りよがりの気持ちであることには間違いはありません。当時70歳ぐらいだった社長がご存命ならば、100歳は越えているはずで、今更行っても会える確率は限りなくゼロに近いことは十分に判っているつもりなのですが、自分的には「どうしても、けじめとして一度は行っておきたい!」という心境だったのです。

奥の細道の地ですから、宮城県県境に近い山形県でも一番奥にあるひなびた温泉なので、温泉の風景は昭和の時代と一つも変わっていないようで、旅館の面影も昭和のあの時のまんまのようです。
チェックインが終わり、部屋に案内されるタイミングで、「実は私、昭和60年に先代ご夫妻と中国にご一緒した添乗員です。」と名乗ってみました。経営者らしい女性はやはり先代社長夫妻の娘さんらしく、女性はご夫妻が中国とカナダに行かれたことはよく覚えていらっしゃいました。ご夫妻のその後についてお伺いしたところ、社長は平成元年のカナダ旅行から帰ってきてすぐに体調を崩され、まもなくご逝去されたとのことでした。奥様はその後もかなり長生きされ、震災の年までお元気だったとか…
無理をお願いしてお二人の写真にご挨拶させていただくことができ、勝手ながら28年間の肩の荷を下ろせたような気持ちになりました。
来るのがちょっと遅れたものの、「来て良かった!」と心の底から思えた山形県最後の夜でした。

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12.東北一周の旅<その1:旅は米沢からスタート> [日本一周(一周目)]


夏休みのお盆期間中に、東北地方一周の旅を楽しみました。
「まだ入社してから1年経っていないのに、何でそんなに休みがあるんだ?」と疑問に思われる方も多いとは思いますが、私の今の勤務先は学校法人なので、学生ほどではないのですが、職員にも夏休みがあります。今年の夏休みは8月10日~20日の間で、この期間中は新入社員といえども職員は全員休みになりますので、ありがたいことに有給を使わずとも10日以上の旅に出ることが可能なのです。私は、新人とは言えども年だけは取っている長老でもあるので、図々しく夏休みの2日前から有給を取り、結局8月7日(日)~21日(日)の15日間、昨年のニート時代と同じくらいの長い長い旅を実現できたのです。

この旅のプランニングには、年明け早々の房総の旅を終えてすぐに取り掛かりました。当初は、休暇前後に年休が取れるかどうかの状況も全く不明だったため、夏休み期間である10日間に絞ってプランニングを開始しました。8月の東北地方と言えば、東北三大祭りの時期で、個人的にはまだ見たことがない青森のねぶた祭りを見るのが悲願でもあったのですが、微妙に時期がずれているので、今回は断念することにしました。
ニート時代よりはほんの少しだけ予算に余裕ができたこともあり、ニート時代のビジネスホテル中心のケチケチ宿泊⇒安い温泉旅館や公共の宿などを中心としたプランに変え、2月頃から予約を少しづつ始めました。この頃、人気の秋田県の乳頭温泉の国民休暇村のサイトを見ていると、「宿泊予約は6ヶ月前から」の表記があり、この見ていた日が正しくちょうど6ヶ月前のその日だったことに気が付いたので、計画性もなにもなく衝動的にその場で電話してしまい、呆気ないくらい簡単に予約が取れてしまったなんてこともありました。

その後、日程を何度も何度も組み換え、その都度宿泊予約も取り直しをします。毎回、電話などで予約を変更していたとしたら、絶対に名前を覚えられて間違いなくブラックリストに載っていたのだろうと思いますが、幸いほとんどがネット予約ですからその心配もなく、ある意味「実際の旅行よりも楽しいプランニングの時間」を、半年以上に渡って満喫することができました。こうなると本番の旅は、自分の「練りに練った」プランを確認しに行くだけ(?)の時間となりますが、それはそれでまた楽しいものなのです。

今回のプランは、日本一周でまだ「達成」できていない北東北三県(青森、秋田、岩手)中心の予定でしたが、6月後半頃にようやく仕事のペースも少しずつ掴めて来て、夏休みの前に少しばかり有給休暇を足すことができそうになったので、出発を3日早めて全行程15日の旅にして、北東北三県に前回(昨年10月後半)ゆっくりとは見られなかった山形県と、震災後じっくりと見ることが悲願でもあった三陸縦断を加えた東北一周に変更することにしました。

岩手県三陸の野田村は、私が大学生時代4年間の夏休みを過ごした思い出の地ですし、その後就職して6年間は宮城県で過ごしているので、東北には思い出の場所もたくさんあり、すっかりご無沙汰してしまっている知人もいますので、今回の旅のテーマは、「昔懐かしい地や人を訪ねる旅」にすることにしました。
懐かしい地には、観光地であってもなくとも積極的に訪問して当時を懐かしみたいと考えます。懐かしい知人には、アポイントを取って会いに行く人に加えて自宅住所を知っている人(=年賀状だけのやり取りはある人)には、アポを取らずにとりあえずノーアポで行くだけ行ってみることにしました。結果的に会えなければ会えないで仕方がないと考えることにしました。
これから、忘れないうちに少しずつ投稿をしていこうと思います。

今回の出発は、1日準備に余裕を持たせた日曜日にしました。普段であれば休みを1日でも無駄にしたくないので、休暇に突入した土曜日に即旅立つのですが、こじつけた理由はいくつかあります。
・土曜の朝の高速道路の混雑が嫌だった
・長旅なので、土曜日のリハビリを受けてから出発したかった。
等で、リオ五輪の開会式が見たかったからでは決してありません。(オリンピックに興味がないわけでは決してありませんが、自分の中のプライオリティでは、圧倒的に旅行が最優先です。)同じ15日間の旅でも、(日)~(日)の旅行で翌日月曜日からいきなり出勤よりも、(土)~(土)の旅として、翌日曜日はゆっくりと休息して月曜以降に備える方が間違いなくベターではあるのですが、これだけ長期に渡る日程だと、予約を動かすのはさすがに無理そうだし、折角確保したホテルを諦める勇気もありません。

という事で、出発前日の土曜日はいつも通りにリハビリを受けた後には、特に何もせずだらだらと過ごし、「こんなことならば、今日の午後からでも出発するプランにしておけばよかった…!?」とも思いましたが、後の祭りでした。
時間に余裕があるので、何度も忘れ物をチェックしたのですが、にもかかわらず一つ忘れ物をしてしまいました。やはり、準備時間と忘れ物についてはあまり関係がないようですね!?

1日目:8月7日(日)

初日の目的地は山形県の米沢市。昨年10月に米沢を素通りした時、山形県内に母方の実家がある妻が、「実は米沢には行ったことがない。」ということを30年以上一緒にいるのに初めて知ったための訪問です。米沢市近辺には、温泉地が数多くあるのですが、翌日以降温泉が続くのと、米沢といえば「どうしても米沢牛を食べたい!」という私のわがままを叶えるため、米沢市内の東横インを予約しています。

という事で、この日のスケジュールはかなり余裕があるので、家を早く出る必要は全くないのですが、年寄りの習性というか出発準備は早々に済んでしまい、「じゃあ、行こうか?」といつも通り8時には愛車をスタートさせます。
10ヶ月振りの東北道も、交通量は多いものの渋滞するほどではなく、順調に福島飯坂インターを降りて、山形県に向かう国道13号線で米沢を目指します。この道路、明治天皇により「萬世大路」と命名された道なのだとか。でも、前後の車も結構ビュンビュンスピードを出しており、私もつられるようにスピードアップしてしまったため、明治天皇が味わった景色を楽しむ余裕はありません。おまけに、至るところで工事をしています。どうも、この13号線に沿った高速を建設中のようです。

米沢到着はお昼前。この旅最初のランチは、米沢のもう一つの名物でもある米沢ラーメンに決めていました。とは言え、今日出発日は8月7日で、誰が考えても意外と夏は暑い山形県では予想通りの猛暑日です。いくらエアコンの効いた車に乗りっぱなしの我々とは言え、さすがに熱いラーメンはどうなんだろう? と、無駄に長い計画段階からおおいに悩んでしまった結果、米沢ラーメンの名店+もう一つの山形名物である「冷やしラーメン」も味わえるというお店をチョイスして、暑くともそうでなくとも対応できるプランにしていたのでした。私がチョイスしたその「かまた食堂」には、家を予定より早く出た分、11時半には着いて、すんなりと車は停められたものの、店に入るとこの時間で既に満席状態で、一人でラーメンをすすっていた地元のご老人のテーブルに相席させていただきました。
この日の天気は予想通りの猛暑日なので、我々二人のオーダーは冷やしラーメン。ラーメン好き中年としては、「どんなに暑くとも初志貫徹で米沢ラーメンにしよう!」と決意していたのですが、ギラギラの太陽には勝てませんでした。
初めて味わった山形名物の冷やしラーメンですが、「ラーメンを冷たくしたら、恐らくこんな味になるのだろう!」と予想した通りの味で、サプライズはないけれど十分に満足できる味でした。冷やし中華と交互に食べたい味でした。
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午後はいよいよ米沢の観光です。まずは郊外にある「田んぼアート」を見に行きます。
今回の旅の中で、東北で一番有名な青森県田舎館村の田んぼアートを見に行くことについては、結論が出ぬままに出発していました。人気の観光地なのですが、行けるとしたら一番混雑必至のお盆の土曜日で、しかも行程的に一番ハードな日になる筈なので、朝食を権利放棄してでも6時にホテルを出て見に行くかどうかをずっと悩んでいたのです。おんなじ田んぼアートを見れば考えが決まるかと思ったのですが、今年の図柄である真田幸村も、何もヒントは与えてくれませんでした。
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米沢市内に戻り、まずは定番の上杉神社を参拝します。
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上杉神社ゆかりの人と言えばケネディが崇拝するという上杉鷹山と大河で有名になった直江兼続が何と言っても有名ですが、個人的には天地人の頃から何故か上杉景勝が気になっています。真田丸でも優柔不断というかおおよそ大名らしくない雰囲気を、遠藤憲一さんが好演していて、益々気になっています。
ここでも、上杉景勝の面影を必死に追いかけていました。
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その後、妻のリクエストで米沢織り会館を見て、妻には染織体験を楽しんでもらっている間に、私は一人で米沢の銘酒東光の酒蔵へ。
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酒蔵見学も早々にして、メインは今回の旅で会うであろう人へのお土産として、東光の大吟醸を三本仕入れました。一本はあげずに自分へのお土産として持ち帰るつもりで三本仕入れたのですが、結果的には残念ながらというか嬉しいことに全てお土産に消えてしまいました。こんなことならもっと買っておけばよかった!

早めにホテルに入り休憩する妻を残して、明日会えるかもしれない友人への土産として米沢駅前まで峠の力餅を買いにとぼとぼと歩きます。お目当ての店はすぐに見つかりましたが、「賞味期限本日中」とデカデカと記載があり、明日の土産にはできないので、諦めることにしました。

本日の夕食は米沢牛。かなり混み合うという情報から、店は半月ほど前に電話予約しています。ただ、本来なら当日の暑さ具合で食べるメニューを決めたいところですが、テーブル予約の関係上、すき焼きか焼き肉かを事前に決めなければならないとのこと。迷った挙げ句に決めたメニューはすき焼き。最高級の米沢牛はやっぱりすき焼きで食べたいという個人的な思い入れ故のチョイスです。
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危惧した通り猛暑日のすき焼きでしたが、お店の中はガンガン冷房が効いていて、ビールをグイグイ飲んだら、昼間の暑さもどこへやらで美味しくすき焼きをいただくことができました。
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8月にすき焼きを食べた経験は、恐らく初めてだったと思います。

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11.(京都)・滋賀・愛知<その3:感動の瞬間&愛知県> [日本一周(一周目)]


3日目:4月30日(土)

本日は、滋賀県を後にして愛知県に向かうつもりです。
この日本一周で愛知県と言えば、昨年10月の四国の帰りに熱田神宮で安産祈願をして、愛知県の地図でいうと下の方(静岡寄り)の西浦温泉に泊まっていますので、今回は上の方(岐阜寄り)をメインに観光をしようと思っています。
愛知県と言えば何と言っても名古屋ではありますが、名古屋は前職時代に本当に何回も来ているし、病気で倒れる1か月前の最後の旅行の最終観光地は名古屋城だったし… そう、倒れる1週間前の最後の出張も名古屋で、仕事が終わった後に”名古屋メシ”の味噌煮込みうどんを食べて新幹線に乗り込んだのが、40代最後の夜だったことも思い出しました。

今回、愛知県の岐阜寄りのエリアで必ず行きたいと考えていたのは犬山城です。この日本一周でいくつかの城を訪ねて、ようやくお城に詳しくなった(元日本史好きを少しだけ取り戻した)私ですが、江戸時代から今でも天守閣が残っている現存12城を以前このブログでも紹介したことを記憶していますが、日本一周と言いながらまだ12城全制覇は恥ずかしながら果たせておらず、2周目の宿題にしています。

その12城の中には、国宝に指定されているお城が5つあり、残り7城は重要文化財に指定されています。元々の国宝は4城でしたが、昨年私が正に松江に滞在していたその日に松江城の国宝指定が決定し、翌朝松江城で地元TV局にインタビューされたなんてこともありました。残りの4つのうち姫路城、彦根城は昨年訪ねていますし、松本城は6年前病気になる1か月前に行っていますので、一度も訪問経験がないのはこの犬山城だけで、一周目達成までに12城全制覇は無理としても、犬山城には行っておいてせめて「国宝5城」だけでも全制覇したいと考えた次第です。

滋賀から犬山城方面に列車で行く方法としては、京都まで戻って新幹線で名古屋に出て、名鉄で犬山を目指すのが一般的なのでしょうが、それでは旅の面白味がありません。「何か、いい方法ないかなぁ~!?」と時刻表をめくっていたところ、京阪神から飛騨高山に行く在来線特急が犬山城のすぐ近くの鵜沼という駅に停まることを見つけました。おまけにこの列車、滋賀県の中でもいくつか停車駅があるので、京都まで戻って乗る必要がないのが、何とも嬉しいところです。宿泊ホテル隣の草津駅を9時前に出る特急列車「ワイドビューひだ」の指定券を、こちらも1か月前に嬉々として入手していました。久し振りの(新幹線以外の)在来線特急列車乗車です。

当日、普通列車で少し早めに草津駅に降り立ちます。草津と言えば、4年前に娘が転勤で住んで(働いて)いた街です。娘は草津には1年しかいなかったので、「娘がいるうちに、一度は訪ねてみたい。」という我々夫婦の夢は叶わず、4年遅れての草津駅到着です。駅名標の写真をパチリと撮り、娘に「懐かしいでしょ?」とLINEを送りましたが、最近にしては珍しいことにすぐにはリアクションがありません。
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8時を過ぎているものの、「まだ、寝てるのかな?」なんて思っていたのですが、その少し後、まだホームで特急列車を待っている時に娘の旦那からLINEが入り、「先ほど、無事に生まれました!」と写真が送られてきたのです! 
私が「おじいちゃん」になった、自分的には歴史的な瞬間です!!

産まれたのは20分ぐらい前で、何にも知らない私が駅名標をパチリと撮ってLINEを送っていた正にその時間だったようです! 娘は、昨晩寝る直前に陣痛が始まり、朝まで7時間程度頑張っていたとのことです。

この嬉しい気持ちは、本当に自分の子供が産まれた時以来二十数年振りに味わったような気がします。あまりに嬉しすぎて、衝動的に朝から売店でビールを買ってしまい、特急列車の座席に座った途端、”プシュ~”とビールの栓を抜き、隣にいる妻のジュースと思わず乾杯してしまいました! 本当に大声で”やったぞぉ~!”と叫びたいぐらいの気分でした。
久し振りの特急列車の景色を満喫するつもりでしたが、ビールを飲みながら「生まれたよ!」などのメール送信などに追われ、じじいになった感慨をゆっくりと味わう余裕もなく、気づいたらディーゼル特急は昨年鵜飼で2度も来た岐阜駅を早くも出ていました。

鵜沼と言う駅で特急列車を降ります。この特急列車の終着は飛騨高山。昨年お盆の日曜日に訪ね、大混雑だった街ですが、もう一回静かな時というかせめて普通の時期に再訪したいと改めて思いました。
ここ鵜沼は岐阜県ですが、もう犬山城は目の前です。駅前にタクシーがあればタクシーで犬山城を目指したいと考えていましたが、駅にはタクシーが見当たりません。仕方がないので隣の名鉄に乗り換えようと先を急ぎますが、乗り換えの案内がどうも関東の案内に慣れた我々にはわかりずらいのかそれとも私が間抜けなのかは不明ですが、ホームが6本(3面)ある駅だからとはいえ、2本も先着の列車を逃してしまうという大失態を犯してしまします。「おじいちゃん、だめじゃん!」と早速おじいちゃんらしい失態続きです。

名鉄を一駅だけ乗り犬山遊園駅へ。この間に木曽川を超えて愛知県に入ります。この駅前にもタクシーはいないので、諦めて木曽川の畔をトボトボと歩き犬山城を目指します。この木曽川の向う岸は、岐阜県です。
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犬山城までは15分程度で辿り着きます。最寄り駅犬山公園は静かなものでしたが、犬山城に近づくにつれて観光客はどんどん増えてきます。さすが国宝、さすがゴールデンウィークですね!
犬山城の麓には神社があり、早速産まれたばかりの命に感謝して、すくすくと成長するように、まだ見ぬ孫のことを祈願します。産まれたばかりの命の、最初のお祈りでしょう。でも、まだ名前が決まっていないので、○○君とは言えずに、「さっき産まれた孫が、元気で成長しますように…」とは、ちっと締まらないお祈りでした。
この神社、何となく京都の伏見稲荷のミニ版のような風景でした。
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犬山城も、さほど大きくないお城のようです。国宝だから城がデカいかというとどうもそうでもないようですが、織田信長の叔父さんが建てた日本最古の天守閣とのことなので、その存在感はやはり相当なものです。織田家も、ずっと命を繋いできて、今は織田信成君がメディアで活躍していますが、同じように何百年後に私の血を少しでも受け継いでくれた子孫が活躍していればいいなぁ~! と祈りながらの犬山城見学でした。
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昼食は犬山城の麓のいかにも観光地らしいレストラン。妻は名物の鮎釜飯をいただきますが、私は愛知県にいるうちは大好きな名古屋メシが喰いたいと思い、名古屋メシ同士の組み合わせだけども、名古屋でこの組み合わせは見たことがない「味噌煮込みきしめん」を注文。結論としては、いくら名古屋メシ同士とは言え、安易な組み合わせには乗らないことにしようと思いました。
やっぱり、味噌煮込みはうどんに限ります!

午後は、犬山でのもう一つの観光地として「博物館明治村」をチョイス。犬山城のすぐ下にタクシーがいればいいのですが、タクシーが見つからないので犬山城へ行くメインストリートをトボトボと歩きます。でもこの街も風情があってかなりいい感じです。今度は、この付近に泊まってゆっくり犬山を歩いてみたいと思いました。
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ようやくタクシーがつかまり、広い犬山市の反対側にある「博物館明治村」に向かいます。
この明治村は、私が旅行会社で仕事を始めた1983年には既に観光地として有名でしたので、私もこの明治村を組み込んだ日程表をかなりの数作った記憶があります。とは言え、実は訪問経験はなく、色々と資料を見たり話を聞いたりするうちに、「すっかり、行った気になってしまった。」有名観光地の一つでした。
同じような環境の知人から、「馬鹿にしていたけど、明治村って意外と良かったよ!」と言う話を聞いて、行く気になったのです。
結構広い園内を散歩しながら、移設された明治時代からの建造物を楽しみます。
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洋風の建築物が多い明治村ですが、意外と和風のものもあったりします。
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こんなところでも、妻の興味はやっぱり教会。教会には必ず行きたがります。
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さすがに元鉄ちゃんの私の興味は相変わらず乗り物。広い園内の見学と乗りもの好きは、趣味と実益を兼ねるような良い感じです。
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朝に出産した娘からようやく返信が来たのが3時頃。昨晩、寝ずに陣痛と闘ったので、大役を果たして疲れてぐっすりと眠ったのでしょう。
「痛かった。長かった。死ぬかと思った。」と言うのがその第一声。あの、泣き虫だった娘がこんなに立派に母親になるなんて… と、我々もとにかく感無量でした。
早速、「明日、行くよ!」と言う我々と、同じく今日にも病院に来たがっている旦那の両親(こちらも、初孫)との時間を調整したりと、出産直後なのに娘がiPhoneを駆使して、しっかり仕切っていました。

明治村は広すぎてとても全部は見切れなかったのですが、それなりに満足して、名古屋までの直通バスで名古屋市内へ。バス停は凄い行列だったので、「座れるかなぁ~?」と心配しましたが、よく考えたら高速バスなので、立って乗れる筈はありません。100人近い大行列でしたが、数台のバスで何とか座ることが出来、懐かしの中心街である名古屋の栄でバスを降りた後は、とぼとぼと歩いてホテルまで向かいました。

妻は友人と会うというので、珍しく夕食は別行動です。このところ、妻と名古屋に来るといつも妻の大好物でもある「ひつまぶし」を食べているのですが、今回、凄く久し振りに名古屋メシの定番である「味噌カツ」を喰おうと思い、これももの凄く久し振りの超有名店「矢場とん」の支店に入ります。
オーダーを待ちながら、「矢場とんに来るのって、いつ以来だろう?」と必死に記憶を辿ってみたところ、少なくとも1995年に出張で同僚と来て以来、来ていないことはほぼ間違いないことを思い出しました。つまり、21年振りです!
当時は本店だけで、観光客なんて我々ぐらいしかいなかったのに、今では支店もたくさんあり外国人もたくさん… やっぱり、20年は長い!のです。
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4日目:5月1日(日)

この日は、名古屋をブラブラしてから夕方の新幹線で埼玉に帰る予定だったのですが、旅行より名古屋より何より早く孫に会いたいので、早めに関東に戻ることにします。とは言え、病院の面会時間は午後2時からで、2時には旦那の両親が来るということで、我々に指定された時間は3時半以降です。
とは言え、中途半端な時間でもあるのと、特に名古屋で見たいところもなかったので、とりあえず懐かしの名古屋駅に向かいます。
まず駅で新幹線の時間変更などをして、続いて駅ビルの高島屋へ。今日持って行く出産祝いののし袋を買いに行ったのですが、流石は冠婚葬祭が派手な名古屋らしく、立派なのし袋があり親切にのし袋代だけで筆耕までしてくれます。「旅行先から急いで来た」のに、そうは見えない立派な出産祝いになりました。

息子の最初の勤務先は、この高島屋の上にある中華のお店。十八歳で就職して、最初の勤務地が名古屋と言われた時の息子の顔は、今でも忘れられません。出張で名古屋に来た際、よくここに飯を食いに来たものです。
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11時前なのに、もう順番待ちの人がいます。

ちょっと早いけれど、昼飯を食って名古屋を後にしようと思います。最後の名古屋メシは、これも妻の好物の”海老ふりゃ~”。兎に角バカデカイ”海老ふりゃ~”でした。
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さすがにゴールデンウイーク。11時前から有名店にはかなりの行列でしたが、あの喫茶店”コメダ”にも行列が出来ているのにはさすがに驚きました!

この日は快晴だったので、”この日本一周で初めて”今日こそは富士山がキレイに見えて写真にも撮れる… 筈だったのですが、海老ふりゃ~の昼食で美味しくビールをいただいた影響でしょうが、静岡県に入る頃にはすっかり爆睡してしまい、気づいたらもうのぞみは神奈川県を走っていました! 無念!!

孫との初対面は、感動以外のなにものでもありませんでした。産まれて2日目の孫は本当に小さく、愛らしいのです。右手が使えない私は抱っこすることが出来ないので、今は頬をなでるぐらいしか出来ませんが… 抱けなくとも、十分に可愛いです!
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子供の成長は驚くほど早く、これを書いている6月中旬には生後1か月半になるので、驚くほど全く顔が違っています。

でも、じじい(私)に似ず、イケメンになりそうです!


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11.(京都)・滋賀・愛知<その2:滋賀県> [日本一周(一周目)]


2日目:4月29日(金)

この日宿泊したホテル星野リゾート「ロテルド比叡」の朝のウリは、比叡山延暦寺の”国宝「根本中堂」での朝のお勤め体験”。本尊である薬師如来・不滅の法灯の前での朝の法会に参加できるのは、ホテルゲストだけの特権のようなので、私も興味はあったのですが、足や正座の不安もあり参加しようかどうしようかずっと悩んでいました。昨日夕のチェックインで、「どうしますか?」と聞かれた時には、結構歩いて寒い中バス待ってやっと宿に着いたタイミングだったので、疲れがかなりあったのでしょうか… 「参加しません。」と、衝動的に答えてしまいました。

星野リゾート「ロテルド比叡」の朝食は、久し振りに幸せな朝食のひとときでした。チェックイン時に朝食時間の予約を聞かれたので、「さすがにこのホテルは、味気ないバイキングの朝食ではなさそうだなぁ~!?」と、秘かに期待したのですが、期待を裏切らない至福のひとときでした。
私がホテルの朝食の理想としていまだに信じて疑わないのは、アメリカのどこの都市かは忘れましたが、東部の田舎町にあった小さな規模のRitz Carltonホテルでの朝食。レストランに座ると、予約もしていないのにボーイさんが私の名を呼んで、まずはフレッシュジュースを薦めてくれます。二日酔い気味だった私がトマトジュースを頼むと、すぐにその場で新鮮なトマトジュースを作ってくれます。感動しながらも、「コーヒーが飲みたい」と言うと、「今、○○様(私)のために豆をひいているので、もうちょっと待っててください。最高の香りのコーヒーをお届けします!」なんて言われるだけで、本当に期待が高まり、そのコーヒーに出会えた時には本当に感動的でした。朝食のハムやベーコンや卵料理も好みを聞かれて、フレッシュなサラダに続いて出来立ての朝食と、そして淹れたての薫り高いコーヒーが作る、めくるめく至福の時間でした。
昔の商売上の役得で、世界中のRitz Carltonホテルには随分と泊まらせていただきましたが、リッツの中でもあの時のあのホテルの朝食だけは私にとっては特別で、20年近く経ってもいまだに忘れることが出来ない1時間でした。
星野リゾートの朝食は、その鮮烈な体験とは比べられないものの、国内では有数の至福体験でした。何故至福だったのかと言うと、焼き立てのパンが特に美味しかったからなのです! 勿論、卵料理も肉料理も美味だったのですが、焼き立てのパンの味だけは、”あの時”に匹敵する程でした。
唯一興ざめだったのが、”既に淹れてあったコーヒーを、自分で取りに行け!”という点。ここを改善すれば、リッツの朝にに匹敵できるのですがねぇ… このことだけは、大学の同級生で学生時代に顔は何度か見たことがあった今を時めく有名人である星野社長に、伝えたいと思いました!

さて、本日はいよいよ滋賀県の観光です。この日本一周を始めてから、滋賀県をただ通過するだけではなく行き先として目指したのは、昨年だけでも3回ありました。1回目は5月、山陰山陽大周遊のスタート地点(福井県敦賀)に立つ前に、琵琶湖のほとりに住む旧友に約20年振りに会いに行った時。2度目は、8月の岐阜県周遊の際に岐阜と滋賀の県境にある伊吹山に行き、この時も岐阜と滋賀の県境の山頂から琵琶湖を遠望しています。3度目も同じ8月、九州に行くフェリーの時間(夕刻)まで、彦根城を訪ねて琵琶湖湖岸をドライブしたのです。
この1月、昨年5月に会った旧友の思いがけない突然の訃報に接し、実は今でもショックから抜け出せずに、滋賀というとすぐにその人のことを思い出して涙が出そうになるのですが、昨年5月に1時間だけでも会えたことが、今となっては本当に良かったなぁと思っています。もし、会わずに訃報に接していたとしたら、後悔してもしきれず、日本一周に最大の禍根を残していただろうと思います。
ということで、涙なしでは見られない滋賀県でしたが、気を取り直して観光を楽しむことにします。
間もなく新しい命も誕生する筈ですから…

午前中は、世界遺産の比叡山延暦寺を見学します。延暦寺の主な観光スポットは3つあるようですが、まずはメインエリアである東塔へ。
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まだ10時前ですが、大講堂のあたりも観光客が徐々に増えつつあります。いよいよ今日からゴールデンウイークの始まりです。
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延暦寺最大の見どころで国宝の「根本中堂」。本来なら、ここで朝のお勤めが体験できた筈だったのですが、この時ばかりは自分の怠惰ぶりが恨めしくなりました。
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ロテルド比叡には、朝のお勤め&もう一度あの朝ごはんを食べに、改めて泊まりに来る必要がありそうです。

次に西塔地区を観光します。バスの車中から比叡山の風景を眺めると、まだあちこちで満開の桜が見られたのですが、バスを降りると、まさに満開の桜の季節で駐車場では”桜祭り”をやっています。あと2日で5月だというのに、弘前というより北海道の桜と同じくらいの時期で、”比叡山って、やっぱりかなりの高地なんだ…”と、改めて思わされます。
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お堂同士が2階にある廊下によって繋がっている、珍しい「にない堂」。延暦寺を代表する風景で、昔から何度も見たことがある景色でしたが、”ようやく遭えた…”という感じで、何となく感無量になりました。東塔と比べて西塔には観光客も少なく、何となく厳かな雰囲気なので、個人的には西塔の方が気に入りました。
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遣唐使として同じ年の同じ船に乗った最澄と空海、歴史上でも特に傑出している2人の偉人なので、歴史好きの私としてはどうしても昨年行った高野山とここ比叡山延暦寺とを比べてしまいます。昨年の高野山は、開創1200年と言う特殊な年だったこともあり、平日でも凄い人の数でしたので、GW初日とは言え今日の比叡山はそれに比べるとずっと静かです。
どちらの寺も、宗教の総本山らしく厳かな雰囲気で、やっぱり日本を代表する全身が引き締まるようなパワースポットである気がしました。個人的な感想では、高野山の方がより都から遠いので、宗教的な色がより強いような気がして、比叡山は、京から本当に近いが故に、信長の比叡山焼き討ちなどを含めて歴史の表舞台にもたびたび登場する厳かな中にも何となく生臭い寺のような気がするのは、歴史好きの私の勝手な妄想でしょうか…
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天台宗の教えである「一隅を照らす」。1200年前の人の言葉が、今となってもいや今後もずっとずっと語り継がれていく… これって本当に凄いことですよね!? 今は流行語大賞を獲っても数年で消えて行く言葉が多い中で、何百年・何千年と語り継がれるのですから… この言葉を発した最澄と言う人は、本当に凄い人なんだと改めて頭が下がりました。
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それにしても、高野山といいここ比叡山延暦寺といい、本当に山深い急峻な場所によくも建てたものだと、改めて感服してしまいます。今でこそケーブルカー等の文明の利器があるのでこの私でも簡単に行けるものの、昔のお参りする人たちの苦労を思うと、本当に宗教の強大なパワーを感じずにはいられません。 と言うよりも、「そのお寺を建てた人たちって、どれだけ健脚で力持ちだったの!?」と考えると、背筋が寒くなってしまうほどです。

比叡山延暦寺には、もう一つ横川というエリアもあるのですが、時間の都合で今回はスルーさせていただき、帰りは来た方向とは反対に、琵琶湖に向かって下る日本最長のケーブルカーである「坂本ケーブル」に乗って比叡山を下山し、すぐ下にある石積みのある門前町として名高い坂本の街を観光します。

最初に向かったのは「日吉大社」。この日吉大社は、さほど有名な神社ではないのかも知れませんが、およそ2100年前に創祀された、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮だという由緒正しい神社です。
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この神社に行く気になった理由は、この神社が猿を祀っている神社で、ホームページにも「今年は申年!」と書いてあり、「そうだ、間もなく産まれてくる孫は申年の男の子。そのすくすくと成長を祈念するために、ちょっと早いけど申年の神様にお祈りに行こう!」という早くも孫煩悩のデレデレ爺さんです。
入口には早速猿の神様が出迎えてくれています。
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結構広い神社内を見学して、次に出口にすぐ近い「旧竹林院」の庭園も見学します。
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坂本の街は、「石垣が美しい街」と言われているそうですが、確かにどこを歩いても石垣があり、まるで昔の町並みのテーマパークのようです。穴太衆積みと呼ばれる積み方のようですが、町の一部ではなくいたるところにあるのですから驚きです。
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(こんな石段が街中ずっと続くのです。)

次に訪ねたのは、滋賀院門跡という高い格式の御屋敷。江戸時代に天皇陛下から滋賀院という名を授かったらしいので、「ここが滋賀という名前のルーツなのでは?」と勝手に考えての訪問でしたが、どうもそうではなかったようです。
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邸の中は立派でしたが、庭園はちょっと期待外れでした。
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昼食を食べるのも忘れて2時過ぎまで観光に夢中になったので、駅前の有名な鶴喜そばでようやくお昼にします。もっとも、朝食の美味しすぎるパンを何回もおかわりしたので、お腹も空いていなかったのも確かなのですが… でも、この「鶴喜そば」には、2時かなりを過ぎたのにまだ行列が出来ています。
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隣にある同じようなお蕎麦屋さんはガラガラなのに… それだけ味が違うのでしょうか? はたまたネットの功罪か…? もう一軒の実力は未知数ですが、この鶴喜そば、関西圏なのにそばでも行列が出来るのが納得の味でした!

昼食後は琵琶湖の遊覧船に乗るつもりでしたが、行列で待たされた分次の船には間に合いそうにはありません。その次の便は本日最終便ですが、それまではまだ時間があるので、時間つぶしにもう一つの観光に向かいます。
向かったのは「三井寺」。昔から何度もその名前は聞いたことがあったお寺なのですが、三井寺というその俗称(正しくは長等山園城寺(おんじょうじ)と言うのだそうです。)の語源が、「天智・天武・持統の3天皇の産湯」という、間もなく孫が生まれる身にとってはとっても縁起が良いと思われたので、最後の安産祈願としたものです。
京阪電車駅から歩いて、三井寺まではごく普通の住宅街の中を歩きますが、三井寺まで来るとさすがに観光客がいます。改めて、3天皇に安産祈願をお願いします。
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その後、広大な敷地を散策。構内というかすぐ横にあったお寺の名前が微妙寺。縁起を担いで微妙にお祈りします。
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琵琶湖は、前回の旅(昨年9月)の時にも湖岸をドライブしたのですが、やっぱり1度は遊覧船に乗って「日本最大の湖」のでっかさを実感したいと思い、本日最後の観光にと遊覧船乗り場に向かいます。

ところで、船の名前は琵琶湖の船なのにMICHIGAN(ミシガン)。ミシガン湖と言えばアメリカ5大湖の一つなのは知っているのですが、「何故、ミシガン?」といささか疑問ではありました。同じ疑問を持つ人は他にもいるらしく、船に乗ると早速説明してくれます。さすがに関西、「ミ”シガ”ン」という、単なるシャレなのだとか!?
本当は、姉妹都市関連の命名なのだそうです。
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確かに琵琶湖は大きいです。大きな湖を表現する時にしばしば使われるフレーズとして、「まるで、海のようだ!」とよく言われます。確かに「巨大な湖」ではあるものの、残念ながら私には少なくとも「海のよう」には見えませんでした。
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初めてロシアのバイカル湖を見た時には、「これは、絶対に海だ!」と思ったのとはさすがにスケールが違いますね!?とは言え、航路図を見ると、1時間の船旅では琵琶湖のほんの端の方だけで引き返しています。これを見る限り、「やっぱり琵琶湖でけえ!」と思います.
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夕方になったので、隣の瀬田駅のビジネスホテルに向かいます。一本前の船に乗れていれば、ホテルに入る前に「瀬田の唐橋」を観光する予定でしたが、もう夕方になりこれは叶いません。昨年9月にも「琵琶湖湖岸ドライブ中に曲がる道を一本間違えて、瀬田の唐橋を見られなかった」ことを思い出します。

富士山にも、瀬田の唐橋にも本当に縁がない日本一周ですね!?


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11.(京都)・滋賀・愛知<その1:京都~比叡山> [日本一周(一周目)]


日本一周というか47都道府県周遊も、残すところあと7府県になり、そろそろ一周目のゴールを自分なりに”決める”べく、フィニッシュを意識しなくてはいけません。残す7府県とは北東北の青森・秋田・岩手の3県と、今回の日本一周の旅では何度となく通ってはいるのですが、まだ”達成”とは位置付けていない、中部の愛知と、京阪神の滋賀・京都・大阪の7府県です。うち、北東北3県は今年の夏の勤務先(学校法人)の夏休みを利用して行くつもりなので、中部~京阪神の4府県を達成すれば見事日本一周の達成で、あと1回の旅で達成は十分可能なのですが、4府県の達成にはマイルールとしては最低でも4泊は必要であり、そんな長い旅はいくらGWと言えども行けそうにはありません。
そもそも昨年、会社を辞めて日本一周を昨年内に目指していた頃には、「11月の終わりに、『紅葉の京都』で、日本一周を完遂しよう!」と決めていました。思いのほか早く再就職が決まってしまい11月から再び勤務することになったので、2015年11月のフィニッシュは幻に終わっているのですが、紅葉の京都に行きたい気持ちは変わっておらず、”1年遅れの2016年11月のフィニッシュもいいなぁ~!”と思うようになりました。JR東海の有名な宣伝文句でいえば、「そうだ、京都、行こう」を今の気持ちで私流に言い直すと、「そうだ、京都で、終わろう。」と言ったところになるのでしょうか!?
ということで、今年晩秋にフィニッシュすることは決めたのですが、その旅で(休暇期間でもないのに)4泊以上するのはかなり辛そうです。ということで、京都と大阪は最後まで残しておくことにして、その前に滋賀と愛知だけは終わらせてしまおうと考え、比較的混雑が少ない(と勝手に信じている)GW前半のうちに済ませてしまおうと考えてプラン作りを始めました。

ところが、昨年6月にバージンロードを一緒に歩いた娘が嬉しいことに子供を授かり、ちょうどその頃が出産予定。私にとっては初孫になる男の子です。娘は”里帰り出産”で子供を産む気はないらしく、現在住んでいる千葉で産むつもりで、我々夫婦に頼ることは殆どないといういことで、「旅行、行って来たら? 産まれたら、ご祝儀持って見に来ればいいよ!」と言うので、正直行くかどうかについてはかなり悩みました。旦那も仕事が忙しいとは言いながら非常に協力的なので、何もしない(できない)のであれば、ただ漫然と我が家でモジモジしながら「まだか、まだか」と待っているより、旅行に出た方が精神衛生上もいいだろうということで、結局行くことにしました。妊娠がわかってからは、各地で散々、安産祈願をしてきましたが、「最後の安産祈願を、比叡山延暦寺で!」と無理矢理理由付けをして、自分で自分を納得させて旅立つことにしたのです。

1日目:4月28日(木)

ゴールデンウイークはこの翌日からですが、「一日前に旅立てば、混雑はしないだろう!?」という旅行会社勤務時代からのカンを信じて1日早く有給休暇を取り、出発を一日前にします。今回の旅はマイカーではなく、久しぶりの鉄道の旅にしました。GWの渋滞を恐れたというよりも、京都や名古屋などの大都会には、車で行くより公共交通機関利用がいいと考えた故です。
上野東京ラインが開通してからは、東京駅まで乗り換えなしで行けるようになり、本当に便利。その恩恵に充分に浴して快適に東京駅まで行き、東海道新幹線ホームへ。東海道新幹線には、3年前の3月に当時神戸に住んでいた娘を訪ねて行って以来丸3年振りです。
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この日の天気は雨。1週間前の週間予報は曇りだったのですが、天気予報は徐々に悪化の途を辿り、数日前から”全国的に雨”予報に変わりました。でも、明日以降の天気予報は”回復”と出ているので、しっかりした傘を持たずに途中で傘を捨てて旅を続けられるようにと安物のビニール傘を持って、久し振りのN700系に乗り込みます。”晴天なら、富士山が見えるように”と満を持してE席を予約したのですが、この雨では富士山は見える筈もありません。この日も、相変わらず富士山には縁がない”日本一周”です。

”のぞみ”号を京都で降り、京都市内へ。この日の目的地は比叡山なのですが、京都と滋賀の県境に聳える比叡山を、滋賀からだけ単純に往復したのでは面白味がないので、元”鉄ちゃん”としては単にバスで比叡山に行くのではなく、今日は京都市内から鉄道とケーブルを使って比叡山に登り、明日の観光後は別のケーブルカーで琵琶湖を見ながら滋賀に降りるプランを考えていました。
まずは今朝6時過ぎに簡単な朝食を食べただけですっかり空腹だったので、まだ11時過ぎではありますが京都市内で昼食に向かいます。今日のランチのプランは天気に応じて2つのオプションを考えていました。晴れていて暑いくらいの気候ならば、有名店「いづう」で鯖ずしを食べる案。寒いぐらいの気温ならば、こちらも有名店「南禅寺順正」で名物の湯豆腐を食べるプランです。どちらも有名店で行列必至と書かれてはいますが、今日はまだ平日であることと、行列が出来る11時半前には行けるのではないかと気軽に考えていました。雨のこの日ですから、湯豆腐で温まるには程よい日でしたので、京都駅からタクシーで南禅寺まで直行します。たまたま個人タクシーのベテラン運転手さんだったので、早速11月に来るために紅葉の季節について情報収集します。運転手さん曰く、「11月最後の連休(23日がらみ)には、絶対に来ちゃダメ! 混雑で、全く身動きが取れないよ!」とのこと。「でも、12月なったら、紅葉には遅いのでは?」と聞くと、「紅葉の時期は毎年違うのである意味ギャンブル。」で、「いずれにせよ、タクシーを貸し切って観光するにせよ、よく研究してから来てください。」とのこと。夏の旅が終わったら、アドバイス通りにしっかりと勉強しようと思いました。

南禅寺順正は、名前だけは憶えていてその他の記憶は全くないのですが添乗員時代には何度か来たことがある懐かしい場所。入り口には仕切り役の人がいて、「何食べるの?」「湯どうふ」と言うと、待たずにすぐレストランに案内されます。湯豆腐のメニューも3千円を超えるので、「個室は無理でも、ちょっとは雰囲気のある和風の場所で食べられるのではないか?」と秘かに期待していたのですが、入り口はともかく店内は風情も何にもない普通の食堂でした。

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湯豆腐は、勿論美味しく量もたっぷりあり、天ぷら等のその他の料理も美味でした。
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(これ以外に、後で揚げたての天ぷらなども出ました)

昼食後、タクシーがつかまらないので腹ごなしを兼ねて平安神宮まで散歩。まだ雨は止んでいないけれど、間もなく止んでくれそうな雰囲気です。数十年振りに、懐かしの大鳥居を見て、よく添乗員として京都に来た仙台勤務時代(昭和の時代)を懐かしく思い出しました!
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平安神宮に参拝したのって、いったいいつ以来でしょう? 否、もしかしたら、参拝するのははじめてだったのかも知れません。僅かなお賽銭でお願いしたのは、「2人(親子)とも無事で、元気な赤ちゃんが産まれますように!」。今回の旅では、全てこのお祈りでした。
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今日の京都観光のメインは、はじめて訪れる「京都御所」。京都御所の見学は予約制なので、数か月前にネットで予約していたのです。この日、本当は比叡山行きの電車駅により近く、同じく事前予約制の「修学院離宮」に行ってみたくて、こちらを先に事前予約していたのですが、ここはかなりアップダウンなどが多そうなので、予約した後に階段の手すり等についてメールで聞いてみたところ、「足の悪い人には、あんまりお薦めできません。」的な返答を貰っていたので、足が悪くても影響が少なそうな京都御所に方針転換をしていました。余談ですが、京都御所も修学院離宮もその予約の窓口は昨年行った皇居と同じ宮内庁でした!
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皇居の時よりはかなり少ない人数規模で、バス1台分(約40人)ぐらいの事前参加者を1名の案内人が先導するスタイルで見学が始まります。案内の方は、プロでないとは言えばその通りなのですが、悪い人ではないのでしょうが、正直”全く、聞き手の我々の聞きやすさということを考えてくれない。”ので、折角貴重な昔の話をしていただいているようなのですが、殆どの人が全く聞き取れていません。
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最初のうちは、話を聞こうと必死にみんなついていこうとしていたのですが、そのうち皆も諦めて、それぞれが全く違う方向を見ていました。宮内庁さん、有料にしてもいいからちゃんと話せる人を雇うか、せめて「話し方」の研修をちゃんと受けた方をガイド役にしてほしいものです。折角日本の歴史に興味がある方相手の説明なのですから、それくらいはすべきではないでしょうか… と切に思います。
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中には入れない中庭と、本殿のような場所を臨みます。ここで明治天皇などが実際に暮らしたのかと思うと、感無量です。
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建礼門です。この名前からは、平家物語の悲劇のヒロイン建礼門院平徳子を思い出してしまいます。この京都御所が出来たのは南北朝統一後だそうですから、1400年の少し前ですから、建礼門院平徳子とは直接の関係はないようですが…
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御所内部には風流な庭もありました。明治天皇も、眺めたのでしょうね…
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雨がほぼ止んできていましたので、傘は御所の入口の傘立てにとりあえず置いてきたのですが、時折降ったり止んだりで忙しい天気でした。
後は、比叡山に乗り継ぎで行くだけと思ったので、結局この傘は御所に寄付してきました!

いよいよ、比叡山に向かいます。雨が止んだお陰か、すぐにタクシーがつかまり、叡山電車の始発駅である出町柳に向かいます。この叡山電車は、比叡山口と鞍馬に行くほか、三千院などの観光にも使えるローカル線です。大昔、私の高校時代は確か1両のローカル線だったなぁ… なんて昔の記憶を辿って懐かしんでいたら、Suicaは使えるようにはなっていたものの、今でもたった1両でした!
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終点の八瀬比叡山口駅。写真等で見た駅舎の看板と変わっていました。昔のレトロ駅風に復元したのでしょうか?
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この後比叡山に行くには、ケーブルカー⇒ロープウェイと乗り継がなくてはいけません。「この時間に行っても、もう比叡山延暦寺には行けませんよ!」と何回も注意されましたが、我々の今晩の宿は比叡山の上にあるので、そのままどんどん進みます。
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ロープウェイの終点からはシャトルバスが出ていてホテルまで行けて、シャトルバスの接続も丁度良い筈だったのですが、ロープウェイで終点に着いてみると、シャトルバス乗り場までは「徒歩10分」の案内が… 普通の人なら次のバスまで十分間に合うだけの時間なのでしょうが、アップダウンの道ですから私の足ではかなり時間が掛かります。おまけにまたまた雨が降って来て、御所で傘と訣別したことを激しく後悔です。
結局、我々以外の数人はちゃんとバスに間に合ったようなのですが、我々だけ見事に乗り遅れて、次のバスまで待つこと30分。山頂の超寒くって雨がそぼ降る中、我々はブルブルと震えながら次のバスを待っていました。
ところが、次のバスはその頃からすぐ近くに停まっていて、運ちゃんは車内で暇そうに寝ているのです。我々が雨に濡れながらバス待っているのに、入れてくれたっていいじゃない?? と、思いますよね?? 京阪さん、風邪ひいたらどうするの??

本日の宿は星野リゾートの宿である「ロテルド比叡」。チェックイン直後、部屋にも入らずに5時から始まる「ワインテイスティング講座」に参加して、赤ワインのたしなみ方を教えていただきます。テイスティングした4つの赤ワイン、みんなは軽く口をつけた程度のようですが、酒飲みで貧乏性の私は、結局4杯全て飲み干してしまいました!
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夕食時、赤ワインはさっき4杯も飲んだので、今度は白ワインをということで、先ほど講座をしてくれたソムリエに、つい奮発して”シャブリ”のボトルをオーダーしてしまいました。
フレンチのディナーはとても美味しく演出もGOOD! でも、このホテルの一番のウリである「フランスと近江との鮮烈出会い」では、近江名物の鮒ずしの匂いは消えることはなく、私的にはちょっといただけませんでした。それ以外の食事は全て美味だったのですが…
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ショックだったことがもう一つ。このホテル、近江や琵琶湖を食材等に取り入れて大いにPRしていますが、実は住所が滋賀県ではなく「京都府」だったことを、チェックインして初めて知りました!「京都府には、5月に宮津にも泊まっているし… 2泊もしたんだから、もう達成じゃない?」と自問自答しましたが、まぁ厳密にルールを決めたわけでもなく自己満足の旅なのですから、京都は秋まで「未達」ということにして、「滋賀は明日、観光して&泊まって、それで達成と言うことにしよう!」と白ワインのほろ酔いの中で自分勝手に決めることにしました。 


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茨城梅紀行 [日本一周(一周目)]


いま私が取り組んでいる日本一周は、47都道府県をひとつづつ観光して宿泊して、その都道府県を「自分で認定する」ということにしています。今まで合計40都道県を認定して来ましたが、その40都道県すべてを「本当に十分に見たのか?」というと、実はそうとも言い切れない県もいくつかあります。概ね2泊以上して、2日以上じっくりと観光した県については、胸を張って「行ったよ!」と言えるのですが、1泊しかしていずに丸2日は見られていない県については、「もうちょっと見たかったなぁ~。一応、達成としているけれど、”二周目”の時には改めてゆっくりと見よう!」と心に秘している県もあります。具体的に挙げると、山形県、茨城県、岡山県、佐賀県などです。

とりわけその観光時間が一番短かったのは茨城県です。昨年のGWに、ネモフィラ(花)と袋田の滝を観光して奥久慈温泉に泊り、翌日竜神大吊橋を観光したのですが、その後は予定変更して隣県栃木県に満開の藤の花を見に行ってしまったので、自分で”達成”と位置付けたものの、モヤモヤ感が残っていることは否定できません。(その時のブログはこちら
茨城一の都市で県庁所在地と言えば水戸で、水戸と言えば日本三大庭園の一つである「偕楽園」なのですが、この街も偕楽園も見ずに、「茨城県達成」というには多少の後ろめたさはあるので、「達成前に、偕楽園だけは行っておこうよ」と、自分的には決めていたのです。
勿論、日本一周の達成感だけのためであれば偕楽園にはいつ行ってもいいのですが、水戸と言えば&偕楽園と言えば”梅”ですから、どうせ行くのなら梅の満開の時期にこそ行きたいと思っていました。昨年の梅の開花の頃にも行こうかどうしようか少々悩んでいたのですが、昨年は伊豆から熱海の梅園に行ったので、引き続き何となく偕楽園に行く気にはなれずにいたので、1年越しの念願です。そして、この時期偕楽園に行くのなら、茨城県のもう一つの梅の名所である筑波山と一緒に行き、”茨城梅紀行”として楽しもうと考えた次第です。

実施は2月28日(日)。梅の満開宣言とほぼイコールの感じのである”梅まつり”も始まっているので、梅の名所で名高い偕楽園&筑波山がどちらも激混みするのは想定内ですが、どっちかだけでも朝早く行けば、ある程度の混雑を回避できると考えると、最初に行くべきはやはり偕楽園なのだろうと思い、7時前には隣県埼玉の自宅をスタートします。
北関東道をひた走り、水戸付近までは極めてスムーズ。この時間のこの辺りには、昔元気な頃にゴルフのために何度か来た懐かしい場所です。そういえば6年前、脳卒中で倒れたのもここ茨城県でした。「そろそろ、あの場所を訪ねてみようかな…」なんて考えながら、快適にドライブします。
懐かしの水戸駅前を通過。6年以上前には、仕事で何度となく来た懐かしの駅前ですが、この日は梅なので駅前に立ち寄ることはせず、ひたすら偕楽園を目指します。

8時半過ぎには偕楽園到着。ありがたいことにまだ渋滞は起きておらず、偕楽園に一番近い駐車場も、満車になるギリギリ直前で、何とか500円の駐車料金で車を停めることが出来ました。偕楽園の東門までは私の徒歩でも7~8分。表門から入りたいところですが、門まで20分以上歩く駐車場が多いらしいのでここに停められただけでラッキーと考えなければいけませんね。

確かに梅の名所だけあり、たくさんの梅がその枝ぶりを競っています。
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でも、梅の種類に詳しくない私は、紅梅と白梅ぐらいしか判りません。
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「(宮城県の)秋保温泉にある”ホテルニュー水戸屋”には、”紅梅亭”と”白梅亭”があるのですが、どっちが高い方だったっけ?」なんてことをここ水戸で考えながら、広い敷地内を散策します。
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小学生の頃ですから約45年前、当時担任の山本先生が発案して手作りされた「俳句かるた」で覚えた俳句「梅一輪、一輪ほどの暖かさ」という句を思い出しました。小学生の頃はこの俳句かるたが結構好きで、このおかげでたくさんの俳句を諳んじられるようになって、高校受験ぐらいでは意外と役に立ったのです。遊び感覚で俳句を教えてくれた5・6年時の担任だった山本先生には本当に感謝です。
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本当に余計なことをたくさん思い出しながら広い敷地内を散歩します。見事な竹林を見ると、食いしん坊の私はどうしてもタケノコが食べたい… と思ってしまいます。昔、”美味しんぼ”で見たタケノコの刺身のことを思い出しました。残念ながら、まだ食べたことはありません…
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ミス「水戸の梅」でしょうか、着物美人が満開の梅の下で微笑んでいます。この日、何故か余計なことばかり連想してしまう私は、数十年前にタモリが流行らせた”日本三大ブス”というのを何の脈絡もなく突然思い出しました。当時、タモリは”名古屋、水戸、仙台”って言っていましたっけ… ”いいとも”でタモリ人気が全国区になってからは、封印したギャグなのかも知れません。
因みに、写真の通りの美人揃いですし、隣にいた妻は、仙台出身です。
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その後、好文亭を見る頃には観光バスも続々と到着したらしく、人の渋滞が始まっています。この好文亭は徳川家の殿様が、風流に過ごした邸宅らしいのですが、この時間はぞろぞろと歩くことになり風情は感じられませんでした。
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快適に偕楽園の見学を終え、次の筑波山梅園に向かって車を走らせます。つくば到着がお昼前になったので、「できれば、梅園のレストランで昼食を取ろう。」と考えて我が山らも見える見慣れた筑波山に向けて車を走らせますが、筑波山まであと4キロぐらいのところで、予想通りの渋滞が始まります。梅園の駐車場までの渋滞はある程度覚悟していたものの、”あと4キロ”からの渋滞はちょっと早すぎます。このまま渋滞が続くと、空腹に耐えられなくなる恐れもあるので、急遽Uターンして近くの普通のお蕎麦屋さんでとりあえず腹ごしらえを済ませてから、改めて渋滞の最後尾に並び直します。
結果的にこの判断は大正解でした。渋滞は遅々として進まず、結局駐車場に車を停めるまでには渋滞に並んでから1時間半はたっぷりかかったので、食事前であったら空腹のイライラを押さえられなかったのだろうと思います。そばで満腹だった我々には、心地よい休憩・ウトウト時間でした。(勿論、運転手である私はウトウトはしてはいません。)

筑波山梅園は、下の駐車場に車を停めて無料のシャトルバスで上まで登り、その後梅を見ながら歩いて降りる観光が一般的のようです。上から梅園を眺めると、広い梅園の全体風景が眺められ、スケールや花は違うけれど何となく昨年雨中で眺めた吉野の桜を思い出す風景です。
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でも残念ながら、梅の下を歩く歩道・階段には手すりが全くなく、時折急な階段が現れたりするので、私はのんびりとこの道を散策することは出来なそうです。
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結局、この散歩道を降りることは断念し、遠回りの車道でたくさんの梅をやや遠くに眺めながら、のんびりと駐車場まで降りることにしました。バリアフリーの対応を求めたいところですが、梅の時期だけのための遊歩道のさらなる整備は予算的にも難しいのでしょうねぇ…
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下に降りるとイベントスペースがあり、つくばと言えば定番の、「ガマの油」の口上をやっていました。私は、ここでも何故か球児・好児の「ゲロゲ~ロ」を思い出して、思い出し笑いをしていました。
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これでやっと、「今までに行った全ての旅行記を書き終えた。」ことになります。念願だった「ようやくブログが実際の旅行に追いついた。」瞬間です。
でも、追いついたのもほんの束の間で、今週末にはGWを利用してまた旅に出ます。日本一周の旅もも残すところあと3回です!

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10.南関東周遊(神奈川~千葉)の旅(その3:千葉県後篇) [日本一周(一周目)]


前回の投稿からほぼ一か月ブランクを作ってしまいました。これだけ投稿を怠ったのは、5年前にブログを始めてからはじめてのような気がします。このところ土日に何かしらの用事があり、土曜日の午後に疲れを取って日曜日の朝にパソコンに向かってポツポツとブログを打つ… というここ数年続いた土日のお決まりのパターンが出来なかったのが原因です。

ところで、1年前の今頃を振り返ってみると、1年前の3月には32年間務めた会社を辞めて、4月から晴れて憧れのニートになりました。昨年の4月1日には会社を辞めたことを実感するために皇居に行き、その後千鳥ヶ淵や靖国神社の桜を楽しんだものです。1年前のこの日のランチは靖国神社近くの飯田橋駅前の蕎麦屋でいただいたのですが、1年後の今その飯田橋で働いていることが何だかとても不思議な気分です。1年前のあの日、1年後の自分の姿なんて全く想像もしていなかったのですが、まさか飯田橋で学校職員として働いているなんて…

因みに昨年の4月の今頃は、まだハローワークでの失業手続きもできず健康保険証も届かないうちに、4月3日から紀伊半島一周の旅に出たことを思い出します。(投稿はこちらから)この紀伊半島の旅、今までに類を見ないほどの悪天候の旅で、「この日本一周、一体どうなっちゃうんだろう?」と暗雲立ち込めた旅でした。1年前の今日4月10日は、高野山を朝早く出て、雨の中満開の吉野の桜を見に行ったその日だったことを思い出しました。折角吉野の桜に合わせて日程を組んだのに… と、後醍醐天皇を恨んだ(??)ことを思い出しました

とりあえず、正月の旅紀行を書き上げてしまわなければなりません。GWには、また新たな旅に出るのですから…

3日目:1月5日(火)

昨晩の嫌な思い出をいつまでも引きずっていても仕方がないので、気を取り直して房総の旅を楽しむことにします。ホテルを出てまず向かったのは、房総半島の突端。まだ朝早かったので、お店などはまだみんな閉まっていて、駐車場も開いていないようなので、ロータリーのような場所に路駐している他の車に倣って(!?)ちょっとだけ車を停めさせて貰って、房総半島の突端を目指します。5分ほどの散歩で「房総半島最南端の碑」に辿り着きます。
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房総半島には何度となく来てはいるのですが、ここ半島最南端到達は初めてです。この旅では、一体どのくらい”最○端”に辿り着くことが出来たのでしょうか? 日本一周完遂後にゆっくりと振り返ってみたいと考えています。
灯台は野島崎灯台。前日、前々日と灯台のふもとには縁のない旅ですが、今回もすぐ下まで行くことはしませんでした。
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房総半島の向こう側はアメリカの筈ですが、勿論見える筈もありません。
でもちょっとだけ、久し振りにアメリカに行きたくなりました。
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最南端からは外房を北上してゆくことにしますが、まずはちょっと内陸部に寄り道して、この日本一周の”棚田シリーズ”の一環として「大山千枚田」に向かいます。昨日行った、内房からちょっと内陸部に入った「をくずれ水仙郷」とはほんの目と鼻の先なので、「房総半島って、やっぱりそんなに広くはないなぁ…」と何となく実感します。
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勿論、まだ棚田に水が張られている時期ではないので、棚田としてはシーズンオフではあります。この近辺には、都内在住の人たちが趣味で稲作を楽しんでいる人が多いそうで、以前友人から毎年秋になると、「今年のお米!」とプレゼントをいただいたことを思い出しました。この棚田にそういった人たちの田んぼがあるのかどうかは知りませんが、まだ1月のはじめなのにもうかなりの方が田んぼの周辺で動き始めていますので、「もう、春が始まるの?」という不思議な気分になります。この日も、前日同様の好天気なので、そんな錯覚をしてしまいそうです。
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次に向かったのは安房小湊。小湊と言えば、日蓮上人の生誕の地であると言われる誕生寺で有名ですが、実は私にとっては33年振りの懐かしの地なのです。昭和58年(1983年)の6月、会社に入って初めての添乗員としてここ小湊の地に来たのですが、初めての添乗員として来たそのツアータイトルは、忘れもしない「東京ディズニーランドと島倉千代子ショー」。その年の4月にオープンした東京ディズニーランドと新宿コマ劇場でのショーがメインの仙台発の2泊3日の旅でしたが、バス5台約200名の参加者はディズニーランドには似つかわしくないご年配層の方々で、ここ小湊での大宴会も懐かしい想い出です。
ここ小湊では誕生寺に行くだけのつもりだったのですが、小湊に近づくにつれて「鯛の浦」という看板が増えてきます。「何だろう?」と思いながら小湊に入り、駐車場に車を停めて、「鯛の浦」の看板に操られるかのように近づいてみると、”鯛の浦”のその名の通り天然の鯛が泳いでいる不思議な場所への遊覧船なのだそうです。今回の旅では横須賀の軍港クルーズ以外に遊覧船に乗る気はなかったのですが、「次の船は間もなく出航しますよ~!」というセールストークに釣られて、ついつい乗船券を購入してしまいます。

この船、乗船時間は短かったのですが、それなりに楽しい遊覧船でした。船は外洋には行かず、港近くの景色をさまざまに眺めさせてくれます。
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メインの鯛ですが、鯛の大群が見える場所に着くと案内と共にほぼ満員の乗客は全員下のキャビンから海中を眺めるのですが、外の景色を楽しみ下に降り遅れた私は、混雑と階段の関係で下のキャビンから生きた鯛を眺めることは出来なかったのですが、上から眺めるだけでも鯛がたくさんいてピチピチと泳いでいるのがわかります。
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船に乗って私が一番よかった!と感動したのは、極めて個人的ですが船から間近に見えた「ホテル三日月」。そうです、33年前の初めての添乗員の時に大宴会をしたのがあのホテルなのです! 懐かしぃ~!!
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その後、誕生寺にも行きましたが、仏教にも日蓮にも特別に興味のない我々は、とりあえず”初詣”として参拝します。33年前には勿論訪ねている筈なのですが、正直記憶は全くありませんでした。
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この日の昼食は勝浦。勝浦と言えば最近有名なB級グルメ「勝浦タンタンメン」を食べたいところですが、タンタンメンがあんまり好きではなさそうな妻も満足する場所はないかしら?と探していたところ、勝浦市郊外に”勝浦タンタンメンを出すイタリアン”のお店を発見していたので、迷わずナビをセットします。
海に面した抜群のロケーションのお店で、私はタンタンメンで妻はパスタをオーダー。
勝浦タンタンメンの味を1軒のお店だけで論じることは避けますが、辛いもの好きの私を満足させる十分な辛さでしたので、次来る時にはタンタンメンの専門店で改めて食べてみたいと思いました。
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午後は九十九里浜に沿ってずっとドライブ。「この、九十九里の凄く長い海岸線を感じられるスポットはないかしらん?」と走りながらずっと考えていましたが、とりあえず九十九里を代表する国民宿舎として名高い「サンライズ九十九里」の近くに「九十九里ビーチタワー」という施設があるようなので向かってみます。
九十九里海岸はシーズンオフらしく誰もいない感じで、ビーチタワー近くに有料駐車場の看板はたくさんあるものの駐車場には管理人も料金箱も何もありません。とりあえず車を停めてビーチタワーらしきものに向かってみますが、入り口には低い柵があり、一応「入るな!」と言いたそうな森田健作(知事)の意志が感じられます。とは言え、少ない人たちはその低い柵を乗り越えて海岸に出ていますので、足が悪い私でもようやく何とか乗り越えられる程度の柵なので、乗り越えて夏は海水浴場になりそうな砂浜に向かいます。

砂浜では子連れファミリーが凧揚げをしていたり散歩したりしています。
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ビーチタワーには今度は見事に「入るな!」的な柵がされています。上に上がって、「九十九里は広い!」と感じたかったのですが、オフシーズンにはそれすらも叶わないようです。
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九十九里の海岸線、「日本とは思えないくらい、長いんだぞぉ~!」という写真を撮りたいと思っていましたが、どうも無理なようですね。
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本日の目的地は銚子。千葉県最北端の港町で、坂東太郎利根川が太平洋にそそぐ地でもあります。銚子では、まず最初にお土産を調達することにします。銚子のお土産と言えば、超ローカル線の銚子電鉄が経営再建のために売り出して一躍有名になった”ぬれせんべい”なので、まずは地図で気になった「ぬれ煎餅駅」に向かってみます。
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前回、銚子に来たのは2012年の3月。(投稿はこちら)あの時は列車の旅だったのでお土産を持って帰れない私は、泣く泣くぬれ煎餅を買わずに帰って来たので、今回は職場や近所にぬれ煎餅を配って、僅かながら電鉄の売り上げに貢献しようと考えた次第です。
しっかりとお土産を仕入れた後に、店員さんに素朴な疑問をぶつけてみました。
「ところで、ここも銚子市内とは言え、銚子電鉄の沿線からはかなり遠いのに、なんでここが”ぬれ煎餅駅”なのですか?」
「煎餅工場が、このすぐ近くなんですよ…」
鉄ちゃんの興味とは違った大人の事情があったようでした。

今日の宿に入る前に、4年振りに犬吠埼灯台に向かってみます。灯台に登ってみようかとも考えたのですが、時間はもう4時を過ぎていて入場券売り場の方々は帰り支度を始めていました。この旅最後の灯台で、ようやく灯台の真下に立つことが出来たは出来たのですが…
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この日の泊りは犬吠埼にすぐ近い犬吠埼温泉。豪華な船盛がウリの宿でしたが、確かに船盛は食べられないぐらいの凄いボリューム。
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魚の種類の豊富さだけでいえば昨晩の方が上なのかも知れませんが、ここの夕食は部屋で食べられるので、それだけでもう大満足でした。

4日目:1月6日(水)

お正月休みもこの日が最終日なので、今日中には埼玉に戻って明日からの出社に備えなくてはなりません。とは言え今日の午前中はまだまだ千葉県を満喫したいと思い、まず向かったのは「銚子ポートタワー」。まだ朝早いので殆ど誰もいないタワーに登り、太平洋及び利根川の河口を眺めます。この日はあんまり天気は良くないようでしたが、あちらに臨める工業地帯は鹿島臨海工業地帯でしょうか?
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利根川は本当に雄大で、まさに”関東地方を代表する河川”ですね。
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その後、本日の晩御飯を隣の市場”ウオッセ21”で仕入れ、銚子の町を後にします。今回はぬれ煎餅は買ったものの銚子電鉄には乗れませんでしたが、新たな「電鉄おこし」では今度は駅名の命名権を販売してまたまた話題になりましたので、。今度はもう一度駅名を楽しみながら、のんびりと旅してみたいと思いました。

次の観光は”水郷”佐原。今は香取市となったので佐原の名前は駅名などにしか残っていないのですが、私的には友人の何人かが佐原高校出身ということもあり、香取より佐原の方が圧倒的に親近感はあるのですが、とは言いながらこの街に来るのは実は初めてだったりします。
近年関東の水郷として有名になったので、有料駐車場にて駐車料と引き換えに観光地図を受け取り、川沿いの散策をします。
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この日本一周でこのような川沿いの町にはいくつか行きましたが、残念ながらシーズンオフの1月の平日なので、風情がない時期と言えばまさにその通りだろうと思われます。
これが春以降ならばもう少しは風情が楽しめそうなのですが…
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川には遊覧船もあるようですが、乗り場は階段が急で手すりもなく、リスクを冒してまでも乗りたいという気にはなれません。
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佐原出身の有名人と言えば伊能忠敬。記念館もあるようですが、何となく入る気にはなれず、代わりにお正月らしくお汁粉を食べて満足をすることにしました。
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この旅の最後は初詣。本当は香取神宮に行ってから成田山に行こうと思っていたのですが、香取神宮に行く道は途中からすごい渋滞です。これらの車が、みんな「香取神宮の駐車場待ち」ということを周囲の人たちから聞き、これは両方行くのはどうも無理らしいと考え、香取神宮は諦めて今回の旅のフィナーレに決めていた成田山に向かうことにしました。

香取神宮の渋滞で成田山の渋滞は覚悟したのですが… 予想通り、成田市内に入ってからは俄かに車が動かなくなります。とは言え、今年千葉県で出産予定の娘の安産祈願のためにも、成田山だけにはどうしても参拝しなければと思い、辛抱強く駐車場が空くのを待ちます。

ようやくやや遠い民間駐車場に空きを見つけて、成田山まで歩きます。ここ成田山には、昭和の時代には数えきれないほど来ています。当時、仙台から貸切バスで成田空港まで来てそこから海外旅行に行くのが常だったのですが、年齢層の高い団体の多くは、少し(2時間程度)早めに宮城県を出て、成田山で旅の無事を祈願してから海外旅行に旅立つのが定番だったのです。なので、昭和の時代には毎年5回以上は来ていて、平成になって私が仙台を離れてからは一度も来ていない成田山は、27年振りでしょうか?
成田山の基本的なところは、27年ぐらいですから変わっている筈もありません。しっかり初詣して、勿論真っ先に娘の安産を祈願して安産のお守りを購入します。
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成田と言えば鰻が有名で、この日のランチ=この旅最後の食事は成田山参道での鰻と早くから決めていたのですが、1時を過ぎたのに参道のうなぎ屋さんの各店の混雑振りは凄く、待ち時間を聞いても、「1時間半から2時間待ち」なのだそうです。この時既に1時半を回っていたので、2時間待つとお昼ご飯にありつけるのが3時半を過ぎてしまいます。
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ということで、泣く泣く成田の鰻を諦め、裏道を通って駐車場に戻りますが、裏道にひっそりとあるごく普通の食堂でとりあえず空腹を満たそうと入りますが、メニューを見るとそのお店にも一応”うなぎ”はあるようなので、体中が鰻モードになっていた妻のためにうな丼を注文してみます。(そこまで鰻好きではない私は、無難なカツ丼にしてみました。)
店を出た後、妻はひとこと、「あぁ~、不味かった!」。やっぱり、いくら鰻が名物の成田とは言え、うなぎ屋さんではない食堂でうなぎを食べるのは×ということが教訓ですね。随分と高い授業料でしたが…

全ての観光を終え、成田を出て自宅までドライブです。成田からは圏央道に乗れば4日前に旅をスタートした白岡菖蒲ICまで1時間以内で行ける筈なのですが、途中のつくば~境の間の茨城県内区間がまだ未開通ですが、今回圏央道を全て通ってみたくてこのルートで帰ることにしました。
圏央道、茨城県部分は片側1車線であることが判明して、ちょっとがっかりさせられましたが、今年中に全通すると本当に成田まであっという間に来られることになり、楽しみがまた増えました。

日本一周も、これで関東も全て終わり、残すは北東北と関西エリアだけになり、ゴールがはっきりと見えてきました!


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10.南関東周遊(神奈川~千葉)の旅(その2:千葉県前篇<人生で一番悲しいホテルでの夕食>) [日本一周(一周目)]


2日目:1月4日(月)

この日は日本全国の多く会社が、”仕事始め”の日です。昨年3月まで務めた前職でも、この日が1年の始まりの日(といいながら、会社から初詣に行ってそのまま昼間から酔いつぶれたことも何度もありましたが…)だったのですが、今の勤務先の学校では、ありがたいことに正月休みというか冬休みがもう少し続きますので、有給休暇を1日も使わずにまだ旅を続けることが出来ます。

いつも通り前日夜にコンビニで仕入れた菓子パンをホテルの部屋で食べる簡単な朝食を済ませ、7時過ぎにはチェックアウトをして車のエンジンをスタートさせます。今日は千葉県に向かうので、横須賀市郊外の久里浜港のフェリー乗り場に向かいます。東京湾を横断するこの久里浜~金谷のフェリーは、少年時代からその存在は知っていて憧れの存在だったのですが、乗船するのは初めてでした。昨晩会った横須賀在住の友人にとっては「ゴルフに行く時などにもよく利用する」馴染み深い身近なフェリーのようで、”海なし県”の埼玉県人とすると羨ましい限りです。初めて見るフェリー、”意外と、大きいね…”というのが偽らざる第一印象です。
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東京湾横断の船旅、”馴染みのある風景が何かしら見えないかしら…?”と意味のない期待をしてみましたが、馴染みのある風景が見える筈もありません。確かに東京湾沿いには見たことのある風景がいくつかある筈ですが、ここは東京湾の出口近くですから、東京都内やディズニーランドの景色が見える筈もありませんよね。そんな思いで風景をぼーっと眺めている私を、あざ笑うかのようなカモメがたくさん船を取り囲んで飛んでいます。
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余談ですが、この年になっていまだに「カモメ」と「ウミネコ」を見分けることが出来ません。元々目と動体視力が良くないので、飛ぶ鳥の細かいところまでが見られない… という致命的な欠陥もあるのですが、たとえはっきりと見えたとしても、生物学的なカモメとウミネコの違いが分かっていないのですから、救いようがありませんね。若い頃、東北地方でよく見たのが「ウミネコ」で、東北・北海道以外では、「あっ、カモメだ!」という声をよく聞いたので、それ以来自分勝手に「東北以北で見られるのがウミネコ」で、「それ以外で見たらカモメ」と思うようにしています。ですから、これは私的には「カモメ…じゃない?」と解釈することにしています。そういえば、昔”カモメーが飛んだ”と唄っていた渡辺真知子さんは横須賀出身でしたから、これはやっぱりカモメなのでしょう!?

予想以上に家族連れ客が多く、「今日もまだ休みの人って、意外と多いんだ!?」と驚きながら過ごした東京湾横断の船旅は、約40分程度で千葉の金谷港に到着です。これから3日間の房総半島4分の3周のドライブのスタートです。
まずは、少しだけ房総半島を戻り、東京湾の眺望を眺められる富津岬公園を目指します。この富津岬からは、冬の晴れた日には富士山が綺麗に見えるという謳い文句だったので訪問先に選んだのですが、この日は天気はいいものの昨日以上に暖かい1月にしては異常気象ともいえる日で、昨日神奈川県の三浦半島からでさえ富士山が微かにしか見えていなかったのですから、もっと暖かいこの日に千葉県からの富士山が見えるというのは考えづらかったのですが、とりあえず着いた展望台は子供向けのジャングルジムみたいな展望台と言っては変ですが、こんな形の展望台です。
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勿論エレベーターやエスカレーターの文明の利器はありませんが、とりあえず両方に手すりはあるので焦らずに登ってみます。肝心の富士山ですが、対岸(の神奈川県)がやっとぼんやりと見える程度の眺望だったので、予想通り富士山が見えるどころではありません。
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結局、この旅でも富士山には(微かにしか)縁がありませんでした。

次に向かったのは鋸山。鋸山の絶景である「地獄のぞき」は是非訪ねてみたい場所ではあったのですが、写真などで見ると、見るからにいかにも階段がきつく手すりなどもなさそうな嫌な予感がしていましたので、この旅の計画段階から地元の観光協会などに問い合わせをしていました。質問をしたどこに聞いても、この「地獄のぞき」まで障害者のこの私がたどり着くことは”ほぼ無理”というのが全員のご意見で、そうなると”私のような障がい者は、どのような交通手段でどこまで行くのがいいか”をさまざまな方のご意見とアドバイスを参考に検討すると、結局鋸山ロープウェイで山頂駅まで行き、山頂駅周辺の景色を楽しむぐらいしか出来ることはなさそうな感じです。「だったら、鋸山に行くこと自体辞めようか?」という捨て鉢な気持ちにすらなったこともありましたが、寅さんではありませんが「それを言っちゃあ、おしまいよ!」とぐっと我慢して、とりあえずロープウェイだけには乗ることにして駅を目指します。
ところが、国道を左折して細い駅のアクセス道路に入ったとたんに前が全く動かなくなります。どうも駐車場待ちの車がずらっと並んでいるらしく、ピタッと停まったまま、全く動かないのです。「やっぱり、来なきゃよかったじゃん…」と完全に気持ちも萎えますが、細い道なのでUターンすることすら出来ません。
ほぼ30分近く待っても、10メートルも進まない状況が続きましたが、ようやく渋滞に気づいたのか平日は閉めているらしい第2駐車場を開けて、やっと駐車場に入ることが出来ました。本当にオペレーションが最悪の鋸山ロープウェイです。
気を取り直してロープウェイにて山頂駅まで行きましたが、案内通りその先にバリアフリー的な配慮は皆無で、富士山も見えないので、結局房総半島の景色だけを何となく眺めるだけになりました。
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気を取り直して昼食です。富津の名物と言えばアナゴで、このあたりでは「はかりめ丼」と言われているアナゴ丼が名物なのだそうです。アナゴ以外の海産物も食べられるように巨大な海産物ドライブインに入りますが、アナゴ好きな私は勿論「はかりめ丼」をオーダー。
「ここ10年来、本当に美味しいアナゴに出会ってないなぁ~!?」というのが食後の偽らざる心境です。昔は本当に旨いアナゴが多かったのに…
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午後最初に向かったのは、ちょっと房総半島内陸部に入る「をくづれ水仙郷」。1月の旅なので花の観光は期待していなかったのですが、とりあえず水仙は咲き誇っているということで向かってみます。ここも駐車場には車が溢れている状態で、確かに水仙は満開だったのでしょうが… 正直写真で見る以上の景色ではなく何も感じません。さっきの鋸山のマイナスイメージが全体的な千葉のイメージを悪くしているのでしょうか??
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気分転換がすぐに出来ないところが、私の悪いところですね…

館山市内に向かい、館山城に向かいます。館山城に着いてみると、お城はかなり高いところに立っていて、駐車場からお城まではかなり歩いて登ることになりそうです。それでも車を停めて、スロープの道をゆっくりと歩き始めると係員の人が寄って来て、「車で登るのなら、”車進入禁止”の道を上がっていいですよ!」と親切に教えてくれたので、駐車場に戻って車でスロープの道を上がります。頂上のそばには身障者用の駐車場があるので、そこに車を停めるともうお城はすぐ目の前です。
少しだけ、今朝からの千葉のマイナスイメージが消えた瞬間でした。
館山城といえば、戦国大名などのイメージはなく、何といっても「南総里見八犬伝のお城」のイメージです。初めての訪問でしたが、相応しい規模のお城のような気がします。
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下からのスロープを登らずに済んだので、お城には登ってみようと思いましたが、入場口まで行くと「月曜定休」の文字が… この日が月曜だということを、すっかり忘れていました!

房総半島突端近くの西側にちょっと突き出ている岬にあるのが洲崎灯台。近づくと有料駐車場がいくつか見えてきますが、灯台の立地がよく判らないので、とりあえず駐車場には車を停めずに灯台への道を確かめに行くと、予想通り手すりのないちょっと私には危険な階段が続いているようです。この道も「登りは何とか行けるでしょうが、下りが危険」な感じなので、近所の商店の人に、「灯台へ行く道は、この階段だけですか?」と聞いてみると「そうだよ」とのことなので、灯台へ行くのを諦めて、駐車場も使わずに洲崎灯台を後にしました。
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本日の宿泊は、美味しい海産物を食べたいと思い、昔の同僚に推薦していただいた「たてやま温泉 千里の風」という宿。最近リニューアルしてリーズナブルな料理自慢の宿になったとのことで、温泉もあるので我々には嬉しい限りです。部屋も、温泉も、食事内容もそれなりに良く、満足できる宿泊… になる筈だったのですが、個人的には「55年生きてきて、最悪のホテルでの夕食になった」というのは大げさにしても、とにかく悔しい時間でした。

その理由は夕食時の座席です。指定された夕食会場に行くと、座席の案内だけは日本語が殆ど通じない外国人従業員に案内され、夫婦二人の夕食会場としては信じられない「カウンター席」に案内されます。案内した外国人は、クレームを恐れたのかすぐに逃げるように消えてしまいます。でも、この日は満席のようで全ての座席には顧客の名前らしき名札が張られていて、我々のようにカウンターに座らされた他の二人組も何組かはいるみたいで、文句を言ったところで席の交換は出来なさそうです。
それにしても、二人で3万円以上も払って、牛丼屋のようなカウンターに座らされるとは… いくら30年以上連れ添った夫婦で会話があまり無くなっていると言っても、だからといって「カウンターに座って、お互い違う方向を向いて、うまい筈の飯を食え!」というのは、あんまりと言えばあんまりです。
豪華な舟盛には丁寧に魚の名前が書かれていて、そういう心遣いは出来ている宿なのですが、肝心なところで、大きな勘違いをしている宿だと思います。
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(舟盛自体には文句はありません。恐らく、美味だったのだろうと思いますが、悔しくて味は全くわかりませんでした。)
隣のカウンターの夫婦も年齢の近い中年夫婦のようでしたが、二人とも心なしか淋しそうだったのは、私の気のせいでしょうか? この旅館、そういうことを全て検証した上での夫婦でもカウンター席での夕食なのでしょうか? 最近、回転寿司でもかなり対面座席が増えているのに… 正直、悔しくてクレームをつける気も失せてしまいました。以前の仕事にも関連しているので、温泉旅館だけでも100泊以上はしていると思う私ですが、2人以上で宿泊して夕食をカウンター席で食べさせられた経験は、生まれて初めてでとても悲しい晩になり、涙しそうになりました。従業員の気遣いもしっかりしていて、いいホテルになる要素を持っているホテルだけに、余計に残念です。

後日、「でも誰かが声を上げなければ、この淋しさには気づかれないかも…?」 と思い、利用した宿泊サイトに口コミをアップしましたが、見事に削除されてしまいました。こういう、ホテルにとって都合の悪いと思われることを一切掲載しないことが、このサイトの人気(信用)につながらないことが判らないのでしょうか… と、ちょっと悲しくなりました。少なくとも悪口ではなく事実として書いただけなのに、これが楽天やじゃらんならばちゃんと掲載されるはずです。だから、いつまでたってもこのサイトが楽天やじゃらんには敵わないことを、未だにわかっていないようです。

前の会社の関連のサイトですが、とっても残念です。


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10.南関東周遊(神奈川~千葉)の旅(その1:神奈川県「ここはヨコスカ」) [日本一周(一周目)]


4月から10月までのニート期間中には、この時期の殆どの時間とお金を日本一周の旅に費やし、その結果47都道府県中かなりの都道(府)県を制覇することが出来ました。(府がカッコなのは、京都も大阪も行くには行きましたが、まだ”制覇”とまでは言えないためです。)
11月からは再就職するすることになったので、残りの日本一周は”しばらくはお預け”になったのですが、今度の就職先が学校法人のため、わざわざ有休を取らなくとも法人の休みが意外と多く、旅に行ける時間はそれなりにあるのが何とも嬉しいところです。
ということで、早速正月休み(冬休み)を利用して、近くの関東地方でまだ制覇が出来ていない2つの県を旅することにしました。

未達成県の一つは「千葉県」。千葉には娘も住んではいるのですが、「日本一周の旅」としてはまだ一度も足を踏み入れてはいませんので、見どころ豊富な房総半島を中心に久し振りにゆっくりと訪れたいと考えています。
もう一つの未達成県は、「神奈川県」。神奈川は東京、埼玉の次に長い8年半も横浜に住んでいましたので、今回の日本一周としては埼玉・東京と同じく「3か所(三回)に行く」というマイルールを自分に課していて、2015年2月には湯河原・箱根に行き、6月にはあじさいを見に古都鎌倉に行っています。神奈川の観光地を箱根~鎌倉と来れば、最後は横浜というのが普通なのでしょうが、横浜在住&勤務経験がある私が、神奈川最後の観光地として選んだのは「横須賀」。
ということで、今回の旅は三浦半島と横須賀を訪ねた後、横須賀⇒房総のフェリーを使って房総半島に渡り、房総半島を3/4周するプランを組み正月明けに早速実施した2016年最初の旅をレポートします。

1日目:1月3日(日)

この日は神奈川県最後の3か所目、三浦半島と横須賀の観光をする予定で、正月休みなのに朝早く家を出ます。正月三が日はおせち料理と雑煮を食するのが我が家というか私の55年来の定番なのですが、旅の初日のこの日はおせちも雑煮も、勿論お酒も飲むことはなく、朝定番のグラノーラを食べての出発です。

この日の最初の楽しみは、前年10月末に開通した圏央道の我が家に近い”白岡菖蒲インター”からの初ドライブ。インターまでは勝手知っている我が家近くの田舎道なので、予想通り10分も経たないで高速に乗ることが出来、今まで下道を40分以上走ってようやく辿り着いていた”桶川北本インター”までは、自宅を出てから20分経たないうちの到達です。予想通り20分~30分の時間短縮となり、今更ながら「1年前にできていたら、日本一周もっと楽だったのになぁ~!」と思ってしまいますが、開通してくれたことに感謝しなければなりませんね。初めて走る高速区間は特に他の高速と大きく変わりはありません。高いところを走るのですが、高速ではいつでも景色を楽しむ余裕はそんなにはありません。

この日は圏央道を東名に入らずに終着まで走ります。まだ正月三が日中なのに物流の大動脈であるトラックが予想以上にたくさん走っています。特にコンビニのマークを付けた車が多く、365日休むことないコンビニという生活文化のパワーを実感します。
この何十年かで、本当に日本人の正月の過ごし方は大きく変わったと思います。私が子供の頃、正月に開いているお店は子供のお年玉目当てのおもちゃ屋さん、本屋さん、レコード屋さんぐらいで、私も貰ったお年玉を握りしめて、欲しかったLPレコード(懐かしい!)を買いに行ったことを覚えています。人々は、正月三が日には初詣ぐらいしか行くところはなく、明治神宮に初詣に行っても参道のお店以外には全くお店が開いていなかったのが当然だったことを覚えています。昭和の時代に仙台に赴任した時、仙台には他の地方とは違う”初売り”という風習が根付いていて、3日(一部のお店は2日)からお店を開けて、プレミアムが付いた1大セールを行うことが東京しか知らなかった私にはとっても新鮮で、「へぇ~、仙台って3が日の間にお店を開けるんだぁ… 仙台の店員さんって、大変だなぁ!?」と、とっても珍しかったことを覚えています。今では、「何言ってるの?」と驚かれそうですが…
私は、正月三が日に働いたことは、入社2年目に年末年始のハワイツアーに添乗員として行ったことと、某宗教団体の正月イベントの斡旋に動員されたことなどをはじめたった数回しかありませんが、年末年始無休の会社に就職した娘などは、入社以来7年間で私の正月労働日数を早くも大きく上回っています。(というか娘は基本3が日は休みはなしのようです。)

一般道に出ても、藤沢の一般道にも正月らしさはありません。今日は日曜日なので、普段通りの日曜日って感じです。普段と違うのは、あと数時間後にはこの付近を今や正月の一大イベントと化した「箱根駅伝」の8区のランナーが駆け抜けるので、恐らく沿道には今から応援団の「陣取り」が始まっているのでしょうが、当然今回の我々は駅伝見学でもないし、付近に車を停められる筈もないので、却って駅伝ルートを走るのは非効率的と考え、ルートを通らないドライブプランを考えていました。とは言え駅伝のルートとは必ず一回は交差しなければ横須賀方面には行けないのですが、駅伝コースと交差したポイントは、予想より人は多くはなかった気がします。往路を圧倒的な強さで制した青学が強すぎて、盛り上がっていなかったからなのでしょうか…?

順調にドライブして、最初のみどころは三浦半島の突端である城ケ島。この突端の橋でつながっている島まで来るのは、自分の記憶では小学校5年生の臨海学校で来て以来44年振りかもしれません。まずは、駐車場に車を停めて何はともあれ城ケ島灯台を目指しますが、最後の階段に手すりがなく、おまけにちょっと急な階段だったので、灯台へ行くのは断念します。2016年最初の観光での途中断念なので、「こいつは春から、縁起が最悪!」なのですが、無理して階段を登り、登るのはともかく降りる時に怪我でもしたらシャレになりません。ということで、妻に行ってもらって、妻にシャッターを押して貰いました。
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途中のお店の強引な呼び込みに負けて、2016年最初の旅のおやつは”さざえのつぼ焼き”。12月の中頃に書いていた旅行記で、ちょうど佐賀県でサザエのつぼ焼きが食べられなかったことを書いて以来、ずっと食べたい気持ちが残っていたのかも知れません。確かに新鮮なサザエでしたが、砂抜きが悪いのかジャリジャリ言っていて、2016年のスタートとしてはちょっと残念でした。
その後京急ホテル前まで散歩して、ようやく海沿いに出て海越しの富士山が眺められたのですが、この日は1月とは思えないくらい気温が高く、普段の1月と言えば空気が冷えていて景色もキリッと遠くまで綺麗に見える筈なのですが、温かいこの日は天気は良いものの春の雰囲気です。普段のこの時期には、富士山は山裾まではっきりと見える筈なのですが、この日は雪をかぶった山頂がかすかに見えるだけです。
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(海越しにぼんやりと見える富士山。こんなに良い天気なのに…)
この日本一周の旅では、富士山には本当に縁がなく、きれいな富士山をシャッターに収められたことが、今までで一回もありません。冬、我が家からは毎日のように富士の秀峰を仰いでいるのですが… 
チャンスはあと数回、京都・大阪方面に行く(帰る)時だけですが、果たして結果は…?

三崎でお昼をいただこうと半島まで戻り、マークしていた店の一つ「くろば亭」の駐車場にたまたま1台分空きがあったのですが、お店は満席で待ちの状況です。三崎と言えば何といっても「まぐろ」なのですが、これから数日間海鮮三昧が味わえると思い、刺身は明日以降の楽しみとしてようやくカウンター席に座れた私がオーダーしたメニューは「地魚タワー天丼」。
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下手な写真なので、立体感(タワー感)は伝わらないのですが、確かにタワーという名前には偽りはありませんでした。

次には横須賀に戻り観音崎を目指します。観音崎公園周辺に着き駐車場を探したものの、駐車場はみんな「1日800円以上」の駐車場ばっかりで、30分100円のようなコインパーキングは一つも見つかりません。後で横須賀在住の友人に聞いたところ、「駐車場は平日は基本みんな無料で、夏休みとかだけ800円以上になる。」とのことでした。我々はちょっと散歩して写真を撮るぐらいなので、滞在時間はせいぜい30分ですから、800円の駐車料金を払う気には全くなれずに、結局ドライブしただけでスルーしてしまいました。

次の見どころは「戦艦三笠」。ここではちゃんと時間制の駐車場に車を停めて、まずは横須賀のシンボルとも言える東郷平八郎司令長官の銅像に敬意を表してシャッターを押し、その後戦艦三笠内部を見学します。
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バルチック艦隊との日本海海戦で大活躍した三笠。東郷長官は勿論、作戦参謀だった秋山真之さんのことは、松山に行った時に「坂の上の雲ミュージアム」でたっぷりと見ていますので、日本は広いとはいえ、それぞれの土地そして歴史がしっかりと繋がっていることが実感できたひとときでした。

本日の、横須賀観光のメインイベントは「横須賀軍港クルーズ」。15時発の船を予約していたのですが、受付に行ってみるとその船は”予約で満席”とのことで、昨年末に予約しておいて大正解でした。
満席の船は定刻に港をスタート。みどころたっぷりの軍港横須賀を、ガイドさんが色々な説明をしながら日米両国の戦艦を案内してくれます。
まず、「この潜水艦、日本? アメリカ?」
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正解は日本。さすがに正月らしく正月飾りが飾られているのがその証拠。 本当ですね!

アメリカのイージス艦がたくさん並んでいます。各船は毎日どこかへ行っているとのことで、これだけ並ぶのは珍しいのだそうです。
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あまり近寄れないので大型の迫力はあまり感じられませんが、これが数千人以上が乗務するアメリカの空母。空母ですから戦闘機が離着陸出来て、その巨大さを間近で見てみたいと思わせられました。
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この写真あたりが、「軍港」のイメージです。海軍オタクではないけれど、本当に格好いい!!
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横須賀のこの軍港クルーズ、本当に迫力満点で本当に楽しい1時間でした。これだけのために、また横須賀に来たいと思わせる船で、本当に素晴らしい観光要素です!今回の日本一周では、舞鶴、呉、佐世保などたくさんの軍港を見ました。それだけが目的ではないので、観光スケジュールを公開の日に合わせてはいなかったので、軍港見学は自分の中では何となく消化不良気味だったのですが、最後の横須賀で大満足させていただきました。

本日の宿泊ホテルに荷物を置き、横須賀のシンボル「ドブ板通り」を散策します。恐らく35年振りぐらいのドブ板通りですが、何となく少しだけシャッター商店街化しているみたいで、ちょっとびっくりしてしまいました。
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我々の学生時代、当時憧れの”スカジャン”は、ここドブ板通りでしか買えなかったのですが、今ではスカジャン自体の人気もともかく、欲しいと思えばネットで買えるからでしょうか…
私の若い頃の横須賀と言えば、山口百恵の「横須賀ストーリー」、ダウンタウンブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」etc… 私のヨコスカのイメージは、まさにここドブ板通りだったのですが…  今では、横須賀のイメージは、「小泉親子」ぐらいだと言う人もいて、ちょっと驚きです。

夜は横須賀在住の友人と久し振りに横須賀中央駅前の居酒屋で一杯飲み、京急線を一駅だけ汐入まで乗ってホテルに戻ります。とは言え時間はまだ9時前、このまま品川まで乗っても埼玉の自宅にまだ十分帰れる時間なので、ちょっと変な感じです。

とは言え、新年早々神奈川県もマイルールの3か所を制覇して、まずまずの2016年スタートになりました。

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9.南東北紅葉の旅<後篇:山形~宮城> [日本一周(一周目)]

 
3日目:10月24日(土)

この前日、Facebookに投稿して「明日は山形です!」と書いたところ、日本海側とか鶴岡に行くとかの詳細は全く書いていないのにもかかわらず、2人の方から「鶴岡の加茂水族館がおススメ!」というような書き込みをいただき、当初は行くつもりは全くなかったのですが、気になって前日の夜にHPを覗いてみました。
「クラゲドリーム館」と銘打たれたその水族館、「ホームページを見ておおいに興味をそそられた」訳ではないのですが、”紅葉紀行”とは言えずっと紅葉ばっかり眺めていて3日目にもなると少々飽きも出てくるので、ここ湯野浜温泉とこの水族館は思った以上に近そうだったこともあり、行ってみる気になりました。

話は変わりますが、この”旅行中の口コミ”というテーマが、実はこの私の大学の卒業論文のテーマでした。33年前にはネットの口コミなんて勿論ありませんが、「ユースホステル・民宿や列車内での旅行者同士の口コミというか情報交換で、旅行者は行き先を変えることが、我々が思う以上に多い。」という仮説を立て、アンケートなどを含めてその仮説を検証することが卒論のテーマでした。大学生というより「1旅人」の私にとっては、「そんなことは、当たり前」だったことが、他の皆さんにとっては「大いに意外」だったことが強く記憶に残っています。確かに、昔は旅先の情報収集をするためにも列車内でもどこでもとにかく積極的に会話を仕掛けていったのですが、今はネットの口コミもあり情報は十分すぎるほどにあるので、旅先でそういう会話を仕掛けなくなったことも、旅先での見知らぬ人との会話が減った一つの要因なのかもしれませんね。

ホテルすぐ近くの水族館には開館時間の9時前には到着しますが、この日は土曜日なので開館前だというのにもう既にかなりの行列が出来ています。オープンと同時に水族館に入り、クラゲ以外の展示にはほとんど興味はないので、とにかくメインのクラゲを目指して、ひたすら奥へと進んでいきます。
そして、メインのクラゲは…
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いやぁ~、凄い! クラゲって子供の頃のイメージは、刺されるし嫌~なイメージだったのですが、改めて一つ一つのクラゲを見ると、こんな綺麗で可愛い(?)生き物だったのでしょうか? 本当に一つ一つの水槽にじっくりと魅入ってしまいました。
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単体のクラゲも迫力満点ですが、たくさん集まって光が当たったクラゲ群も本当に”美しい”という言葉を使いたくなってしまうほど(!?)です。
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イベントとして、「クラゲのお食事」という見せ物もありました。クラゲのお昼ごはんは、クラゲの水槽の中に小さなクラゲを投入し、その小さいクラゲを共喰い(?)するのです。その話だけ聞くとひどく残酷に感じますが、クラゲが小さいクラゲを捕獲して自分のものにする決定的瞬間を見ると、「生物が生きるための神聖なる行為」に厳粛なるな気持ちになってしまうから不思議です。
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いずれにせよ、この鶴岡市立加茂水族館は本当に凄く、本当にこの水族館に行くだけのためにでもわざわざ鶴岡に行く価値があるとさえ思いました。口コミを投稿してくれた友人に本当に感謝です!
クラゲ以外の展示やショーなどもいくつかありましたが、個人的には他の展示なんて吹き飛んでしまうほど、感動したクラゲ展示でした! 

次には酒田に行き、酒田の紅葉スポットして紹介されている「眺海の森」という場所に行ってみます。この眺海の森への道の途中には紅葉した木は確かにありましたが、最上部の駐車場があるところには紅葉はなく、どこが紅葉名所なのかはわからないままでした。頂上にはスキー場があり、この時期でもサマースキー場としてオープンしているようでした。
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酒田と言えば、2011年に病気後初の旅行をした時にも来ていて、その時にも妻の知人夫婦が経営している喫茶店を訪ねています。(その時の記事はこちら)その時は別の場所で海産物ランチを食べてから、コーヒーだけを味わいにお邪魔したのですが、他のお客さんが美味しそうなランチを食べているのを見て、「次は絶対にお昼を食べに来よう!」と思っていたので、今回は4年越しの宿願を叶えるべく12時前にそのお店”豆麦亭”を訪れます。
4年前にこのお店に初めて来たときに、「凄く繁盛していて、地方の喫茶店の見事な成功例です!」と絶賛した(本当にそう思った)記憶があるのですが、時の流れは早いものですから、このような大成功からいつの間にか閑古鳥が鳴いているお店になってしまうような例も何度か見てきているので、「あの喫茶店は、大丈夫だよね?」と少々心配しながら車を駐車場に入れました。まだ12時前だったので、駐車場にもお店にも他のお客さんはおらず、「まさか、あの心配が現実??」と俄かに不安がムクムクと私の中に持ち上がってしまいました。

でも、そんなことが全くの杞憂であることがすぐに判りました。我々が店に入った直後からお客さんはどんどん増えて、あっという間にほぼ満席になったのです! お元気そうなご夫婦と息子さんも忙しそうに接客されており、4年前と変わらずの素晴らしく嬉しくなる風景でした。
ランチもお魚のランチを中心に多彩で、これならこの人気があるのも頷けます。写真は撮り忘れましたが、ランチは勿論美味でしたよぉ~! この分なら「数年後とは言わず、20年後も大丈夫!」と安心させていただき、何年後かにまた酒田に来る時にも、必ず寄らせていただこうと思いました。

豆麦亭で美味しいランチを頂きながら、山形県にもすっかり詳しくなったご主人からこの先の観光地をいくつかご紹介いただき、親切にもパンフレットまでたくさんいただいたのですが、今日の午後のメインは「最上川舟下り」で、その後は宮城県の鬼首リゾートまで移動しなければならないため、教えていただいた観光地はどこもとっても魅力がありそうだったのですが、ご主人には申し訳ないのですが結局どこも行けませんでした。この日の天気予報は午後から雨予報だったので、雨が降り出す前「豪雨を、集めて早し」にならないうちに最上川の舟下りをしてしまおうと考えた次第です。
最近は「最上川の舟下り」にもいくつかの会社の船が入り乱れていて、競争が激しくなっているようなのですが、私が入社した昭和58年頃には、最上川の舟下りと言えば「古口~草薙」の1ルートだけでしたので、今回も昔を懐かしんでその船に乗ることにします。
この昭和58年という年には、私が赴任した地仙台にも、ちょっとした「山形ブーム」が起きた年でした。その、山形ブームの火付け役は何といっても視聴率50%超えの超人気番組「おしん」。この年の旅行で、”ホテル出発8時半”とお客さんに言っても、8時半前には誰一人バスに来る人はいません。全員、部屋で8時半までは「おしん」に熱中していて、放送終了後にようやくみんな部屋を出てくるのです。おしんといえば銀山温泉と酒田ですから、その中間にあるこの「最上川舟下り」も楽しまない手はないので、この昭和58年だけでこの地には何度来たことでしょう? でもそれ以降は恐らく1回も来ていないはずなので、正に32年振りです。

32年振りに最上川を下ります。紅葉も丁度見頃のようで、この日のハイライトです。
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ゴール近くには昔と何ら変わっていない「白糸の滝」と鳥居があります。
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この舟下り、川幅もそれなりに広く特に景観が目まぐるしく変わるわけではないので、文章に書きずらいことに改めて気づきました。どんな場所でもそれなりの紀行文に仕上げるプロの作家はやっぱり凄いですね!? 改めて敬服してしまいます。

草薙で舟下りを降り、路線バスで乗船場所の古口まで戻る頃には天気予報通りのかなり激しい雨になっています。ここから、本日の宿である宮城県の鬼首温泉峡までのドライブは、昔通りかなり時間が掛かりました。途中、昔仕事で何度か来た山形県のひなびた温泉(失礼!?)である赤倉温泉を通ります。この地の方々とは、約30年前に中国に10日以上ご一緒したことがあります。それ以外にも、生まれて1年以内の息子を連れての初めての旅行がこの赤倉温泉でしたが、初旅行の息子が初めて40度近い高熱を出して夜中に慌てて病院に連れて行ったことも、今では懐かしい想い出です。

鬼首温泉は、シーズンの土曜日なので鳴子温泉が取れなかったための代案でしたが、日もすっかり暮れた雨中のドライブで真っ暗の中を結構走ったので、スリルあるドライブでした。「今回の日本一周では、暗くなる前に宿に着こう。」という目標を、最後の最後で叶えられませんでしたが、とりあえず事故なく無事にホテルについて一安心です。
食事つきの温泉宿の土曜日にしては比較的料金もリーズナブルだったのですが、夕食は「焼肉屋さんの焼肉」という感じでした。まぁ、旅館の料理が続いた我々にはかえっていい感じでしたが。

4日目:10月25日(日)

この日は昼前に仙台の妻の実家に行き、のんびりする予定でしたが、「紅葉の旅」の最後に宮城県の紅葉を楽しもうと思います。昨晩、真っ暗だった道を戻りながら景色を楽しみ、「こんないい景色だったんだ…」と改めて思いました。やっぱり暗くなってから来るのは避けなければいけませんね。
最初の見どころは鳴子ダム。道端に車を停めてパチパチと写真を撮りますが、まだ8時過ぎなので当然観光客は他にはいません。
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この調子で混雑すると思われる紅葉の名所鳴子峡も早いうちに済ませてしまおうと向かいますが、8時半で既に駐車場には”満車”の表示が… 日曜日とは言え、”さすが鳴子峡、恐るべし”です。
何とか近隣の駐車場にスペースを見つけ、紅葉の時期以外にはガラガラのレストハウスに向かうと、そこにはカメラマン、家族連れ、外国人etc… その他もろもろの人たちで溢れていますが、確かにそれだけの価値のある眺めです!
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この写真、今年の年賀状にも使った1枚です。まさに宮城県を代表する景色です。
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この後は仙台の実家に行き、夜9時には石巻まで通勤している同期入社の友人と落ち合い、数年振りに旧交を温めて翌日埼玉に帰りました。


これで、7か月に渡るニート期間中の旅行三昧の旅行記をようやく書き終えることが出来ました。この後は、以前のように仕事の傍らたまの休みに旅行に出る生活に戻るわけですが、この時期は自分史上でも本当に楽しい、恐らく人生最高の7か月でした!
このブログも、自分の思い出として何年後何十年後にも何回でも読み返したいと思っています。

とは言え、日本一周の未訪問(達成)府県は、この時点であと9府県。
2016年中には、この9府県は、必ず達成します!

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