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はつかり5号 [好きな曲]


おはようございます。今日は妻が外出して一人なのでのんびり過ごしています。朝、ゆっくり起きていつもの運動をした後、サンデーモーニングとサンデージャポンと珍しくTBSの番組を連チャンで見ています。この後「アッコにおまかせ」や「噂の東京マガジン」も見るので、日曜日はよく考えたらTBSデーですね。
普段は日テレが圧倒的に多いのに…

今日は昨日続き「はつかり5号」の思い出です。

ウィキペディアによると1972年にケンとメリーでデビューしたBUZZですが、恐らく私が知ったのはその数年後だと思います。特に痛烈な出会いの印象は全くなく、「気が付いたら知っていた」としか今では思い出しようがありません。「ケンメリ」は早くから知ったと思いますが、その他のBUZZの曲もどういう手段かは忘れましたが知って、聞いていたようです。

実はもう一曲特に思い出はありませんが好きな曲がありました。1974年にリリースされた「さらばTOKYO」という曲です。
思い出すのは歌い出し「僕は決してこの街が、嫌いではないんです。愛しているかもしれません。」から始まって「さらばと~きょう、さらば僕のふるさとぉ、 うぅ~ううう~」というサビも忘れません。久しぶりに聴きたくてYouTubeを探してみましたが、同じタイトルの別の曲しかヒットしませんでした。この歌は当時東京都民だった私には、故郷脱失計画もなかったので全然思い出はありません。

さて、「はつかり5号」です。この曲の思い出は高校2年の時の北海道旅行です。
(今日もちょっと長くなります)

中三の正月に父親を亡くした私にとっては、高1の最初の夏休みは親父の初盆。墓のある九州福岡へ旅行に行きましたが、高校に入学した私は折角お盆に旅行に行くのなら… と思い、行きは甲子園で憧れの高校野球を見て、盆の行事の後は長崎へ行き当時「グレープ」の曲で一躍有名になったお祭り「精霊流し」を見に行きました。
その後阿蘇山を観光して帰った私は、初めての「ユースホステル体験」もして「旅でいろいろな年代や地域の人との出会い」も体験して、すっかり旅行好きになって帰ってきました。

帰りのブルートレインの中で「旅行ってこんなに楽しいんだ!」って、初めて旅行の楽しさ&素晴らしさを知るきっかけになりました。思えばこれが旅行産業に30年も奉職する私の人生の方向を決めてしまった瞬間なのかもしれません。

「じゃあ、来年の夏にはもっと遠いところへ長い旅行に行こう! そうだ! 北海道だ!」これも帰りの電車の中での思い付きです。まだ見ぬ北の大地に思いを馳せながら、ブルートレインの夜を過ごしたことを覚えています。

その後の1年間は、計画を作ることに没頭し、熱中しました。何度もプランを組み、組んでは作り直しの連続でした。プランを作ることがもう既に旅行の始まり! という楽しみも知りました。
秋以降はせっせとアルバイトをして旅行の資金確保です。正月には年賀状配達のバイトもやって、親に頼らずの旅行計画が徐々に出来上がっていきます。

ようやく大枠のコースを決めたのは3月。出発日を8月7日に決め、旅行期間は当時の国鉄の「北海道ワイド周遊券」の有効期限一杯の20日間です。当時のユースホステルの予約受付が4月1日~なのでその前に全宿泊施設に往復はがきを送付しました。出発日を8月7日にしたのは、旅費が少し足らないので母親にお願いして、夏休み開始から約20日間、何度かバイトしたことがある母親の会社(弁当屋)で最後のバイトをしてから行く必要があったからです。また、夏休みを5日残して帰るのは、宿題を突貫工事で仕上げるためです。

ユースホステルからは、一部を除いてOK回答が届き、NGだったところも何とか代案が確保できて、ようやく旅行プランが固まりました。そうなると今度は列車の指定が必要なところは指定券を買わなければなりません。

今回の旅行は北海道ですから、魅力あふれる東北も今回はスルーです。最初の観光地は北海道の玄関口函館。私のプランでは最初の観光は絶対函館!と決めていました。それも朝市と夜景は絶対です!
しかも高校生の貧乏旅行ですから、宿泊は可能な限り夜行列車を使い、宿泊費と移動時間を浮かせたいところです。

そう考えると初日の宿泊は青函連絡船の船中。4時間の船旅ですが、学生の体力には十分です。幸いなことに当時0時代の夜行連絡船があり、朝の4時過ぎに函館港に着きます。そうすると朝市も勿論函館市内の観光にはたっぷり1日かけられます。昼間に津軽海峡を渡り、津軽海峡の海風を全身に浴びながら「北海道だぁ~!」と感激し「いかづくし定食」を食べたい気持ちもありますが、この楽しみは犠牲にしなければなりません。

当時、この連絡船に接続する特急列車が2本ありました。常磐線経由の東京から青森行きの特急「みちのく」と東北線経由の「はつかり5号」です。

当時の「はつかり」は上野から青森に行く快速特急列車で、1日に5本運行されていました。ちなみに当時は「号」には上り下り両方あり、上野発の「はつかり」も1号から5号までありました。(そうです。青森発にもはつかり1号から5号までがありました)
勿論新幹線のない当時、仙台までの特急列車は「ひばり」、盛岡や青森まで行くのが「はつかり」で、確か指定券も近距離の場合発売制限があったと記憶しています。

特に当時の「はつかり5号」は記憶の限りでは超優等列車。夜行の青函連絡船に乗り継いで北海道に急ぐ人の専用列車のイメージでした。確か函館から早朝4時代の特急北海に乗り継ぐと昼前には札幌に着けるダイヤだったと記憶しています。
確か16時過ぎに上野駅を出発、信じられないくらいの停車駅でぐんぐん飛ばします。
毎日時刻表を見ていた記憶で、停車駅は
上野/大宮/宇都宮/(記憶では郡山?)/福島/仙台/盛岡/青森
たったこれだけの県庁所在地限定の停車駅だったと記憶しています。
まだ当時は「鈍行の魅力」に気づいていた頃ではなく、「優等列車への憧れ」だった高校生にとって、既にBUZZが歌って知っていたいた「はつかり5号」への憧れは募るばかりです。

ついては、この8月7日の「はつかり5号」の指定券を手に入れようと、1か月前わざわざ学校をさぼって某旅行会社の店頭に並びました。当時は国鉄窓口でも旅行会社でも朝に並ばないと指定券が買えませんでした。
私の指定席希望は
第一希望 はつかり5号
第二希望 みちのく
第三希望 はつかり4号

当時の指定券は朝発売ですが引き渡しは2時以降、その日の午後に店頭に行きましたが「はつかり5号」満席で「みちのく」で取れました! という結果です。

みちのくは確か2時半上野発で常磐線経由です。これも当時人気列車だったので今考えたら「ねぶた」「七夕」の開催中ですから取れただけでも喜ばなければなりません。

ということで結局「はつかり5号」は乗れませんでした。
大学入学後東北と北海道に「ハマり」ましたので、休みのたびに東北本線に必ず乗っていましたが、大学時代は「貧乏=特急には乗らない」旅行です。

そんなことで本音を言えば東北新幹線の青森駅の列車名は「はやぶさ」ではなく「はつかり」になることを密かに望んでいました!!

そんな思いでBUZZの曲を聞いて下されば幸いです。


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はらっぱ

通りすがりのBUZZファンです。BUZZをキーワードでネットサーフィンしていたら、こちらの記事にヒットしました。昨日の「ケンとメリー」の記事に続き、今日の「はつかり5号」も読ませていただきました。素敵な思い出ですね。
さて、そのBUZZですが、お二人は長い間、活動を休止していましたが、6~7年前から徐々に活動を再開し、ちょくちょくライブも行っています。去年の4月には30年ぶりにニューアルバムもリリースしたんですよ。
プロフィールを拝見したら、リハビリ中だとのこと。もし外出が可能でしたら、東京のライブへも足をお運びください。BUZZが公認しているサイトです。
http://www1.odn.ne.jp/togo/
今のような節電が続くとどうなるかわかりませんが、直近では4月29日に原宿のラ・ドンナというお店でライブがあります。
これを機会にBUZZをまた応援してくだされば嬉しいです。よろしくお願いいたします。
by はらっぱ (2011-03-27 20:13) 

tacsue

はらっぱさん
書き込みありがとうございました。
あんまり曲の記憶でなく、自分の記憶だけで書いてしまってすみません。

そうですか…BUZZまだ活動しているのですね。
現在はリハビリ中のため行けませんが、直ったら是非行きたいと思います!

そのためにもリハビリ頑張ります!!
by tacsue (2011-03-27 21:05) 

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